40 / 90
トーヤの風呂屋編
33. 術中に嵌る
しおりを挟む
用意された車には女性と男性が乗っていた。
たつとらが乗り込むと、男も乗り込む。運転手はもう運転席で待機しているようだ。
女性は気を失っているようだった。右の足首に包帯を巻いており、血が滲んでいる。
「その人も、奴隷にされるのか?」
荷台のドアを閉めながら、男は「ああ」と返事をした。
「逃げられないように足首をちょっと切った。あんたと比べりゃ軽いもんだ。ジェイ、ちょっと診てやってくれ」
先に乗っていたもう一人の男、ジェイに男が声をかける。
この男の仲間らしいジェイは鋭い視線を男へ向けた。短髪で切れ長の目をしており、先ほどの男よりも威圧感がある。
ジェイは気怠そうに近寄ると、たつとらの手首を巻く上着を解いていく。上着は既に血で重くなっており、解いている途中で溜まっていた血が滴り落ちた。
「ケイ、やりすぎだ。これじゃ神経までいってるぞ」
「わり……加減が分かんなくなって」
ジェイはたつとらの傷を確認した後、大きめの布を出してまたグルグルと巻き始めた。
「しばらく我慢しろ。危なくなったら処置する」
「分かった」
車が動き出したのを感じ、たつとらは壁に凭れかかった。
ふと目の前に経口補水液の入ったペットボトルを差し出され、たつとらは眉を寄せる。ジェイは渋い顔をされたことに渋い顔をして、キャップを外してあるそれを無理矢理彼の口に押し込んだ。
「何だ、嫌いか?脱水すると厄介だから飲め」
ストローさしてくれたら飲みやすいのに、と思いながらも彼は苦手なその液体を喉に押し込む。車が揺れているせいか口の端から液が漏れ、たつとらは更に眉間に皺を寄せた。
「冷たい」
口からペットボトルが離れ、たつとらが不満を口にする。なぜかジェイはニヤリと笑っている。
「あんた冷静だな。拉致られてること分かってんのか?」
口の端を吊り上げたジェイは、そのペットボトルに口を付け飲み干した。たつとらはやたらとニヤニヤするジェイの視線を避けると、ケイと呼ばれる男の方に目線を向ける。
「……あとどれくらいで着く?」
「ああ、異形に襲われなきゃ、1時間で着くんだがな。マイトは異形が多くてかなわん」
ケイが意識を失っている女性をニヤニヤ見ながら答えてくる。その視線に嫌気が差す彼は、会話で意識を逸らせようと話を続けた。
「もう、あまり強い異形は出ないと思うぞ。多分」
「なんでだよ。亜種もいるんだぞ」
「……一番強い亜種は、討伐隊が駆逐したんじゃないか?」
「へぇ!ラクレルの兵も役に立つもんだなぁ!」
心臓の鼓動と同じリズムで両手首がジンジン痛む。しかしチカとトキの安否の方が頭を支配していた。
(そういえば、駿はどうしてるかな)
思えば魔神にしてから会っていない。魔徒の作り方とかは分かっているはずだから、徐々に森は良くなっていくだろう。
ケイの意識が彼女から逸れ、欠伸をしている。たつとらは息を付くと、目を瞑った。
身体が怠い、流れ出る血が確実に体力を奪っているのが分かる。
(人間の身体は、脆い)
しかし自身の身体は失血しても死なない事を、たつとらは十分理解していた。死ぬほどの失血でも死ぬことは無いが、身体は動かなくなるし常人と同じような治療が必要になる。放っておいても時間はかかるが治るのも経験済みだ。
(便利なのか、そうじゃないのか…)
たつとらは深いため息をついて、車の揺れに合わせて車体に頭を打ちつけた。
__________
身体を凭れかけていたたつとらがズルズルと横になったのを見て、ジェイは彼の様子を窺う。
青い顔に汗が浮かんでいる。呼吸は浅く早い。首筋に手を当て、脈が速く弱いことを確認する。触られたことに彼は目を薄く開けるが、声を発することは無かった。
