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嶋田 俊光 ~嫌な上司~
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仕事はそれなりに楽しくやっている。子供の時の夢とか有名企業とか、そういうのではないが、同僚とも楽しくやっている。
ただ少しやっかいなのは、うちの上司だ。嶋田 俊光部長。別名ぽんぽこ部長。体型のディスりからと、いつかぽんぽこと殴りつけたいという結構ブラックな意味を持つこの異名は、私の同期の間で使われている。
もちろん、嶋田部長をぽんぽこ部長と呼んでいるのには理由がある。
嶋田部長は先月に大阪から品川に引っ張られてきた、やり手の営業マンだ。仕事も速いし、話もうまく実績に結び付けているのは確かだ。しかし、正社員だろうが、派遣だろうが、事務だろうが、仕事の話になると容赦がないのだ。この前は新人がホッチキスを右端に留めているのを見て、すかさずやり直してこいと注意していた。昨日はお得意様の取引で事務の娘がいれたコーヒーを入れなおさせていた。
もちろん言っていることはまともなことなのであるから、そこまで毛嫌いする必要もないのだろうが特に、年下の人達に嫌われている。いちいち細かいといえば細かいのだ。
嶋田部長はいわゆる昔の人という感じで、ドラマで食卓をひっくり返すお父さんのようなポジションなのは言うまでもない。そのぶん、ゆとり世代の私たちは馴染めずに距離を置きがちになっていた。
ある日同じ同僚の娘が、仕事でそれなりに大きなミスをしてしまった。
「どういうことだ!この資料は明日までに、作っておかないと間に合わないと言っただろう。もう、こんな時間だっていうのに、いったい君はどういうつもりだ!自分の仕事をなんだと思っているんだ。」
いつもの数倍イライラしていた。まあ、それもそのはずだ。明日は大事な会議がある。この忙しい時期にこのミスは確かに痛手だ。嶋田部長の怒鳴り声がオフィス内に響き、辺りはしんとした。
「本当に、すみませんでした。」
彼女がそう言うと、「もういい。今日は残業だからな。」とだけ言って自分の仕事に嶋田部長は戻って行っていまった。
「どうしよう、やらかしちゃった、私。」
一言だけ私に言うと、一目散に資料の作業に取り掛かっていた。彼女はいつも仕事は早め早めに終わらせているタイプの人間なので、正直今回のミスは意外だった。彼女も仕事が多くて、忙しかったのとは思うが。
その日私は、会社の携帯を自分の机に置きっぱなしにしてしまったことに気が付いて、駅から、歩いてまた会社へと向かっていた。もしかして、まだ同僚の娘と嶋田部長、仕事やってるのかな。会社を出たのは遅くはなかったが、その後に夕飯の材料を買うためにスーパーに寄ったりと、なんだかんだやっていて帰るのが遅くなっていた。
13階にあるオフィスにエレベーターで昇る。このふわっととする感じが私は苦手だ。同僚の席は私のすぐ向かい側の席だ。なんだか気まずい。そんなことを考えているうちにすぐに目的のフロアについた。オフィスの電気がまだ点いていた。私の席の近くだ。おそらくまだ二人はこのオフィスにいる。席の一番近くの扉まで歩いて行くと声が聞えてきた。
「私、母が癌で入院してから気が気ではなくなってしまって。それで仕事も全然手につかなくなってしまって。明日、母の手術の日なんです。私どうしたらいいかわからなくなってしまって。すいません、言い訳がましくて。」
彼らの声だけが鮮明に聞こえる。おそらく、二人の他にはもう誰も残っていないのだろう。二人のいるほんの少しの空間だけが、会社の蛍光灯の白い光に包まれている。
「いや、いいんだ。さっきはあんな風に言ったが、最近どうも様子がおかしいと思って気にしていたんだ。気づいていたのに、ミスを結果的に君に起こさせてしまった。申し訳ない。」
「なんで部長があやまるんですか。」
