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12、仏像
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「やい、子分」
「へい、親分」
「秘仏を取って来い」
「ひぶつ?それ何です?」
「寺の、めったに開けられねえ厨子の中に祀られてる、ありがてえ仏像だ」
「嫌ですよ。そんなもん盗んだら、どんな祟りがあるか、わかりゃしねえ」
「誤解するな、ちょっと拝借するだけだ。いいか、秘仏の中には、絶対の秘仏と言われて、一度も開帳されたことがないものもある。写真さえねえんだ。つまり、写真だけでもお宝になるってわけだ」
「写真もねえって…厨子開けたら実は空っぽだった、なんてこともありうるんじゃ」
「おめえと同じことを考えたやつが過去にもいたらしい。無理やり厨子を開けさせて中を見た芸術家や、確認のために坊主を派遣した皇族もいたっていうからな」
「ははあ。意外とみんな、怖いもの知らずだなあ。で、どんな秘仏を拝借するんです」
「歓喜天よ。歓喜天っつうのは、ゾウの頭をした仏の像だ。一人のもあれば、男女が抱き合ってる仏像もあるらしい」
「ははあ、ゾウですか。どうしてそれが秘仏なんです?」
「そりゃあ、男女が抱き合う姿を見たら、修行僧が変な気を起こしかねないだろうが」
「いや、だって、ゾウの雄雌の区別が付きますかい?」
「まあ、それも一理ある。それより、歓喜天には恐ろしい言い伝えがある。いい加減な供養をしていると祟られるとか、災いが降りかかるとか」
「うわあ。そりゃあ確かに、気軽に開帳できねえ。だったらなおさら、あっしはごめんですぜ」
「だから、しっかり供養した上で、拝借するんだよ。いいか、今から供養の方法を教える。まずは、団子を作れ」
「団子?お供え物ですかい?」
「そうだ。おめえ、材料を買ってこい。米粉とあんこだ。あんこを包んで団子状にしたら、団子の上を引っ張って伸ばす。で、揚げれば出来上がりだ」
「ええ、面倒だなあ」
「うるせえ、親分の命令だ、四の五の言わずに、とっとと行け」
「わかりやしたよ、やればいいんでしょ…。(アジトを出て)はあ、揚げ団子ぉ?そんな手間暇かけねえで、コンビニのあんまんで充分だ。待てよ…誰も見たことがないっていうんなら、自分で仏像を作っちまえばいいんだ。よし!材料変更!ホームセンターで彫刻刀と、材木をお買い上げだ」
シュッ、シュッ、(木を削る音)
「彫刻刀を使うなんざ、小学生以来だなあ。男女が抱き合う像なんて作れねえから、一人で充分だ。それにしても、ゾウの鼻やら耳やら、細かい彫りがてんで出来ねえ…ありゃあ、顔が削れちまった。まあいいや、見たことないならわからねえだろ。はあ、あんまん、久しぶりに食うとうめえなあ」
「親分、親分!お宝を、拝借してきやしたぜ」
「おう、でかしたぞ!…なんだ、これは?」
「だから、…歓喜天です」
「顔が削れてるじゃねえか。おめえもしや、お供えをせずに、祟られたんじゃないだろうな」
「そんな、ちゃんとしましたって!正真正銘、ほっかほかの歓喜天ですよ」
「本当か?…そういや、庶民が病気の時に仏像の顔を削って飲ませたっつう話を聞いたことがあるな。しかし、秘仏なのに庶民が触れるわけもねえ。おい、どういうことだ?」
「お、親分、歓喜天は、き、きっと、あんまんマンだったに違いねえ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<秘仏>
秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。元来、礼拝のための偶像である仏像を扉を閉じた厨子等に納め「秘仏」とすることは、東アジアの仏教圏の中でも特に日本に顕著な現象である。
法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像(救世観音)-夢殿堂内中央の厨子に安置される救世観音像は聖徳太子等身の像と伝える飛鳥時代の木彫像であるが、各種史料によれば平安時代後期の12世紀には既に秘仏とされていた。通説では1884年(1886年とも)、法隆寺を訪れた岡倉天心とアーネスト・フェノロサが寺僧の反対を押し切って厨子の扉を開け、観音像は数百年ぶりに姿を現わしたとされる。この時、観音像は長い白布で覆われていたという。岡倉とフェノロサによる秘仏開扉のエピソードは半ば伝説化しており、それ以前の数百年間、誰もこの観音像を見た者がいなかったのかどうかについては疑問視する向きもある。(Wikipediaより抜粋)
