上 下
111 / 248
側にいるために

第109話 ぼやけた視界に映るのは

しおりを挟む
 久しぶりのリーリュイの声は、抑揚がなく疲れているように感じた。

(疲れてるんだろうな……。ここんとこ忙しそうだったし)

 このまま道を突き進めば、リーリュイに会える。しかしマオからの報復は面倒だったし、顔の痣に気付かれるのも避けたかった。
 リーリュイの真っ直ぐな目で見つめられると、嘘を暴かれそうでひやひやするのだ。

(……少しだけ、顔が見たい)

 それは軽い気持ちだった。壁に沿って覗けば、彼らの姿が見える位置だ。
 光太朗は意を決し、身体を少しだけ乗り出した。

 ぼんやりしている視界に、リーリュイとマオが見える。
 彼らは密着しているようで、マオの白い服とリーリュイの紺色の服の境目が、じんわりと滲んで見えた。

 伸びあがるようにしているマオと、下を向いているリーリュイ。

 彼らはキスをしている。
 視界はぼんやりしていても、それだけははっきりと分かった。

 先ほどまで聞こえていたマオの声も、今は聞こえない。当然だ。リーリュイの唇が、マオの唇を塞いでいるのだから。


 心臓がぎゅっと絞られ、次いで痛いほど動き出す。耳元まで届く鼓動が、思考を搔き乱していく。

「殿下……」

 マオの切なげな声が聞こえる。

「殿下。……側室候補としての、役割を果たしとうございます。存分に殿下を癒す準備が、私には出来ております」

 その声は震えていて、心の奥底へ訴えるような響きだった。マオの美貌を併せれば、堕ちない男などいないだろう。
 マオの囁くような声が、呪いのように耳へと届く。

「……昔はあれほど、可愛がってくれたではないですか……」

 思わず後退り、光太朗はその場を去った。
 気付かれずに立ち去れたのは、日頃の鍛錬の賜物か。それとも、彼らが2人だけの世界に入り込んでいたからかもしれない。

 リーリュイの顔が見えなくて良かった。目が悪くて良かった。光太朗はそう思った。
 見えていて、その上彼が一言でも発していたら、気配を消して去るなんて出来なかったかもしれない。

 動揺している自分を、別の自分が嗤っている。『そりゃそうだ、何を狼狽えてる』と腹を抱えて彼は嗤う。
 
 側にいれれば良いと思っていたのに、何を望んでいたのだろう。烏滸がましくも、彼の何かになろうとしていたのか。
 
 彼の『特別』に相応しい人は、他にたくさんいる。光太朗はその枠には入れない。
 望むことも、きっと許されない。


「あは……そうだよな……」
 
 再び薬師室の脇に出た光太朗は、ぐっと伸びをした。冷たい空気を吸い込んで、何もかも打ち払うように声を張り上げる。

「ああ~! 腹減ったなぁ!!」

 その声に気付いた衛生班の班員らが、親し気に近づいてきた。彼らと会話を交えながら、食堂へ向かう。

 昼食を食べれば、きっと何もかも忘れてる。自分に言い聞かせながら、光太朗はポケットの中のクリップを握りしめた。
 


________

 盛大にくしゃみをした光太朗を、イーオはちらりと見遣る。マオは反応せず、自身の爪を整えることに夢中だ。

「コウ、冷えるのか?」
「いや、大丈夫。ここは暖かいから、すぐに身体も温まるよ」

 鼻を啜って、光太朗は教本へと目を向けた。

 衛生班で訓練した後、光太朗はいつも普段着に着替えていた。しかしそれをマオに咎められたのは、数日前のことだ。
 衛生班の控室は、薬師室から少し離れている。着替えてから薬師室へと行くと、どうしても開始ぎりぎりになってしまうのだ。

『お前の為に、俺とイーオが教えてやってるんだぞ。少し前に来て、調合の準備を整えておけよ』

 マオの言葉を思い出し、光太朗は腕を擦った。その通りだとは思うが、汗をたっぷり含んだ戦闘服はどんどん冷えていくのだ。薬師室は暖かいが、寒気が止まらない。

 嫌な予感が頭を過る。この世界に来て、光太朗は数えきれないほど体調を崩した。
 コンディションを保つためには、日頃から気を付けなければならない事がたくさんあるのだ。その一つが冷えで、これを怠ると高い確率で風邪をひく。

(幸い明日は休みだ。それまで耐えろ、俺の身体!)