いつもとは少しばかり様子が違う部長に、不思議と嫌な感じはしなかった。もしかしたら、初めからこういうひとだったのかもしれない。誰かが怒られているのを見て、勝手に私たちが嫌な奴に仕立て上げていたのかもしれない。隣の人が言っているのを見て、同僚が言っているのを聞いて、私たちは私たち同士で化かしあっていたのだ。
「いいんだよ。謝らせてくれ。君は明日、休みなさい。お母さんのそばに 居てあげなさい。」
「でも…」
そう言いかけたが、すぐに同僚の声は嶋田部長の声に打ち消された。
「これは部長命令だ。明日の分の資料も用意できたことだし、君はあとはお母さんのことだけ考えればいい。」
その言葉を聞いて、彼女は眼をうるましていたのだろう。彼女は鼻をすすりながら、ありがとうございます。と言うと急いで帰り支度をし、一番、エレベーターに近いドアから出て行った。
「あのう、お疲れ様です。」
私はそう言って一部分だけ照らされているオフィスに踏み入った。
「どうしたんだ、こんな時間に。」
私は何か言わないと気が済まなかった。今まで私は嶋田部長のことを誤解していた。
「それは、こっちの台詞ですよ。私、少し前からこのドアの前にいたんです。盗み聞きするつもりはなかったんですけど…私、彼女のこと全然見抜けませんでした。部長はまだここに来て一か月も経っていないというのに…休みにくいこの時期に、休めるようにも仕向けてくださって…本当にありがとうございます。」
それを聞いて、嶋田部長は何で君が礼を言っているんだ。と言って笑っていた。笑った顔はじめて見たかもしれない。
「駅までご一緒してもよろしいですか。」
少し驚いた表情を見せた後に、私でよかったら、よろこんで。と言ってくださった。私は幸運にも、机の上に忘れていってしまった携帯をカバンの中に入れて、部長とオフィスを後にした。
それから、2年後。嶋田部長は本社に移動することになった。あれ以来、部長はみんなの頼れるリーダー的存在にていたため、移動が決まった時はどこか寂しそうな表情を私も含めみんなが浮かべていた。相変わらず、細かいことに口うるさかったが、そんな言葉さえも名残惜しかった。
私たちにとってかけがえのない存在になっていたことは、言うまでもない。ちなみに、ぽんぽこ部長という異名は愛嬌のあるあだ名として同僚の間で今もなお、親しまれている。
次話、電車の彼。
ただ少しやっかいなのは、うちの上司だ。嶋田 俊光部長。別名ぽんぽこ部長。体型のディスりからと、いつかぽんぽこと殴りつけたいという結構ブラックな意味を持つこの異名は、私の同期の間で使われている。
もちろん、嶋田部長をぽんぽこ部長と呼んでいるのには理由がある。
嶋田部長は先月に大阪から品川に引っ張られてきた、やり手の営業マンだ。仕事も速いし、話もうまく実績に結び付けているのは確かだ。しかし、正社員だろうが、派遣だろうが、事務だろうが、仕事の話になると容赦がないのだ。この前は新人がホッチキスを右端に留めているのを見て、すかさずやり直してこいと注意していた。昨日はお得意様の取引で事務の娘がいれたコーヒーを入れなおさせていた。
もちろん言っていることはまともなことなのであるから、そこまで毛嫌いする必要もないのだろうが特に、年下の人達に嫌われている。いちいち細かいといえば細かいのだ。
嶋田部長はいわゆる昔の人という感じで、ドラマで食卓をひっくり返すお父さんのようなポジションなのは言うまでもない。そのぶん、ゆとり世代の私たちは馴染めずに距離を置きがちになっていた。
ある日同じ同僚の娘が、仕事でそれなりに大きなミスをしてしまった。
「どういうことだ!この資料は明日までに、作っておかないと間に合わないと言っただろう。もう、こんな時間だっていうのに、いったい君はどういうつもりだ!自分の仕事をなんだと思っているんだ。」
いつもの数倍イライラしていた。まあ、それもそのはずだ。明日は大事な会議がある。この忙しい時期にこのミスは確かに痛手だ。嶋田部長の怒鳴り声がオフィス内に響き、辺りはしんとした。
「本当に、すみませんでした。」
彼女がそう言うと、「もういい。今日は残業だからな。」とだけ言って自分の仕事に嶋田部長は戻って行っていまった。
「どうしよう、やらかしちゃった、私。」
