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最終章

第57話 主従関係

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 宰相の乗った飛龍が去ったのを、朱王は目の端に見た。

 自身に斬りかかってくる兵士を薙ぎ倒しながら、朱王は窓へと近付く。追いかけようと窓の枠に足を掛けるも、飛龍はもう雲の奥へと消えた後だった。

 朱王が舌打ちを零していると、背後から応戦の音が響いた。
 振り返ると、宰相側へと寝返った兵士を無慈悲に斬り倒している黒王の姿が見える。

 つい先ほどまで国の兵士だった者達だ。それらを無慈悲に斬り払う黒王は、怒りで忘我しているように見える。

「おい! 黒!!」
「……」

 今まさに黒王が斬り払おうとしていた兵士を、朱王は足で蹴り飛ばす。そして黒王の胸倉を掴んだ。

「今、こんなことしてる場合やない。翡燕は屋敷にいるんか?」
「……いない。グリッド卿の屋敷にいる」

 朱王は息をつき、黒王の胸倉を離した。怯えて襲ってこない兵士たちを一瞥しながら、朱王はまた舌打ちを零す。

「こいつらはここに監禁して、俺らは皇王様の所へ行くで」

 朱王が踵を返して歩き出すも、黒王はぴくりとも動かない。
 目線は窓の外を、驚いたように凝視している。

「どうした?」
「……翡燕が来てる」
「はぁ!? どこに!?」
「門前」
「はよ行け! 俺はここを封鎖して向かう!」

 朱王の言葉を聞きながら、黒王は窓際に走った。窓際に足を掛け、躊躇うことなく外へ飛び出す。


 土砂降りの雨の中、黒王は門前を目指して駆けた。

 翡燕がどんな胸中でいるのか。黒王には想像もつかない。
 この身に縋って泣いてくれれば、どれだけ嬉しいか。しかし翡燕は、人には縋らない。

 (翡燕が縋るのは、いつもあの獣だ……)

 皇宮の巨大な門が見え、そこに人影が見える。黒王の目に映ったのは、愛しい人を抱く獣人の姿だ。

 翡燕は縋るように抱きこまれ、獣人は愛おしそうにその身体を抱え込んでいる。
 2人の色が変わっているのを、黒王は見た。そして奥歯を噛み締める。

(……お前も、こちら側に立ったか。獅子王)

 黒王が2人の前に立つと、獅子王が顔を上げた。

 金色の双眸が、しっかりと黒王を捉える。もう以前のように怯えた顔はしていない。
 ゆらりと揺れる色は、真っ赤な独占欲の色だ。

「……黒王様」
「獅子王……負けぬ」

 翡燕は、不穏な空気をまき散らす黒王と獅子王を交互に見る。何とか場を宥めようと、翡燕は咳払いを零した。

「おお、黒兎! 飛龍は大丈夫だったかい? 随分多かったな!」
「……」

「し、獅子丸? 降ろしてもらって構わないよ? ここからは自分で歩くから」 
「……」

 両者一歩も譲らないといった雰囲気で、翡燕の問いは流された。口を開くと勝敗が決まるかのような、ピリついた空気が翡燕を覆う。

(きっ、気まずい……)

 翡燕は何とか獅子王の腕から抜けだすと、その場へ降りた。土砂降りの雨の音に負けないよう、声を張り上げる。

「黒兎!! 獅子丸!! 後にしろ!!」
「……!」
「はいっ!」

 獅子王が姿勢を正し、黒王が驚いたように翡燕を見る。やっと意識を向けてくれた2人を、翡燕は口を尖らせて睨んだ。

「まったく、こんな時に喧嘩はやめてくれ。黒兎、皇宮に弐王は来ているか?」
「……いる」
「会えるか?」

(皇王でなく、弐王に?)
 そんな疑問を浮かべながらも、黒王は頷いた。

「多分、薬師室」
「解った。連れて行ってくれ」

 翡燕はそう言うと、獅子王の方を振り返った。そして獅子王の顔を見ながら、眉を下げる。

「獅子丸は、屋敷の様子を見に行ってくれるかい? 多分……酷いことになってる。ああ、それと……グリッドの助けになってやってくれ。多分屋敷でお前を待っている」
「おれを……?」
「……うん。……おいで、獅子丸」

 不思議そうな顔をしながら近寄ってくる獅子王の顔に、翡燕は背伸びをして触れた。それに応えるようにして獅子王が身を屈めると、翡燕はその額に自身の額をくっつける。

 瞬間、翡燕の胸に寂しさがじわりと湧き出す。それを押し留めるように、翡燕は口を開いた。

「獅子王よ。お前との主従関係を、今ここで、解く」

「……! 主!!」

「お前がこの先、どんな決断をしようとも、僕はそれを応援する。……大丈夫だよ、主従でなくとも、お前とは家族だ」

 鳴りそうになる喉を押さえ、獅子王を見る。その顔が寂しさに歪んでいるのを見て、翡燕は眉を下げて笑った。

「獅子丸。もう立派な雄の獣人だろ? 格好いいところを見せておくれ」
「………ある……。……分かりました」

 そう呟くと、獅子王は膝を付いた。拳を地面に付いて、頭を深く下げる。

「今まで、おれを……! おれを……愛してくれて、ありがとうございました!!」
「……うん」
「……グリッド卿の所へ、行ってきます」

 獅子王の言葉に、翡燕は深く頷いた。

 今日が雨で良かったと、心から思う。

「行ってらっしゃい」

 翡燕がそう言うと、獅子王は踵を返して走り出した。迷いを断ち切ろうとするような去り方に、震える息が漏れる。

 拾った時は、毛玉のような獅子だった。コロコロと転がるように、いつも傍にいてくれた。
 その面影は、もうすっかり無い。走り去る姿は、立派で屈強な獣人だ。


 翡燕が立ち竦んでいると、後ろから優しく抱きしめられた。
 自身の胸元に回る逞しい腕を、翡燕は握り返す。その手が震えていることを、黒王は気付いただろうか。

「……黒兎、ありがとう……」
「翡燕、泣いて良い」

 翡燕は耐えるように鼻梁に皺を寄せて、唇を噛み締める。掴んだ腕をぎゅうと握り締め、一気に空気を吸い込んだ。

「……まだ、啼くには早い……」
「俺がいる」
「……うん」


 胸の穴と言うのは、埋められない。

 去って行った人の形をしっかり覚えていて、そこに他のものはぴったりとはまらない。
 だからこそ、想いというのは尊く、そして儚い。


「……黒兎、行こうか」
「……うん」

 なるべく明るく言ったつもりの声が震えて、翡燕は苦く苦く笑った。
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