「あんた、命乞いとかしろよ。死にかけてんじゃねぇか」
ケイが慌てて飛び起きた。死なせたらまずい、と口走りながら狼狽えている。
そもそもこんな傷を与えたのが悪いのだ。ジェイはケイを睨み付けると「俺の鞄を取れ」と殺気を孕んだ声で言った。
血で重くなった布を解いて傷を確認すると、血は染み出しているが流れ出てはいない。包帯で圧迫するように巻くと、さすがに痛いのか彼が細く息を吐くのが分かった。
「今更だけど抗生物質打つぞ」
ジェイがそう言いながら左の袖を捲ると、たつとらはそれを驚愕の目で見る。
その反応にジェイは目を丸くすると。手に持っている注射器を爪で弾いた。
「まさか、こんな傷負っておいて、注射が苦手……とか言わないよな?」
たつとらは注射器の針を怯えた目で見た後、目を瞑り顔を背ける。青白い顔ながら、首筋には恐怖のせいか赤みがさしていた。
怯えるその姿はジェイの支配欲を掻き立てる。加えてその白い首筋は、男のそれとは思えないほどの色香を含んでいるように感じた。
ジェイは舌なめずりをして、彼の耳朶を揉み潰す。恐怖に支配されたたつとらはその行為に気付く事もないが、赤く充血した耳朶が更にジェイを煽った。
注射器の液を少し抜き、サディスティックな表情を浮かべてジェイは恍惚な表情を浮かべる。
ケイはそれを見て身震いしながらも、ジェイが楽しそうで(自分に累が及ばないようで)何よりと思った。
__________
「薬王様、お茶をどうぞ」
出されたお茶を横目で見ながら、人間はつくづくお気楽なもんだと彼は思う。
「いらん」
雑に返した言葉にルメリアが威嚇してくるのを見ると、薬王は心底イライラした。
たつとらの危機は過去にも数多くあった。でも彼は死なないのを知っているし、滅茶苦茶強いのも知っている。
そんな彼が危機に陥るのは、決まって人間のせいだった。
(兄ぃが本気出したら、人類なんて一瞬やのに)
こんなことを自分が考えているのを知ったら、彼は酷く悲しむに違いない。
今すぐ目の前にいる人間たちを殺して、トーヤを滅ぼし、ラクレルも滅ぼし、彼の悩みの種を一掃してしまえばとさえ思う自分を、彼はどう思うだろう。
彼はそんな自分を突き放さず、諭し、導こうとするだろう。ひどく胸を痛めている顔を隠しながら「朱楽、人間は敵じゃないよ」と優しい声で言うだろう。
力でねじ伏せるのは簡単なのに、異形相手に人間を理解してもらおうと彼は必死になる。そのくせ自分の想いを押し付けている事に、彼は胸を痛めるのだ。
「俺は茶なんて飲まへんねん。無駄や」
「あんた言い方考えなさいよ」
ルメリアが言い、薬王が鼻をふんと鳴らす。穏やかでない雰囲気が漂うリビングに耐えかねたのか、ユトが話題を変えた。
「たつがお願いしてくれたんですね、あの竜湯草。ありがとうございました。あれのお陰で喘息が良くなりました」
(竜湯草、あああれか)
一晩で生やせと言われた薬草を、必死で生やした記憶は新しい。時期じゃない薬草を生やすのは骨が折れた。
黙り込んでいる薬王のお茶を引き取りながら、ユトは続けた。
「本当にこの地を守ってくださり感謝しています。薬王様とヴィティ様のご加護がこの地を支えています」
(ヴィティ……)
驚いたように視線を合わせてきた薬王に、ユトは失言したかとオロオロしている。薬王はすぐに視線を逸らすと、小さな声で呟いた。
「あの女の名前、兄ぃの前では控えてな」
捨て台詞のように言うと寝室に消えていく薬王に、ユトは更に狼狽える。
「大丈夫、大丈夫。ユトさん気にしないで!あの狐は気まぐれなのよ」
ルメリアが言い、薬王の飲まなかったお茶を代わりに飲むと申し出た。必死で取り繕うルメリアをよそに、タールマは薬王の反応が気になっていた。
(ヴィティって、ディード一行にいた聖女ヴィティ…?)
