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渦中に落ちる

第93話 いっそ心を折られたい

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 光太朗は未だにリーリュイの寝室で寝泊まりしているが、あまり会うことは無かった。

 多忙なリーリュイは、光太朗の寝た後にベッドへ入っているようで、起きるともういない。
 食事も別にとることが多くなって、たまに会っても挨拶だけだ。直ぐに彼は、執務室へ引っ込んでしまう。


 風呂の許可が降りたあの日、光太朗はゲストルームへ戻るつもりだったのだ。もう身体は回復していたし、多少睡眠が浅かろうと平気だった。
 しかしその日からリーリュイは忙しくなり、光太朗は未だ彼の寝室に留め置かれている。

 カザンに頼んだが、リーリュイの許可がないと戻れないと言われ、そして彼からの許可は降りなかった。
 『どうして駄目なんだ』と聞くこともできない。


 一緒の寝室にいることが、不満なのではない。しかしもう同室である必要はないはずだ。
 そしてその疑問に、答えてくれる人は誰もいない。

 リーリュイに聞きたいことが、光太朗にはたくさんあった。しかし髪を切ったあの日から、何も聞けていない。
 一番近いはずのリーリュイが、今では一番遠くにいるような気がする。


 リーリュイの寝室に留め置かれるが、そこに彼はいない。
 誰もいない寝室で、甘えたがりの女々しい自分が顔を出す。

 変わっていく自分を、光太朗は嫌悪した。そして毎晩、答えの返ってこない質問を繰り返す。


 そして今日、光太朗は寝ないでリーリュイを待った。答えを聞くために。
 
 真っ暗な部屋の中、光太朗は僅かな月明かりが漏れる出窓へと座る。
 リーリュイの匂いが残る寝台にいなければ、睡魔はあまり訪れない。

 相変わらずこの世界の月は綺麗で、光太朗は口元を緩ませた。そして以前、寒空の下でリーリュイと皿を洗った事を思い出す。
 もう随分と昔のことに感じるのは、置かれている環境が違いすぎるからか。それともあの頃の自分と、今の自分が違うからだろうか。

 
 日付が変わって暫くした頃、リーリュイは帰ってきた。燭台の蝋燭に火を灯し、音もなく寝室に入ってくる。
 いつもそんな風に忍んでいるのかと思うと、つい笑い声が漏れた。

 その声に反応したリーリュイは、光太朗の姿を見て目を見開く。

「光太朗? どうして起きている?」
「……リュウと話したくて。……こんな遅くまで大変だな」

 リーリュイは慌てて光太朗へと近づくと、近くにあったランプに火を入れた。
 周りがぱっと明るくなり、リーリュイの姿も良く見える。もう風呂に入ってきたようで、彼の髪は濡れていた。

「話なら明日でも良いだろう。こんな時間まで起きていたら、身体に障る」
「うっそだぁ。毎日顔も合わせないのに、いつ話を聞くんだよ。……座れよ、リュウ。直ぐに済ますから」
「……分かった」

 リーリュイは近くのスツールへと腰掛ける。光太朗は出窓に腰掛けたままリーリュイを見るが、彼が目を合わせることはない。
 髪を切ったあの日から、リーリュイはどこかよそよそしい。避けられると思うほどに。

 こうして2人で話すことも、久しぶりだ。光太朗はひとつ息を吐き、口を開く。


「この世界の事、なんとなく分かってきたよ。初めて知ることが多くて、すげー面白い。カザンさんの教え方が上手いからかな」
「……そうか、良かった。本当はカザンではなく専門の者を呼ぶべきなのだが……すまないな」
「……何がすまないのか、何で呼べないのか分かんないけど、いいよ」

 言葉に含まれた小さな棘に、リーリュイは直ぐに気付いた。ぱっと顔を上げたリーリュイは、光太朗を窺うように見る。
 顔色を窺われている。それが分かっていたが、光太朗は真顔を通した。

