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最終章 そこに踏み入るには

第230話 いのち

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「いいから早く着替えてきなさい。髪も結うのですよ」
「あ、ああ」

 一色が屋敷の中に消えるのを見送って、カディールは光太朗に視線を戻した。
 光太朗の肩に手を置いて、少しだけ眉を下げる。

「クジロさん、紅柑の実はね、別名『神獣の実』と言われていて、神獣が好んで食べるものなんです。彼らは紅柑を生で食べますが、我々人間には刺激が強く、とても生では食べられません」
「そうなんだ……。じゃあ、やっぱり胸焼けはこれが原因だったんですね」

 カディールは光太朗を見つめ、きっぱり否定するように首を横へと振る。

「胸焼けの原因は、紅柑ではありません。かつて一色も、その紅柑を好んで食べていた時期があるんです。……彼のお腹に、子がいた時期でした」
「…………」
「峨龍との子を成した時、一色は生の紅柑ばかり食べていました。……この意味が、分かりますか?」
「……分かる、けど……そんな事……」

 じわりと足元が冷えて、感覚が無くなっていく。
 カディールの言っている事の意味は分かるが、光太朗にはすんなりと受け入れられるものではなかった。

 いつの間にか傾いでいた光太朗の身体を、カディールが支える。それはカディールが持つ柔和な印象とは違う、逞しい腕だった。

「受け入れられないのは分かります。一色もそうでした。……神獣の精には、雌雄関係なく子を孕ませる力があります。しかしそれは、神獣の血が流れる者に対してだけ有効です。人間の男性に子を宿させる事は、通常は無理なのです」
「……じゃあ、どうして一色さんは……」
「詳しい理由は分かりませんが……恐らく身体を作り変えている時期に、峨龍の精を受けたからだと私たちは結論付けました。……前例がないので、私たちにも良く分からないのです」

(身体を、作り変えている時期……)

 肆羽宮で床に伏せっていた時期、光太朗とリーリュイは何度も身体を重ねた。
 あれはお互いの愛を確かめ合うだけの行為だった。新しい命が宿るなど、露ほども思っていない。

 リーリュイとの間に子供が出来たら。もしも自分が女性だったら。そんな考えが過った事とが、光太朗にもある。しかしそんな想いを抱く自分を、心底忌々しく思っていた。
 
 それが叶うことは絶対にない。
 これ以上欲張るなんて、なんて強欲な生き物なんだ。
 だいたい俺が、親になんてなれるわけがない。

 しかし今、光太朗の目の前に突きつけられた事実は、忌み嫌って投げ捨ててきた自分の想いそのものだ。

(それにどうするんだ。リーリュイの側に、俺は居られないのに……)


 目の前が真っ暗になって、吐き気が込み上げる。
 遠くにカディールの声を聞きながら、光太朗の意識はぷつりと途絶えた。


________


「……まったく、あなたたち2人が側に居ながら、どうして気が付かなかったんですか……!」
「面目ない……。もう百年以上前の事だから、俺もすっかり忘れていた……」

 座敷の上に正座している一色は、がっくりと頭を垂れた。隣に並んでいる峨龍は、眉根を寄せて口をへの字に曲げたままだ。
 そんな2人を見下ろして、カディールは声を落としながらも口調を荒くする。

「神獣の子を孕むことが、どんなに辛くて困難か……! イチも峨龍も、分かっているでしょうに! もう忘れたとは、信じられません!」
「喉元過ぎれば何とやらで……。しかし九代屋がそうとなると、ちと辛いもんがあるなぁ」

 一色は部屋の隅に寝かされた光太朗を見た。側にはアゲハが座っており、その手を握りしめている。彼は心配そうに顔を歪めていた。どこか後悔しているようにも見える。

 取り乱した光太朗には安定剤が与えられ、今は穏やかな顔で眠っている。
 神燐一族が抱える専属の医師に診せたところ、やはり間違いなかった。光太朗のお腹には、ザキュリオの皇太子の子がいる。