拒否反応とも言っていいほどの対応だったと思い返す。
外は暗くなり始めていた。チャンとボルエスタからの報告はないままだ。焦燥感に駆られながらも、今日は一晩不安に過ごすしかなさそうだった。
__________
16歳になったら奴隷として売られる。
リリアは小さな頃からそれを聞いていたので、覚悟はしていたはずだった。でも実際その日が来てしまうと、恐怖心から逃げてしまったのだ。その結果捕まった挙句足首を切られ、意識を失った事までは覚えている。
目が覚めると牢屋におり、隣にはリリアにとっては見知らぬ男であるたつとらが横たわっていた。
(なんて綺麗な人だろう)
顔を覗き込んで思わず赤面してしまった自身が恥ずかしくて、リリアは途端に反対側に後ずさりしてしまう。急な動きに足首が痛み声を上げてしまった事で、たつとらがモゾモゾと動いた。
身体をリリアに向けた彼が、目を開ける。暗い牢屋の中でも分かる綺麗な緑の瞳だった。
「あ……気が付いたんだね……」
それはこちらの台詞では?とリリアは思いながらも、一応警戒する。
たつとらは襲い来る痛みを、息を吐くことで逃しながら彼女を見た。足の包帯の血の染みが大きくなっているのが見える。
「痛そうだね、それ。大丈夫?」
明らかに自分より大丈夫そうじゃない彼に心配され、警戒心がごっそりと削ぎ落とされたリリアは素直に頷いた。
「大丈夫、歩けないけど……」
その言葉に酷く胸を痛めたような表情を彼は浮かべ「ちょっと触っても良い?」と手を伸ばしてきた。
手錠をしている両手首に包帯が巻かれていて、痛々しく血が滲んでいる。手錠をされていてこんな傷を負っているのなら、何も悪いことはして来ない筈だと彼女は判断した。
返事がないことを了承としたのか、彼女の足首にたつとらは触れる。青に近い紫色の光が足首を覆い、痛みが引いたのを感じた彼女は目を丸くした。
「包帯は、そのままにしといて。彼らにばれるといけないからね」
「うそ?治癒魔法ですか?あなた一体何者?」
「名前はたつとらだよ。君の名を聞いても良い?」
「……リリアといいます」
「リリア……ユリの花だね。良い名前だ」
リリアは金髪で碧眼の少女だった。彼女が歩いていれば、すれ違った者は必ず振り返るような美貌だ。
(こんな子供を奴隷にするなんて)
たつとらは眉を顰め、同時に牢屋に入れられるまでの一連の流れを思い出し唸った。
(結局2回も注射された…)
『おい、点滴も苦手か…?お前今までよく生きて来れたな』
などと意味不明の事を言われ、半ば強制的に針を挿し込まれた。薬液には眠剤も入っていたのかもしれない。直に眠気が襲ってきて、目が覚めたのが今である。
ボルエスタは彼が意識のある間は注射を避けてくれていた。たつとらが彼の優しさを痛感した出来事でもあるが、そもそも拒否できる立場では無いのも事実だ。
今だ痛みの引かない手首と朦朧とする意識は、彼らが最低限の薬剤を使って死なない程度の治療をしていることが窺える。おまけに発熱と悪寒がここぞとばかりに彼を苦しめた。
ここに着いたときにケイがチカとトキ2人の無事を約束してくれたのだが、考えてみればそれを確認する術はない。
もう無理矢理脱出するしか無いのかもしれないが、身体が持つかどうかたつとらにも図りかねた。しかもリリアという保護すべき子までいるのだ。
加えて、手の平が麻痺した様に痺れている。完全に神経がやられているようだった。
見事に彼らの術中に嵌ったといえるだろう。
(皆、怒っているだろうな…)
時刻はもう夜だろうか。こうなれば一晩寝て、明日少しでも体調が良くなるのを願うしかなかった。
__________
陣風組の本部を探し始めて数時間、チャンたちは途方に暮れていた。
聞いたところ陣風組はラクレルに広く根を広げており、国王もその存在を知っている様だった。つまりは表向きは良い組織として活躍しているという事だ。そのため活動拠点は多岐にわたり、どこにたつとらが捕らえられているのか見当もつかなかった。
もう日が暮れ始めたので、酒場で情報収集することにした彼らは、一番賑わっている酒場へと入った。
「明日はルーとタールマも呼んで、手分けして探さねぇと…」
「人身売買の線が濃厚ですから、噂が無いかもっと探りましょう」
