幻のスロー

道端之小石

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8月上旬

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夏も盛り、気温はグングン上昇しここ最近は最高気温を更新しつづけている。こんな暑い中だろうと球児たちは白球を追いかける。
それは雪月高校野球部も例外ではない。
特に三年生はピリピリしていた。
高校三年間の集大成、絶対に負けたくない、負けるわけにはいかない。
そしてその三年生の熱気に押されるように2年や1年の練習にも熱がより一層入っていた。

が、そんな中でも練習に傾ける熱量が殆ど変わらない人物が1人……いや2人いた。

「伊藤。付き合ってくれ」
「了解です」

それは池上と純だった。
新野と光希はグラウンドを走っている。
新野はコーチの圧倒的にスタミナが足りないという判断である。
光希はメンタルが弱すぎるという理由で走らされている。
光希は中学の時に先発を務めることができるくらいにはスタミナがあるはずなのだが……ペース配分が苦手らしい。

「くっそー、俺も投げたいのに……」
「しょうがないだろ……はぁ、体力づくりが終わったと思ったのにまたかよ」
「新野!松野!おまえら愚痴る余裕があるならペース上げろ!」

そんな皆に影響されたのかコーチにも熱が入る。
あまり干渉しないスタイルだったはずなのだが、どんどん選手達に干渉するようになってきていた。

だが60近い年齢が真夏の中動き回るのはなかなか辛いらしく額には大粒の汗がたくさん流れていた。
マネージャーの佐々木がスッとコーチのスポーツドリンクとタオルを差し出す。
水分を補給して復活したコーチがさらに練習の細かい指示と技術指導を行う。

だがピッチャー達の姿がどこにもない。

「そうですね、スライダーはそんな感じです」
「なるほど……山本、構えてくれ」
「了解だ。悪いがみんな!配球論は後でテキスト作って配布するから各自の練習に戻ってくれ」

純、池上、山本キャッチャーが中心となって投手と捕手の特訓的なものが開始されていた。

また、キャッチャー陣がそれぞれピッチャー達の球を受けていた。

「すげぇ!スライダーが投げれる!」
「まじか?!」
「池上先輩のスライダーめっちゃ曲がる?!すげぇ!」

ピッチャー達はスライダーが投げれるようになって喜んでいるものや池上の投球に興奮しているものがいた。

「そこの人、そんなに肘を捻ると怪我しますよー」

そして純はいちいち、怪我しそうな投げ方をする人物を注意していた。
注意された方はイラッとしているが、どう見ても池上のお気に入りであるし年下の一年に怒るのも何か違う、となんとも言えない心境になっていた。

そして試行錯誤が繰り返されたまに純の指導が入り殆どのピッチャーがスライダーを取得した。
参加していない新野と光希が羨ましそうに眺めているが足を止めることは許されない。

「池上先輩、ついでに縦スライダーもどうですか」
「甲子園まであと少しで新球種は厳しいんじゃないか?」
「スライダーの親戚ですから多分すぐに覚えれますよ」
「そ、そんなものなのか?」

池上が疑問を呈する。
今の池上の持ち玉はストレート、ツーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップだ。
スライダーは130キロ後半から140キロ前半なので高速スライダーとも言えるだろう。

「気持ちの切り替えというか、ストレートの感覚が狂わないように注意は必要だと思いますけど」
「そうか、なら問題ない」

あっさりと池上はうなづき。純が縦スライダーを簡潔に教えると池上が軽く5回ほど投げる。
そして6球目、池上が腕を振るうとボールがキレよく沈んだ。

「あっ、これいいわ」

純の前世での池上は縦スライダーをウイニングショットにしていた。
当たり前のように気にいるはずだ。

「山本、もう一回投げる」
「おう」

そして投げると先ほどよりも深く、鋭く沈む。
池上は手の感覚を確かめるような仕草をしている。
そしてその後ストレートと普通のスライダーと縦スライダーを投げてから池上は笑った。

「伊藤、ありがとう。後は自分で調整するから自分の練習してくれ」
「了解です」

しかし、他のピッチャー達が順を逃がすことはなかった。

「伊藤、俺にも縦スライダー教えてくれ」
「ちょっと待ってください。先輩は先にコントロールを磨くのが先です。
ストレートもろくに制球できないのに変化球を覚えたって肝心な時には一番コントロールできるのがストレートなんですからすぐに打たれますよ」

ズケズケと純は正論を言う。
もっと言い方があると思うのだが純はもうなんか……
めんどくさくなっていた。

実際そのピッチャーはフォアボールが多くストレートが甘く入って打たれることが多い。
何か言い返そうとするのだが……コントロールの面では化け物じみている純を前に何を言い返すこともできず、図星であるために固まったままだった。

そして周りにいたピッチャー達もどこか思うところがあるらしく一斉に目をそらした。

「だいたい、球が速いとか変化球の種類が多いとかキレやら変化量が多いのも大事ですけどね、その根底にあるのはコントロール力なんですよ?」

2年のピッチャー達は揃いも揃って速い球を投げることに重点を置く人と変化球のキレと変化量を重視する人ばかりだった。
コントロールも練習するにはするのだが他の項目と比べればあまり気がすすまないようだ。

要するにコントロールの重要性を真には理解していないのだ。
あーコントロールって確かに大事だよねー、程度にしか思っていないのだから練習にも身が入らないというものである。

