幻のスロー

道端之小石

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高校生、最後の年

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 1月4日、こんな時期だというのに合宿が始まった。期間は5日間。寒いし室内で筋トレで良くないか? それにわざわざ引退した3年生まで呼ぶ必要はなかったように感じるが
 みんなコーチから明らかにキツイ練習を指示されている。練習強度がいつもの倍なんじゃないだろうか。俺は絶対にあんなの嫌だぞ。

 ちなみに俺は勝手に練習をやれとのことだ。練習メニューを丸投げされて自由に練習できるのはキャプテンの特権というやつだろうか。ありがたいことだ。フィールディング、特にベースカバーの確認だけは合同でやる必要があるみたいで、それはちょっとめんどくさい。やるけど。

 三ヶ日は爺ちゃんの家へ帰省していた。アンプやヘッドホン、イヤホンに少しばかり……というか殆ど貯金を使ってしまったのは失敗だった。
 アニメが終わるとアニメが始まるのだ。小説や漫画ならば原作を買わないわけにはいかないだろう? そこから似たジャンルで面白い物語に出会えることもあるし、そういうのが楽しみだったのだ……が貯金が底をついていた。
 もちろん全て断念した。アニメグッズだけじゃなく野球関連の色々と気になる練習道具も買えなかった。将也にDVDとか貸してもらえるから問題ないと思ってたけど凄く問題あった。食費とか光熱費とか考えなくていいからと無計画に使うのはダメだな……反省した。確実にいい買い物だったから後悔はしてないけど。

 とりあえず今日は筋トレやって、軽く投げ込んで終わりだな。今日はまだ合宿初日だし。ここで使うのが自宅にあるのと同じ筋トレ用品達。爺ちゃんに色々と買ってもらったから筋トレに関しては学校でやる必要ないんだよな。

 それにしても今日は将也も光希もその他の皆んなもコーチに扱かれてるし誰も絡んでこないから静かに集中できるな。

 ……邪魔が入らないから想定より早く終わった。室内練習場誰も使ってないし、1人だし、あいつら何やってんだろ。休憩がてら観に行っても怒られはしないよな?

 「走れ!あと20本!Go!」
 「ベースランニング!50!」
 「ノック!あと100球!」

 ……ここは雪月高校であってるよな。こんなのじゃなかった覚えがあるんだが。もっとなんというか、なんだろう。

そういえば高校野球ってこんなのだったか。

 青春だねぇ~、これがあと5日も続くなら俺はゴメンだけどな。もう一回やる気には流石にならない。高校野球ってガチでやると地獄だしな。

 少しばかり必死さが足りないとコーチは判断したのかな。1000本ノックなんて意味ない気もするが。

 「次右側のライナーお願いします!」
 「え?まだやるのか!」
 「お願いします!」

 違った。隅田と角田、その他守備に自信がある奴らがノックしてくれる3年がいるのをいいことに守備練習を楽しんでるだけだった。

 よく見渡してみればベースランニングは秋山と澄田その他盗塁走塁を鍛えるのが目標の奴らが走り回っている。
 マシンを使った打撃練習には打撃をより伸ばそうとする輩が集まっていた。

 俺は気になることがありノックしていた先輩に近づいた。

 「すいません、先輩。ノックばかりで」
 「息抜きにはちょうどいいから気にしないで」
 「ところでノック初めてどれくらい経ちました?」
 「あー大体3時間かな」

 つまり、練習始まってからずっと守備が好きな奴らがノックしかしていないのだ。もしやコーチ……あなた全員に丸投げしたので? つまり俺もキャプテン特権ではなかったと?

