無双の解体師

緋緋色兼人

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二章

15:黒瀬朔斗と伊藤香奈

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 アンドレが香奈の元を去ってから二時間後。

「座りなよ」

 朔斗はそう言ってハンカチを指し示す。

「うん」

 ベンチの上に敷かれた彼のハンカチに、おずおずとお尻を乗せる香奈。
 彼女は朔斗の身体のすぐ横にぴたりと寄り添い、顔を赤くする。
 彼らが現在いるのは、東京都立第三病院の屋上。
 そこにあるベンチへと先に着席した朔斗が、ここに香奈を誘ったのだ。

 ピンクの入院服に身を包んだ彼女は、恥ずかしさを紛らわせるためか、軽く空を見上げる。
 久し振りに浴びた陽の光。
 口元を緩め、彼女は目を細めた。
 朔斗がお見舞いに来たときは、麻耶も一緒にいる病室でいつも会っていたため、こうしてふたりきりになるのは久方振り。
 くっついている右腕に想い人の体温を感じて、香奈は羞恥心と心地良さが同時に味わっていた。

 暖かい風が彼らの髪を揺らす中、おもむろに朔斗が言う。

「何か悩み事があるんだろう?」
「え!?」

 突然切りだされた言葉に、心臓をわしづかみにされたかのような感覚に陥る香奈。
 なんて返事をしようと彼女が考えていると、朔斗が続けて話す。

「毎日毎日会えているわけじゃないけど、それでも香奈のことは昔から見てたんだ。今日は特に酷いぞ? まぁ、香奈にもいろいろとあると思うし……きっと俺には言えないことだってあるだろうさ。でも、もしも俺に伝えて楽になるのであれば言ってほしい。って、ここまで言っておいてだけど、言えないなら無理に聞き出そうとしないよ」

 柔らかな表情をした朔斗は、幼馴染と視線をしっかりと合わせてそう言った。
 彼の言葉を受け、そんなに私ってわかりやすかったのかなと考えてしまう香奈だったが、今はそこを気にすべきじゃないとすぐに思い至る。


「私はどうしたいのかな……」

 そして意識せずに漏れ出た彼女の言葉。
 急いたりプレッシャーをかけたりせず、朔斗はゆっくりと香奈を見つめたまま。
 今は目を伏せてしまった彼女が、自分の奥底にある気持ちに気づく。

(私が望んでいる未来はひとつだけ。自分がどうしたいかじゃなく、私は……私のことを思って、サクが身を引くかもしれない未来が怖いんだ……)

 両親のことも心配で悩んでいたのは事実だが、それでも一番大きな点は、今彼女が思ったようにどちらを選択しても、朔斗と会えなくなるかもしれない未来に怯えていたのだ。
 お互いに告白をしていないふたりだったが、周囲の人は察している――朔斗と香奈は相思相愛だと。
 物心がついた頃に芽生えた小さな恋心を大事に育ててきた彼ら。
 何事もなければ、今頃はまず間違いなく恋人同士になっていただろう。
 しかし、現状はそうなっていない。
 朔斗と香奈が自分の想いを相手へ素直に伝えられなくなる環境が出来上がったのは、彼女が十歳になった日。

 何よりも大切にしたい異性に対し、魔力過多症が治らない状態の香奈に告白をしても彼女自身を苦しめるだけだと、朔斗は考えた。
 香奈はとても心優しい女の子だ。
 もしも朔斗が彼女に告白をしていたのなら、香奈は断っていたはずだと彼は考えている。

(今まで誰も発現したことがなかった『解体師』というジョブを得た俺には、前途ある未来が待っているはずで、いつまで生きられるかわからなく、お荷物となるような恋人なら、俺の横にいるべきじゃないと判断していただろうなきっと)

 静かな屋上で昔を思い出す朔斗。
 彼は香奈の性格をきちんと把握していた。
 もしも朔斗が告白をしていたとしても彼の推測どおり、嬉しい気持ちを抑え込んで朔斗を振っていただろうことは想像に難くない。

(俺はそんなことを気にしないんだけど、こればっかりはな……それに俺の十歳の誕生日には、あれだけ喜んでくれてたし)

 彼の誕生日は六月二十四日で、香奈より早いため先に十歳を迎え、珍しいジョブを発現させた朔斗を、彼女は褒めちぎっていた。
 あり得ないことだが、逆に香奈から朔斗へ告白をしていたのならば、彼はそれを受け入れ、今は晴れて恋人の関係に進んでいただろう。

(エリクサーの入手を目指すことを伝えたときも、香奈は嬉しさと困惑が半分半分って感じで、しきりに俺に遠慮をしていたっけ)

 好きな相手の体温が感じ取れる距離にいた朔斗は心が落ち着き、隣にいる少女とのことを回想していた。
 そんな中――決意を宿した瞳で想い人を射抜いた香奈が口にする。

「本当は言わないつもりだった。でも言うね」
「ああ」
「ゼウス教って知ってるでしょ?」
「もちろん」
「そのゼウス教に……うちの親がさ、エリクサーのことで問い合わせと申し込みをしていたみたいなんだ」