 カディールが溜息を吐きながら、その場に胡坐をかいた。

「番がいない状態で、クジロさんが耐えられるかどうか……。ただでさえ母体の負担が大きいというのに……」

 黙っていた峨龍が、唸るような声を発する。向ける相手もいないのに、彼は威圧感を垂れ流していた。

「……神獣の子は、番同士が力を合わせて孵すものだ。……ザキュリオを今すぐ滅ぼし、クジロの番を攫ってくる」
 
 峨龍が立ち上がったのを見て、一色が慌ててその袖を掴む。

「馬鹿言うな。あの子がずっと頑張ってきた事を、無駄にするつもりか」
「しかしシキよ。このままではクジロが危ない。天秤にかけても、守るべきものはクジロだ」
「まぁ待て。九代屋の意見も聞くべきだ」

 一色は座ったままずるずると移動し、光太朗の脇まで移動した。痺れてしまった脚を崩しながら、光太朗の額を撫でる。すると彼の瞼が、ゆっくりと開き始めた。
 光太朗は瞬きを繰り返しながら一色を認めると、その顔をくしゃりと歪める。

「……一色さん」
「大丈夫か、九代屋」
「俺……無理です。……親になんて、なれない」
「ふむ……」

 一色はゆっくりと振り向き、峨龍とカディールに視線を向けた。意図を悟った2人は立ち上がり、奥の部屋へと下がっていく。
 一色は小さく頷くと、光太朗へ視線を戻した。

「……気持ちは良く分かる。前世の俺は……親という愛情溢れたもんとはかけ離れた、薄汚れた存在だったからなぁ。そんな男の腹に、濁りの無い純粋なもんが宿ったって聞けば……そりゃあ戸惑ったよ」
「……俺も、すごく怖い……」

 布団の上から腹を撫でて、光太朗が零す。真っ青になった顔に、いつもの朗らかさは見えない。

「俺……前世でたくさん人を殺した。そんな俺の腹の中で育ったら、可哀そうだ」
「それは言うな。この子は望んで、お前の元に来たんだぞ? 奪った命の事を悔やんで、今ある命に目を逸らすのは止めろ」
「……でも……この子には……っ」

 光太朗の眦から、大きな粒が滑り落ちる。リガレイア国へ来てからの彼は、涙はおろか辛そうな顔すら見せなかった。
 初めて見た光太朗の涙は、それまでの想いが全部詰まっているように見えた。

「……親がおらん子なんて、ごまんといる。しかしそこにいるお腹の子には、片親がおらん事を悲しんでくれる九代屋がいる。幸せ者だよ」
「……」

 光太朗が手で顔を覆い、肩を揺らし始めた。側に居たアゲハが、額を光太朗の胸へと押し付ける。

 峨龍の兄である淵龍は、かつて不遜な態度で人との関わりを避ける神獣だった。そんな彼を変えたのも、光太朗の影響なのだろう。
 こんなに純粋に美しく歪んだ人間を、一色は見たことが無かった。だからこそ、一色は光太朗に力を貸そうと思ったのだ。


「お前は聡い子で、頑張り屋だ。きっと明日には乗り越えたような顔をして、平然としてるんだろうよ。……でもなぁ、九代屋。俺たちはもっと、お前に頼ってほしい。どんな方向に転がろうと、お前には俺らがいる事を忘れるな」
「…………はい……」

 光太朗が小さく零すと、アゲハが顔を埋めたまま肩を揺らし始めた。その背中を、光太朗が優しく労わるように撫でる。

「ごめんな、アゲハ。……また負担を増やしちまうな……」
「……大丈夫だ、コタロ。我はずっと側にいる」

 2人を眺めながら、一色は憂いと共に溜息を吐き出した。そして光太朗の肩を穏やかに叩いた後、一色自身も部屋の外へ出た。
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