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6、拒否権がないのは困ります
しおりを挟むネッツェル公爵家からどのように帰宅したのか、よく覚えていない。
フラフラとしながら、なんとか両親の待つ自宅の帰路に着いた。
「た、ただいま……」
「おかえりなさい。遅かったわね。もうお父さんも帰ってきてるわよ」
母、グレタ=ステッドマンはキッチンに向かいながら、息子の方を一瞬振り返るものの気にせず料理を続けた。
「お母さん…ご飯食べ終わったら話があるんだ」
「何よ、今話せばいいじゃない」
「いや…ちょっと、お父さんも一緒の方が、良い、かも……」
グレタは腑に落ちない様子だったが、無理矢理納得させたようで深くは追求してこなかった。
やがて食べ始めた夕食は、全く味がしないままであった。
「で? 何よ。話って」
母に促され、戸惑いながらも今日の出来事を話し始めた。
父、ルノー=ステッドマンも居住まいを正した。
婚約破棄されて、親友のソフィーが実家の公爵家に連れて行ってくれた。
その時にソフィーの父親が、縁談を探してくれる話になった。
しかし、縁談を探そうとしたのも束の間、トバイアス王国の第1王子が僕に求婚しに来た。
第1王子のラスティム=フォン=トバイアスは、小さい頃の『いっしょにすむ』約束を果たすために婚約すると。
むしろ今すぐ孕ませても良いくらいだと、ほぼ脅しのようなことを言われた。
僕はポツポツと、なんとか話終え、チラ、と父と母の方を見た。
父も、母も、顔面蒼白になっていた。
「い、意味が、分からない。まさか、あんな小さな頃の約束を守る為だけに?」
母の声は少し震えていた。
僕はグレタの言葉に頷く事しか出来なかった。
「信じられない!婚約破棄されたばっかりで悲しんでる息子に脅すようなことを言うなんて!」
「落ち着きなさい、グレタ」
「何言ってるのよ貴方!冷静になれる訳ないじゃない!」
母は騎士だけあって、血気盛んなところがある。父の方が少し冷静のように見えた。
父は少し考えた後、僕の方を見据えて話し始める。
「殿下は、本当にニーアに婚約を申し込んだんだね?」
「うん…拒否は、出来ないって言われて」
「…王族の言葉だから、まぁ…そういう事になるだろうね」
父は一度ため息をつく。母は信じられないと顔に手を当てて泣き出してしまった。
「ニーア。君はどうしたい?」
「ど、どうって…拒否できないんじゃ」
「関係ない。それは君の意思じゃない。私はニーアの意見を聞きたい」
父に真っ直ぐ見つめられながら言われて、俯いてしまった。
怒涛の展開で、よく分からないまま進み、自分の気持ちなど考える余裕はなかった。
「これは、私の意見だが……殿下が本当に小さい頃の約束をずっと覚えてくれているくらいニーアの事が好きならば、王城でも不当な扱いは受けないと思う」
「貴方!」
「落ち着きなさい、グレタ。けれどね、かと言って、君の意見を無視することは私もグレタにとって本意ではない」
「どういうこと…?」
父の方をもう一度見ると、視線を逸らさず僕に伝える。
「君が婚約したくないと言うならば、私もグレタも君を連れて王国を出よう。金は…アーサーの実家のトルストイ家に奪うつもりで貰う。それでどうにか国を出る。幸い、グレタは遠征で遠出に慣れているし、きっとどうにかなるだろう」
「貴方……」
「お父さん…」
「けれどもし、婚約を引き受ければ、私もグレタも、二度とニーアと会うことは許されないだろうね」
そこまでは思いつかなかった。 母も何となく気づいていたのか、父の言葉でまた耐えきれず泣き出してしまった。
「婚約する時の条件は何かあるのかい?」
「ソフィー……ネッツェル公爵家の養子になるのが、必須だって言ってた…」
「なるほど。 ではそれを盾にこちらも条件を出そう」
