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汚名を雪ぐ
47. 温泉と作戦
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「ほら、金扇にごめんなさいは?」
「ぐ……」
口ごもる銀扇の姿を、何となく見てはいけない様な気がしてボルエスタは鳳凰の巣を見回した。
木々が生い茂って洞のようになっている。ふんわり白檀の香りが漂い、如何にも伝説の魔神の住処と言った感じだ。
だが目の前に広がる光景は伝説とか荘厳とかとは程遠い、人間臭いものだった。
「す、すまなかった……」
頭を下げた先にいる金扇は、こちらも美しい姿をしている。
身体の作りは銀扇と一緒だが少し小さく、女性らしさい身体の造りだ。瞳と髪は橙色で、顔は彫りの深い美女だった。
「許しませぬ」
金扇はプイと顔を背けると、自分の子供を抱くたつとらに目を向けた。
鳳凰の子は人間の赤子程の大きさで、全身青い羽毛に覆われている。たつとらの腕の中でスピスピと寝る我が子を見て、金扇は幸せそうに微笑んだ。
「疳の強い子のようで、私以外には抱かれませんでしたのに……。タイラ様のことは分かるようですね」
「そうか?可愛いなぁ」
「それに比べ……」
そう言うと、金扇は銀扇を睨み付けた。
「銀扇は一度も我が子を抱いたことがありませぬ。この子に付きっ切りの私と、懐こうとしない我が子から逃げ、他の種族と子まで成したのです」
ミンユエが顔に『最低』の文字を浮かべながら、銀扇を見ている。その視線を受けながらも、銀扇に反論の余地は無い。
「お母さんって本当に大変ですよね。自分の時間ないようなもんですもん」
「ミンユエ様、お気遣いありがとうございます。種族は違いますが女性と話すと、やはり心が和みますね」
ニコニコする女性陣を前に、何もしていないのに何だか気まずいボルエスタは、たつとらに目を向けた。
その目を受けて、彼は微笑んだ。
この空間の中で、自分だけに向けられたその笑みに、ボルエスタの心臓が跳ねた。
彼と心を通じ合えたような気がして、ボルエスタは緩む頬を抑えられなくて眼鏡を押し上げる。
たつとらが鳳凰の子をゆらゆら揺らしながら、金扇と銀扇の前に立つ。
「金扇、銀扇を今は許さなくても良い。でも君たちは元は一つだったんだから、仲良くしていかないといけないよ。銀扇、行いを改めなさい」
「「御意!」」
金扇と銀扇の声が合わさり、やっと2人は視線を合わせて微笑んだ。
「金扇と銀扇は、元は一匹の飛鋭の亜種だったんだ。魔神にしたら雌雄に分かれたんだよ。不思議だよな」
たつとらが満足そうに腕の中の赤子を撫でる。相変わらず大人しく寝ているようで、その姿に皆の頬が緩んだ。
「そうだ、今日は2人にお願いがあったんだよ。この子が可愛すぎて忘れてた」
「「何なりと」」
鳳凰が2人そろって跪く様は、圧倒的だった。異帝の説明をすると、金扇が頭を垂れる。
「分かりました。異帝が来れば食い止めてみせます」
「ありがとう。銀扇は、出来ればトーヤの方も見てやってくれないか?朱楽が俺に同行すると言っているから、トーヤが無防備になってしまう」
銀扇は不服そうな顔をしたが、金扇から小突かれて頭を垂れた。
「……トーヤを守るのは容易いですが、朱楽めばかりタイラ様と旅をするのが納得いきませぬ」
「銀扇、言葉を慎め。タイラ様のいう事は絶対ぞ」
金扇に戒められ、銀扇は唸りながらも「御意」と再度頭を垂れる。
金扇が外の様子を窺いながら口を開いた。風が少し冷たく吹いているようだ。
「もうすぐ陽が傾きます。帰りは送りますので近場の温泉でもどうでしょうか?私も行きたかった事ですし、あそこの温泉は傷にも良く効きます」
「温泉……!」
たつとらが目を輝かせ、金扇が笑った。
「上手く二つに分かれておりますので、ミンユエ様も入浴が出来ますよ。見ればお二人とも少し怪我をされているようなので、入られてはいかがですか?」
ミンユエが嬉しそうに笑って頷く横で、ボルエスタは固まっている。
「やった!ボルちゃん一緒に入ろう!」
「ぼ、僕は、だ、大丈夫です!!僕は、聖堂で入ります!!」
ボルエスタは顔を真っ赤にしているのを悟られないように、たつとらから顔を背けた。
「ええ……そんなに拒否しなくても……」
