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花香るラクレル

38. 異形の亜種、人間の亜種

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 嫌がるたつとらをベッドに押し込んだ後、ボルエスタは王宮の医務室へ鎮痛剤を取りに出た。医務室にいた女医が、ボルエスタの依頼した薬や包帯をもう準備してくれており、受け取りのサインをする。

「あれほどの傷と出血だと、数日は貧血と発熱も伴うでしょうね。お可愛そうに……」
 サインをしながら掛けられた言葉に、ボルエスタは唇を噛みしめた。

 たつとらは辛くても気丈に振る舞っていると思っていた。でも最近の彼を見ているとそうじゃない気がしてきている。
 あまりにも自身の身体に無頓着なのだ。彼が彼自身の体調の変化に本当に気付けていないのでは、と感じる事もある。

 部屋に戻ると、サイドデスクに薬や包帯を置いた。その音にベッドの上のたつとらが反応し、ブランケットがモゾモゾと動く。

「たつ?」
 ボルエスタがベッドを覗き込む。
 彼は自分の額の上に両手を置いており、その間から緑の瞳がこちらを見ている。首筋に汗が滲んで、手の間から窺える顔色は青白い。

「おかえり。ボルちゃん」
「たつ、痛みますか?」
 ボルエスタは額に置いている手を優しく掴むと、彼の顔の脇に置く。額にも汗が浮いているのを見て、指でそれを拭った。

「やはり少し熱があります。痛み止め追加しましょう」
「……ボルちゃん、眠くなる薬も欲しい」
 その言葉に、ボルエスタは目を丸くして彼を見た。これまで彼に薬を求められる事が無かったからだ。いつもはボルエスタが彼の状態を見て薬の投与をしていた。

「眠れなかったんですか?」
 その問いに首を振った後、たつとらは笑みを浮かべた。その笑みに、何か色んなものが混ざっているような気がして、ボルエスタは息を呑んだ。
 用意した薬を飲み干すと、再び横になった彼は穏やかな微笑みを浮かべながら口を開く。

「俺が眠ったらさ、点滴打ってほしいんだ。目いっぱい元気になれるやつが良い」
「たつ……」
「明日花神に会う前に、皆に話しておかなきゃいけないことがあるんだ。このままだと、ちゃんと伝えられるか不安で……ごめんね、手っ取り早く今打てば良いんだろうけど、流石に無理っぽいからさ」

 目の前で笑う彼を見ながら、ボルエスタは膝に置いていた手を握りしめた。
「何に……区切りをつけるつもりですか…?」
その問いに、彼は緑の瞳を揺らめかせた。そして悔しそうに眉を寄せ、口は弧を描く。

(これまで、本当に長かった……)
 走って走って、傷だらけのボロボロになっても、自分の身など顧みなかった。
 息も絶え絶えになった時に見つけた、自分が敷いた道が輝いている光景。嬉しい反面、それまで走っていたのを緩めて、自分自身を久方ぶりに見た。

 これでは、ピリオドが打てない。

 
 問いには答えないまま、彼は瞳を閉じた。緩やかにやってくる眠気に、静かに身を任せる。
「つか……れた……」
 眠りにつく前に彼が呟いた言葉が、ボルエスタの身体に重く伸し掛かった。
その一言には、彼の言えなかった本音が全てが含まれているように思えて、酷く胸が痛んだ。

 こうやって医療行為を受け入れてくれれば、ボルエスタとしても彼の体調面をサポート出来るのは良かった。だが今まで必要ないと押し通していた筈なのに、今ここで彼に何があったのかは気にかかる。
 ボルエスタは立ち上がると、重い気持ちのまま点滴の準備にかかった。



_____________

 先ほどまでの辛さは何だったのかと、たつとらは伸びをした。
「ボルちゃん、凄いな!最近の点滴は!」
 ナナシ時代の点滴といえば、足りない水分や栄養を補給するようなものだったと思う。注射の類が嫌いな彼にとって、それは無くていいものだった。
「たつ、それでも無理は禁物です。薬で一時的に元気なだけなんですからね」
「それでもやっぱり凄いよ」
 そう言いながら残しておいた夕食をパクパクと食べている彼は、確かに顔色が良い。

 もう少しで仲間たちがこの部屋へ集まってくるはずだ。入浴を済ませてから集合というざっくりとした時間設定だったが、皆さすが軍人である。入浴する前に一言掛けていくという細かな心配りに、全員の集合時間の予測が出来た。

「ジャックはトーヤに帰った?」
「ええ、店の事が気になるからといって早急に帰ったようですよ」
「そっか」
 デザートの林檎をフォークで刺しながら、たつとらは何か考えている様だった。
恐らくトーヤの家族の事だろうと思い、ボルエスタは声を掛ける。