「先輩達がピッチャーやってる時の内野と外野の顔見たことあります?
ボール球が何回も出るとどうしても集中力が切れるんですよ。
フォアボールで無駄に危機を招いてるってわかってますよね。
キャッチャーも思い通りにリードできなくて結構不安になってるんですよ」

純が話すことは本当である。
例えば光希がピッチャーをするときはスミダトライアングルのエラーも少し増えるし将也もモヤモヤとした気持ちになっている。

それはなんとなく2年のピッチャー達はわかっていた。
仲間から『ストライクぐらい取れ』と言われたことも実際ある。

「というわけで今、先輩達がやるべきことはシャドーピッチングとリリースポイントの安定と下半身の強化です。
球は十分速いですし変化球も今はもう十分です。
そこにコントロールが加われば十分バッターを打ち取れますよ」

と純が話している後ろにヌルッとコーチが現れる。
コーチはにっこり笑いながらピッチャー達に話しかける。

「お前らも走れって言っただろうがっ!
伊藤の言う通りお前らのやるべきことはコントロールの強化だ!
そのためにはまず下半身を鍛える!
走れ!ほら早く!松野と新野はもう終わってるぞ!」

コーチが指差した先では松野と新野が地面に寝そべっていた。
本当にペースを上げて燃え尽きたのだ。

「じゃあ俺も走ってきます」
「伊藤、お前走るの?」
「走ります」
「よしっお前ら伊藤のペースについてけ!それぐらい余裕だろ!」
「はい!」

体力テストの持久走で満点を取るようなスタミナお化けに着いていける人物は果たしてどれほどいるのだろうか。

余裕を持って走り始めたピッチャー達。
しかし徐々に徐々に距離が開いていく。

「はぁ……はぁ……あいつペース上げてないか?」
「一歩がでかいんだよ。こちとら短足をせわしなく動かしてるってのに」
「お前ら!愚痴るならペース上げろ!そんなにダラダラ走るな!」

コーチからの声が飛ぶ。
2年生のピッチャー達はそれから誰も声を発することなく
ペースも上げなかった。
そして純から半周から一周ほど遅れて全員が走りきる。
純は少し汗ばむような状態だ。

しばらくすれば日が昇りきる。これからが一番暑い時間帯だ。

空は雲一つない快晴、そのせいかやけに暑く感じる。
遮るものがないグラウンドに日差しが降り注ぎ、空気が揺らめく。

朝からの練習で球児達のお腹はぺこぺこだ。
コーチは時計を見てから、大きく声を出した。

「昼休憩っ!1時30分から練習再開!」
「応っ!」

部室へ戻ると全員が弁当を開ける。
部室の中が弁当と汗の匂いで充満する。
そして耐えかねた大体の球児達が弁当を持って外へ出て行った。
何より部室の中は暑い。
純は窓を全開にしてドアを開けっ放しにした。
蝉の声が窓の外から聞こえてくるのが余計に暑苦しい。

純は部室に備え付けてあるモニターで自分の投球を確認しつつ
弁当を食べ始めた。

「あー暑い。山本、後でコンビニに行こうぜ」
「そうだな、でもまた松野に絡まれるかもしれないぞ。げっ松野……」
「んなもんハーゲルダッツ以外を食べればいい話だろ」

そこに池上と山本キャッチャーがやってきた。
ちなみに部屋の隅でグロッキーになった新野と松野がおりそれを見た山本キャッチャーがびっくりしている。

「もうだめ……ハーゲルダッツがないと動けない」
「あー水、できればスポーツドリンクが欲しいなぁ」
「今日はどっちも持ってきてないから諦めろ」

新野と松野が物欲しげに純を見つめるが残念ながらスポーツドリンクは余分に持ってきていないし、そもそもバーゲルダッツを持ってきたことは一度もない。
池上と山本キャッチャーは弁当を食べ始める。

「伊藤、次モニター使わせてくれ」
「もう確認終わったのでいいですよ。縦スライダーのフォームですか」
「まぁそんな感じだ」

そして純達が弁当を食べ終わる頃には球児達が弁当を置きに戻ってきてそのまま道具を持ってグラウンドに飛び出していく。
休憩時間だが自由時間でもあるのだ。
それで体力がなくなったらコーチの雷が落ちるのだが。

ちなみにピッチャー達は全員部室に残って軽くストレッチをしている。
皆、顔に疲れが浮かんでいる。

走らされた後にスクワットが待っていた。
スクワットの後に体幹トレーニング。

そして今に至る。

「……伊藤、お前平気なの?」
「はい、小さい時からやってるので。池上先輩も平気ですよね」
「まぁ、体力は人よりある方だからな」

池上はそう言ってモニターの電源を切る。
壁にかけてある時計が1時23分を指している。

「よし、そろそろいくぞ」
「わかった、お前ら時間には遅れるなよ」

池上の後を山本キャッチャーが歩いていく。

「おーい純!時間だぞ!」
「今行こうと思ってた」

外から呼びにきた将也に純が付いていく。
それから3分後には部室には人がいなくなった。

マネージャーの金木が一人愚痴る。

「もう少し綺麗に使ってくれないかなぁ?」

部室の床には砂やら石やら弁当のご飯が落ちている。
金木はモニターに移すディスク媒体を保管しているところに地区大会を勝ち抜いた学校の試合映像を録画したものを入れた。

「ま、こんなことでしか手伝えないしね」
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