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戦乱の常葉国

64. 薄い、白い、細い

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 神殿の裏の井戸を使って汗を流していると、小さな悲鳴が聞こえて振り返った。
 伊織だと認識し、たつとらは自分の身体を見下ろす。

 誰もいないと思って、上半身は裸のまま水を浴びていた。
 流石に下を脱ぐのはどうかと思ったので、ズボンを履いたままではいるが、それもぐっしょりと濡れている。
 これじゃ変質者だ。

「失礼しました!」
 謝りながら伊織に背を向けると、タオルを取りに行った哄笑が丁度戻るところだった。
 慌てながら手招いているたつとらに哄笑は駆け寄ると、その肩に大判のバスタオルを掛ける。

 バスタオルを掻き寄せて伊織の方を振り返ると、たつとらはペコリと頭を下げた。
 伊織はこちらを目を細めて見ており、そこに浮かぶのは明らかな侮蔑の感情だ。

「あんたの貧弱な身体なんて、見ても何も思わないわよ!」

 これにはたつとらも少なからずダメージを受けた。だが彼女は無慈悲に言葉を続ける。
「薄いし、白いし、戦いを何にも知らない軟弱な身体だわ。これまで日陰で生きてきたんでしょう?守ってくれる人が多かったんでしょうね?」

(う、薄い?白いなら分かるが、薄いって何だ!?)
 彼女はたつとらのコンプレックスを的確に抉ってくる。
 まるで攻撃を受けているように胸を押さえて後ずさると、そんなたつとらを哄笑が後ろで受け止めた。哄笑は戒めるような顔を、伊織に向ける。

「伊織、俺の主を愚弄するな」
「こ、哄笑殿……」

 伊織は哄笑の言葉に、傷ついた表情を見せた。自分側に立ってくれない哄笑の態度への寂しさが、たつとらへの敵意に変わっていく。

「……私は、あんたを認めないわ」

 伊織は踵を返すと、去って行った。井戸に用事があったのだろうが、この場に1秒でも留まりたくないといった去り方だ。

「……う、薄いか……胸板かな?それとも腹?」
 未だ精神攻撃を引きずっているたつとらが独り呟いていると、水場に慣れた声が響いた。

「おい、たつ!何してんだ!」
 走り寄ってきたのはチャンだ。
 寝起きなのか、いつもきちんとセットしてある髪が乱れて少し跳ねている。

「チャン、おはよう。早いねぇ」
 おはようじゃねぇよ。と言いながら、たつとらの濡れた髪を拭く。

「……あんたの事だから、もう哄笑と内戦収めに行ってるのかもって思ったよ……。お願いだから抜けだすの止めてくんねぇ?」
 その言葉に、たつとらは何か閃いたような顔をする。
 チャンがその表情を見て、鼻に皺を寄せながらたつとらの頭をガシガシと拭った。

「そうか、その手もあったか!って顔してんじゃねぇ!」
 力一杯頭を拭かれ、たつとらは「ははは」と曖昧に笑う。
 背後からバタバタという足音がして、「お兄ちゃん!」という声が聞こえてきた。

「お兄ちゃん!!たっちゃん居ない!もしかして、また狩りに………あ、いた」

 ミンユエはたつとらを認めると安堵の息を吐き、がっくりと脱力した。
 兄妹揃って寝起きの姿での登場だ。
 ミンユエの長いストレートの髪がくしゃくしゃになっており、前髪に変な寝癖が付いている。

「寝起きのミンユエも可愛いな」
 たつとらが放った言葉に、ミンユエは真っ赤になった。自分の髪を撫でつけながら、もじもじと俯く。

 チャンが妹の姿を見ながら、更に鼻の皺を深くした。
 妹に甘い言葉を吐く男への怒りか、それとも妹に甘い言葉を吐く想い人への怒りか、どっちなのか分からず、奥歯がギリっと音を立てる。

「あんたさ、人にそんな言葉を軽々しく口にするの止めろよな」
 チャンは舌打ちしながらたつとらから離れると、神殿の中へと入って行った。ミンユエもそそくさと立ち去るので、たつとらは首を捻りながら哄笑を見る。

 哄笑は困ったような表情をしながら、たつとらに微笑んだ。
「タイラ様も、人間の恋愛感情には疎いのですね」
「な……なにっ!?」

 哄笑は頬を緩めながら、たつとらを見つめている。一方のたつとらはショックのあまり声も出ない。

(こっ……哄笑!まさか、恋愛感情を理解しているというのか……!?そんな……俺を差し置いて!)