<厨子>
厨子(ずし)は、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種である。
正面に観音開きの扉が付く。漆塗りのものや、唐木、プラスチック製がある。(Wikipediaより抜粋)
<開帳>
開帳(かいちょう)とは、原義では、仏教寺院で厨子等に収められている秘仏の扉を開いて拝観できるようにする宗教行事。ただし、秘仏ではない本尊や宝物に関して行われる宗教行事を指す場合もある。(Wikipediaより抜粋)
<歓喜天>
歓喜天(かんぎてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教のガネーシャに起源を持つ。
象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。
多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。
歓喜団:歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花のようにして、巾着のように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。(Wikipediaより抜粋)
<木喰>
木喰(もくじき)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。
木喰仏は後述の円空仏と同様に庶民の民間信仰に根ざした存在で、文化財としての価値が重視される今日と異なり、庶民のそばに寄り添った扱い方をされていた。宮崎県西都市の西都市歴史民俗資料館に伝来する自身像は顔面部分が削り取られており、庶民が病の際に像の一部を削り取って飲む信仰が行われていたという。(Wikipediaより抜粋)
「へい、親分」
「秘仏を取って来い」
「ひぶつ?それ何です?」
「寺の、めったに開けられねえ厨子の中に祀られてる、ありがてえ仏像だ」
「嫌ですよ。そんなもん盗んだら、どんな祟りがあるか、わかりゃしねえ」
「誤解するな、ちょっと拝借するだけだ。いいか、秘仏の中には、絶対の秘仏と言われて、一度も開帳されたことがないものもある。写真さえねえんだ。つまり、写真だけでもお宝になるってわけだ」
「写真もねえって…厨子開けたら実は空っぽだった、なんてこともありうるんじゃ」
「おめえと同じことを考えたやつが過去にもいたらしい。無理やり厨子を開けさせて中を見た芸術家や、確認のために坊主を派遣した皇族もいたっていうからな」
「ははあ。意外とみんな、怖いもの知らずだなあ。で、どんな秘仏を拝借するんです」
「歓喜天よ。歓喜天っつうのは、ゾウの頭をした仏の像だ。一人のもあれば、男女が抱き合ってる仏像もあるらしい」
「ははあ、ゾウですか。どうしてそれが秘仏なんです?」
「そりゃあ、男女が抱き合う姿を見たら、修行僧が変な気を起こしかねないだろうが」
「いや、だって、ゾウの雄雌の区別が付きますかい?」
「まあ、それも一理ある。それより、歓喜天には恐ろしい言い伝えがある。いい加減な供養をしていると祟られるとか、災いが降りかかるとか」
「うわあ。そりゃあ確かに、気軽に開帳できねえ。だったらなおさら、あっしはごめんですぜ」
「だから、しっかり供養した上で、拝借するんだよ。いいか、今から供養の方法を教える。まずは、団子を作れ」
「団子?お供え物ですかい?」
「そうだ。おめえ、材料を買ってこい。米粉とあんこだ。あんこを包んで団子状にしたら、団子の上を引っ張って伸ばす。で、揚げれば出来上がりだ」
「ええ、面倒だなあ」
「うるせえ、親分の命令だ、四の五の言わずに、とっとと行け」
「わかりやしたよ、やればいいんでしょ…。(アジトを出て)はあ、揚げ団子ぉ?そんな手間暇かけねえで、コンビニのあんまんで充分だ。待てよ…誰も見たことがないっていうんなら、自分で仏像を作っちまえばいいんだ。よし!材料変更!ホームセンターで彫刻刀と、材木をお買い上げだ」
シュッ、シュッ、(木を削る音)
