豊家軽業夜話

黒坂 わかな

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十一

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この所の蒸し暑さと昨夜の虫刺されで、竹早は機嫌が悪い。
目の前で頭を下げる長吉の依頼に、すぐに返事をする気にはなれなかった。
  
内府が大坂城に来て、十か月が経とうとしている。大坂城には豊臣と徳川、二つの家の侍衆が入り混じり、それぞれの思惑を胸に秘めながら、何とか平穏を保っているのであった。

政で秀頼公に許可を得るため、内府はしばしば西の丸から本丸へやって来た。その度に、竹早は顔を見られぬよう、居室に閉じ籠もらねばならなかった。

今日も内府が本丸に来ると聞いて、画の修練を早めに切り上げ、居室に戻る所だった。そこに直ぐさま長吉がやってきた。秀頼公は今頃内府と面会している筈である。長吉が言うには、遊びや修練の話ではなく、政の相談を秀頼公がしたがっていると言う。
内府が本丸から去ったのを確認すると、竹早は重い足を上げ、長吉の後に続いて本丸表へと向かった。

広間には秀頼公の他に、淀殿と石川、その他の重臣が集っていた。場違いではないかと恐縮しながら、竹早はおずおずと秀頼公の正面に座る。竹早が目の前まで来ると、秀頼公の顔に喜色が浮かんだ。

―兄上、よう来てくれました。兄上に政はわからぬでしょうが、某だけでは決め兼ねるゆえ、どうか側にいてほしいのです。

心細いので側に居ろという事らしいが、名だたる重臣に囲まれ、竹早は大層居心地が悪い。

―石川、兄上に件の話を。

重臣である国持ち大名らの影に隠れて広間の後方に座る石川に、前に出るよう秀頼公が促す。

―はっ。此度内府様は、秀頼様に戦の許可を得に参ったのでございます。

戦という言葉に、竹早の目は泳ぐ。
聞けば内府は、上杉に謀反の兆しがあるため、上杉征伐を行いたいと申し出たという。上杉は内府と同じ、五大老の一人であった。

―謀反と言うのは誠にございますか。

竹早が尋ねると、石川は即座に首を横に振った。

―内府は戦で上杉の勢力を削ぎ、天下を我が物にしたいのです。豊家も上杉も、あの狸に騙されてはなりませぬ。

狸という言葉に秀頼公は燥いだ。

―狸とは、言い得て妙じゃ!

笑い声を上げる秀頼公を淀殿が嗜めた。石川が続ける。

―某の見立てでは、戦に勝てば上杉の領地は豊家の物となる。されど内府は恩賞として京の近くに領地が欲しいと申すでしょう。あるいは金山銀山、ひいては大坂城を寄越せと申すやも知れませぬ。豊家の財力を削ぎ、豊家を中央から追い出そうとしておるのです。

―ならば、戦は許さぬと申せばよいのか。

眉を顰めて言う秀頼公に、石川はにやりと笑って言った。

―いいえ、喜んで許しましょうぞ。戦を許せば、内府はこの大坂城から出て行く。ようやく出て行く。内府が居ない間に、我らが徳川に戦を仕掛けましょう。徳川に味方する勢力を一掃した後に、内府の首を刎ねるのでござる。

首を刎ねると言う言葉に、秀頼公は身震いした。八つになる秀頼公でも、戦となれば人死にがたくさん出ることは知っている。

そこへ、側に居るだけで良いと言われた竹早が、突如立ち上がって声を張った。

―私も、出陣しとうございます。

秀頼公が驚いて腰を浮かす。いつも一緒にふざけている竹早が、今日は別人のようであった。

伏見での暗殺が不首尾に終わったことで、竹早は自らを責め続けてきた。内府を亡き者にすれば、松の丸殿も安心してこの大坂城に戻ってこられるかもしれない。
いつか再び、内府と対峙せねばならぬ。その思いが竹早を突き動かした。

―竹早が初陣とな。それは殊勝な心構えじゃ。

淀殿が顔を綻ばせた。近頃はようやく竹早に野心がない事を悟り、秀頼公の遊び相手として竹早とも言葉を交わすようになったばかりだった。

しかしそれに反し、石川の答えは否だった。

―竹早様はこのまま大坂城に残り、秀頼様をお守り下され。我ら歴戦の武辺者が必ず勝ち鬨を上げますゆえ、ご案じめされるな。そのために、某は治部殿(石田三成)と以前から話を重ねて参ったのです。

内府の屋敷に忍び込む前、いずれ戦になると石川は確かに言った。竹早のしくじりの後も、その日のためにずっと策を練っていたのである。

―秀頼様、淀殿。某は竹早様に、忍びの技を密かに伝授し続けて参りました。今や竹早様は当代一の忍び。ただの侍では考えもつかぬ技で敵を撹乱し、お二方を守って下さいましょう。

石川の言葉を受けて、秀頼公は初めて竹早に羨望の眼差しを向けた。

―しかと、お二方をお守り申し上げまする。

名だたる大名らにも聞こえ渡るよう、力を込めて竹早は宣言したのである。
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