 思いもよらなかった内容に驚きを隠せない朔斗。
 そんな彼の様子を確認しつつ、香奈が続ける。

「それで……エリクサー取得権を持っているSSランク探索者の人が、私を選んでくれたんだって」
「まじか……」

 言葉を失くす朔斗。
 彼はエリクサーをなんとしても入手したいと願っていたので、エリクサーにまつわるさまざまな話を調べ、どんなに役立たない情報であろうとも、それを脳内にインプットしていた。

(よりにもよってエリクサー取得権かよ。ゼウス教の奴らが求めたのが男だったら、純粋に教団の人気取りや戦力のためだって思えるんだけどな。なにせ男のほうが戦闘系のジョブ発現率がなぜか高いし、そしてそういった人をゼウス教専属の探索者にすれば一石二鳥だ。いや、女が男を求めるケースも多いから、女性信者の割合が高い教団としては一石三鳥か)

 だが……と彼は思う。

(エリクサー取得権を男が行使したほとんどの場合、その相手と恋人になるって言われている)

 ゼウス教に知り合いがいない彼は、内部事情を知っているわけではないが、こういった話はネットにいくらでも転がっていて、しかも信憑性が高い情報だったと彼は記憶していた。
 これを暴露したのはゼウス教の信徒となった、元は魔力過多症患者だった女性たち。
 自身らの絶望した未来を救ってくれたゼウス教に所属するイケメン探索者を、彼女らはまるで白馬の王子様のように感じ、その喜びを世界中に知ってほしくてネットに書き込みをしていたのだ。
 当然それは教団も把握していたが、教団にとって特に不利益となる情報ではないし、ある意味では宣伝にもなるので、事実であるそれを漏らす行動を問題視していない。

 硬い表情のままの朔斗へ、自分の気持ちを伝える香奈。

「私は今も頑張ってくれてるサクからエリクサーを貰いたい! 神薬って呼ばれているエリクサーを貰いたいなんて言い方は随分だと思うけど……」
「いや、それは大丈夫。でもそれで本当にいいのか?」

 ゆっくりと頷いた香奈がひと筋の涙を流して言う。

「私の本心は今言ったとおり。でも、でも――親のことを考えたら、はたしてそれでいいのかどうかって気持ちももちろんあるよ……こんな身体だからさ、小さい頃から迷惑をかけてきたんだよね。それでも不満を言わないでずっと私を可愛がってくれているし、なによりも愛してくれてるんだ」
「ああ、伸二さんたちは香奈を猫可愛がりしてるよな」
「うん。それは当然嬉しいよ? でもさ、私は、私はっ」

 そこで言葉を途切れてしまった香奈を朔斗が抱きしめる。
 柔らかい身体を自身の胸元に寄せ、腕を背中に回す。
――ぎゅっと。
 未だ泣いている香奈もそれを受け入れ、最愛の人の体温を感じる。

(俺はどうすればいい? 香奈のことを思って身を引くべきか、もしくは――)

 朔斗の思考を遮ったのは鼻声の香奈。

「今だけ弱音を吐かせて」
「ああ」
「私は死ぬのが怖いよぉ……」

 香奈が亡くなった未来を一瞬想像してしまい、足元がぐらつくかのような感覚に捉われる朔斗。
 そんな彼に気づかず、香奈は大声を出す。

「でもそれと同じくらい――朔斗と一緒にいられない未来を望んでいないし、そうなるのは絶対に嫌だよ!」
「俺も、俺もだっ! 俺はずっと香奈の側にいる!」

 香奈の本心に触れ、先ほど頭に浮かんだ考えを遥か彼方へと飛ばす朔斗。
 遠慮がちに香奈が口にした。

「私ってワガママかな……」
「そんなことない!」

 お互いの存在を確かめ、それを求めるようにきつくきつく抱きしめ合うふたり。
 しばらくして、朔斗から離れた香奈が顔を真っ赤にして言う。

「今はまだエリクサーの準備ができてないみたい。教団ね。だからまだ猶予はあるんだ。問題の先送りってわけじゃないけどさ」
「そっか、今すぐの話じゃなくて良かった。てか、それは先に教えてほしかったよ……」
「ご、ごめん」
「いや、いいさ」

 香奈が人差し指と人差し指の先をツンツンとしながら口を開く。

「私の一番はサクだよ。そうはいっても両親も大事。だから、ふたりの好意を無駄にするのは心苦しいんだ」
「両親のことはこれから考えていこう」
「うんっ!」
「なんとか俺のことを認めてもらえたらいいんだが……それに俺は絶対に手に入れるって誓ってる、エリクサーを!」

 力強く言い切った朔斗がさらに告げる。

「まだ俺たちの将来は不透明だけど、俺と香奈がずっと一緒に過ごせるような未来を――俺は絶対に引き寄せる! だから――」

 そこでいったん言葉を止めた彼は、両手を香奈の肩に乗せて言った。

「香奈の病気が治ったら、俺と結婚をしてほしい!」

 自分の気持ちを伝えるのはまだだと考えていたし、香奈を困らせるだけだと思っていた彼だったが、どうしても今言わなければならないと感じて突っ走ってしまう。
 今までであれば、それを断っていたであろう香奈だったが、彼女の答えは――
 
「私、絶対にサクのお嫁さんになりたい!」

 確かな返事を耳にした朔斗は視線をじっと香奈に合わせ、彼女が目を閉じたのを確認してからゆっくりと顔を近付けていくのだった。
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