 「光希達はブルペンの方ですか」
 「あぁ、そうだよ。伊藤、頑張れよ」
 「はい。ありがとうございます」

 ブルペンの中に入ると悲鳴にも似たコーチの声が響いていた。

 「どーしてチェンジアップが投げれんのだ!」
 「ちゃんとチェンジアップの握りですよ?ただ変な変化するんですよね」
 「ちゃんと抜いて投げてるか?」
 
 光希がボールを投げるがいつものような力が入ったピッチングではなく弱々しい腕の振りだった。 あいつ未だにチェンジアップが投げれないのか。

 「こうですか?」
 「違う!腕の振りまで遅くしてどうする!」
 「えぇ……」
 「えぇ、じゃない!……おっいいところに」

 コーチ、光希のチェンジアップはもう諦めないか? 諦めてもいいと俺は思うよ。だから俺に押し付けようとしないで欲しいな。
というか選手にメニュー丸投げってことは……あいつらだと好きなことしかしない、つまり長所を伸ばす合宿なんだから光希にはストレートとスライダーを磨かせればいいんじゃないのか。

 光希のチェンジアップはどうにもならないからさ……

 「コーチ、長所を伸ばすならストレート磨いたほうがいいんじゃないですか」
 「いや、今回の合宿は短所を克服することを目標だからな。チェンジアップが使えるようになりコントロールを磨けば松野は化けるぞ」

 ……なるほど? まるで無視されてますねコーチ。

 「メニューは組んでありますか?」
 「済まないが私用があってね。明日皆にメニューを配る予定だよ。大雑把だけど今日は練習を3年生に頼むように、と。それにしても伊藤、お前がそんなことを聞くなんて……」

 コーチはどうやら気づいたらしく外に出ていってすぐに戻ってきた。

 「伊藤、ピッチャー達の指導は任せた。キャプテンにしか出来ないことだ、頼んだぞ」
 「はい?」

 俺の声を聞くこともなくコーチは外に出て行って叫び始めた。……しょうがないなぁ。

 「お、純もこれから投げ込み?」
 「頼まれたからそういうわけにもいかないだろ。それに1日何百球も投げるつもりはないから後でいいよ。はぁ、めんどくさいなぁ」
 「その割には満更でも無さそうだな?」
 
 いや、まぁ確かに人に物を教えるのは好きが嫌いかで言えば好きな方だが、俺は今自分の練習がしたいわけでな、コーチに言われたから仕方なく。
つまるところ『満更でもない』わけがない。

 「そんなわけないだろ」
 「まぁ、そんなのはどうでもいいんだ。ちょっとストレート見てくれよ」
 「いいぞ。投げてくれ」

 隣で下手くそなチェンジアップを投げている光希は見なかったことにして新野のストレートを見る。指が掛かっていないわけではないがストレートが垂れる。回転に使う分のエネルギーを速度に使っているのだろう。逆に光希は速度の分まで回転にエネルギーを割いているのだろうと考えられる。

 「どうだった?」
 「どうだった、って何が」

 気になる点を言ってくれないと何もいえんが。平均より垂れた癖球はそれはそれで打ちづらいはずだから気にすることはないと思う。

 「低めのコントロールが落ち着かなくてさどうしたらいいのかと思って」

 コントロールか。ここで慣れと反復練習、と応えるわけにはいかないよな。コントロールとか感覚は人によって変わるからどうしても言語化が難しいんだよな。いや、どう伝えたらいいんだか。

 「普通のキャッチボールだとそこまで球はバラつかないよな」
 「ん?そうだな」
 「それと同じ」
 「同じじゃないが?」

 新野は真顔でこちらを見つめてくる。光希が『ストレート練習していいか?ストレート投げたい!』とうるさい……お前はコントロール磨けよ。フォアボールで失点したら笑えないぞ。

 「キャッチボールで胸元に投げるだろ、それ高めのストライクかちょいボール球だよな?」
 「高めに投げれるなら低めにも投げれるとかいうんじゃないだろうな」

 そんなわけないだろ。それでなんとかなるならそうして欲しいけどさ。そのあと何度か新野に投げてもらって改善できそうなところを話した。これで上手くいくといいんだが。

 「なかなか効果出ないな」

 新野がこっちをじっとみてくる。助言一つでコントロールが抜群に良くなるわけないだろうよ。集中して同じ動作を繰り返すのが大事なんだから。

 「……ま、練習してればそのうち安定するだろ」
 「そうかな。純はいつも完璧に同じ投げ方だからコントロールがいいんだろうな」
 「そう見えるか? 実はそうでもないけどな。意識してないけど多分微調整してるから」