 目の前の哄笑が子供ワンコから大人ワンコに変化して見えて、たつとらはふっと遠い目をした。

 今日はやたらと精神攻撃が多い。
 何やら怒らせたらしいチャンへの対応を考えるのも、かなり気が重い。彼が怒ったままでは、内戦に参加したいと仲間にお願いするのも難しくなる。

「……取り敢えず、服を着替える……」
 たつとらは肩を落としながら、神殿の扉を開いた。


________

 常葉の王都であるマチルダは静まり返っていた。
 城の前にある大きな広場で、未だ負傷者の手当てが行われている。

「民は家に帰っていますが、夜になれば城内へ避難します。内戦中でなければ露店なども出て、にぎやかな街なのですよ。お見せしたかった」

 神楽耶と一緒にマチルダに来た一同は、ウェリンクとは違う街並みを眺めている。
 石造りではなく、木造の建築が多い。普段味わえない異国の雰囲気に、ルメリアは感嘆の声を漏らした。

「常葉国……噂には聞いていましたが、美しいですね」
 ニコニコと微笑む神楽耶の少し前を、伊織は歩いている。一度もこちらを振り向くことなく、たまに会う街の人に手で挨拶を返しながらズンズン進んでいた。

 潮はすっかりたつとらに懐き、腕に半ば抱きつくようにしながら街の紹介をしている。
「あれは、お団子屋さん!とっても美味しいんだよ」
「お団子?俺はこしあんが好きだなぁ」
 おれも!と言って潮が破顔する。たつとらは潮の頭を撫でながら、前を歩く仲間たちを見ていた。

 ボルエスタは少し前を歩いている。時々後ろを振り返っては、たつとらを確認しているようだ。
 問題はチャンと藥王だ。

 チャンが腹を立てているのは言わずもがなだが、藥王はというと早朝にたつとらが哄笑と遊んでいたことに拗ねているようだ。

(内戦に加担することを説得しなきゃいけないのに、どうすっかな……?)
 たつとらが頭をガシガシ掻き回していると、城が見えてきた。
 昔の和国をイメージして造られたと神楽耶は説明し、その荘厳さに一同は気圧された。石垣が何段にも積み上げられ、櫓や門もある立派な城だ。

「ウェリンクやラクレルとはまったく違うな。かっこいい」

 タールマが言い、ミンユエがコクコク頷いた。城の前の広場はウェリンク国と変わらない造りだが、それが絶妙な雰囲気を醸し出していた。
 真ん中にある水場には石造りの灯籠があり、滝をモチーフにした岩から水が流れ出している。ルメリアが近付いて目を輝かせながら、水場で泳ぐ金魚を見つめた。

 哄笑も付いてきているが、街の人は哄笑を恐がらない。

 彼の姿がまるきり人間だからかもしれないが、大きさや威圧感は恐怖を与えるには十分なはずだった。
 彼が恐がられないのは、常に神楽耶親子が側にいて街を歩いている証拠だ。
 素直に嬉しいたつとらは、隣の潮に声を掛けた。

「潮、内戦が早く終わればいいな」
「……うん。早く父上と遊びたい」
「そういえば、潮の父上はどういう人なんだ?」

 潮がパッと顔を上げ、キラキラと顔を輝かせた。好きなものを語る子供の瞳は、どこまでも澄んでいて淀みがない。
 つられて微笑んでいると、潮が嬉しそうに話し出した。

「俺の父上は常葉の将軍なんだ!とってもお強くて、格好いいんだ!」
「え!?潮の父上は将軍なんだな!かっこいいな!」

 潮はこれでもかと口を弧の字に引き上げ、得意げに笑うと腕に絡みつく。ふふふ、と暫く笑っていたが、次第に顔を曇らせて眉が下がってしまった。
 たつとらが様子を窺っていると、潮が口を尖らせながら呟く。

「でも、播磨おじさんの軍は凄いから……負けちゃうかもって、皆言ってる。常葉はそんなに強い軍じゃないから……」
「おじさんの軍は、どう凄いんだ?」
「何かね、しょうかんしって言うやつが異形を呼び出して、常葉の兵をおそうらしいんだ。恐いよね、父上がやられたら、どうしよう……」

 潮の声が上擦って来たことに、たつとらは慌てた。目線を合わせるように膝を折ると、潮の綺麗な瞳が涙でゆらゆらと揺れている。

「潮、泣くな。俺もおじさんの兵を倒すの手伝ってやるから」
 そう言うと、仲間たちが振り返ったのを感じた。
 何言ってるんだ、とかいう批判の声は聞こえてこない。たつとらは潮の瞳をじっと見つめると、潮が困った様に笑った。

「お兄ちゃんじゃ無理だよ!だって女の人みたいに細いし、弱そうだもん!!」

 たつとらはピシリと固まった。

(………も、もう俺……今日は立ち直れない……)

 返す言葉もなく口を開けたまま固まっていると、吹き出すような声が聞こえた。
 チャンが腹を抱えて笑っている。
 それどころか女性陣も笑っていて、さらに傷を抉られたたつとらは大げさに頭を垂れた。
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