「私たちもお別れしていませんから、いつかトーヤには挨拶に行かないといけませんね」
「……そういえば、ボルちゃんもお風呂掃除とかしたのか?」
「もちろん。おかしいですか?」
「いや、似合わないなと思って」
 ニコニコと笑うたつとらに、ボルエスタは眼鏡を吊り上げて首を傾げる。その仕草が可笑しくて、彼は声を立てて笑った。


 ラクレルの夜は少し冷え込んだ。暖炉を囲むように全員が座ると、ルメリアとタールマが持ってきたスナック菓子を広げる。ビールを大量に持ち込んだチャンは、全員分を配り終えたのを確認すると我先にと缶を開けた。

 薬王はたつとらの膝の上に丸まって、一向に動こうとしない。この方が暖かいのだと、たつとらもそのままにさせている。

「で、花神ってなに?」
チャンが口火を切ると、皆の視線がたつとらに集まった。
「ラクレルを守る魔神だよ。他の異形とは違って人間の文化に興味を持って、人間と交流しながら暮らしている。ここまで王家と懇意にしているとは思わなかったよ」

「それもたっちゃんが魔神にしたの?」
 たつとらは頷くと、薬王の背を撫でた。視線はしっかり皆の方を向いている。
「花神に会うのは、鹿子からラクレルを守ってもらう為だ。あの子のターゲットは人間だから、いつウェリンクのようにここも襲われるかわからない。花神はシライシのように強くは無いけど、俺が到着するまで食い止められるかも」

「何でたつは魔神を作ろうと思ったんだ?」
 タールマがビールの缶を両手で持ったまま、真剣な顔を向ける。風呂上がりでスウェット姿の彼女だが、表情は硬く軍服を着ている時と変わらない。

 たつとらは薬王を撫でている手をピタリと止める。それに反応したのか、狐が頭を擡げた。
「兄ぃ、俺の事は気にせんときぃや」
 その言葉にたつとらは眉を寄せて、少しだけ微笑んだ。
 薬王はたつとらの心情を理解して言葉を掛けることが多い。絆が深いからこそ出来る会話に、お互いの愛情が垣間見える。
 少し言葉を交わすだけで、お互いに分かり合っている。薬王は額をたつとらの手に擦り付け、また丸まった。

「核から出た時、この世界はシライシみたいな異形がゴロゴロいる地獄みたいな世界だった」
 緑の瞳は狐を見たまま、俯いている。ぽつりぽつりと思い出す様に、彼は言葉を紡ぐ。

「必死で異形を屠ったけど、終わりは見えなかった。世界に散った異形を、どうにか減らしたかった。そこで魔神を作ったんだ。人間に危害を与えない事を約束して、俺の力を分ける。そして魔神に魔徒を作らせたんだ。それで異形を減らすことにした」
「……」
 ルメリアがビールを呷る。目を瞑ったまま言いたいことを我慢しているように呷ると、また缶を開ける。それを目の端に捉えながら、ミンユエが口を開く。

「どうして、人間を助けようとしたの?たっちゃんは……核から生まれたんでしょう?」
「うん。……俺は核の中にいる記憶があって、異形が人間を殺す事に不思議と心を痛めていた。人間を殺すという本能もなかった。俺も一種の亜種みたいな物かもしれないな。そのせいか、異形に蹂躙される人間に肩入れしてしまったんだ」

 人類は数百年前、異形という未知の生物の襲来により滅亡の一途を辿る。
異形の核と呼ばれたものは、常に異形を産み出していた。その中に彼もいたのだ。

「同族殺しも良いところだよ。俺は核から出てからは怒りに任せて異形を屠り、長い年月が経って気付いた。シライシのように意志を持つ者もいるという事実に」
たつとらは言い、藥王を撫でた。
人間に肩入れした異形の亜種。自身の立ち位置に、何度立ち止まろうとしたか分からない。

 ルメリアはビールを呷った。
 摂取したアルコールによって、頭は靄が掛かった様に拙い。でもただ、胸には一つの炎が灯っていた。口を開くと、止めどなく言葉が溢れだしてくる。
「魔神と魔徒の出現により、異形の数は激減した。特に強い異形が魔神や魔徒になったお陰で、人間は元の生活を少しずつ取り戻した。これは人間界では革命的な事で、今までは自然的に起こったことだと思われていた。でも……違ったんだね……」

「ルー?」
「……これが、どういう事かわかる?たっちゃん。君が動かなければ、人類は滅びていたかもしれない。ここにいる人間、皆が……存在しなかったかもしれないんだよ?」
「そんな、大げさな……」
そう言いながら笑ってると、ルメリアはその大きな瞳から大粒の涙を零す。たつとらが狼狽えていると、ルメリアは泣きじゃくりながら口を開いた。

