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渦中に落ちる

第100話 

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「り……リュウ……?」

 光太朗は声を絞り出し、その場に全ての荷物を落とした。何も無くなった手を、リーリュイの顔へと伸ばす。

 リーリュイの長かった髪が、短く切り揃えてある。編み込みを施していた耳の上も、今はプラチナブロンドの髪がふわりと覆うだけだ。
 
 髪が短くなったリーリュイは、一層若々しく見えた。髪色も薄く見えて、夕陽を受けるときらきらと金色に光る。

 光太朗の手を迎えるようにして、リーリュイは腰を折った。髪に触れると、予想以上の柔らかさに胸が詰まる。

「ど、どうしたんだ? これ……」
「……幼い頃、ウルフェイルと大喧嘩したことがある。……あまりにあいつが泣くから、私は母に『仲直りの仕方』を聞いたんだ。母は、」
「ウルフとリュウが? なんか可愛いな……」

 何となく話の先が読めて、光太朗は話を遮った。咄嗟に引っ込めた手を、リーリュイに握られる。
 目を伏せても、彼の真っ直ぐな視線を感じる。

「……母は、『本当に謝りたいなら、頭を丸めなさい』と言った。……しかし私は、ウルフェイルにも非があると思っていた。だからその時は、自分の悪かった部分だけを口頭で伝えて謝罪した。母もそれでいいと言ってくれた。……光太朗、私は……」

「ま、待ってくれ。嘘だろ……髪、ほんとに、俺のせいで……」

「君のせいじゃない。私のせいだ」

「……っ」

 冗談じゃない。光太朗はそう思った。

 リーリュイは人前に出る時、長い髪を編み込んで装飾を施す。髪を伸ばすということは、王族にとって重要な事なのだ。
 その大切な髪を、何らかの理由で切った。その理由になるほどの価値は、自分にはない。

 拒むように頭を横に振ると、リーリュイから優しい声が落ちてくる。

「今回の件は、1から10まで私が悪い。光太朗に一切の非がないのは明確だったため、頭を丸めようと決意した。しかし……都で髪を切り落としている所を、執事に泣いて止められてな……。カザンよりも長く仕えてくれている執事で、高齢なんだ。彼に泣いて縋られ、頭を丸めるのは思い留まった」

「っつ! 当たり前だろ! ……なんで、俺なんかの為に……」

「光太朗、そんな風に……言わないで欲しい」

 掴まれた手がじんわり熱を帯びてくる。大きな手ですっぽりと包まれ、まるで逃がさないと言わんばかりに力が籠る。
 光太朗が目を伏せたまま息を吐くと、リーリュイが息を吸うのが分かった。


「光太朗。……ごめんなさい」
「……」
「ごめんなさい」
「……うん。俺も、ごめんなさい」


 『済まなかった』でも『申し訳なかった』でもなく、『ごめんなさい』をリーリュイは選んだ。
 それは皇子でもなく騎士でもなく、リーリュイとしての謝罪だった。

 名を呼ばれて、光太朗は視線を上げる。

 髪を切っても、変わらずリーリュイは格好いい。綺麗で男前で、時々ひどく可愛い戦友は、光太朗と視線を合わせて優しく微笑む。

 繋いだ手を解いて、リーリュイは両腕を広げた。そして咳ばらいを零し、決意したように力強く頷く。

「こ、光太朗。仲直りをしよう」
「あ、ああ……」

 ハグをしよう。という体勢だろう。そうは思ったが、胸が高鳴って足が動かない。
 ウルフェイルの時はああも簡単に飛び込んだのに、リーリュイが相手だと躊躇ってしまう。

 少しずつ歩み寄ると、腕を掴まれた。そのまま抱き込まれて、頬がリーリュイの胸に押し当てられる。
 そこから聞こえてくる忙しない心音に、光太朗の心臓も激しく跳ねた。

「光太朗、覚えていてほしい。私は君に、役割を強いたりしない。光太朗は光太朗のままでいい」
「……良いのか? でも俺は、立場的に愛でられる側なんだろ? リュウがそうしなくても、周りが俺をそんな風に扱うんじゃないのか?」
「そんな奴がいたら、蹴り飛ばしていい」
「……はは……無茶言うな。リュウの側にいるには、我慢も必要だろ」