「ではこの銀扇がお供します!」
目を輝かせながら銀扇が言い、そんな彼を金扇が睨み付けた。
「銀扇はここで赤子の世話だ。言わずとも理解せぬか」
「……心得た」
気落ちする銀扇を見ながら、ミンユエはボルエスタに小声で話しかける。
「ボル太さん、いいの?お兄ちゃんは、たっちゃんと一度トーヤのお風呂入ってたよ?」
「……ミンユエ。……チャンは、その事をものすごく後悔してました。その……いや何でもないです」
チャンの兄としての面目を潰すわけにはいかない。
「……?」
ミンユエが不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ鴉鷹!一緒に入ろう!」
「ええ!?私ですか?」
洞の隅で黙っていた鴉鷹が、いきなりの指名に驚きの声を上げ、ボルエスタはホッと息を吐いた、までは良かった。
銀扇に託した赤子が火がついたように泣き出し、縋る様な目をしている銀扇を金扇は華麗に無視し外へ出る。
残された銀扇とボルエスタは、慌てふためきながら赤子の世話に追われることとなった。
鴉鷹は異形である。しかし彼も、目の前の光景に感情を揺らがせることがあるのだ。今まさに人間でいうところの、背徳感というものを味わっている。
「たつとら様」
「ん?何だ?」
たつとらはもう湯に入っており、腰から上しか出ていない。鴉鷹はそもそも服を着ていないので、そのまま入ることになる。
「たつとら様は、その、人間の男性より……随分と……」
「……ああ、細いだろ?嫌になるよ。いくら鍛えても筋肉がこれ以上つかないんだよなぁ……」
(細い、だけだろうか?)
鴉鷹も人間の事は詳しくない。
目の前にいるたつとらの身体は、男性のものに間違いはない。ただ何となく見てはいけないもののような気がするのを不思議に思った。
「……たつとら様、今後軽率に裸体を人の目に晒してはなりません」
「え?なんで?俺は男だよ?」
「分かりませんが駄目な気がします。特に男性の前ではいけません」
必死で言う鴉鷹に、たつとらは声を立てて笑った。
鴉鷹は人間の事に疎いからなぁ、という的外れな台詞を聞きながら、鴉鷹は溜息をついた。
夜___。
聖堂に帰った一同は、プラロークのシチューを食べて今晩も泊めてもらった。
ミンユエは狩りで疲れたらしく、食事もほどほどに寝てしまった。ボルエスタも同様に疲れていたようで、ソファに潜り込むとすぐ寝付いたようだ。
彼が寝たことを確認すると、たつとらはそっと寝床出て、その顔を見つめた。
(ぐっすり寝てる……お疲れ様だね)
窓を開けて肺一杯に冷たい空気を吸うと、たつとらは飛び降りた。山に向かって駆けながら、マフラーを引き上げる。
(集合をかけてないのに、あの異形の多さは放置できない)
セビーナを意図して避けていたせいもあるが、他の地方よりも下位の異形が多いようだ。山の中腹まで駆けてから、たつとらは立ち止まった。息を吸うと脚を肩幅に開き、手のひらを目の前で合わせる。
「ここに集え、贄がいるぞ。人がいるぞ。喰らうは今ぞ……!」
森が共鳴したようにザワザワと木々を揺らし、四方八方からわらわらと異形が集まってくる。
彼はニヤリと笑うと、手をつき出した。
「翡翠!今宵は、我と共に!」
キインという快い音とともに、手に翡翠が収まる。
「さぁ、お仕事始めますか!!」
たつとらは走り出し、横なぎに剣を振り払う。異形の身体が裂け、血が飛び散った。
(もう一回温泉に入りに行かなきゃな)
彼は緩む頬を抑えられず、声を立てて笑った。
__________
「たっちゃん、起きて!朝だよ!」
「んん~~……」
ベッドの上で毛布に絡まりながら、たつとらは呻いていた。
昨夜狩りをした後、温泉で身を清めた上に、血に濡れた服を鳳凰の所で洗い、隠蔽工作はバッチリで帰宅したのは夜明け前だった。
正味2時間くらいしか寝ていない。
「んん~~……あと2時間……」
「長い!2時間は長いよ!普通5分でしょ?」
恨めし気に見上げると、たっぷり寝てピッカピカのミンユエが見えた。昨日の疲れもしっかり取れたようで、身なりも完璧に整っている。
「……ミンユエは、今日も綺麗だねぇ。おはよぉ~」
ミンユエが耳まで赤くしながら、少しだけたつとらを睨む。
「君ねぇ、そういうとこほんと良くないよ。あのね、お兄ちゃんから血合符が届いたの。ウェリンクが大変みたい」
