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最終章 そこに踏み入るには
第222話 粗すぎる設定
しおりを挟むリーリュイの少し後ろを、光太朗は警戒しながら付いて行く。村から離れ、少しの間一緒に歩いたが、彼から口を開くことは無かった。
久しぶりのリーリュイの背中は、相変わらず逞しくぴんと伸びている。懐かしさに囚われないように、光太朗は唇を噛み締めた。
前を歩いていたリーリュイが、突然ぽつりと零す。
「……貴公は、異世界人だな? リガレイア国に降りてきた、例の転移者か?」
「ああ、その通りだよ。っていうか俺が異世界人かどうかなんて、見れば分かるだろ? あと、貴公っての止めた方が良いと思うぞ。育ちの良さが露呈する……いや、何でもない」
リーリュイが振り返り、視線がぶつかった。
仮面越しであるというのに、どこか落ち着かない。それを振り払うかのように、光太朗は慌てて口を開いた。
「俺の事は、クジロって呼んでくれていい。どうせあんたの国では、ろくでもない存在んなんだろうし……」
「……クジロ……。ク、ジロ……」
リーリュイは発音を確かめるように言葉を零す。光太朗はその様子を見て頭を抱えた。色んな場面が思い起こされて、心が揺れる。
(……っくっそ、可愛いな!! 無自覚に俺の情緒振り回すな!!)
「っていうかな、一般兵士が何で一人で国境なんかにいるんだよ。今一番危ない所だろうが」
「…………魔獣狩りに、来ていた」
「この真冬にか? 敵陣に近いところに、一人で?」
「…………ああ……」
返事をするリーリュイの背中を見て、光太朗は嘆息しながら天を仰いだ。
真冬に出没する魔獣はごく僅かだ。冬眠が出来なくて暴走した魔獣もいるため、一般兵士の魔獣狩りは冬の間禁止されているはずである。それはリガレイア国とて同じだ。
(おいおい、全然納得できる返事になってないぞ。俺以外だったら即疑われるだろ……)
「……あんた、名前は何と言うんだ?」
光太朗の問いに、リーリュイの歩調が緩まった。少し間が開いて、彼はぽつりと零す。
「……私の名は、カザン……だ」
「……カ、カザン? んん、っぷっ……」
こればかりは光太朗も耐えられなかった。慌てて口を手で覆うが、笑いが漏れてしまう。
咄嗟に答えた名前だったのだろうが、まさかカザンの名が出てくるとは思わなかった。
なるべく声を漏らさないようにクツクツ笑っていると、リーリュイが振り返った。しかし彼は、笑う光太朗を見下ろしたまま何も言葉を発しない。
「っくく……っ、カザンなぁ……分かった」
光太朗は深呼吸をし、無理やり笑いを引っ込める。その様子を黙って見ていたリーリュイは、また光太朗に背を向けて歩き出した。
(……怒った? 訳でもなさそうだな……。しかしなぁ、変装しているわりに何の設定も考えていないとこ見ると……突発的に視察に来たんだろうな。ほんとあぶねぇなぁ……)
王宮の者は誰も止めなかったのか、と光太朗は呆れ顔を浮かべる。リーリュイの事だから誰にも言わずに来てしまったのかもしれない。
(ウィリアムのやつ……リュウは当分忙しいって、あいつ言ってたじゃねぇか……ったく……)
光太朗が黙ったまま悶々と考えていると、リーリュイがいつの間にかこちらを振り返っていた。
何か言いたげな瞳が、じっと光太朗を見下ろしてくる。
「……な、何だよ?」
「…………他に、質問は?」
「……はぁ?」
光太朗が困惑した声を出すと、リーリュイはぱっと前に向き直った。
「……私は敵兵だ。あなたを騙している可能性だってある。もっと素性を探るべきではないのか?」
「あのなぁ……騙そうとしている奴は、んな事言わねぇだろ。っていうかあんたも、素性は隠しておきたいじゃねぇの? 目の色緑だし、王族だよな?」
「……血が混ざっているだけだ」
ぽつりと零した言葉には、嫌悪感が含まれていた。リーリュイが王族の事を良く思ってないのは、以前と変わらないようだ。
ディティに精神は操られていないようで、光太朗は安堵したと同時に胸が痛んだ。
リーリュイは未だあの王宮で、操られた中枢のやり方に嫌悪感を抱きながら過ごしている。そう思うと、いたたまれなくなる。
『____……操られていた方が……』
ランシスの言葉が脳裏に浮かび、光太朗ははっとした。それと同時に、リーリュイの声が光太朗の思考を遮る。
「ここだ。……連れてくるから、待っていてくれ」
「あ、ああ」
道の途中には、ぽつぽつと廃墟になった家屋がある。リーリュイはその一つに入っていき、若者と共に出てきた。
光太朗は若者の名前と特徴を確認し、村の人間だと断定する。
(……良かった。嘘じゃなかったな……)
大きく頷いて、光太朗はリーリュイに向き直った。
「んじゃ、俺はこの人を連れて帰るから。あんたとはここでお別れだな」
「……送ろう。この辺りは、盗賊も多い」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げて、光太朗はリーリュイを見上げた。ターバンで隠れたリーリュイの眉が、少しだけ吊り上がったような気がする。
光太朗は一歩近づくと、リーリュイの胸に人差し指を突きつけた。
「あんたな、俺を何だと思ってんだ? 敵の副将だぞ! あんたらの土地を占領した張本人だ! 盗賊に襲われたとて、あんたには何の関係もない! 早く帰れ!」
「……」
リーリュイは暫く黙った後、胸に突きつけられた光太朗の手を取った。突然の事に光太朗が狼狽えると、リーリュイは穏やかな口調で口を開く。
「……あの村に着いた時、村民が橋ができると嬉しそうに話していたのを聞いた。……リガレイア国と行き来すれば、生活も楽になるだろうと……。本当なのか?」
「……っき、機密情報だ。離せ……!」
「あの村から香る匂いが、明らかに以前のものとは違った。饐えた匂いが、豊かな炊き出しの匂いに変わっている。見る限り村民の顔色も表情も良い。……あなたは、何をしようとしている?」
光太朗はリーリュイの手を振り払い、大きく後ずさった。仮面の奥から、リーリュイを睨み上げる。
「……何も言う事は無い。帰れよ、カザン。……もうここには近づくな。次見かけたら、捕縛するからな」
「…………」
「あと、勘違いするなよ。俺はザキュリオの兵士をたくさん殺した。あんたの事だって今すぐ殺せるし、ザキュリオにとって俺は憎い相手のはずだ。……村の若者を連れてきてくれた礼に、今日のところはあんたを見逃すって言ってるんだ。陽が落ちる前に、早く帰れ」
突き放すように言って、光太朗はリーリュイを見上げた。
もう国境には近づいて欲しくない。かなり強めに警告したつもりだったが、リーリュイの目尻が僅かに垂れた。
突然の笑顔に、光太朗の心臓が大きな音を立てる。
「……『何も言う事は無い』と言ったのに、随分話してくれるんだな」
「……っ!? いいから早く帰れよ! このばぁかっ!!」
光太朗は吐き捨てると、若者の手を掴んで歩き出した。
リーリュイが付いてくる気配は無かったが、光太朗は早鐘を打つ心臓を落ち着かせるのに精一杯だった。
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