 爺ちゃんに買ってもらった機材を使ったらリリースポイントが多少ブレていた。それでもコントロールは満足いく物だったから無意識で微調整してるという感じなんだろうな。
 逆に全く同じリリースポイントだったら多分コントロールは悪くなってたと思う。これまで全く気づかなかっただけに驚きというか、なんかショックだった。

 「そうは見えないんだけどな」
 「マウンドじゃ多少は足が引っかかったり滑ったりするから、それで全く同じリリースポイントじゃコントロールが乱れるんだよ。ま、これは慣れ」

 慣れとしか言いようがない。俺だって反復練習しまくってようやくこのレベルなんだから。
 そっか、と心ない返事を新野がした後、ボールを投げると明らかに違う球が低めにピシャリと決まった。

 「おっ、今のいい感じ」
 「ナイスボール。今の踏み出した距離測っておくか」
 「オッケー」

 新野の今踏み出した場所に軽く印をつける。

 「よし、この大体ここまで踏み込んで投げようか。踏み込みに注意し過ぎて腕の振りが疎かにならないようにな」
 「了解。右のアウトロー狙う」

 (改めて見ると新野のフォームは少し変わったか? 入学した時よりもタメが長いな。打者から見れば球の出どころが最後まで見えなくて打ちづらいだろうな)

 新野の投げたボールは多少内側に入ったものの低めいっぱいにしっかり投げ込まれた。これがキープ出来るなら後は四隅に投げさせてみて、そのあと変化球でいいだろ。

 新野の球はそこそこ安定し始めたな、問題は光希か……

 「次はフォーク!」

 地面を踏みしめ振われた腕から放たれたフォークはすっぽ抜けてストライクど真ん中の打ちやすいであろう球になった。

 「……あっ」
 「……ど真ん中だな」
 「本番じゃなくてよかったということで」

 新野のすっぽ抜けもどうにかしないとな。いや、これどうにかなるのか?俺も前世でスプリット使ってた時はすっぽ抜けあったからなんもいえないが……なんとかしないといけないんだろうな。

 「おりゃぁ!」

 豪快なオーバースロー。力の入った声とは逆に体は程よく力が抜けている。横から見ていても浮き上がるように見えるストレートは凄いな、俺だとどう頑張ってももう少し垂れるな。

 今日の光希は球が走ってるがボール球だな。さっきからストライクにあんまり入ってないぞ。

 「ストライクちゃんと入れろー」

 隣の新野がヤジを飛ばしている。新野、コントロール練習。

 「分かってる!おりゃぁ!」

 高めのボール球。釣り球としては一球品だがストライクにちゃんと入ることが前提だぞ。このままじゃバッターがバット降らなくても進塁できる。

 「球走ってるよ!ボール球だけど」
 「分かってるよ!じゃあ次シュート!」

 放たれたシュートが鋭く曲がった!

 「……まぁこういうこともある!」

 光希の投げたシュートは見事に右打者に当たる場所へ吹き飛んでいった。
あれはダメだ、下手したら死人が出る。

 「キレはいいぞ!デッドボールだけど」
 「本番じゃ上手くやる!」

 上手くいくビジョンがサッパリ見えないぞ、チェンジアップ含めてな。

 「それ、やっぱり禁止な」
 「えー左に対してだったら使ってもいいだろ」

 そんなにシュート投げたいか? まぁ右打者に当たるからいけないんだよな。左のインコースに投げれたら大分武器になるだろ。ほぼ左専用になるが投げれないよりはいい。

 「じゃ、左に人がいるイメージでインコースに投げてみろ」
 「オッケー!おらぁああ!」

 インコース高め、完璧なイメージだと左打者に当たるであろうコースから打者の手前ギリギリで一気にストライクゾーンに入る変化球!
 松野のシュートはまだ曲がらない!
 まだまだ曲がらない!
 全然曲がらない!