「……ウェリンクが?」
頷くミンユエに眉を寄せながら、たつとらはベッドから起き上がった。
「アカラ風邪?」
国王も患っていると聞いて、たつとらは顔を曇らせた。更には元生徒たちの多くいるドグラムス軍もほぼ羅漢しているという報告に、彼は焦りの色を隠せない様子だった。
「特効薬の司奈菊草が無いから、蔓延しているみたいですね。アカラ風邪は本来夏風邪ですから」
たつとらが考え込んでいるのを見て、ボルエスタとミンユエは顔を見合わせた。
実はたつとらを起こす前に、2人は話を合わせていたのだ。
数十分前___
控えめにドアがノックされ、起きていたボルエスタは扉を開けた。そこにはミンユエがいて、部屋の中のたつとらを窺っている。
「ボル太さん。お兄ちゃんから血合符が届いたんだけど、先に2人で色々確認したいことがあって……たっちゃんまだ寝てる?」
「まだ起きる気配はないです。どうしましたか?」
後ろ手で扉を閉め、廊下を並んで歩き出す。少し部屋から離れると、ミンユエは手を広げて血合符を空中に映し出した。空中に浮く手紙の様なそれを、ボルエスタは読み解いていく。
「王都でアカラ風邪が流行っていて、司奈菊草が必要……藥王がそれを生やせるが、主の命令が必要と……。要はたつを都入りさせるために、藥王が上手くやったって事ですね。確かに彼が王都に行って、命令すればウェリンクに恩を売れます」
「それが、本当は薬草を生やすのに直接の命令はいらないらしいの」
「え?それだと……。なるほど、彼を王都入りさせるために何か策を考えないといけないという事ですね」
ミンユエが手を翳し、新たな血合符が表示された。どうやら二枚目のようだ。ミンユエが指でなぞりながら読み上げる。
「『藥王が薬草を生やしたくないと駄々を捏ねているとか、何かしら理由をつけて、たつを都入りさせてくれ。出来ればド派手な登場が良い。駿に乗せてきてもらうとか、そんなんが良いかも』ってお兄ちゃんも無茶言うわ……」
「しかし、藥王が駄々を捏ねている、ぐらいしか策は思いつきませんね。強引ではありますが……」
ボルエスタが溜息を付き、ミンユエが血合符を消した。
そして今、考え込んでいるたつとらを2人は見ている。
「司奈菊草は、朱楽が生やせるはずだ」
思った通りの展開になりそうな言葉にミンユエは生唾を呑んだ。ウェリンク組も頑張っているのだ。こちらも上手くやらないと、あちらの苦労が無駄に終わる。
「それが……」
「でもウェリンクの人口分の薬草を生やすには、力が大量に必要だ。朱楽には荷が重い。俺が力を分けないと、ウェリンク全体に行き渡るほどの薬草は生やせない」
言葉を遮られたミンユエは、遮られた事よりも、展開が変わりそうな事にドキリとする。ボルエスタも同様のようで、ピタリと動きを止めている。
「よし分かった。今すぐ朱楽をここに呼んで、力を分けて帰らせる。それが一番手っ取り早い」
「ま……!待った!!!」
手を翳し召喚のスタイルを取ったたつとらを、ミンユエとボルエスタが両脇から抑え込む。止められた彼は目を白黒させながら、2人を交互に見た。
「ど、どうしたの2人とも?」
「あ、あ、あ、ああのね、たっちゃん」
しどろもどろになりながらボルエスタを見ると、彼もフル回転で思考を巡らせている様だった。たつとらの手を掴みながら、ミンユエは声を張り上げた。
「薬王はお腹が痛くて、しょ、召喚には耐えられないのかもしれないって、お、お兄ちゃんが……!」
「!!」
ボルエスタが目を見開いて、信じられないといった顔でミンユエを見ている。ミンユエは真っ赤になりながら俯いた。
(ばかばかばか!こんなの信じるわけないじゃない!……あぁ………終わった)
ミンユエががっくりと頭を垂れたのを見て、ボルエスタも諦めの息を付いた。
「え……?もしかして、朱楽も風邪をひいたってことか?」
予想の斜め遥か上の返答に、ミンユエは音が出るほど早く頭を正常な位置に戻した。たつとらは驚愕の顔でミンユエを見ており、ものすごく心配そうにしている。
「異形も、いつかウイルスに侵されるかもと思っていたけど……まさか、朱楽が……!」
ボルエスタは眼鏡を押し上げている。その頬が緩んでいるのを、ミンユエは見逃さなかった。
(こらぁ!可愛いなんて、思ってないでちゃんとしてよ!ボル太さん!!)
