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最終章
アキノキリンソウ【励まし】
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それから、数週間が経った。言われた通り、俺はグウェンの屋敷にスイレンとアイリスと共に住んでいた。
軟禁などされているわけではない。行こうと思えばどこでも出掛けられる。けれど俺は何もする気が起きなかった。
いや、誰かに会いたいとも思わなかったが正しかった。
グウェンにも、レイにも、ルークにも。会いたいと思えないのだ。嫌いかと言われたらそんな訳はない。
グウェンの事は今でも愛していると言える。レイだって唯一無二の存在で大好きだ。ルークは初めてできた友人で、たまにムカつくけど本当に良い奴だ。
けれど自分は、その誰とも会いたくなかった。
3人も、何となく気づいているのか、会いに来たりすることは無かった。たまにレイから手紙がくる、それだけだった。
特に今日も予定はなく、ソファでゆっくり刺繍をしていた。
「失礼します、ノア様。どうやらテオ様がこれからいらっしゃるようです」
「? テオ君?」
アイリスに先触れが届いたようだった。全く予想していなかった人物に疑問を感じるが、せっかく来てくれるならと、受け入れる準備をすることにした。
テオは馬車でここまで来たようだった。到着するなり、大きなため息をつかれた。
「はあああああ、ごめんねノア先生。急に来て」
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」
もう先生は辞めたので先生ではないのだが、テオにとってはその方が呼びやすそうであった。
テオはガーデンテーブルにぐでー、伏しながらほっぺたを膨らましていた。友人の前にいる背伸びをしたテオではなく、年相応の少年のようだった。
「レイがさ、まだ学園に行くなって言うんだ」
「レイが? うーん……心配なんじゃない?」
「俺は操られてただけだし、テストの点数はそんなに気にしてないし、もう大丈夫だって言ってるんだ!」
テオはタマスダレと桃の花を使って操られていた。レイが手紙で教えてくれた。
レイにとって、テオの自死の光景はトラウマなのだろう。
テオに魔力がある気がすると頼られたのにそれがすぐに分からず、自分が良かれと思って送った花を利用されてテオを害した。
レイはその時の自分を恨んでいるのだ。そして、もう二度とテオのそんな姿を見たくないと思っているのだろう。
「ルークはさ、もうそろそろ行けよって言ってるんだよ!だったらもう良くない?!」
「うーん…その言い方のルークは、多分喧嘩してる2人が面倒なだけな気がする……」
あの面倒見が良さそうで、実は面倒臭がりな友人は、厄介なことこの上ない。2人のことは大切だから話を聞いてくれているんだろうが、興味無いやつには本当に興味を持たない。
そしておそらく話しぶりからして、レイとテオは毎日のように喧嘩しているのだろう。
ルークも最初は、レイの意見を尊重していたに違いない。レイの我儘を全て許容するルークは、流石の俺でも尊敬するレベルだ。
しかし、喧嘩声を毎日聞いていて、面倒になったのだろう。そもそも喧嘩できるほどのメンタルならば、学園でもやっていけると判断したに違いない。
「でもレイは絶対ダメって言うんだ!弟だろ!何とかしてくれ!」
「うーーん…レイが俺の言うことを素直に聞いたことないんだよね……その辺はルークの方が上手だよ」
テオがそれでも何とかしてと言うということは、ルークの言うことも聞かないくらい、レイは意地になっているようだった。
「そもそも俺はさ、色んなとこに行きたいの!」
「色んな所?」
「そう!俺は跡継ぎだーとか言われてたけど、こないだ弟が出来たんだよ」
侯爵家は夫婦とても仲がいいと聞いたことがある。10以上も離れた兄弟ができるほどの仲の良さらしい。
「もし、弟が跡継いでくれたらラッキーって思ってんだよね。ダメだったら仕方ないけど」
「色んな所行きたいって……何したいの?」
「いやもう本当に色んな国! 外交官みたいな仕事に着きたいんだよ!」
テオはキラキラした宝石のような瞳をさせて夢を語る。
「そんでさ、その国のヤツらとやり合いたいんだよ。自分がどこまでできるのか試したいんだ」
「……凄いな、テオ君は」
テオは跡継ぎだからといって、自分を視野を狭めない。俺とは全然違うタイプだった。
俺は魔法が使えないから、貴族としてどこにも嫁ぐことも出来ないと悲観した。見兼ねた父や母が色々勧めてくれてようやく見つけた刺繍の道だった。
生きていけて、両親やレイに迷惑がかからないなら刺繍で良いや、くらいにしか考えていなかった自分とは正反対のようだった。
「……ノア先生は」
「ん?」
急にテオの話のトーンが変わった。
「いつまでこんな所に一人でいるの?」
庭園に暖かく温い風が吹く。
「いつまでって…」
そんなの自分にも分からなかった。どう自分が変われば正解なのかももはや分からなくて、いつ何かが変わるのかも分からなかった。