 「うーん、もう一球!」

 今度は曲がらず左打者の頭直撃コース。校内だろうと校外だろうと負傷退場させるのはまずい。これはダメだ。

 「もう一球、じゃねーよ!わざとか?わざとなんだよな!」
 「いやぁ、ちょっと今日は調子が悪いかなぁ」

 いいぞ、新野。もっと言ってやれ。

 「ほらもう一球投げてみろ」
 「分かった!」

 投げられたボールはヒューンと大きく右方向へ。

 「あと一球だけ!」

 これはもうダメだ、諦めた方がいい。今度は大暴投、キャッチャーが取れないウエストは非常にまずい。
 ちょっと待て、もしかしたら将也ならワンチャン。いや、将也でワンチャンの時点で不味いか。ダメだな、封印決定。時間がある時にどうにかしよう、多分今じゃない。
 
 「純、どうする?」

 流石の新野もこれにはガヤを飛ばせないか。

 「ストレートとスラッターとカーブ磨くぞ。悪いがシュートもチェンジアップも5日間でどうにか出来そうにない」
 「えぇ、マジかよ」

 光希が非難の声を上げているがそれどころではない。コントロールが確実に前より悪くなっている。今までと同じ感覚で先発を任せたら大事故になるぞ。

 「それよりも先にコントロールだ。そのバラバラなステップの幅はどうした。体も安定してないぞ」
 「でも球威は上がってるだろ?」

 光希はドヤ、と胸を張っている。確かにストレートの球質は意味わからんくらいに凄い。

 「確かに球威は上がってるがなぁ、バット振らなくても進塁できるならそれで終わりだろうが」
 「それほどコントロール悪くねぇよ」

 マジで言ってるのか? さっきの暴れまくってた制球からそんなに自信持てるのか? とりあえず3×3のパネル持ってくるか。これで自覚してコントロールをしっかり磨いてくれるといいんだが。

 「ほらまずは7番」

 7番は右打者のアウトロー。四隅にビシッと決まるなら文句の付けようはないが、まぁ多分無理だろ。

 「これくらい簡単よ!」

 ど真ん中、5番のパネルがカタンと音を立てた。

 「……うーん、5番!」
 「ホームランだな」
 「ど真ん中じゃねーか!」

 新野がど真ん中に行ったボールを笑っているが、笑う前にフォークのすっぽ抜けどうにか出来ないか。俺からアドバイスはできないんだけどさ。

 「いや!もう一回!こんなこともあるでしょ!」

 あってたまるかよ。それでサヨナラとかマジでヤバいぞ。

 「とりあえず7番に当たるまで投げろ」
 「そんなの楽勝よ。すぐに当たる」

 ザッと高く足を上げる。オーバースローはやっぱり気迫があるな。腕をしっかり振り切ってるし体も開いてない。軸足から前足への体重移動もちゃんと出来てるが、ちょっと動きの連結がぎこちないか。

 光希の外してもストライクに入れようと日和って球威が落ちる、なんてことのない思い切りの良さ、そのメンタルは素晴らしいと褒めるべきだろうか。……調子に乗りそうだからやっぱやめとくか。

 「8番!惜しい!ストライクには入ってる!」
 「いいぞ、低めには入ってる。7番狙えー」
 
 ストレートの伸びは凄いからど真ん中でも目が慣れてない内なら三振かフライが狙えるが……芯に当たればホームランだろうな。この球威が何球まで持つかはちゃんと知っておく必要がありそうだ。
 多分、球威が落ち始めた瞬間に打たれ始めて止められなくなるからな。

 「オラァ!」
 「7番より左、ハズレだな」
 「もう一回!」
 「8番、狙いはいいぞ」
 「……シッ!」
 「4番、少し浮いたな。もう一回」
 「オラァ!」

 だんだんコントロールは良くなってきてるから集中力が高くなり始めた感じだろうが、これも高めボール球。ちょっとイライラしてるのか?