ミンユエの鋭い視線に気付いたのか、ボルエスタは咳ばらいをした後、口を開いた。
「アカラ風邪の症状の一つに腹痛がありますから、可能性はあるでしょうね」
その言葉にたつとらは目を見開き、瞳を揺らした。
「かわいそうに……初めての風邪はきっと辛いはずだ……」
もの凄く心配そうな彼の腕を、ミンユエは優しく擦る。
「きっと、たっちゃんに側にいてほしいはずよ。早く行ってあげて!なるべく早くが良いと思う!」
たつとらはミンユエを見て、頷いた。ミンユエはそれに微笑みで返すと、安堵の息を吐く。
(良かったぁ。これでたっちゃんを都入りさせられる……)
「銀扇に連れて行ってもらおう。あの子だったら、ウェリンクまで数十分だ」
「!!?」
またもや予想を越える発言に、ミンユエとボルエスタは目を見開く。
朱楽の危機に、たつとらは完全に我を失っている。普段は目立つことを避ける彼が、その真逆へと突っ走っているのだ。
ド派手な登場という宿題は、百点満点で達成できそうな予感がした。
「ぐ……」
口ごもる銀扇の姿を、何となく見てはいけない様な気がしてボルエスタは鳳凰の巣を見回した。
木々が生い茂って洞のようになっている。ふんわり白檀の香りが漂い、如何にも伝説の魔神の住処と言った感じだ。
だが目の前に広がる光景は伝説とか荘厳とかとは程遠い、人間臭いものだった。
「す、すまなかった……」
頭を下げた先にいる金扇は、こちらも美しい姿をしている。
身体の作りは銀扇と一緒だが少し小さく、女性らしさい身体の造りだ。瞳と髪は橙色で、顔は彫りの深い美女だった。
「許しませぬ」
金扇はプイと顔を背けると、自分の子供を抱くたつとらに目を向けた。
鳳凰の子は人間の赤子程の大きさで、全身青い羽毛に覆われている。たつとらの腕の中でスピスピと寝る我が子を見て、金扇は幸せそうに微笑んだ。
「疳の強い子のようで、私以外には抱かれませんでしたのに……。タイラ様のことは分かるようですね」
「そうか?可愛いなぁ」
「それに比べ……」
そう言うと、金扇は銀扇を睨み付けた。
「銀扇は一度も我が子を抱いたことがありませぬ。この子に付きっ切りの私と、懐こうとしない我が子から逃げ、他の種族と子まで成したのです」
ミンユエが顔に『最低』の文字を浮かべながら、銀扇を見ている。その視線を受けながらも、銀扇に反論の余地は無い。
「お母さんって本当に大変ですよね。自分の時間ないようなもんですもん」
「ミンユエ様、お気遣いありがとうございます。種族は違いますが女性と話すと、やはり心が和みますね」
ニコニコする女性陣を前に、何もしていないのに何だか気まずいボルエスタは、たつとらに目を向けた。
その目を受けて、彼は微笑んだ。
この空間の中で、自分だけに向けられたその笑みに、ボルエスタの心臓が跳ねた。
彼と心を通じ合えたような気がして、ボルエスタは緩む頬を抑えられなくて眼鏡を押し上げる。
たつとらが鳳凰の子をゆらゆら揺らしながら、金扇と銀扇の前に立つ。
「金扇、銀扇を今は許さなくても良い。でも君たちは元は一つだったんだから、仲良くしていかないといけないよ。銀扇、行いを改めなさい」
「「御意!」」
金扇と銀扇の声が合わさり、やっと2人は視線を合わせて微笑んだ。
「金扇と銀扇は、元は一匹の飛鋭の亜種だったんだ。魔神にしたら雌雄に分かれたんだよ。不思議だよな」