ラクレルの街はまだ皇女サーシャの祝いムードが続いているようだった。彼女は就任から目ざましい活躍をしているらしく、亜種の討伐成功も皇女の手柄となっているようだった。
「ちゃっかりしてる。たっちゃんがあんなに頑張ってたのに」
ミンユエは納得できないといった様子で、ビールに口を付ける。顔に似合わず酒豪な彼女は、チャンと同じくらいの量を飲み干しているようだ。
チャンが席を立ち、カウンターに向かった。カウンターで飲んでいる男たちに一瞬で溶け込むと、間もなく席へ戻ってきた。
「一般向けの奴隷市場なら分かった。望み薄だが、明日行ってみよう」
奴隷市場という最悪な名前だが、ラクレルではそこまで禁忌ではないらしく奴隷も働き手として受け入れられている。奴隷にも最低限の人権があり、迫害したら刑罰まであるようだ。
しかし一般人を奴隷に引き入れるのはどう考えても犯罪である。
明日の奴隷市場で、『闇の奴隷市場』の情報をどれだけ仕入れられるのかが勝負所のようだ。
たつとらが乗り込むと、男も乗り込む。運転手はもう運転席で待機しているようだ。
女性は気を失っているようだった。右の足首に包帯を巻いており、血が滲んでいる。
「その人も、奴隷にされるのか?」
荷台のドアを閉めながら、男は「ああ」と返事をした。
「逃げられないように足首をちょっと切った。あんたと比べりゃ軽いもんだ。ジェイ、ちょっと診てやってくれ」
先に乗っていたもう一人の男、ジェイに男が声をかける。
この男の仲間らしいジェイは鋭い視線を男へ向けた。短髪で切れ長の目をしており、先ほどの男よりも威圧感がある。
ジェイは気怠そうに近寄ると、たつとらの手首を巻く上着を解いていく。上着は既に血で重くなっており、解いている途中で溜まっていた血が滴り落ちた。
「ケイ、やりすぎだ。これじゃ神経までいってるぞ」
「わり……加減が分かんなくなって」
ジェイはたつとらの傷を確認した後、大きめの布を出してまたグルグルと巻き始めた。
「しばらく我慢しろ。危なくなったら処置する」
「分かった」
車が動き出したのを感じ、たつとらは壁に凭れかかった。
ふと目の前に経口補水液の入ったペットボトルを差し出され、たつとらは眉を寄せる。ジェイは渋い顔をされたことに渋い顔をして、キャップを外してあるそれを無理矢理彼の口に押し込んだ。
「何だ、嫌いか?脱水すると厄介だから飲め」
ストローさしてくれたら飲みやすいのに、と思いながらも彼は苦手なその液体を喉に押し込む。車が揺れているせいか口の端から液が漏れ、たつとらは更に眉間に皺を寄せた。
「冷たい」
口からペットボトルが離れ、たつとらが不満を口にする。なぜかジェイはニヤリと笑っている。
「あんた冷静だな。拉致られてること分かってんのか?」
口の端を吊り上げたジェイは、そのペットボトルに口を付け飲み干した。たつとらはやたらとニヤニヤするジェイの視線を避けると、ケイと呼ばれる男の方に目線を向ける。
「……あとどれくらいで着く?」
「ああ、異形に襲われなきゃ、1時間で着くんだがな。マイトは異形が多くてかなわん」
ケイが意識を失っている女性をニヤニヤ見ながら答えてくる。その視線に嫌気が差す彼は、会話で意識を逸らせようと話を続けた。
「もう、あまり強い異形は出ないと思うぞ。多分」
「なんでだよ。亜種もいるんだぞ」
「……一番強い亜種は、討伐隊が駆逐したんじゃないか?」
「へぇ!ラクレルの兵も役に立つもんだなぁ!」
心臓の鼓動と同じリズムで両手首がジンジン痛む。しかしチカとトキの安否の方が頭を支配していた。
(そういえば、駿はどうしてるかな)
思えば魔神にしてから会っていない。魔徒の作り方とかは分かっているはずだから、徐々に森は良くなっていくだろう。
ケイの意識が彼女から逸れ、欠伸をしている。たつとらは息を付くと、目を瞑った。
身体が怠い、流れ出る血が確実に体力を奪っているのが分かる。
(人間の身体は、脆い)
しかし自身の身体は失血しても死なない事を、たつとらは十分理解していた。死ぬほどの失血でも死ぬことは無いが、身体は動かなくなるし常人と同じような治療が必要になる。放っておいても時間はかかるが治るのも経験済みだ。