 光太朗が胸の中で笑うと、抱きしめる力が強くなる。大好きな匂いが鼻に届き、つい頬が緩んだ。安堵が緊張を溶かしていく。

「私が、君の側に居たいんだ。我慢なんてしなくていい」
「……? それじゃあ、リュウが我慢する側か? それだけは嫌だ」
「私は堅物だから、変化しない。私は私のままでしかいられないから、問題ない」
「なんだそれ。……もう……まぁ、いいか」

 ずっと考え続けていたことが、すっと晴れていく。リーリュイの側にいると、何もかもが大丈夫な気がする。

「やっぱり、リュウは凄いな」
「……仲直り、してくれるのか?」
「もうとっくにしてるだろ。この状況見て、誰が喧嘩してると思うよ?」

 笑いながら、光太朗はそっと身を離した。そしてしゃがみ込んで、足元に落としてしまった荷物を覗き込む。

 幸いなことに惣菜は無事で、プフェルも今日中に食べれば問題なさそうだ。
 ほっと一息ついていると、その袋をリーリュイが拾い上げた。光太朗の顔を覗き込み、リーリュイは嬉しそうに笑う。

「光太朗。……仲直り出来て、嬉しい」
「……はいはい、俺も嬉しいよ。ったく、そんな可愛い顔すんなって」
「……可愛いのは、君だろう?」
「はぁ!? どう見てもあんただろ」


 掛け合いをしながら、光太朗とリーリュイはキュウ屋の入口まで歩いた。「この後用事がある」と言うリーリュイから、光太朗は荷物を受け取る。

 本当はもう少し、話していたかった。痛みを発する胸に気付かないふりをして、光太朗は笑みを作る。
 リーリュイは光太朗の笑みを受けて、柔らかに微笑んだ。そして直ぐに真顔へと変わる。

「言い忘れていた」と、リーリュイは零した。光太朗が首を傾げると、彼は眉を下げてふすりと笑う。


「……私は君を、可愛いと思っている。光太朗が可愛くて仕方がない。戦友であってほしいと思う反面、君をとことん甘やかしてしまいたい欲もある。そしてそれを、抑えるつもりはない。……君も、そのつもりで」
「……へ……?」


 リーリュイの緑色の瞳に、夕陽のオレンジの光が差す。瞳孔がきゅっと縮まり、大地のような虹彩が光太朗を映した。

 リーリュイの顔が近づき、鼻と鼻が触れ合う。鼻梁を擦り合わせて、リーリュイは光太朗の双眸を覗き込んだ。

「私の態度に不満があれば、都度言うように。もう我慢する気は、無いからな」
「……り……」
「また、明日だ。光太朗」

 その一言を残して、リーリュイは光太朗から離れた。そして優しい笑みを作ると、光太朗に向けて小さく手を振る。
 直ぐに踵を返したリーリュイの背中は、憂いが晴れたせいか軽やかだ。


 しかし、後に残された光太朗は、軽やかではいられない。その場に座り込んだ光太朗は頭を抱えて唸る。

「……いや、近ぇよ。ゼロ距離かよ……」

 ばくばく鳴る心臓を押さえて、光太朗は息を吸ってそして吐ききる。

 思えばウィリアムもスキンシップがやたら多く、距離感もバグりがちだった。この国の王族は皆そうなんだと、無理やり気持ちを落ち着ける。

 「また明日」とリーリュイは言った。その言葉に浮かれる自分が信じられない。
 気持ちを切り替えようとは思うが、それにはまだ時間がかかりそうだ。








========
次から新章となります

100話まで書くことが出来ました!
ここまで読んで頂いた方々に、心から感謝申し上げます!

新章も楽しんで頂けると幸いです。

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