たつとらが満足そうに腕の中の赤子を撫でる。相変わらず大人しく寝ているようで、その姿に皆の頬が緩んだ。
「そうだ、今日は2人にお願いがあったんだよ。この子が可愛すぎて忘れてた」
「「何なりと」」
鳳凰が2人そろって跪く様は、圧倒的だった。異帝の説明をすると、金扇が頭を垂れる。
「分かりました。異帝が来れば食い止めてみせます」
「ありがとう。銀扇は、出来ればトーヤの方も見てやってくれないか?朱楽が俺に同行すると言っているから、トーヤが無防備になってしまう」
銀扇は不服そうな顔をしたが、金扇から小突かれて頭を垂れた。
「……トーヤを守るのは容易いですが、朱楽めばかりタイラ様と旅をするのが納得いきませぬ」
「銀扇、言葉を慎め。タイラ様のいう事は絶対ぞ」
金扇に戒められ、銀扇は唸りながらも「御意」と再度頭を垂れる。
金扇が外の様子を窺いながら口を開いた。風が少し冷たく吹いているようだ。
「もうすぐ陽が傾きます。帰りは送りますので近場の温泉でもどうでしょうか?私も行きたかった事ですし、あそこの温泉は傷にも良く効きます」
「温泉……!」
たつとらが目を輝かせ、金扇が笑った。
「上手く二つに分かれておりますので、ミンユエ様も入浴が出来ますよ。見ればお二人とも少し怪我をされているようなので、入られてはいかがですか?」
ミンユエが嬉しそうに笑って頷く横で、ボルエスタは固まっている。
「やった!ボルちゃん一緒に入ろう!」
「ぼ、僕は、だ、大丈夫です!!僕は、聖堂で入ります!!」
ボルエスタは顔を真っ赤にしているのを悟られないように、たつとらから顔を背けた。
「ええ……そんなに拒否しなくても……」
「ではこの銀扇がお供します!」
目を輝かせながら銀扇が言い、そんな彼を金扇が睨み付けた。
「銀扇はここで赤子の世話だ。言わずとも理解せぬか」
「……心得た」
気落ちする銀扇を見ながら、ミンユエはボルエスタに小声で話しかける。
「ボル太さん、いいの?お兄ちゃんは、たっちゃんと一度トーヤのお風呂入ってたよ?」
「……ミンユエ。……チャンは、その事をものすごく後悔してました。その……いや何でもないです」
チャンの兄としての面目を潰すわけにはいかない。
「……?」
ミンユエが不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ鴉鷹!一緒に入ろう!」
「ええ!?私ですか?」
洞の隅で黙っていた鴉鷹が、いきなりの指名に驚きの声を上げ、ボルエスタはホッと息を吐いた、までは良かった。
銀扇に託した赤子が火がついたように泣き出し、縋る様な目をしている銀扇を金扇は華麗に無視し外へ出る。
残された銀扇とボルエスタは、慌てふためきながら赤子の世話に追われることとなった。
鴉鷹は異形である。しかし彼も、目の前の光景に感情を揺らがせることがあるのだ。今まさに人間でいうところの、背徳感というものを味わっている。
「たつとら様」
「ん?何だ?」
たつとらはもう湯に入っており、腰から上しか出ていない。鴉鷹はそもそも服を着ていないので、そのまま入ることになる。
「たつとら様は、その、人間の男性より……随分と……」
「……ああ、細いだろ?嫌になるよ。いくら鍛えても筋肉がこれ以上つかないんだよなぁ……」
(細い、だけだろうか?)