 「高めボール球。落ち着け」

 落ち着けって言っても落ち着かないよなぁ。案の定というか光希はイライラがピークになったらしい

 「あああああ!全然入らん!なんで!」
 「そりゃコントロール悪いからだろ。ノーコンピッチャーだねぇ」

 新野が光希を煽りまくっている。やめろ新野、それ以上煽ると光希の集中が切れる。

 「新野もやるか? 人のこと言えねぇだろ!」
 「いや、遠慮しとく」
 「いいからやるんだよ!」

 光希が新野に3×3へ投げさせようとじゃれつき始めた。完璧に集中切れたな。俺、もう練習初めていいかな?
 3×3の的を自分用に引っ張り出すか。とりあえずコントロールの状態を見たいし、変化球の投げ分けも確認したいし……

 「あっ、純! 気が効くなぁ! よし!どっちが先に7番に当てれるか勝負だ!」
 「絶対勝つ」
 「負けないからな!」

 ……的、取られた。

 ま、しょうがないか。もう一個持ってくればいいだけだしな。練習意欲があるのはいいことだ。俺は今日もう付き合わないけど。
 つーか的移動させるのめんどくさいな。マネさんにやってもらいたいけどそれは迷惑だよな。

 「あ、伊藤先輩、的ありがとうございます!」

ん?龍宮院。あ、的……それ俺が使うつもりだったんだけど

 「四隅に投げ分けられるようになったら伊藤先輩より若い背番号になるかも知れませんね。ま、自分じゃピンチに弱過ぎて無理ですが」
 「まぁ、なんだ……ピンチの時でも冷静にいつも通りに頑張れよ、今日はバッターとランナーがいるイメージで際どいところ狙ってけ」
 「はい、了解です」

 龍宮院もやる気に溢れてるな。合宿は5日あるしオーバーワークにだけは気をつけさせるか。さて、3×3のパネルを……

 「伊藤先輩!スライダー教えてください!」
 「ん? いいぞ」

 2軍の1年生のピッチャーもやる気がある。龍宮院がいるのに腐ってないメンタルの強さ、貪欲さは龍宮院にも見習って欲しいものだ。
 で、俺そろそろ練習したいからここら辺でいいよな。

 「いいぞ、多少は曲がるようになったな。あとは数投げるんじゃなくて一球一球考えて投げ込むんだ」
 「はい!」
 「じゃあ、頑張れよ」

 えっと、何しようとしてたんだっけ。あぁ、そうだ。コントロールの状態を確認だ。それで3×3の的だったな。

 「伊藤先輩! 球速伸ばしたいんですけどどうしたらいいですか!」

 ちょっと待って。1年ハングリー過ぎない? 龍宮院がいるからこそこんなにやる気あるのか? それはいいことなんだけど俺もそろそろ投げたいんだよね。

 「体が出来れば球速は自ずと伸びる。飯ちゃんと食え! 今はフォームを固めてコントロールを磨け! 他の1年もだ!」
 「「「はい!!」」」

 よし、これで俺の練習が……

 「おーい、伊藤はいるか?」
 「ここにいますが? なんですかコーチ?」

 待ってくれ、嫌な予感しかしないんだ。

 「悪いがバッターの相手してやってくれ。変化球出すマシンが故障しちまったみたいでな」
 「……はい、分かりました」

 俺の練習、筋トレしかまだ出来てない……俺まだ筋トレしかできてない!

──────────────────────────

 さっきマシンが故障した。バッセンの球は打ちやすくて好きなんだけどここのマシンは変化球出してくるから嫌いなんだよな、打てないし。

 「ようやく守備練習に戻れると思ったのにな」
 「コーチが『このマシンの代わり』があるから待てって言ってたけどブルペンの方にマシンの代わりなんてあったか?」

 同じ名前のスミダもそう思うらしい。ブルペンの中に入ったことはないけどブルペンにピッチングマシンが置いてあったかな。
 このマシン、結構高級な奴で多種多様な変化球に最大150キロのストレート、完璧なコントロールと文句なしのやつだから2台あるとは思えないんだけど。
 
 ちなみに1年や2年の2軍は今、トスバッティングとティーバッティング。今マシンを使わせてもらってるのは1軍の打撃補強組だけ。俺ら結構恵まれてるわ、トスバッティングよりは遥かにマシン打撃の方が楽しい。

 あと秋山と澄田は休憩として打撃や守備の指導に回ってる。あいつらは大体出来るから調整なんだそうだ。指導とかつまらなさそうだからこの練習でよかった、ほんと。走塁練習とか地獄みたいな光景だったし。

 「コーチ遅いな」
 「そうだな」

 5分くらい経ったころ、やっとコーチがブルペンから戻ってきた。手ぶらだな。マシンやっぱなかったのかな。
 後ろから伊藤も付いてきたが手ぶらだ。あー伊藤に投げさせるのか。
 
 ん?

