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都合のいい話はない

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ランス神官は、年若い。学生たちと変わらない、下手をすると上級生よりも下だ。
だが実はこの学園に来て既に数年。学生であれば入学して卒業する、それよりも長期にわたって籍を置いている。もちろん、学生としての教育はそれ以前にさっさと済ませた。
幼いうちから『神童』と呼ばれ、そしてそれに応えるべく邁進してきた。人間として欠けたところがあると揶揄されることも多いが、そんな陰口に頓着している暇はない。
彼の研究する専門分野は『光の魔力』。極めて希少なものだ。そしてあまり知られていないが、人間の治癒力を高め怪我や病気から回復させる力があると考えられている。
治癒は水の魔力でも可能だが、効力は弱く怪我の治りを早めても病気には効果がない。逆に土の魔力には、ごく僅かに病に効く場合があるという伝承はあるが、実証されていない。
その一方で古い文書によれば、強大な光の魔力を持った者が放つ回復魔法は寿命以外の負傷疾病を即座に癒したという。故にその者たちを『聖者』もしくは『聖女』と呼んだ、と。
しかし光の魔力を持つ者はとても少ない。大きな魔力を持つ者は更に僅かで、こちらは更に実証も難しく半ば伝説めいた昔話となっていた。
ランスは、親兄弟もそれ以外の身内もない。正確には覚えていない。物心つく頃には神殿にいて、自身の高い魔力を研究対象にされていた。幸いにして神官を兼ねる研究者たちは彼に好意的で、彼らを親代わりに育った。そしてその志を継ぎ、より良い魔力の使い方を求めるうち、光の魔力への探究に至ったのだ。
だから、今年の入学生に平民ながら光の魔力持ちがいると聞いてランスも張り切った。ただ彼の張り切り方は、後々話をするようになった第三王子やその側近、婚約者たちにダメ出しを食らうレベルではあったが。
「あのですね、神官様。普通の女の子は、勉強のためとは言え、こんな分厚い抄録を読み込めと言われると嫌がりますわよ」
ランスが精魂込めて書き上げた抄録に、困惑の眼差しを注いでセレスティナは宣う。
「だが、エラはちゃんと読んでくれたぞ。確認試験も上々の成績だった」
「エラは特に真面目で、勉強熱心ですもの。例外だと思っていただいた方が良くてよ」
なかなか気の強いお嬢様だが、エラは彼女を慕っているしセレスティナの方も本人だけでなく実家への援助も欠かさず、領地でも評判は良いという。
「彼女はあまり心配していないんだ、良くやってくれてるし。……問題はもう一人の方なんだけど」
思わず洩らした呟きに、学生たちはあー、とばかりの顔を向ける。
彼らも、『もう一人』の光の魔力持ち(とされている)には好意的ではない。当人は王族やその側近と知って接触しようとしているが。そのやりくちが稚拙かつ非常識で、学内では白眼視されている。
パッと見はそこそこ可愛らしい少女なのだが、しかしその振る舞いは庶民でも滅多にいないレベルの不品行。ちょっと見た目の良い異性と見ればすかさず寄っていき、更に爵位が高いとべたべた媚びまくる。逆に低ければあからさまに蔑み、自分から近づいたくせに無理矢理言い寄られたかのように振る舞う。
正直、学生たちはもちろん教師たちも近よりたがらない。ただしごく僅かながら、その彼女をちやほやする学生もいなくはない。婿入り先を探している子爵男爵辺りの次男以降の者たちと、もう少し爵位の高い者は遊び相手にはちょうどいいと思っているらしい。
既に学園にはその少女に対する苦情が申し立てられているし、実家にも話がいっているはずなのだが。学園はともかく、実家の両親も、まともな対応は望めない、というのが関係者各位の判断だ。明らかに彼女の振る舞いは、その親に起因する。
元々その伯爵家の寄親だった公爵家からも話がいったのだが、編入生の父親であるこの当主は無礼で非常識、まともな話が通じる人間ではない、と見放された。その話は速攻貴族社会に回って、今あちこちに飛び火しているのだとか。
爵位だけで領地のない伯爵家がどうやって生計を立てているのかと言えば、爵位をたてに借りられるだけ借りた金で遊び暮らしているらしい。そしてこの伯爵、なかなかの食わせ者で、礼儀も何もなっていない割に妙に一部には受けがいい。経験や考えの浅い者の中には、「意外に使える人物ではないか」などと言い出す者まででる始末。
要は、裏付け無く自信ありげな態度、傲岸不遜な振る舞いに不思議と説得力があるのだ。あと、単純にたいそう顔がいい。
本人もそれをわかっていて、振る舞いや教養より身につけるものや衣装に大金を投じている。貴族階級でなければ所持のかなわない高価かつ貴重な品を、無造作にまとうことで箔をつけているのだ。それも、「わかる者にはわかる」という感じで余計に一部の浅薄な人間を煽ってみせる。その辺りが妙に達者な、言わば詐欺師の手法だ。
その妻はそこまで悪質ではないが、こちらは明らかに貴族ではない。しかもかなり低い階級の酌婦、というのが周囲の判断である。少なくとも、既婚かつ学校に通う年齢の娘がいる貴族の女性がやらないようなことを平気でやってのけている。
胸元の大きく開いたドレス、けばけばしい化粧であまり格式の高くない茶会などにもぐり込み、世間知らずの若い男性を引っかけては、後から夫が出てきて難癖をつける、という簡単に言えば美人局だ。もちろん犯罪だが、相手も大概表沙汰にしたくない事情がある。そしてその辺りを見極めるのが夫婦揃って絶妙に上手い。
ただし、その行状は密かに噂として広まり、今では貴族社会の中で「あの家はヤバい」と囁かれている。その貴族階級に出入りする商人たちにも話は広がり始めているという。