鴉鷹も人間の事は詳しくない。
目の前にいるたつとらの身体は、男性のものに間違いはない。ただ何となく見てはいけないもののような気がするのを不思議に思った。
「……たつとら様、今後軽率に裸体を人の目に晒してはなりません」
「え?なんで?俺は男だよ?」
「分かりませんが駄目な気がします。特に男性の前ではいけません」
必死で言う鴉鷹に、たつとらは声を立てて笑った。
鴉鷹は人間の事に疎いからなぁ、という的外れな台詞を聞きながら、鴉鷹は溜息をついた。
夜___。
聖堂に帰った一同は、プラロークのシチューを食べて今晩も泊めてもらった。
ミンユエは狩りで疲れたらしく、食事もほどほどに寝てしまった。ボルエスタも同様に疲れていたようで、ソファに潜り込むとすぐ寝付いたようだ。
彼が寝たことを確認すると、たつとらはそっと寝床出て、その顔を見つめた。
(ぐっすり寝てる……お疲れ様だね)
窓を開けて肺一杯に冷たい空気を吸うと、たつとらは飛び降りた。山に向かって駆けながら、マフラーを引き上げる。
(集合をかけてないのに、あの異形の多さは放置できない)
セビーナを意図して避けていたせいもあるが、他の地方よりも下位の異形が多いようだ。山の中腹まで駆けてから、たつとらは立ち止まった。息を吸うと脚を肩幅に開き、手のひらを目の前で合わせる。
「ここに集え、贄がいるぞ。人がいるぞ。喰らうは今ぞ……!」
森が共鳴したようにザワザワと木々を揺らし、四方八方からわらわらと異形が集まってくる。
彼はニヤリと笑うと、手をつき出した。
「翡翠!今宵は、我と共に!」
キインという快い音とともに、手に翡翠が収まる。
「さぁ、お仕事始めますか!!」
たつとらは走り出し、横なぎに剣を振り払う。異形の身体が裂け、血が飛び散った。
(もう一回温泉に入りに行かなきゃな)
彼は緩む頬を抑えられず、声を立てて笑った。
__________
「たっちゃん、起きて!朝だよ!」
「んん~~……」
ベッドの上で毛布に絡まりながら、たつとらは呻いていた。
昨夜狩りをした後、温泉で身を清めた上に、血に濡れた服を鳳凰の所で洗い、隠蔽工作はバッチリで帰宅したのは夜明け前だった。
正味2時間くらいしか寝ていない。
「んん~~……あと2時間……」
「長い!2時間は長いよ!普通5分でしょ?」
恨めし気に見上げると、たっぷり寝てピッカピカのミンユエが見えた。昨日の疲れもしっかり取れたようで、身なりも完璧に整っている。
「……ミンユエは、今日も綺麗だねぇ。おはよぉ~」
ミンユエが耳まで赤くしながら、少しだけたつとらを睨む。
「君ねぇ、そういうとこほんと良くないよ。あのね、お兄ちゃんから血合符が届いたの。ウェリンクが大変みたい」
「……ウェリンクが?」
頷くミンユエに眉を寄せながら、たつとらはベッドから起き上がった。
「アカラ風邪?」
国王も患っていると聞いて、たつとらは顔を曇らせた。更には元生徒たちの多くいるドグラムス軍もほぼ羅漢しているという報告に、彼は焦りの色を隠せない様子だった。
「特効薬の司奈菊草が無いから、蔓延しているみたいですね。アカラ風邪は本来夏風邪ですから」
たつとらが考え込んでいるのを見て、ボルエスタとミンユエは顔を見合わせた。
実はたつとらを起こす前に、2人は話を合わせていたのだ。
数十分前___
控えめにドアがノックされ、起きていたボルエスタは扉を開けた。そこにはミンユエがいて、部屋の中のたつとらを窺っている。
「ボル太さん。お兄ちゃんから血合符が届いたんだけど、先に2人で色々確認したいことがあって……たっちゃんまだ寝てる?」
「まだ起きる気配はないです。どうしましたか?」
後ろ手で扉を閉め、廊下を並んで歩き出す。少し部屋から離れると、ミンユエは手を広げて血合符を空中に映し出した。空中に浮く手紙の様なそれを、ボルエスタは読み解いていく。
「王都でアカラ風邪が流行っていて、司奈菊草が必要……藥王がそれを生やせるが、主の命令が必要と……。要はたつを都入りさせるために、藥王が上手くやったって事ですね。確かに彼が王都に行って、命令すればウェリンクに恩を売れます」
「それが、本当は薬草を生やすのに直接の命令はいらないらしいの」
「え?それだと……。なるほど、彼を王都入りさせるために何か策を考えないといけないという事ですね」
ミンユエが手を翳し、新たな血合符が表示された。どうやら二枚目のようだ。ミンユエが指でなぞりながら読み上げる。