(便利なのか、そうじゃないのか…)
たつとらは深いため息をついて、車の揺れに合わせて車体に頭を打ちつけた。
__________
身体を凭れかけていたたつとらがズルズルと横になったのを見て、ジェイは彼の様子を窺う。
青い顔に汗が浮かんでいる。呼吸は浅く早い。首筋に手を当て、脈が速く弱いことを確認する。触られたことに彼は目を薄く開けるが、声を発することは無かった。
「あんた、命乞いとかしろよ。死にかけてんじゃねぇか」
ケイが慌てて飛び起きた。死なせたらまずい、と口走りながら狼狽えている。
そもそもこんな傷を与えたのが悪いのだ。ジェイはケイを睨み付けると「俺の鞄を取れ」と殺気を孕んだ声で言った。
血で重くなった布を解いて傷を確認すると、血は染み出しているが流れ出てはいない。包帯で圧迫するように巻くと、さすがに痛いのか彼が細く息を吐くのが分かった。
「今更だけど抗生物質打つぞ」
ジェイがそう言いながら左の袖を捲ると、たつとらはそれを驚愕の目で見る。
その反応にジェイは目を丸くすると。手に持っている注射器を爪で弾いた。
「まさか、こんな傷負っておいて、注射が苦手……とか言わないよな?」
たつとらは注射器の針を怯えた目で見た後、目を瞑り顔を背ける。青白い顔ながら、首筋には恐怖のせいか赤みがさしていた。
怯えるその姿はジェイの支配欲を掻き立てる。加えてその白い首筋は、男のそれとは思えないほどの色香を含んでいるように感じた。
ジェイは舌なめずりをして、彼の耳朶を揉み潰す。恐怖に支配されたたつとらはその行為に気付く事もないが、赤く充血した耳朶が更にジェイを煽った。
注射器の液を少し抜き、サディスティックな表情を浮かべてジェイは恍惚な表情を浮かべる。
ケイはそれを見て身震いしながらも、ジェイが楽しそうで(自分に累が及ばないようで)何よりと思った。
__________
「薬王様、お茶をどうぞ」
出されたお茶を横目で見ながら、人間はつくづくお気楽なもんだと彼は思う。
「いらん」
雑に返した言葉にルメリアが威嚇してくるのを見ると、薬王は心底イライラした。
たつとらの危機は過去にも数多くあった。でも彼は死なないのを知っているし、滅茶苦茶強いのも知っている。
そんな彼が危機に陥るのは、決まって人間のせいだった。
(兄ぃが本気出したら、人類なんて一瞬やのに)
こんなことを自分が考えているのを知ったら、彼は酷く悲しむに違いない。
今すぐ目の前にいる人間たちを殺して、トーヤを滅ぼし、ラクレルも滅ぼし、彼の悩みの種を一掃してしまえばとさえ思う自分を、彼はどう思うだろう。
彼はそんな自分を突き放さず、諭し、導こうとするだろう。ひどく胸を痛めている顔を隠しながら「朱楽、人間は敵じゃないよ」と優しい声で言うだろう。
力でねじ伏せるのは簡単なのに、異形相手に人間を理解してもらおうと彼は必死になる。そのくせ自分の想いを押し付けている事に、彼は胸を痛めるのだ。
「俺は茶なんて飲まへんねん。無駄や」
「あんた言い方考えなさいよ」
ルメリアが言い、薬王が鼻をふんと鳴らす。穏やかでない雰囲気が漂うリビングに耐えかねたのか、ユトが話題を変えた。
「たつがお願いしてくれたんですね、あの竜湯草。ありがとうございました。あれのお陰で喘息が良くなりました」
(竜湯草、あああれか)
一晩で生やせと言われた薬草を、必死で生やした記憶は新しい。時期じゃない薬草を生やすのは骨が折れた。
黙り込んでいる薬王のお茶を引き取りながら、ユトは続けた。
「本当にこの地を守ってくださり感謝しています。薬王様とヴィティ様のご加護がこの地を支えています」
(ヴィティ……)
驚いたように視線を合わせてきた薬王に、ユトは失言したかとオロオロしている。薬王はすぐに視線を逸らすと、小さな声で呟いた。
「あの女の名前、兄ぃの前では控えてな」
捨て台詞のように言うと寝室に消えていく薬王に、ユトは更に狼狽える。
「大丈夫、大丈夫。ユトさん気にしないで!あの狐は気まぐれなのよ」
ルメリアが言い、薬王の飲まなかったお茶を代わりに飲むと申し出た。必死で取り繕うルメリアをよそに、タールマは薬王の反応が気になっていた。
(ヴィティって、ディード一行にいた聖女ヴィティ…?)
