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戦いに向けて

第126話 アゲハとの出会い

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 その瞳は、美しい海のように碧い。思わず見入っていると、生き物が威嚇するように鳴き声を上げる。
 しかしその声は弱々しく、光太朗は思わず手を伸ばした。その手をガブリと噛まれたが、これもまた弱々しいものだった。

「大丈夫。なーんもしないから。どうした?」

 噛まれたまま光太朗が言うが、生き物は鼻梁に皺を寄せたままだ。何か異変がないか身体を確認すると、翼の部分が朝陽を受けててらてらと光っている。
 空いた方の手で翼に触れると、湿った感触が指に伝わってくる。手を返すと、指には血が付着していた。

「お前、怪我してんのか? 大丈夫か?」

 生き物は光太朗を嚙みながら、ふーふーと荒い息を吐いている。それ以上抵抗はない為、光太朗は身体をぐっと近づけた。
 晄露の匂いは、この生き物から発せられている。血に濡れた指を嗅いでみると、甘いにおいが強くなる。

「お前、血の匂いが晄露くさいな……。俺はお薬屋さんなんだ、心配しなくていい」

 光太朗は薬のポーチから軟膏と包帯、そして布を取り出した。優しく羽を布で拭うと、生き物がびくりと身体を揺らす。それと共に嚙む力も強くなり、光太朗は痛みに顔を歪めた。

「っ、痛かったか? ごめんごめん、すぐに済ますから」

 布で優しく血を拭い、鱗の裂け目に軟膏を塗り込む。昔この森の大将にも使った薬だから、効果はあるはずだ。

 流石に包帯は片手では巻けず、光太朗は生き物に向かって眉を下げる。

「なあ、怖いことはしない。この手を離したら、包帯を巻くから。……薬が効いて、少し痛みがましになったろ?」

 光太朗の言葉が分かるのか、生き物は考えているような様子を見せた。そしてゆっくりと口を開いて離れると、その場にぽたりと頭を落とす。やはり弱っているようで、そのまま動かなくなってしまった。

 光太朗は噛まれた部分を布で拭い、包帯を手早く巻いた。羽に包帯を巻くのは初めてだったので苦戦したが、しっかりと巻きつけていく。
 処置を追えて、光太朗はふぅと息を吐いた。

(一応出来る限りの事はしたけど……まだ辛そうだな)

 噛まれた傷の止血をしながら、光太朗はその生き物を観察する。
 頭部は小さく、爬虫類の造りに近いようだ。額から小さな角が二本生えているが、その先端は尖っていない。

「……なんか、龍っぽいな。やっぱ見たことない生き物だ」

 光太朗が噛み跡を手当てしている間に、龍の呼吸は落ち着いてきたようだ。しばらく様子を見ようと、光太朗は付近で薬草を摘むことにした。

 幸いなことに、周りにはたくさんの薬草が生えている。次々摘んでいくと、バックパックはあっという間に一杯になった。

 一息ついて龍の方を見ると、その瞳は開いていた。碧い双眸が、光太朗をしっかりと捉えている。

「お、良くなったか。ちゃんと帰れそうか?」

 光太朗の問いかけに、龍はクゥと可愛く鳴く。小さくて鈴の鳴るような声だ。
 龍に近づくと、光太朗はしゃがみ込む。

「かぁーわいいな、お前。種族は何だ? 騎士団の書庫に、お前の記録があるかな?」

 今度は噛まれないだろうと、光太朗は龍に手を伸ばした。すると龍は、頭を擡げて口を開く。

『……、こう、ろ』
「!? うぉお? 今、喋った!?」

 それは、頭の中で反響するような声だった。光太朗が驚いていると、龍は頭を手に擦り寄せてくる。

『こうろ、たべたい』
「お前……! 晄露を食べるのか? だから血が晄露くさいのか……」

 甘いにおいがするから、晄露は甘いのかもしれない。
 光太朗は笑うと、地面に手を付いた。手の平に、晄露が近づいてくる感触が伝わってくる。

「あんま食べ過ぎんなよ、糖尿になるぞ」
『とう、にょう?』
「はは、冗談だよ」

 地面から晄露が立ち昇り、光太朗はそれを掬うように手を差し入れた。手の平の上で、晄露が飴のようにコロリと転がる。
 それを龍の口の先に持って行くと、彼はパクリと食いついた。

 龍の口に入った瞬間、晄露はまるで果実のようにじゅわりと割れる。そして彼は、それを美味しそうに咀嚼し始めた。
 碧い目が、嬉しそうに細められる。美味しいという感情が伝わってきて、光太朗は頬を緩ませる。

「晄露って美味いのか? もっと食べる?」
『あとひとつで、おなかいっぱい』
「低燃費だなぁ。次は大きいのをあげよう」

 先ほどより大きいものを差し出すと、龍の目がきらきらと輝いた。増々可愛くて、光太朗はくすくすと笑いを零す。

「ほんと可愛いなお前。なぁ、名前付けていい? リュウじゃちょっと困るからさ」
『なまえを、くれるの?』
「お前が良いならな。……そうだなぁ、真っ黒だからクロ……はありきたりか……」

 頭の中に黒いものを列挙して、光太朗は唸った。この世界にない生物の名前でも良いかもしれない。

「そーだ、アゲハはどう? 男の子でも女の子でも大丈夫そうな名前だし」
『あげは。あげは、すき』
「そーかそーか。じゃあアゲハだな」

 光太朗が笑って言うと、アゲハの身体が発光し始めた。鱗の間から黄金の光が、外に向かって線状に漏れ出す。
 アゲハは羽をぐっと伸ばして、大きく広げた。光太朗の巻いた包帯は外れ落ちるが、そこに傷らしいものは見当たらない。

(傷がもう治ってる? すごい回復能力だな……)


 羽を広げたアゲハに、光太朗は驚きながらも感嘆の声を漏らした。
 羽の縁は鱗に覆われていたが、内側は正に蝶のようだった。燐片の一枚一枚が黒から藍へのグラデーションに彩られ、尾状突起は漆黒に染まっている。

「うわぉ、まさにクロアゲハだ! 綺麗だなぁ、アゲハ!」
『コタロ、ありがとう』
「……む? なんで俺の名前……言ったっけ?」

 アゲハは光太朗の問いには答えず、パタパタと光太朗の周りを飛び回った。ぐるりと一周すると、今度は垂直に上へと飛び上がって行く。
 空高くに昇るアゲハは、光太朗には黒い点にしか見えない。光太朗は空を仰ぐと、手を振った。

「またな、アゲハ!」

 遠くから、アゲハの鳴く声が響く。元気の良い声に、光太朗もほっと胸を撫でおろした。

(あの感じだと、もう大丈夫だな。……あいつ、何だったんだろう……)

 光太朗はこの世界に来て、まだ5年だ。知らない生き物がいてもおかしくはない。
 フェンデとしてこの世界に来て、あと何年生きられるかは正直分からない。こういう経験の一つ一つを、近頃は大事に噛み締めている。

(感情が豊かになった証拠かな……。それもこれも、リュウのお陰だ)

 一息ついて、光太朗はいっぱいになったバックパックを見下ろした。
 もうすぐ昼鐘がなる時刻だが、十分な量の薬草が採れている。雲も多くなってきたので、雨を避けるためにも帰るのが良さそうだ。

 今日はリーリュイが、夕食を作りに来てくれる。彼が来る前に、薬草の処理を終わらせておく方が良いだろう。

 薬草を詰め込んだバックパックを抱えて、光太朗は帰路についた。
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