 ……あの、えー、その、なんか伊藤の様子がおかしいです、コーチ。

 「マシンの代わりだ、集中しろよ」
 「……」

 あの、コーチ……伊藤からなんかオーラ出てます。
 なんかヤバいっすよコーチ。

 「コーチ、伊藤になんかしてます? なんか怖いんですけど」
 「え?そうか? 特に何もしてないし変わったところなんてないが。そうだよな伊藤」
 「ええ、もちろんです」

 絶対『ゴゴゴゴ』って擬音出てるって。明らかにヤバいオーラ出てるから!

 ((絶対嘘だろ!))

 「あの、スミダ先輩」
 「「ん?」」

 振り返ると1年の川村も田中もビビっていた。そりゃそうだよな。なんか今の伊藤やべーもん。近づきたくねー。できればバッターボックスも遠慮したい。

 「伊藤先輩って朝からこうでしたっけ、なんかピリピリするというか怖いんですけど」
 「いや、朝は仏みたいな顔してたよな」
 「今日もヲタクシャツ着てたしいつもどおりだったよな」
 「むしろちょっと上機嫌だったよな」

 朝はいつも通りだったはず。むしろちょっと上機嫌だったはずなんだが……振り返ると伊藤からピリピリと肌を刺すオーラが立ち上っていた。

 コーチ、伊藤に何したんすか!

 「なんか、やべーって」
 「お前ら何してる。さっさとバット構えろー!」
 「「「「はい、コーチ!」」」」

 で、誰が行くの? 

 「先輩、どうぞお先に!」
 「こういう時は後輩は先輩に譲ると相場が決まっております。どうぞ!」
 「どうした! 順番が決まらないならスミダからやれ!」

 今のは『どうぞどうぞ』する流れなんですよコーチ! まぁ、呼ばれたからには仕方ないか。

 「はい! ……ん?」

 あれ? 相棒? スミダって言われたらいつも一緒に返事してたじゃないか。癖で返事したから俺だけ返事してるみたいになってるが……

 (すまん、犠牲になってくれ)

 あっ、あいつ!やりやがった!

 「俺ですか?」
 「返事しただろう。そうだ、お前だ!」

 くそぉ、後に引けねぇ。

 「はい!」

 マウンドの上に設置してあったマシンの代わりに伊藤が立った。さっきのオーラが気のせいか増してる気がする。確実にヤバい奴でしょ。

 「インコース、ストレート。打てよ」

 防球ネットの後ろから伊藤が鋭い声を飛ばす。ちゃんとコースと球種を教えてくれるなんて優しいじゃないか。
 めちゃくちゃピリピリするし鬼気迫るような声出しやがって。

 「来い!」

 ま、オーラって言ってもな、勘違いかもしれないし、目つき悪っ!
 
「ふーっ……」

 深呼吸して落ち着け、タイミングを取れ。コースも球種もわかってる。
しっかり引っ張れば飛ぶ。イメージはバッチリ、いざ勝負!

 足を上げた、よし、いつだ、いつ来る、来る!?いやまだか!

出どころが見づらいが……なんだ?ボールが浮き上がって

……ダメだ!ぶつかる?!

咄嗟の判断で体を後ろに思いっきり逸らす、バランス崩して尻餅まで着いちまった。それにしても伊藤がコントロールミスなんて珍しいな。

 「痛っ……危ねぇな、伊藤!避けなかったら当たってたぞ!いつの間にノーコンになってたんだぁ?」
 「いや、勝手に尻餅付いただけだろ。ただのインコース高めストレートだぞ。ビビって尻餅つくような球じゃないだろ」

 伊藤が言うにはインコース高めだったらしいが絶対当たるコースだっただろ。マジで怖かったわ。な、そうだろ皆。 ……皆?