「はぁ、ノア先生っていつもそうやって誰かが来てくれるのとか助けてくれるの、待ってるタイプでしょ?」
「うぐ」
「もうノア先生は大人なんだから、いつまでも待ってるだけじゃダメだよ」
「うっ……」
まさか年の離れた子供に説教されるとは思っていなかった。
言われた通りでなにも言い返せなかった。グウェンやレイに自分はいつも甘えていた。グウェンなんかには、「助けてよ」なんて最近言った覚えもある。
「はーあ、これじゃグウェン先生が可哀想だ。早く帰ってあげなよ」
「……でも、グウェンが」
グウェンが静養をするようにと、ここに来させたのだ。勝手に出るのは良くないと思った。
出てけと言われてもおかしくないと思っている。操られていたとはいえ、心までグウェンを裏切ることになった。グウェンはきっと、姿も見たくなかったのだろうと思ったのだ。
「え?なに?まさか、グウェン先生が帰ってくるなって言ってると思ってるの?」
「あ……うん」
「うわっ、何そのネガティブ! ノア先生って実はめちゃくちゃ面倒臭いタイプでしょ!」
頭に石が落ちてくるような感覚がして落ち込む。まるで小さい版レイだ。ハッキリとズバズバ言いたいことを言われる。
「そんな訳ないじゃん。だったらあんなの、造らないよ」
「? 造る?」
「……これ以上は言わない。帰れば、グウェン先生がどう思ってるかなんて一発で分かるよ」
テオはそう言って席を立った。少し呆れているような、心配されているような表情が、まるで大人のようだった。
「自分から行動しないと何も変わらないよ」
まるで子供に言い聞かせている言葉だった。何だか、帰らない自分が意地になっているだけに感じる。
テオはひとしきり愚痴を言ったら満足したのか、また子爵家に戻って行った。
テオが帰った後も、テオに言われた言葉を反芻していた。
「自分から…行動」
行動して、こうなってしまったのではないか。グウェンのためになるかもしれないと兎に角色んなことに勇気を出して手を付けた。
けれど、こんな結果を招くなんて思ってもみなかった。何もせず、刺繍をやっていただけの日々が懐かしい。あの頃は、まだグウェンに自分の気持ちを隠していた。
両親やレイにどう思われるのか怖くて、誰にも言えなかった。唯一友人となったルークにだけ愚痴として零すと、『自分が好きなやつと結婚するのに祝うとか、地獄だな』なんて言われた。そんなルークだって、今考えれば地獄だったはずだ。
「ノア様、そろそろ戻りましょう。風邪をひかれますよ」
スイレンが俺を屋敷へ促す。アイリスとスイレンは仕事とは言え、いつも俺に気をつかってくれている。
「……スイレン。今グウェンが何を造ってるのか知ってる?」
「いえ、私とアイリスはずっとこちらにいますから。分かりません」
その通りだ。分かるはずもない。ずっと俺のそばにいるのだから、本邸の様子など知るはずもない。
馬鹿なことを聞いてしまった、とほんの少しばかり落ち込んだ。
「…気になりますか」
「?……まぁ、テオ君に言われたら、それなりに」
「ならば、見に行けば答えが分かるのでは」
スイレンは至極当然のような事を言う。分かっている。分かっているが、行きたいとも思えないのだ。
「……だいたい」
「スイレン?」
「ゴードリック卿の時もそうですが、ウジウジしているノア様を見ていると本当にこの綺麗なのは顔と身体だけで、性格はとても面倒な人だなと思いますね」
「ひ、ひええ……」
スイレンに久しぶりのいつもの毒舌が宿る。さっきもテオに言われてしまい落ち込んでいたのに、追い討ちをかけてきた。
アイリスもこちらに気づいたようで近づいてきた。
「何をやっているの、スイレン」
「…ちょっとこの面倒な方に説教よ」
「ダメよ。落ち込んでしまうわ。ただでさえウジウジしているのに、また更にウジウジしてしまうわ」
「酷い……」
そう言われて、俯くことしか出来なかった。
「……仕方ないじゃないか。グウェンには、ここにいけと言われてる。勝手に本邸に行くなんて……」
「そんなの、関係ないじゃないですか」
俺の言い訳じみた話は、スイレンにバッサリと一刀両断される。
「ノア様、気になるのでしょう?旦那様の様子が」
アイリスにそう言われ、俯いて考える。
何かを造ってるというのは、多分テオの口調から察するに、自分のために何かしているのだろう。気になるのは当たり前だ。
「ならば、会えばいいんです。心のままに、気になるものを見に行けばいいだけです」
「下らないものだったら帰ってくれば良いのです」
「く、下らないって……」
スイレンは毒舌ながらも、笑顔だった。俺が気負わないようにそう言ってくれているのだ。
「ノア様。旦那様はきっとお待ちしております」
「ノア様。旦那様がそろそろ寂しくて死んでしまいますよ」
アイリスとスイレンが並んで微笑む。
「……待ってる、かな」
「もちろんです。アイリス、準備しましょう」
「ええ、ノア様。ほら立ってください」
「え!今から?!」
いや確かに、まだ午前中だから時間はあるが、心の準備をさせて欲しい。ただでさえ数週間アイリスとスイレン、今日会ったテオ君以外の誰とも会っていないのに、引きこもっていた時が長くて恐怖が勝る。