拒否反応とも言っていいほどの対応だったと思い返す。
外は暗くなり始めていた。チャンとボルエスタからの報告はないままだ。焦燥感に駆られながらも、今日は一晩不安に過ごすしかなさそうだった。
__________
16歳になったら奴隷として売られる。
リリアは小さな頃からそれを聞いていたので、覚悟はしていたはずだった。でも実際その日が来てしまうと、恐怖心から逃げてしまったのだ。その結果捕まった挙句足首を切られ、意識を失った事までは覚えている。
目が覚めると牢屋におり、隣にはリリアにとっては見知らぬ男であるたつとらが横たわっていた。
(なんて綺麗な人だろう)
顔を覗き込んで思わず赤面してしまった自身が恥ずかしくて、リリアは途端に反対側に後ずさりしてしまう。急な動きに足首が痛み声を上げてしまった事で、たつとらがモゾモゾと動いた。
身体をリリアに向けた彼が、目を開ける。暗い牢屋の中でも分かる綺麗な緑の瞳だった。
「あ……気が付いたんだね……」
それはこちらの台詞では?とリリアは思いながらも、一応警戒する。
たつとらは襲い来る痛みを、息を吐くことで逃しながら彼女を見た。足の包帯の血の染みが大きくなっているのが見える。
「痛そうだね、それ。大丈夫?」
明らかに自分より大丈夫そうじゃない彼に心配され、警戒心がごっそりと削ぎ落とされたリリアは素直に頷いた。
「大丈夫、歩けないけど……」
その言葉に酷く胸を痛めたような表情を彼は浮かべ「ちょっと触っても良い?」と手を伸ばしてきた。
手錠をしている両手首に包帯が巻かれていて、痛々しく血が滲んでいる。手錠をされていてこんな傷を負っているのなら、何も悪いことはして来ない筈だと彼女は判断した。
返事がないことを了承としたのか、彼女の足首にたつとらは触れる。青に近い紫色の光が足首を覆い、痛みが引いたのを感じた彼女は目を丸くした。
「包帯は、そのままにしといて。彼らにばれるといけないからね」
「うそ?治癒魔法ですか?あなた一体何者?」
「名前はたつとらだよ。君の名を聞いても良い?」
「……リリアといいます」
「リリア……ユリの花だね。良い名前だ」
リリアは金髪で碧眼の少女だった。彼女が歩いていれば、すれ違った者は必ず振り返るような美貌だ。
(こんな子供を奴隷にするなんて)
たつとらは眉を顰め、同時に牢屋に入れられるまでの一連の流れを思い出し唸った。
(結局2回も注射された…)
『おい、点滴も苦手か…?お前今までよく生きて来れたな』
などと意味不明の事を言われ、半ば強制的に針を挿し込まれた。薬液には眠剤も入っていたのかもしれない。直に眠気が襲ってきて、目が覚めたのが今である。
ボルエスタは彼が意識のある間は注射を避けてくれていた。たつとらが彼の優しさを痛感した出来事でもあるが、そもそも拒否できる立場では無いのも事実だ。
今だ痛みの引かない手首と朦朧とする意識は、彼らが最低限の薬剤を使って死なない程度の治療をしていることが窺える。おまけに発熱と悪寒がここぞとばかりに彼を苦しめた。
ここに着いたときにケイがチカとトキ2人の無事を約束してくれたのだが、考えてみればそれを確認する術はない。
もう無理矢理脱出するしか無いのかもしれないが、身体が持つかどうかたつとらにも図りかねた。しかもリリアという保護すべき子までいるのだ。
加えて、手の平が麻痺した様に痺れている。完全に神経がやられているようだった。
見事に彼らの術中に嵌ったといえるだろう。
(皆、怒っているだろうな…)
時刻はもう夜だろうか。こうなれば一晩寝て、明日少しでも体調が良くなるのを願うしかなかった。
__________
陣風組の本部を探し始めて数時間、チャンたちは途方に暮れていた。
聞いたところ陣風組はラクレルに広く根を広げており、国王もその存在を知っている様だった。つまりは表向きは良い組織として活躍しているという事だ。そのため活動拠点は多岐にわたり、どこにたつとらが捕らえられているのか見当もつかなかった。
もう日が暮れ始めたので、酒場で情報収集することにした彼らは、一番賑わっている酒場へと入った。
「明日はルーとタールマも呼んで、手分けして探さねぇと…」