「うそつき!人類の敵みたいな言い方しといて、まるっきり逆やないか……。返せへんやん、そんな大きな恩!人間はかえせへん!」
 狼狽えてたつとらはタールマを見る。味方になってくれると思ったタールマは、真剣な瞳を向けたまま、更に彼を追い詰めた。

 たつとらは大きく息を吐き、薬王を見つめた。その耳の下を掻くと、耳先がピルピルと震える。
「そんなに褒められたことじゃない。人間に置き換えて考えてみて。
意思があるものは生かされるけど、意思がなくて本能のままの下位は俺に殺される運命なんだ。その何処に正義はある?」

 人間を排除するという本能だけを身に纏う下位の異形たち。
その生には意味が無いのだろうかと、たつとらは常に思っていた。
何度も呼びかけた時期があった。だが彼らから返事は得られず、人間を貪り続けたのだ。
 その彼らを、たつとらは狩り続けた。人間の驚異となる彼らの中でも、非力で、尚且つ意思のない彼らを狩った。
(これは、正義なのか)
 何度も自身に問いかけた。でも返事はどこからも得られない。

 膝の上の薬王は目を瞑ったまま、たつとらの手に頭を擦りつけた。
「同族への情なんて、異形にはあらへんねん。下位の異形なんて俺でも殺せるわ。でも兄ぃはそれを許してくれへん」
「分かってる。でも朱楽や他の子達に、それはさせられない」
「……兄ぃが傷つくより何倍もマシや」
 短い溜息をついて、たつとらは俯く。この話題は2人の間でも何度も交し合っていたのかもしれない。

「たつ、お前は魔神を呼び出せるんだろ?わざわざ行かなくても、呼び出しゃ良いんじゃないか?」
 チャンが5本目の缶を開けて、口を開いた。こんなに飲んでいるのに顔色一つ変わらない。

 話題が変わった事に僅かにホッとした顔をしているたつとらは、人差し指で頭を掻いた。
「それが出来ないんだよ。多分、昔と違うからだと思う。見た目も力の流れも違うから、かな」
「それは、タイラ時代と今ってこと?」
「うん。タイラ時代に魔神にした子はタイラじゃないと呼びかけに応じない。この姿になってからも何人か挨拶に行ったんだ。契約更新みたいな感じかな」

「……じゃあこれからたっちゃんは、各地に赴いて契約更新をして、異帝から人間を守るように指示して回るってこと?」
 ミンユエの問いに、たつとらが頷く。

 タールマが缶を床に叩きつけた。顔はアルコールのせいか僅かに赤くなっており、その切れ長の目がたつとらを捉える。

「たつ!何故そこまでする?身体だってそんなに悲鳴をあげているのに、そこまでする義理があるか?大体、人間を甘やかせすぎじゃないか!?」
「そうや!たっちゃんは尽くしすぎや!」
「ちょっ……2人とも何で異形側に立っちゃってるの?ていうか飲みすぎじゃないか?」
 タールマとルメリアの目が据わっている。見れば何本も空き缶が転がっていた。チャンが面白そうにニヤニヤしている。

「でも……確かに異形たちには、いつも俺の我儘を押し付けているんだよ。人間を守るように指示するのも、俺の我儘でしかない」
その言葉に薬王が反応し、尻尾をピンとたてた。

「そんなん気にせん言うてるやろ!兄ぃは色々考えすぎやねん!」
「そうや!背負いすぎや!降ろせ!そんなもん!」
 薬王とルメリアが一頻り騒ぐ中、ミンユエが赤い顔でニコニコしながらお菓子を頬張っている。どうやらミンユエは笑い上戸のようで、何を見ても可笑しいらしい。

「とにかく、明日は花神に会って協力を仰いだ後、俺は各地を巡る!鹿子の行方も探る!ちょっと聞いてる?……ああ、もう駄目だ」
 薬王が人型になって、ルメリアとビールを呷っている。もう話どころではない。たつとらは呆れ顔から笑顔になり、そのうち耐えきれなくなって声をたてて笑った。

「ボルエスタも飲め!」
 段々ハイになってきたらしいチャンが、ボルエスタにビールを押し付けている。そういえば先ほどから飲んでいないのは、ボルエスタとたつとらだけだ。
「僕が飲んだら誰が収拾つけるんですか!ここは王宮ですよ!」
「いいなぁ~俺も飲みたい」
 ボルエスタを見ながら、たつとらが残念そうに呟く。その言葉にボルエスタは唖然とし、顔を顰めている。
「たつは駄目ですよ!あんな怪我を負っておいて……絶対に駄目です!」
「だよねぇ~……」

 人間と異形の入り混じった酒盛りは予想外の盛り上がりを見せた。その光景はたつとらにとって胸が熱くなるほど嬉しく、幸せな時間だった。


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