「『藥王が薬草を生やしたくないと駄々を捏ねているとか、何かしら理由をつけて、たつを都入りさせてくれ。出来ればド派手な登場が良い。駿に乗せてきてもらうとか、そんなんが良いかも』ってお兄ちゃんも無茶言うわ……」
「しかし、藥王が駄々を捏ねている、ぐらいしか策は思いつきませんね。強引ではありますが……」
ボルエスタが溜息を付き、ミンユエが血合符を消した。
そして今、考え込んでいるたつとらを2人は見ている。
「司奈菊草は、朱楽が生やせるはずだ」
思った通りの展開になりそうな言葉にミンユエは生唾を呑んだ。ウェリンク組も頑張っているのだ。こちらも上手くやらないと、あちらの苦労が無駄に終わる。
「それが……」
「でもウェリンクの人口分の薬草を生やすには、力が大量に必要だ。朱楽には荷が重い。俺が力を分けないと、ウェリンク全体に行き渡るほどの薬草は生やせない」
言葉を遮られたミンユエは、遮られた事よりも、展開が変わりそうな事にドキリとする。ボルエスタも同様のようで、ピタリと動きを止めている。
「よし分かった。今すぐ朱楽をここに呼んで、力を分けて帰らせる。それが一番手っ取り早い」
「ま……!待った!!!」
手を翳し召喚のスタイルを取ったたつとらを、ミンユエとボルエスタが両脇から抑え込む。止められた彼は目を白黒させながら、2人を交互に見た。
「ど、どうしたの2人とも?」
「あ、あ、あ、ああのね、たっちゃん」
しどろもどろになりながらボルエスタを見ると、彼もフル回転で思考を巡らせている様だった。たつとらの手を掴みながら、ミンユエは声を張り上げた。
「薬王はお腹が痛くて、しょ、召喚には耐えられないのかもしれないって、お、お兄ちゃんが……!」
「!!」
ボルエスタが目を見開いて、信じられないといった顔でミンユエを見ている。ミンユエは真っ赤になりながら俯いた。
(ばかばかばか!こんなの信じるわけないじゃない!……あぁ………終わった)
ミンユエががっくりと頭を垂れたのを見て、ボルエスタも諦めの息を付いた。
「え……?もしかして、朱楽も風邪をひいたってことか?」
予想の斜め遥か上の返答に、ミンユエは音が出るほど早く頭を正常な位置に戻した。たつとらは驚愕の顔でミンユエを見ており、ものすごく心配そうにしている。
「異形も、いつかウイルスに侵されるかもと思っていたけど……まさか、朱楽が……!」
ボルエスタは眼鏡を押し上げている。その頬が緩んでいるのを、ミンユエは見逃さなかった。
(こらぁ!可愛いなんて、思ってないでちゃんとしてよ!ボル太さん!!)
ミンユエの鋭い視線に気付いたのか、ボルエスタは咳ばらいをした後、口を開いた。
「アカラ風邪の症状の一つに腹痛がありますから、可能性はあるでしょうね」
その言葉にたつとらは目を見開き、瞳を揺らした。
「かわいそうに……初めての風邪はきっと辛いはずだ……」
もの凄く心配そうな彼の腕を、ミンユエは優しく擦る。
「きっと、たっちゃんに側にいてほしいはずよ。早く行ってあげて!なるべく早くが良いと思う!」
たつとらはミンユエを見て、頷いた。ミンユエはそれに微笑みで返すと、安堵の息を吐く。
(良かったぁ。これでたっちゃんを都入りさせられる……)
「銀扇に連れて行ってもらおう。あの子だったら、ウェリンクまで数十分だ」
「!!?」
またもや予想を越える発言に、ミンユエとボルエスタは目を見開く。
朱楽の危機に、たつとらは完全に我を失っている。普段は目立つことを避ける彼が、その真逆へと突っ走っているのだ。
ド派手な登場という宿題は、百点満点で達成できそうな予感がした。
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ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。
ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。
しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…?
娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。
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