一言だけ私に言うと、一目散に資料の作業に取り掛かっていた。彼女はいつも仕事は早め早めに終わらせているタイプの人間なので、正直今回のミスは意外だった。彼女も仕事が多くて、忙しかったのとは思うが。
その日私は、会社の携帯を自分の机に置きっぱなしにしてしまったことに気が付いて、駅から、歩いてまた会社へと向かっていた。もしかして、まだ同僚の娘と嶋田部長、仕事やってるのかな。会社を出たのは遅くはなかったが、その後に夕飯の材料を買うためにスーパーに寄ったりと、なんだかんだやっていて帰るのが遅くなっていた。
13階にあるオフィスにエレベーターで昇る。このふわっととする感じが私は苦手だ。同僚の席は私のすぐ向かい側の席だ。なんだか気まずい。そんなことを考えているうちにすぐに目的のフロアについた。オフィスの電気がまだ点いていた。私の席の近くだ。おそらくまだ二人はこのオフィスにいる。席の一番近くの扉まで歩いて行くと声が聞えてきた。
「私、母が癌で入院してから気が気ではなくなってしまって。それで仕事も全然手につかなくなってしまって。明日、母の手術の日なんです。私どうしたらいいかわからなくなってしまって。すいません、言い訳がましくて。」
彼らの声だけが鮮明に聞こえる。おそらく、二人の他にはもう誰も残っていないのだろう。二人のいるほんの少しの空間だけが、会社の蛍光灯の白い光に包まれている。
「いや、いいんだ。さっきはあんな風に言ったが、最近どうも様子がおかしいと思って気にしていたんだ。気づいていたのに、ミスを結果的に君に起こさせてしまった。申し訳ない。」
「なんで部長があやまるんですか。」
いつもとは少しばかり様子が違う部長に、不思議と嫌な感じはしなかった。もしかしたら、初めからこういうひとだったのかもしれない。誰かが怒られているのを見て、勝手に私たちが嫌な奴に仕立て上げていたのかもしれない。隣の人が言っているのを見て、同僚が言っているのを聞いて、私たちは私たち同士で化かしあっていたのだ。
「いいんだよ。謝らせてくれ。君は明日、休みなさい。お母さんのそばに 居てあげなさい。」
「でも…」
そう言いかけたが、すぐに同僚の声は嶋田部長の声に打ち消された。
「これは部長命令だ。明日の分の資料も用意できたことだし、君はあとはお母さんのことだけ考えればいい。」
その言葉を聞いて、彼女は眼をうるましていたのだろう。彼女は鼻をすすりながら、ありがとうございます。と言うと急いで帰り支度をし、一番、エレベーターに近いドアから出て行った。
「あのう、お疲れ様です。」
私はそう言って一部分だけ照らされているオフィスに踏み入った。
「どうしたんだ、こんな時間に。」
私は何か言わないと気が済まなかった。今まで私は嶋田部長のことを誤解していた。
「それは、こっちの台詞ですよ。私、少し前からこのドアの前にいたんです。盗み聞きするつもりはなかったんですけど…私、彼女のこと全然見抜けませんでした。部長はまだここに来て一か月も経っていないというのに…休みにくいこの時期に、休めるようにも仕向けてくださって…本当にありがとうございます。」
それを聞いて、嶋田部長は何で君が礼を言っているんだ。と言って笑っていた。笑った顔はじめて見たかもしれない。
「駅までご一緒してもよろしいですか。」
少し驚いた表情を見せた後に、私でよかったら、よろこんで。と言ってくださった。私は幸運にも、机の上に忘れていってしまった携帯をカバンの中に入れて、部長とオフィスを後にした。
それから、2年後。嶋田部長は本社に移動することになった。あれ以来、部長はみんなの頼れるリーダー的存在にていたため、移動が決まった時はどこか寂しそうな表情を私も含めみんなが浮かべていた。相変わらず、細かいことに口うるさかったが、そんな言葉さえも名残惜しかった。
私たちにとってかけがえのない存在になっていたことは、言うまでもない。ちなみに、ぽんぽこ部長という異名は愛嬌のあるあだ名として同僚の間で今もなお、親しまれている。
次話、電車の彼。
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