母は父の方を驚いて見た。
「何言って…王子がこちらの要求を呑むはずないじゃない!」
「庶民のニーアの事が忘れられないくらい好きなんだろう? ニーアが望めば希望はある。私とグレタの望みじゃない。ニーア本人が交渉するんだ」
「こ、交渉…?」
「今後、ネッツェル公爵家を介して一年に一回必ず私とグレタに会えるようにすること。ネッツェル公爵家を介して手紙のやり取りを必ずさせること。これくらいは望めるはずだ」
父の力強い言葉に、ほんの少しだけ希望が見え始める。
「ほ、本当に出来るの?」
「出来るかどうかは、ニーア。君次第だ。もし婚姻するならばやるしかない」
「ニーア…嫌なら断って良いわ。私もルノーも…もう貴方に傷ついて欲しくない」
「お母さん…」
(2人ともしかしたら二度と会えないかもしれない…でも、王子が小さい頃から僕のことをずっと想ってくれているなら……)
想い続ける辛さは、婚約破棄されて痛いほど分かる。
もしここで自分が王子を拒否すれば、王子も自分と同じように傷ついてしまうかもしれない。
なんとなく、それだけはしたくないと思ってしまった。
「……交渉、するよ」
「ニーア?! 本当に良いの?!」
母は泣きながら驚いている。父は動じず僕の話を聞き続けた。
「殿下が、そこまで想ってくれているなら…断ったらきっと悲しむ。僕は、悲しくて、辛い気持ちは本当に分かる、から…なら、ちゃんと向き合ってくる」
「……はぁ。ニーア、それは君の良い所でもあるけど、欠点でもあるね」
父は苦笑しながら僕を見る。
「君は本当に優しい子に育ってくれた。父として、本当に嬉しいよ。けれどもね、押し付けてきた殿下の気持ちではなく、君の気持ちをちゃんと大切にしなさい。いいね?」
「……うん。ちゃんと、大事にする」
「ニーア! 本当に嫌になったらすぐに連絡しなさい! 私が絶対何とかする!」
母は立ち上がり、僕の体を抱きしめながら泣いていた。 泣きすぎて、目が真っ赤になっていた。
父を見ると、優しく穏やかに微笑んでいた。
もしかしたら、二度と会えないかもしれない。
けど、僕が何とかすれば、会うことが出来るかもしれないなら。
(絶対、上手くいってみせる)
そう決意を新たにして、僕は少し両親と話して明日に向けて眠ることにした。
□■□
「ねぇ…貴方。本当に王国を出れると思って言ったの?」
グレタは痛々しいほどに泣き腫らした目を私の方に向ける。
ニーアは、先に眠ってもらった。
私は酒を飲みたい気分になり、少しだけ安酒を出して、飲み始めた。
「……出れないと思ったよ。運良く出たとしても、関所で捕まるだろうね」
「はぁ、そうよね。上手くいくわけないわ」
騎士として、関所を守ったことがある妻は、お尋ね者がどうなってきたのかよく理解しているだろう。
けれど、ニーアにせめて選択の余地がある事だけは伝えたかった。
拒否出来るかもしれないなら、ニーアは逃げたいと思っている気持ちがあるのか聞きたかった。
親として、せめてニーアの気持ちだけは受け取りたかった。
「正直、交渉も上手くいったと見せかけるのは簡単だよ」
「? どういうこと?」
「…ニーアは二度と王城から出られない。庶民の私とグレタがどうなっているかなんて分かるはずがない。手紙なんか適当に作らせればいいし、病気で亡くなったことにすればわざわざ会わせなくても良い」
「そんな……!」
これは王子の良心に訴えるしかない。ニーアに全てを委ねてしまったが、ニーアが心から望んでくれれば、もしかしたら王子が折れてくれる希望を持つしかない。
「私たちは、祈るしかない。ニーアが幸せになることを」
安酒を煽り、気が重い明日に賭けるしかなかった。
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