そうした学園の外での話も、王子たちは把握しており、ランス神官とも相談したい、というが。正確には情報共有であって、その上での協力要請だろう。
「神官殿も、当の娘にはかなり苦労されているようですから」
「正直なところ、あれはな。こちらの手には余る。……学び鍛練する気持ちがある者ならともかく、ちやほやされたいだけの相手などしてられるか」
はっきり言って、娘の方は両親より遥かに考えの浅い愚か者だ。「光の魔力」がある、というのも眉唾物で実のところ貴族としてはかなりお粗末なレベルの魔力量しかない。それでも、見た目は悪くないので、きちんと教育を受けそれを身につけさえすればそこそこの相手に見初められるくらいは出来そうなのに。自分の振る舞いでそれを無しにしていることさえ、わかっていない。
「人脈を得たい、婚約相手を見つけたいというだけの者なら他にもいるのですが」
「目的がそうだったとしても、誰もそれに応じないと思いますよ」
侯爵令嬢はしみじみとこぼし、宰相の息子はばっさり切り捨てる。そしてランスも彼の方に同意だ。
「本人はもうどうしようもなさそうだからね。……ところで、彼女本当に「光」の魔力あるのかな?」
王子がついでのように尋ねるのに、ランスは溜め息を吐いた。
「はっきり言うが、とても疑わしい。大体『あれ』は、魔力審査の珠だってぼんやり光ったかどうかだったし」
既に『あれ』呼ばわりになっているが、誰もそれを咎めない。王子とその婚約者、そしてエラは困ったように苦笑している程度だが、宰相の息子と護衛の騎士、その婚約者の令嬢たちは深々頷いているくらいだ。
「……率直に言って、彼女が「光」の魔力保持者でなかったら、困ることがありますか?」
真正面から問われてランスはちょっと考えた。が、実際考えるまでもないことだ。
「全く無い。……むしろ、「光」の魔力を持ってる方が面倒な話になりかねん」
「光」の魔力は希少だが、それ故にその能力は未知数だ。稀有であり貴重な力ではあるが、実体が明らかとは言い難い。
増して今は確実にその能力を持つエラがおり、彼女の魔力は相当量であることも確認済みである。敢えてそれ以外の者が必要か、と言われればかなり微妙だし、その相手がゴルンザ伯爵令嬢ならば関わる方が面倒にちがいない。
「ですよね。……ただ、それを承知でお願いしたいことがありまして」
苦笑混じりの王子が目配せして宰相の息子が頷き、後を引き取った。
「申し訳ないですが、もうしばらくの間、彼女を預かっていただけませんでしょうか。いろいろ問題を起こしている割に、学園を辞めさせるにはまだ証拠が揃っていなくて……」
「……有り難くはないが、理屈はわかる。……ただ、それだけじゃないな?」
素行不良で退学だの除籍だのになる学生は、極めて稀だがいない訳ではない。ランス神官が学園に属してからでも2・3年に一人くらいはいる。ただ編入してほんの数ヵ月でここまで悪評を轟かせる者は彼も初めて見たし、他の教師も同様らしい。
それを踏まえるに、ゴルンザ伯爵令嬢はいつ退学勧告を出されてもおかしくないし、むしろそのタイミングを見計らっている気配さえあったのだが。
「実のところ、あのような明らかに不審な人間に引っ掛かる、考えの甘い者を把握して、場合によっては排除も考えています」
酷薄なようだが、政治には門外漢のランスにもわからぬ話ではない。あんな稚拙な色仕掛けハニートラップに引っ掛かるような人間が、下手な権力を持ったら周囲に迷惑だ。権力が無くとも余計な真似ができないよう、徹底的に叩いておくということだろう。
「……理解はしたくないが、納得はした。だが最低限、エラの安全は保証しろ」
ランス神官は魔法使いとしても優秀で、大概のもめ事なら自分で対応できる自信がある。しかし教え子のエラは、魔力こそ多いものの自衛手段のないただの少女だ。侯爵家の庇護下にあるとは知っていても、危険に晒すのは避けたい。
「もちろんですわ。エラ、あなたも何かあれば迅速に連絡してちょうだい」
「ありがとうございます、セレスティナ様」

エラは一堂の会話の中、ある意味中心人物ながら殆んど口も開かず控えていた。
偉い貴族の方々相手に余計なことは言わない、と幼い頃から母は彼女を厳しく指導した。それも自分の経験として、何の過失も無くても罪を被せられる恐れさえあると、かなり怖がってもいた。
父はそれを咎めなかったが、だからこそ信頼できる相手を作るべき、というのが彼の判断。元々父は隣国の出身で、その生国ではやはり権力階級に逐われた過去があるらしい。だが忌憚無く付き合っていた友人に助けられて逃げ延びた、とも。詳しい話は母や他の友人知人にも語らないが、貴族であれ平民であれ、信じるべき人間とそれに値しない人間がいるだけだ、というのが父の持論で、母もそれは否定しない。ただ貴族相手ならば平民同士より慎重に、は両親の共通見解だ。
幸い、エラにとって一番近い貴族であるセレスティナは、平民の話に耳も貸さない傲慢な貴族ではない。エラがどうしたいか意見を聞いて、そのための方策や必要な知識の在処を教えてくれる。実際の知識自体は自分でもわからないと言いながら、一緒に調べものをしたり他の令嬢たちを巻き込んだりして、エラの交遊関係を広げてくれた。
今こうして学園に通い、生まれた村では考えられないほど高度な教育を受けさせてもらえるのも、セレスティナのおかげだと、深く感謝している。セレスティナ自身は、「エラが自分で頑張っているからよ」と笑っているが、彼女もまた日々努力を欠かさないことはエラも知っている。
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