「彫刻刀を使うなんざ、小学生以来だなあ。男女が抱き合う像なんて作れねえから、一人で充分だ。それにしても、ゾウの鼻やら耳やら、細かい彫りがてんで出来ねえ…ありゃあ、顔が削れちまった。まあいいや、見たことないならわからねえだろ。はあ、あんまん、久しぶりに食うとうめえなあ」
「親分、親分!お宝を、拝借してきやしたぜ」
「おう、でかしたぞ!…なんだ、これは?」
「だから、…歓喜天です」
「顔が削れてるじゃねえか。おめえもしや、お供えをせずに、祟られたんじゃないだろうな」
「そんな、ちゃんとしましたって!正真正銘、ほっかほかの歓喜天ですよ」
「本当か?…そういや、庶民が病気の時に仏像の顔を削って飲ませたっつう話を聞いたことがあるな。しかし、秘仏なのに庶民が触れるわけもねえ。おい、どういうことだ?」
「お、親分、歓喜天は、き、きっと、あんまんマンだったに違いねえ!」
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<秘仏>
秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。元来、礼拝のための偶像である仏像を扉を閉じた厨子等に納め「秘仏」とすることは、東アジアの仏教圏の中でも特に日本に顕著な現象である。
法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像(救世観音)-夢殿堂内中央の厨子に安置される救世観音像は聖徳太子等身の像と伝える飛鳥時代の木彫像であるが、各種史料によれば平安時代後期の12世紀には既に秘仏とされていた。通説では1884年(1886年とも)、法隆寺を訪れた岡倉天心とアーネスト・フェノロサが寺僧の反対を押し切って厨子の扉を開け、観音像は数百年ぶりに姿を現わしたとされる。この時、観音像は長い白布で覆われていたという。岡倉とフェノロサによる秘仏開扉のエピソードは半ば伝説化しており、それ以前の数百年間、誰もこの観音像を見た者がいなかったのかどうかについては疑問視する向きもある。(Wikipediaより抜粋)
<厨子>
厨子(ずし)は、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種である。
正面に観音開きの扉が付く。漆塗りのものや、唐木、プラスチック製がある。(Wikipediaより抜粋)
<開帳>
開帳(かいちょう)とは、原義では、仏教寺院で厨子等に収められている秘仏の扉を開いて拝観できるようにする宗教行事。ただし、秘仏ではない本尊や宝物に関して行われる宗教行事を指す場合もある。(Wikipediaより抜粋)
<歓喜天>
歓喜天(かんぎてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教のガネーシャに起源を持つ。
象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。
多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。
歓喜団:歓喜天に供えることに因み、この名前が付いた菓子である。現在でも京都市の「亀屋清永」が通年菓子にて清浄歓喜団を販売し、今日に遺風を伝えている。吉祥果の実を表し、白米の粉を練って、小豆の餡を包んで、上を八弁の花のようにして、巾着のように絞り、油で揚げる。福徳を包み込んでいる巾着を表しているという。小豆の餡は愛念を表し、白米の衣は純浄の智光を意味する。上の八弁は八苦を除いて、八福に浴し、その利益を表すとされる。(Wikipediaより抜粋)
<木喰>
木喰(もくじき)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。
木喰仏は後述の円空仏と同様に庶民の民間信仰に根ざした存在で、文化財としての価値が重視される今日と異なり、庶民のそばに寄り添った扱い方をされていた。宮崎県西都市の西都市歴史民俗資料館に伝来する自身像は顔面部分が削り取られており、庶民が病の際に像の一部を削り取って飲む信仰が行われていたという。(Wikipediaより抜粋)
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