 気合を入れて教本を睨むと、マオから「目つきが悪い」と檄が飛ぶ。

「マオさんは、爪に集中してください」
「うっせぇよ! この屑! 死ね!」

 死ねと軽々しく言ったマオは、調合台を蹴りつけた後、爪に息を吹きかけた。乱暴な言葉と仕草は、昼間の彼の姿とは大違いだ。
 もしかしたら今夜、マオはリーリュイの部屋に行くのかもしれない。兵舎にリーリュイの部屋は無いため、あの屋敷にある彼の部屋へ ___。

 そう思った瞬間、吐き気と寒気が襲ってきた。

(ああ……思ったより重症だ、これ……)

 一刻も早く帰りたい。帰り道では、あの外套が癒してくれる。それだけが救いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

出来損ないの次男は冷酷公爵様に溺愛される

栄円ろく
BL
旧題:妹が公爵家との婚約を破棄したので、代わりに出来損ないの次男が売られました サルタニア王国シャルマン子爵家の次男であるジル・シャルマンは、出来損ないの次男として冷遇されていた。しかしある日父から妹のリリーがライア・ダルトン公爵様との婚約を解消して、第一王子のアル・サルタニア様と婚約を結んだことを告げられる。 一方的な婚約解消により公爵家からは『違約金を払うか、算学ができる有能な者を差し出せ』という和解条件が出されたため、なぜか次男のジルが公爵家に行くことに!? 「父上、なぜ算学のできる使用人ではなく俺が行くことに......?」 「使用人はいなくなったら困るが、お前は別に困らない。そんなのどちらをとるか明確だろう?」 こうしてジルは妹の婚約解消の尻拭いとして、冷酷と噂のライア・ダルトン公爵様に売られたのだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 登場人物(作中で年齢上がります) ジル・シャルマン子爵令息(20▶︎21歳) 本作の主人公、本人は平凡だと思っているが頭は悪くない。 ライア・ダルトン公爵(18▶︎19歳) ジルの妹に婚約破棄された。顔も良く頭もきれる。 ※注意事項 後半、R指定付きそうなものは※つけてあります。 ※お知らせ 本作が『第10回BL小説大賞』にて特別賞をいただきました。 このような素晴らしい賞をいただけたのも、ひとえに応援してくださった皆様のおかげです。 貴重な一票を入れてくださり、誠にありがとうございました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

泡沫のゆりかご 二部 ~獣王の溺愛~

丹砂 (あかさ)
BL
獣が人型へと進化した時代でも、弱肉強食はこの世界の在り方だった。 その中で最弱種族である跳び族。 その族長の長子として生まれたレフラは、最強種族である黒族長のギガイへ嫁いで、唯一無二の番である御饌(みけ)として日々を過ごしていた。 そんな中で、故郷である跳び族から族長の代替わりと、御饌に関する約定の破棄が告げられる。 エロは濃いめです。 束縛系溺愛のため、調教、お仕置きなどが普通に入ります。でも当人達はラブラブです。 ハッキリとR18のシーンが含まれている話数には※を付けています! ******************* S彼/ドS/異物挿入/尿道責め/射精管理/言葉責め/連続絶頂/前立腺責め/調教/玩具/アナルビーズ 両性具有(アンドロギュヌス)の表現がありますが、女性の特徴はありません。 ただ妊娠可能といった前提です。 こちらには上のような傾向やプレーがあります。 苦手な方はご注意ください。

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

処理中です...