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渦中に落ちる

第83話 鎖の誓い

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 奴隷兵士として、毎日戦場で過ごした時も。考えてみればもっと感情的になって良かったのかもしれない。
 まともな人間であれば、魔獣や戦にもっと怯えていただろう。仕事をしない騎士たちに、もっと怒りをぶつけていただろう。
 人間としての感情が欠けていたから、騎士たちにもいまいち溶け込めなかったのではないか。

 ウィリアムとの日々もそうだ。彼の思惑通りに怯えていれば、こんなに執着されることもなかったのかもしれない。

 感情を押し殺して、欲求さえ無意識に押しつぶす。その癖が沁みついてしまっているのだ。
 困ったことに、自分では是正はおろか欠点に気付きもしない。


 後ろにいるリーリュイは、光太朗を気遣いながら馬をゆっくりと歩かせている。そのお陰か、傷が痛むこともない。

 どこまでも優しい男だ、と光太朗は思う。こんな欠点だらけの自分を気遣ってくれる人など、きっとこれからも現れない。


 光太朗はリーリュイに寄りかかり、ちらりと後ろを見遣る。心配そうなリーリュイと目が合うと、光太朗は眉を下げて微笑んだ。

「……まぁ、前置きはこれぐらいにしてさ、ここからが本番なんだけど……。この5年で、俺の感情が大きく揺れ動いたのは、本当に数少ない。しかもそのほとんどが、リュウ絡みなんだわ」

「……」

「リュウに何かあったら、って思った時の恐怖は……今まで感じたこと無いくらい強烈だった。俺さ、第10騎士団で襲われただろ? あんときの何倍も、怖かったな」

 そう言いながら、光太朗は肩を竦める。後頭部をリーリュイの胸へと付けると、光太朗の頬に彼の髪飾りが落ちてきた。

 式典だったからか、リーリュイの髪は綺麗に結い上げられている。髪に沿うように付けられた飾りが美しく、光太朗はその装飾に指を這わせた。

 リーリュイは少しだけ身を屈めて、光太朗の顔を覗き込んだ。


「……君はあの後、死にかけただろう? 投獄されて……怖くなかったのか?」

「いやぁ、それが全然なんだよな。生きては出られないかもって、ある程度予想は出来ていたから……。あの後のリュウのことは、気になってた。咎められたりしなかったか?」

「していない。何も咎められず告げられず、気が付いた時には君は居なかった」

「そりゃ良かった」

「良くない!」

 リーリュイが眉を顰める。その顔を見て、光太朗が慌てて口を開いた。

「あ、違う違う、話が逸れてる。結局何が言いたいかと言うと……。人間初心者の俺がさ、感情を上手く出せるのって、リュウが居たからなんだ。本当にありがとう。それで、それも踏まえて、ダメもとでお願いがありまして……」

「? なんだ?」

「リュウさ、俺に感情のいろはを教えてくれないか? あと人間としての過ごし方。あんたと一緒なら、大丈夫そうな気がする。というか、リュウじゃないと駄目なんだ」

「……」

「やっぱ駄目か?」

 光太朗の乞うような瞳を見て、リーリュイは喉を鳴らした。


(私じゃないと駄目、だなんて……言っている意味が分かっているのか? 光太朗……)

 自分が彼にとっての特別な存在だとすると、この上なく嬉しい。しかしお互いに抱いている感情はきっと違う。
 
 異世界で気が合った相手へ、光太朗は真っ直ぐな親愛を向けているだけだ。何も知らない赤子が、手を差し伸べてくれた人間へ縋るのと変わらない。

 しかしリーリュイの心は変わらなかった。今はただ、光太朗を自分の元に留めたい。それしか考えられなかった。

 リーリュイは馬を止め、静かに言葉を零す。

「……では光太朗。君はこれから、ずっと私の元を離れない。誓えるか?」
「ああ、良いよ」
「……誓うと、言ってくれるか?」
「はい、誓います」

 手の平を立てて、光太朗はそう言い放つ。それはあっさりとしたものだった。彼はきっと、この誓いの意味に気付いていない。
 しかしこの誓いで、リーリュイの心は決まった。


「では私も君のそばにいて、君が人間らしく生きられるように努力しよう」
「いや、そこまで頑張らなくていいよ。たまに『そこ間違ってるよ』とか言ってくれれば十分だ。……そうそう、見返りはどうする? 一生下働きでもしようか?」
「……そうだな。たくさん働いてもらおう」
「よっしゃ。安いもんだ。あ~、でも良かったよ……。引き受けてくれるとは思わなかった……」

 光太朗は脱力して、身体全体をリーリュイへ凭れさせた。ついでに大きくあくびを零す。
 リーリュイはその身体を抱き込むと、少しだけ馬を走らせた。

「……あ~、安心したら……」
「眠くなってきた? 寝てもいい。落としたりしない」
「う~ん、もっと話していたい……」

 身体を凭れさせる光太朗は、こちらを振り向くこともない。馬の揺れと共に動く頭は、もう力を持っていないように見える。
 今、光太朗の顔を覗けば、彼はきっと瞼をゆらゆらと揺らしているだろう。その顔を見たかった、とリーリュイは素直に思った。

「……君の身体が治ったら、私と一緒に行動してもらう。今後は、公の場にも同行してもらう事になる。了承してくれるか?」
「うん、良いよ」
「……君の返事は、すごく軽く思えるな」
「そうか? ちゃんと考えてるから、安心してくれ」

 光太朗がくすくす笑うと、その弱い振動が胸を伝わってくる。それすらも愛おしい。

 ついに船を漕ぎ始めた光太朗に、リーリュイは静かに声を掛けた。

「……今日のような式典の後には、必ず宴がある。そこにも出席してもらう。私の隣にいてもらう」
「……ん~? それって……パートナーが……する事、じゃない、か……?」
「ああ、そうなる」
「………あ~……そか……。リュウに、良い人が……出来るまで……だいりにん……? それは、おとこで……も………」

 言葉半ばで、光太朗の頭がカクンと落ちる。それを受け止めて、リーリュイは自身の胸へと戻した。
 熱を持った額を撫でて、リーリュイは光太朗のつむじへと口づける。

「……光太朗、好きだ。……すまない……」

 今日の決断は、きっと光太朗を渦中に巻き込む。それでも彼が欲しかった。
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