「人身売買の線が濃厚ですから、噂が無いかもっと探りましょう」
ラクレルの街はまだ皇女サーシャの祝いムードが続いているようだった。彼女は就任から目ざましい活躍をしているらしく、亜種の討伐成功も皇女の手柄となっているようだった。
「ちゃっかりしてる。たっちゃんがあんなに頑張ってたのに」
ミンユエは納得できないといった様子で、ビールに口を付ける。顔に似合わず酒豪な彼女は、チャンと同じくらいの量を飲み干しているようだ。
チャンが席を立ち、カウンターに向かった。カウンターで飲んでいる男たちに一瞬で溶け込むと、間もなく席へ戻ってきた。
「一般向けの奴隷市場なら分かった。望み薄だが、明日行ってみよう」
奴隷市場という最悪な名前だが、ラクレルではそこまで禁忌ではないらしく奴隷も働き手として受け入れられている。奴隷にも最低限の人権があり、迫害したら刑罰まであるようだ。
しかし一般人を奴隷に引き入れるのはどう考えても犯罪である。
明日の奴隷市場で、『闇の奴隷市場』の情報をどれだけ仕入れられるのかが勝負所のようだ。
21
お気に入りに追加
205
あなたにおすすめの小説
しっかり者のエルフ妻と行く、三十路半オッサン勇者の成り上がり冒険記
スィグトーネ
ファンタジー
ワンルームの安アパートに住み、非正規で給料は少なく、彼女いない歴35年=実年齢。
そんな負け組を絵にかいたような青年【海渡麒喜(かいときき)】は、仕事を終えてぐっすりと眠っていた。
まどろみの中を意識が彷徨うなか、女性の声が聞こえてくる。
全身からは、滝のような汗が流れていたが、彼はまだ自分の身に起こっている危機を知らない。
間もなく彼は金縛りに遭うと……その後の人生を大きく変えようとしていた。
※この物語の挿絵は【AIイラスト】さんで作成したモノを使っています
※この物語は、暴力的・性的な表現が含まれています。特に外出先等でご覧になる場合は、ご注意頂きますようお願い致します。
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
前回は断頭台で首を落とされましたが、今回はお父様と協力して貴方達を断頭台に招待します。
夢見 歩
ファンタジー
長年、義母と義弟に虐げられた末に無実の罪で断頭台に立たされたステラ。
陛下は父親に「同じ子を持つ親としての最後の温情だ」と断頭台の刃を落とす合図を出すように命令を下した。
「お父様!助けてください!
私は決してネヴィルの名に恥じるような事はしておりません!
お父様ッ!!!!!」
ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。
ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。
しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…?
娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
全力で執筆中です!お気に入り登録して頂けるとやる気に繋がりますのでぜひよろしくお願いします( * ॑꒳ ॑*)
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!
芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️
ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。
嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる!
転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。
新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか??
更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる