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側にいるために
第107話 喜びという感情
しおりを挟む「り、リュウ……」
「光太朗。ぼんやりしていたな……大丈夫か?」
リーリュイの姿を見るのが久しぶりで、光太朗はつい目線を落とした。いつも遠目から見るだけで、話す機会など最近は無かったのだ。
髪が長かった時の印象が強くて、今の彼を見るとどうしてか緊張する。それを悟られないように、光太朗は朗らかに笑った。
「大丈夫、大丈夫。……兵舎は安全だから、つい警戒が緩んじゃってさ。……リュウは? どうして兵舎の入口に居るんだ?」
「……光太朗、それはどうした?」
リーリュイの視線が下へと降りる。見つめられているのは手だと分かって、光太朗は笑顔を作った。
手の平をリーリュイに見せ、指をにぎにぎと動かす。
「ああ、これ? 衛生班での訓練で転んでさ。大したことないんだ」
「……」
リーリュイは光太朗の手を握り、それをじっと見つめる。
真剣すぎる瞳に、噓が暴かれそうだ。小さく喉を鳴らしていると、リーリュイが目線を上げた。
「光太朗、訓練は辛くないか? ……君の気持ちを最優先にしたい。もしも気になることがあったら、遠慮なく言って欲しい」
「何も無いよ。皆優しいし、充実してる。食堂のご飯も美味しいし、体力も戻ってきた」
「……そうか」
リーリュイは優しく微笑むと、光太朗の手の平を撫でた。手つきが優しすぎて、くすぐったい。
思わずクスクスと笑いを零すと、リーリュイが困ったように笑う。
「君は……ほんとに……」
「ん? どした?」
「いや、何でもない。……光太朗、明日の夕方……キュウ屋に行っても良いか?」
「う………」
『うん』と即答しそうになった光太朗だったが、直ぐに口を噤んだ。
明日はキュウ屋の仕事と、リーリュイの為に薬の調合をしようと思っていた。
リーリュイに症状を聞きながら調合してもいいが、彼は『そんな事しなくていい』と突っぱねる気がする。
それより何より、彼に内緒で準備して、驚かせるのも良いと思っていた。
「ごめんリュウ。明日はキュウ屋の仕事が忙しくてさ、街の案内が出来そうにないんだ……」
「そうか……。では今度にしよう」
リーリュイは頷くと、外套のポケットに手を入れる。そこから取り出したのは、ブローチのような楕円形のアクセサリーだ。翼のような彫刻が施され、真ん中に黒い宝石が嵌め込んである。
リーリュイはそれを光太朗に握らせ「君に」と呟いた。
光太朗はそれを見つめ、戸惑った。装飾の繊細さや、宝石の淀みのなさを見ると、明らかに高級品だ。
手の平に重厚感を感じ、持っているのも怖くなる。
「……り、リュウ……。これ……」
「クリップだ。マント型やストール型の外套を留めるのに使う装飾品だが、君のは少し手を加えてある」
「?」
光太朗が首を捻ると、リーリュイがクリップに手を伸ばした。宝石の部分を指さすと、光太朗と視線を合わせる。
「この部分を強く押してみてくれ」
「うん」
石に強く触れると、その周りの空間がぐにゃりと歪む。そして次の瞬間、光太朗の目の前に臙脂の布が現れた。外套と思われるそれは、空中でふわりと漂ったままだ。
何もない空間から出てきたとしか思えない。光太朗が目を瞬かせていると、リーリュイが外套を掴んだ。
鮮やかな臙脂の外套は、ストール型だ。リーリュイはそれを光太朗へ巻きつけ、クリップで留める。
光太朗の姿を上から下まで眺め、彼は嬉しそうに笑った。
「やはり、君は臙脂が似合う」
「こ、これも、俺に?」
「うん。そのクリップの宝石には晄露を混ぜ込み、空間魔法を刷り込ませている。外套や少量の荷物なら、宝石から通じる空間に収納できるようになっている」
「……すっげぇ……。こんな凄いもの、貰えないよ」
第10騎士団でも、こんな便利グッズは見たことがなかった。もちろん魔導騎士団でもだ。
もしも簡単に作れるものならば、きっと誰しもが持ち歩く。これを作るには、権力や富、技量が必要なのだろう。
光太朗の言葉に、リーリュイは悲し気に眉を寄せた。少し拗ねたような表情だ。
光太朗が口を引き結んでいると、彼は矢継ぎ早に言葉を放る。
「そうか、気に入らなかったか……。光太朗の為に色から材質までこだわり、何度も作り直した外套なんだが……。君が気に入らないのであれば、用はないな。家畜の敷き布にでもして……」
「いるいるいる!!」
光太朗は外套を掻き抱くと、リーリュイの双眸を見上げた。緑の瞳は優しく光太朗を捉えており、口元は嬉しそうに弧を描く。
外套に包まれた身体が、どんどん熱を持っていくのが分かる。冬を迎えて寒さ厳しい夜だ。それなのに、汗をかきそうなくらいに熱い。
「あ、ありがとう……。リュウ」
「うん。本当に、似合ってる」
「……俺、めっちゃ大事にする。嬉しい」
外套に頬ずりすると、ほのかにリーリュイの匂いがした。胸いっぱいに吸い込んで、ほうっと息を吐き出す。呼気が白い蒸気になって昇るのを、光太朗はどこか夢見心地で見た。
人から贈り物をされる事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。嬉しくて幸せで、胸が満たされていくのを感じる。
リーリュイから髪を撫でられ、光太朗は目を細めた。その手に擦り寄りそうになるのを、必死に耐える。
他の騎士に頭を撫でられても、悔しいだけだ。しかし相手がリーリュイだと、こんなにも心が安らぐ。
離れがたい。
その感情を押し殺して、光太朗はいつも通りの笑みを浮かべる。
「ありがとな、リュウ! じゃあまた!」
「ああ、またな。光太朗」
言うなり踵を返してしまった背中を、光太朗は見つめた。見えなくなるまで見送って、光太朗も踵を返す。
兵舎からキュウ屋へ帰る道のりは、いつも寒々しかった。だけど今は、リーリュイから貰った外套が、温かく包み込んでくれる。
本当に嬉しかった。この外套とクリップさえあれば、何だって耐えられる気がする。
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