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最終章 そこに踏み入るには

第220話 谷主

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 光太朗は離れに帰ると、手早く水浴びを済ませて服を着替えた。用意されていたのは、光太朗のサイズに合わせて作られた真新しい服だ。

 リガレイア国の民族衣装は、中国の漢服に似ている。上衣は膝下まであり、これだけ見れば着物と同じようなものに見えなくもない。
 下に履くズボンはゆったりとしているが、裾が絞られている形状だ。


(……ザキュリオでは詰襟かシャツだったから……まだ首がスースーするな……)

 ザキュリオでの暮らしを思い出すと、光太朗の心は淡く痛む。離れて直ぐは流石に辛かったが、数か月経った今では寂しく思う事も少なくなった。

 しかし今でも、リーリュイの事を想わない日は無い。
 日に何度も思い出しては、彼に会いたいと心の芯が叫び声を上げる。その想いを押し込めてるのが一番辛い。
 せめてもの救いは、リーリュイがこの辛さを味わっていない事だ。

 リーリュイの中に光太朗がいなくなったからこそ、リーリュイが同じような辛い思いをすることはない。この救いだけが、光太朗を突き動かす。

 もしもリーリュイが光太朗の事を覚えていたとしたなら、こんな思い切ったことは出来なかっただろう。リーリュイとの繋がりが切れた今こそ、出来ることがあると光太朗は思う。

(待ってろよ、リュウ。……俺が出来ることは、全部してやるから……)


 光太朗は肆羽宮にいた時、現状を打開するあらゆる手段を考えていた。結果、ザキュリオを動かすには外から崩していくのが一番だと行きついたのだ。

 光太朗はそれに気づいてから、肆羽宮での毎日を学びに費やした。
 イーオやカザンから国境にある村々の状況を仕入れ、ザキュリオの歴史書を読みあさってどんどん知識を吸収していった。
 肆羽宮にあったザキュリオの地図を見て、地形も全て頭に叩き込んだ。

 懸念点はたくさんあったが、こうしてリガレイア国に来ることが出来た。あとは考えてきた事を、出来得る限りするだけだ。


 幸いなことに、リガレイア国での暮らしは光太朗に良く馴染んだ。近くに神燐一族の谷があるせいか晄露も豊富で、身体の調子も随分良い。


(この調子だったら、出来る事は全部やれる。……なるべく急がないと……)

 光太朗は離れから出ると、一色の屋敷には向かわず鍛錬場へ向かった。

 広い敷地を抜けると、直ぐに軍本部がある。そこを抜けると鍛錬場だ。
 光太朗が鍛錬場に入ると、そこで稽古をしていた兵士たちが一斉に笑顔になった。

「クジロ様!! おはようございます!」

 どこの国も、兵士は元気がいい。ザキュリオと違う所といえば、光太朗に対して全力で敬意を示してくる事だった。

 こうなってしまった原因はアゲハにある。アゲハは光太朗の想像よりも、遥かに偉大な神獣だったのだ。
 神燐じんりん一族というだけでも尊敬される存在であるのに、アゲハは何と彼らを率いる長だった。

 長でありながら自由奔放で、リガレイア国に留まらないような生き方をしているのだという。それが許されるのも、アゲハの強さと加護の力がある故だった。
 この国の大将である峨龍も、兄であるアゲハには敵わないのだというから驚きだ。

 そんなアゲハを光太朗は従えてしまったのである。皆の尊敬を集めるのは必然だと言われてはいるが、未だにこの反応には慣れない。

「お、おはよう、皆。そのまま続けてくれ」
「はい!!」

 兵士たちの元気な返事に、光太朗は笑って応えた。そのまま鍛錬場を突っ切り、一角にある建物へと向かう。
 その建物も日本家屋そのものだが、一見すると田舎の公民館のように見える。
 
 丁度表に出ていた女性が、光太朗を見て満面の笑みを零した。

「クジロ様、早いですね」
「カスミさんもでしょ。これ、橋の設計図です」
「ふふ、本当に仕事が早い。どれどれ、見てみます」

 カスミが設計図を見ている間、別の方向からまた女性が現れた。この軍で食事係をしている女性で、かなり恰幅が良い。
 彼女は光太朗を見つけると柔らかな笑みを浮かべ、持っていた包みを掲げた。

「クジロ様。今日も出来ていますよ!」
「マーサさん! いつもありがとうございます。子供らが喜びますよ」
「クジロ様の分も入っていますからね。しっかり食べるんですよ!」

 包みの中には、マーサが作ったお握りがたくさん入っている。リガレイア国は稲作が盛んで、備蓄も豊富にあるらしい。
 兵舎の食糧庫にある米は古米らしいが、光太朗にとってはまったく気にならないほど美味しい。

 設計図を見終わったカスミが、頷きながら顔を上げる。

「大体分かりました。今日中に技師と職人を国境へと向かわせますから、クジロ様は対応をお願いします。材料もその時に持って行かせましょう」
「ありがとうございます。一色さんには了解を取ってるので、確認はしないで大丈夫ですよ」
「はは、その点は心配していません。陛下がクジロ様の言う事に反対するわけがないですから」
「……そうなんですか?」
「そうですよぉ。甘やかしたくて仕方がないように見えますね」

 カスミとマーサが顔を合わせて、声を立てて朗らかに笑う。
 リガレイア国の女性は、男性よりも働き者に感じる。彼女らはいつも活き活きしていて、光太朗も共に仕事をしていて気持ちがいい。

 彼女らに礼を言って、光太朗は鍛錬場を振り返った。きょろきょろと目当ての姿を探し、声を上げる。

「カクさん、いる? 国境まで連れて行ってくれるか?」

 光太朗の呼びかけに、男がひょっこり顔を出す。
 藍色の髪は癖っ毛で、瞳はキースぐらい垂れている。首元に浮かぶ鱗の模様は、神燐一族である証だ。
 柔らかい雰囲気の彼は、光太朗に親し気な笑みを向けた。

「お安い御用です。谷主こくしゅは、また祖父と飲んでいるんですか?」
「そうなんだよ、あの三人は飲むと止まらないからな……」
「陛下も一緒ですか。そりゃあ、夜までかかりますね」

 カクは一色と峨龍の孫だが、彼らにはまったく似ていない。穏やかで柔和な印象は、人間である母に似たのだろう。

 カクはまた笑うと、息を吸って天を仰いだ。
 カクの顔が爬虫類のように変わって行き、黒い翅が生え始める。アゲハに比べると随分小ぶりで、小型のドラゴンのような見た目だ。
 光太朗はその背中に飛び乗って、首にしっかりと掴まった。

 ふわりと浮遊感がして、あっという間に鍛錬場が遠ざかる。彼らを使った移動も、もう慣れたものだ。
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