「……俺、もう身体は回復したよ。リノ先生も、全快まで間もなくだって言ってくれてる」
「そうか……良かった」
「そういやさ、俺、騎士団に入るんだよな? 行ってみたかったんだよな、兵舎。……そろそろ訓練に参加してもいいか?」

 言葉を放った後、光太朗はリーリュイから顔を逸らした。彼の顔を見たくなかった。
 次に来る返答が、リーリュイの表情で分かってしまう。そう思ったからだ。
 
 返答が来るまでの少しの間、光太朗は逃げた。そんな事をしても、結果は一緒だというのに。


「光太朗は、衛生班への所属となる。王宮から薬師を呼び寄せたから、戦闘薬学についても学んでほしい。光太朗の体調が良ければ、明日にでも薬師に来てもらう。君が兵舎に行く必要はない」
「……」
「ここで引き続き、学んでくれ。それから……君は、訓練に参加する必要はない。目の事もある」

 リーリュイの返答は、びっくりする程思った通りだった。つい笑い出してしまい、光太朗は困惑の表情を浮かべるリーリュイを見た。

「なるほどなぁ……。これで、俺はますます戦友から遠ざかるわけだ」
「……っ、こ……」
「訓練に参加する必要はない? 俺があんたの背中を守る事は、もう今後無いって事で良いんだな?」

 肚の底からふつふつと何かが湧いてくる。リーリュイは目を見開いていて、その反応に少しだけ救われた。
 これで真顔だったら、絶望していたかもしれない。しかし言葉は止まらなかった。
 
「いいよ、分かった。じゃあリュウは俺に、どんな役割をさせようとしてる? 飼い犬か? 体のいい見せ物か? 華がなくて申し訳ないな」
「こ、光太朗……」
「言えよ、何でもいい。その辺の屑と一緒のフェンデが、国の皇子様に拾われて、こんな待遇受けて……。本来なら文句なんて言える立場じゃない」

 リーリュイは、何も言わずに首を横に振った。美麗な眉が苦悩に歪んで、緑の瞳が揺れている。そんな顔をさせたくはない。でも抑えられなかった。
 
「リュウ、言えよ。言ってくれないと自分の心に折り合いも付けられない。あんたら周りばかりが動いて、俺はいつまでも宙ぶらりんだ。戦友から俺は何になる? 猫か、犬か? ……いつまで経ってもあんたの背中守りたいって願望を抱えてる、馬鹿なフェンデの心を折れよ!」

「光太朗!」

「来んな!!」

 立ち上がったリーリュイを手で制して、光太朗は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
 一気に吐き出すと、喉が震える。そしてそのまま、喉を鳴らして笑った。

「あ~あ……ごめん。興奮しすぎた。……やっぱリュウはすごいわ、めっちゃ腹立った。これが怒りの感情か。は~、なるほどなるほど……」
「こ、光太朗……?」
「……俺、キュウ屋に帰る」

 息を吸いながら、光太朗は微笑んだ。先ほどまでの憤りが嘘のように、穏やかに笑う事に努めた。

「リュウは優しすぎんだよ。身の程知らずのフェンデで、ごめんな。……俺の役割を決めたら、改めて聞かせてくれ。従うから」

「……光太朗、そんな風に言わないでくれ……」

「心配しなくても、勉強はキュウ屋からこの屋敷に通って、ちゃんとやる。リュウが俺の役割を言うまで、ウルフに頼んで訓練も受ける。……大丈夫、誓いは守るよ。あんたの側は離れない」

 そこまで言うと、すっと気が落ち着いた。
 この屋敷から出ていくのに、持っていくものなど一つもない。身一つで出ていくだけだ。

 よいしょ、と立ち上がって、リーリュイに向けて手を振る。
 何故だか悔しそうに立ち尽くすリーリュイに「また今度な」と言って、光太朗は寝室を出た。
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