 「当たるコースじゃなかった?」
 「多分当たらなかったと思うよ」

 つまり、ストレートの球威に俺がビビっただけってことか……?

 「伊藤!お前軟投派じゃなかったのかよ!」
 「ストレートくらい投げるぞ。じゃあ次、インローストレート」
 「分かった!打つ!」

 なんだよ、おい。……いつもと全然違うじゃないか。いつものあれが全力がじゃないってのは分かってたけど、こんなに違うのか!?

 こんなにも、気迫が、オーラが、球威が、キレが全てが違う!

 鋭い、手が出ねぇ……だが目は慣れた。次ストレートなら当てれる。

 「練習なんだ、振っていけ。次、アウトローにスライダー」
 「バカっ!今のお前の変化球なんて打てるわけねーだろ!ストレートにしろバーカ!」
 「なんでそんなマイナス方面に強気なんだよ。わかったよアウトローにストレートな」

 伊藤のスライダーなんて打てるわけないだろ。打つ秋山とか澄田がおかしいんだよ。練習の時でさえ消えると錯覚したのに、今のあいつが投げたら見えるわけないだろ。

 それにアウトローストレートはよくある球だからティーバッティングでもそこそこ練習してる。これなら前に弾き返せるはず。これで打てなかったら……多分ど真ん中のチェンジアップじゃないと無理だ。
 
 テンポはもう掴んでる。足を上げた、よし待て、まだだ……来た!

「ッ!」

手が痺れる感覚……!ボールがクソ重いがなんとか当たった!これなら前に飛んだだろ。あれ? 高く上がってる……

 「あーあ、フライか」

 光希と同じレベルのストレートかよ。ボールの下に当てちまった。
なんでそんな球投げるんだよ伊藤?!

 「もうちょっと手を抜かないと打てないだろ!?」
 「先輩はなんでそんなに強気でネガティブなんですか」
 「うるさいな、事実だからしょうがないだろ。次、川村な」
 「えぇ!先輩じゃないんですか!」
 「いいからいけ!」

 その後、伊藤は全く容赦しなかった。いつも手抜きというか余力有り余らせます、みたいな投げ方しかしない癖に……

 「らしくないな」

 一体どうしたっていうんだよ。何がそんなにやる気を出させてるんだ?

 「今年で最後なんだぞ!もっと気合い入れろ!」
 「っ!」

 そうか!だからか。そっか……今年の夏で最後なのか。

そうだよな。これ、終わるんだよな……終わらせたくないなぁ。

あと半年しかないんだもんな、そりゃ伊藤もマジになるか。

 野球部、居心地いいもんな……夏自分の責任で試合に負けたら後悔するだろうな。
 終わらせたくない。負けたくない。
絶対に負けたくない。後悔したくない!

 「おし!伊藤来い!」
 「……外角ストレート!打てるな!」
 「来い!」

 ボールに向かって後何日ボールが振れるのか、なんとなくバットを振るのはもう辞めだ。一球一球に魂を込めて振り抜くんだ。

 これは俺の打撃が変わる一撃だ!

 バットは少し短く持って、スイングはコンパクトに。打球の勢いに負けないように腕だけでなくしっかり体全体でバットを直線的に押し出す!

 捉えた! 

 気持ちのいい金属音が鳴った。打球は高く高く空へと上がっていく。

 「いい当たりじゃないか」
 「あぁ、そうだな」

 あと半年、精一杯やり抜くんだ。チームの為、自分の為に。

 パスっとグラブにボールが収まる音がした。3年の先輩がボールを取ったグラブを掲げている。

 「ここだとセカンドフライだな。もうちょっとボール見ていけ。惜しいぞ、あとアッパースイングすぎるかもな。もうちょっとレベルに近くてもいい」
 「あー、あとボール半分上かぁ!」

 今のはぜったい行ったと思ったのに。

 「……でどうだ、満足したか? 練習まだ続けるか?」

 いつものようなめんどくさそうな声の伊藤。だが肌を指すようなオーラとこちらを睨みつけるような鋭い目つきは変わっていない。

 「「「「もちろん!」」」」

 俺らの声に応えるように伊藤の纏うオーラが大きくなった。
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