豊家軽業夜話

黒坂 わかな

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十八

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次の日の朝、毛利元康が満を持して大津城の門をくぐった。一万五千の西軍の兵らも後に続き、埋めた堀の上を悠々と渡っていく。

大津での戦は終わっても、西軍の戦は終わらない。
関ヶ原に向かう軍と大津城に残る軍に分かれ、一万五千のうちの大半は関ヶ原に向かう。元康が大津城を見て回った後に、その人選が行われる手筈になっていた。
我こそは関ヶ原へといきり立つ者は多いが、脆弱な大津城を落とすのに十日も掛かったことで、西軍の幸先を案ずる者も多かった。

大津城の籠城戦で、西軍ではほとんど死人が出なかったが、野戦となる関ヶ原では人死がでるのは間違いない。兵らの士気と英気を養うため、石川は大津城の台所に西軍の兵糧を運び込ませた。京極家の女達が作った握り飯や酒、味噌などで西軍の兵らは腹を満たし、つかの間の休息を取った。

食事を終えた諸将たちは三の丸から本丸へと移り、城の状態の確認も兼ねて天守へと向かった。
天守の南側の屋根は崩れ落ちていた。西軍の放った大砲がここまで飛んだことを示しており、諸将は大砲の威力に感嘆の声を上げた。
諸将が南の窓に集まる中、石川はふと北の窓に目をやった。すると、格子の先に動くものが見えた。舟であった。

―もしや、京極勢の兵糧か。

開城を知らぬ商人どもが、知らずに運び込んできたのかもしれない。石川は窓の格子ににじり寄った。
見ると、十数人の男達がぎゅうぎゅう詰めになって小舟に乗り込み、中には頭や手に布を巻いている者もいる。

石川はよく見ようと、窓の板戸を一番上まで突き上げた。すると、舟の男達がそれに気が付き、舟から旗指物を取り出して立てると、ひらひらと振って見せた。

―皆の衆、こちらへ!

石川は諸将を呼び寄せた。

―あれは…、あの児の字の旗印は、宇喜多の兵ではござらぬか?

宇喜多は西軍の副大将で、関ヶ原で内府を待ち受けているはずであった。

石川と諸将は急ぎ階を駆け下りて、堀の際まで進み出て琵琶湖を眺めた。こちらが毛利の旗指物を掲げて振ってやると、舟の男達は喜んだ様子で、互いに声を出し合っている。

―もしや、関ヶ原での戦は既に始まっておるのか。

―戦況悪しく、我らに援軍を頼みにきたのやもしれぬ。

諸将がそれぞれに推し測る中、本丸の港に辿り着いた宇喜多の兵は、桟橋によろよろと降り立って、諸将に向かって声を上げた。

―我ら宇喜多の配下にござる。関ヶ原より罷り越した。

諸将は揃って頷いた。

―よう参られた。広間にて待つ。

毛利元康の言葉を受け、諸将が先に広間に向かう中、石川は港に駆け下りた。

宇喜多の兵は、総勢十七人であった。うち一人は舟の中で息絶えたと言う。桟橋の上で石川は彼らに水を与え、骸を背負って城に運んだ。

広間に着くと元康は、待ちかねたように仔細を問い糾した。彼らは長浜からやって来たのだという。

―我らは関ヶ原で敗れたのち、大津城で立て直しを計らんと、ここまで参った次第。

年嵩の兵の言葉に、皆は唖然とした。

―敗れた…とな?戦は既に終わったのか?

―昨日の昼頃には、既に。東軍は昨日のうちに佐和山へと向かい、まさに今、佐和山城を攻め落とそうとしておりまする。

琵琶湖の東にある佐和山は、二日もあれば悠に大津に着く距離であった。

―西軍の兵はいかほど残っておる。

石川が問うた。

―半数以上は死に申した。寝返りや動かぬ兵も多数。

―なんたること…

元康は息を漏らした。

―されど、大津城の一万五千の兵をもってすれば、必ずや巻き返せましょう。

宇喜多の兵の熱い言葉に、返事を返す者は誰一人いない。戦に間に合わなかったという事実が、諸将に重くのしかかる。さらに諸将の心を冷やしたのは、裏切りや動かぬ者が西軍に多数いたということである。

―佐和山の状況がわからぬようでは、下手に動くは返って危のうござる。

石川が呟いた。諸将は沈黙を守り、大将である元康の言葉を待っている。

長考ののち、元康は重い声を発した。

―大坂城へ引く。急ぎ支度せい!

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