豊家軽業夜話

黒坂 わかな

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十九

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関ヶ原の決戦ののち、ちりぢりになった西軍の兵らは、東軍の残党狩りの目を逃れ、命からがら京や大坂を目指した。人々は西軍との関わりを恐れ、道端に倒れ込む西軍の落ち武者を、助けようとはしなかった。

そんな中、毛利元康ら大津城にいた一万五千の兵は、ようやく手に入れた大津城をあっさりと捨て、大坂城へと舞い戻った。兵らは殆どが無傷で、関ヶ原から辿り着いた兵とは比べ物にならないほど、壮健であった。

そんな元康に、総大将の毛利輝元は苛立ちを隠さなかった。秀頼公の目の前で、輝元は元康を叱責し始める。

―大津城を落とすのに何ゆえあれほど時がかかったのです。叔父上は誠に内府を倒そうとお思いか。

一万五千の兵が関ヶ原に間に合えば勝てたはずだと、輝元は思っている。対する元康も黙ってはいない。

―輝元様こそ、総大将が関ヶ原に参らぬとはどういう了見にござる。

水かけ論がしばらく続き、大坂城の広間は険悪な空気に包まれた。

淀殿が見かねて秀頼公を促すと、秀頼公は立ち上がり、二人の間に入った。

―やめなされ。大事なのはこれからどうするかじゃ。

幼い天下人に窘められ、元康はばつが悪そうに頭を下げるが、輝元は秀頼公の目を真っ直ぐに見て、はきと答えた。

―大坂城に戻った諸将を集め、再度立て直しを計る所存にございます。

しかし元康が再度食ってかかる。

―動かぬ者や寝返った者が数多おる中で、立て直しなど出来ますのか。戦が始まる前から、既に勝敗は決しておったのです。

両者は再び、にらみ合った。

秀頼公が困って竹早を見るが、竹早もなすすべなく、この場を見守ることしか出来なかった。

ところが、思わぬ事に淀殿が感極まって、肩を震わせすすり泣きを始めたのである。

―早うせねば、内府が大坂城へと攻めてくる。さすれば豊家は終いじゃ。

終いと言う言葉に、秀頼公は明らかに動揺した。
それを察した竹早が咄嗟に秀頼公の耳元で何事かを囁くと、秀頼公は頷いて、母の手をぎゅっと握った。

―母上、案ずることはありませぬ。某がついております。いずれ何とかなりましょう。

淀殿は顔を上げたが、秀頼公にそうですねとは言わなかった。

―秀頼、この母に考えがあります。そなたは隠居して、当主の座から身を引くのです。跡目は竹早に継がせればよい。

自ら発した良案に喜び、淀殿の顔は次第に覇気を帯びてきた。

竹早は目を瞑った。あれほど豊家第一であった淀殿が、豊家の罪のすべてを自分に押し付け、秀頼公を守ろうとしている。

元より自分はそのような存在だと竹早が諦めかけたとき、

―恐れながら申し上げます。

と、元康の後ろで石川が声を上げた。

―此度の戦は、我ら豊家の家臣同士の内輪揉めにござる。秀頼様と淀殿は与り知らぬこと。豊家の主は秀頼様で変わりありませぬ。よいですな。

大津城の寺にて石川に殺されかけた竹早は、これが石川の親切心ではないとわかっていた。何が何でも竹早には跡目を継がせぬという強い思いが、石川の心の奥底に流れている。

―されば、いかがするのじゃ。

淀殿が再び涙ぐむ。石川は淀殿に愛おしそうな目を向けてから、輝元に進言した。

―輝元殿、ここは元康殿をいったん国に戻されたらいかがにござろう。一枚岩ではない西軍がここ大坂城で籠城しても、内から崩れるは必定。某が内府に書状を送り、両殿は関わりないと説きまする。豊家の側近として某が諸々の後始末を致しますゆえ、どうか。

石川は輝元と元康に向かって頭を下げた。
輝元はしばし逡巡するふりをして、やがて石川の案を容れた。

石川はすぐに内府に書状を送った。
書状には、此度の戦の首謀者は豊家の側近である石川や石田治部であるとしたためた。

数日後に届いた内府からの返事には、石田治部は既に捕らえ、大坂で市中引き回しの上六条河原で斬首とすることが書かれていた。また、毛利輝元については即刻大坂城から退去するよう求められた。

家臣の中には退去に反対するものもいたが、輝元は押し切って、大坂の自邸へと退去したのである。
退去の後に大坂城に入るのは、他でもない内府であった。
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