「時が経てば、更に行きずらいくなるのが目に見えております」
「スイレン、御者の準備をしてくるわ」
「ひ、ひえええ……」
無理やり立たされて、後ろから押されるように歩かされる。
この数週間一度もそんな風にされてこなかったのに、一体どうしてスイッチが入ってしまったのか。
「今日、久しぶりに旦那様の事を気にかけましたね」
スイレンがボソリと背中から呟く声が聞こえる。
そういえば、ここに来てからずっと、グウェンやレイ、ルークの話題を出さないようにしてきた気がする。避け続けていたことに、メイドの2人も気づいていたのだ。
「もう、今しかないと思います。今行くしかありません」
「で、でもこんな急に行っても迷惑じゃ……」
「妻が夫に逢いに行くことの何が迷惑なのですか!」
急にスイレンが大きな声を出す。ビクッと身体が震えた。スイレンの大きな声なんて、初めて聞いた。
「行って!旦那様が何を考えていたのか!見てくるのです!ノア様がウジウジウジウジしていた間!どれだけ旦那様が心を砕いていたか!ちゃんと……!」
「す、スイレン……」
スイレンの声に、震えが宿っている。その言葉と震えで、察した。きっと2人のメイドは、グウェンが何を造ってるのか知っているのだ。知っていてわざと嘘をついたのだ。
知らないフリして、俺に興味を持たせようとしてくれたのだ。
逢いに行く理由のために。
「……分かった、ちゃんと見てくるよ」
スイレンが背中で、ぐず、と鼻を啜っている音が聞こえるが、振り返らなかった。
軟禁などされているわけではない。行こうと思えばどこでも出掛けられる。けれど俺は何もする気が起きなかった。
いや、誰かに会いたいとも思わなかったが正しかった。
グウェンにも、レイにも、ルークにも。会いたいと思えないのだ。嫌いかと言われたらそんな訳はない。
グウェンの事は今でも愛していると言える。レイだって唯一無二の存在で大好きだ。ルークは初めてできた友人で、たまにムカつくけど本当に良い奴だ。
けれど自分は、その誰とも会いたくなかった。
3人も、何となく気づいているのか、会いに来たりすることは無かった。たまにレイから手紙がくる、それだけだった。
特に今日も予定はなく、ソファでゆっくり刺繍をしていた。
「失礼します、ノア様。どうやらテオ様がこれからいらっしゃるようです」
「? テオ君?」
アイリスに先触れが届いたようだった。全く予想していなかった人物に疑問を感じるが、せっかく来てくれるならと、受け入れる準備をすることにした。
テオは馬車でここまで来たようだった。到着するなり、大きなため息をつかれた。
「はあああああ、ごめんねノア先生。急に来て」
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」
もう先生は辞めたので先生ではないのだが、テオにとってはその方が呼びやすそうであった。
テオはガーデンテーブルにぐでー、伏しながらほっぺたを膨らましていた。友人の前にいる背伸びをしたテオではなく、年相応の少年のようだった。
「レイがさ、まだ学園に行くなって言うんだ」
「レイが? うーん……心配なんじゃない?」
「俺は操られてただけだし、テストの点数はそんなに気にしてないし、もう大丈夫だって言ってるんだ!」
テオはタマスダレと桃の花を使って操られていた。レイが手紙で教えてくれた。
レイにとって、テオの自死の光景はトラウマなのだろう。
テオに魔力がある気がすると頼られたのにそれがすぐに分からず、自分が良かれと思って送った花を利用されてテオを害した。
レイはその時の自分を恨んでいるのだ。そして、もう二度とテオのそんな姿を見たくないと思っているのだろう。
「ルークはさ、もうそろそろ行けよって言ってるんだよ!だったらもう良くない?!」
「うーん…その言い方のルークは、多分喧嘩してる2人が面倒なだけな気がする……」
あの面倒見が良さそうで、実は面倒臭がりな友人は、厄介なことこの上ない。2人のことは大切だから話を聞いてくれているんだろうが、興味無いやつには本当に興味を持たない。
そしておそらく話しぶりからして、レイとテオは毎日のように喧嘩しているのだろう。
ルークも最初は、レイの意見を尊重していたに違いない。レイの我儘を全て許容するルークは、流石の俺でも尊敬するレベルだ。
しかし、喧嘩声を毎日聞いていて、面倒になったのだろう。そもそも喧嘩できるほどのメンタルならば、学園でもやっていけると判断したに違いない。
「でもレイは絶対ダメって言うんだ!弟だろ!何とかしてくれ!」
「うーーん…レイが俺の言うことを素直に聞いたことないんだよね……その辺はルークの方が上手だよ」
テオがそれでも何とかしてと言うということは、ルークの言うことも聞かないくらい、レイは意地になっているようだった。
「そもそも俺はさ、色んなとこに行きたいの!」
「色んな所?」
「そう!俺は跡継ぎだーとか言われてたけど、こないだ弟が出来たんだよ」
侯爵家は夫婦とても仲がいいと聞いたことがある。10以上も離れた兄弟ができるほどの仲の良さらしい。
「もし、弟が跡継いでくれたらラッキーって思ってんだよね。ダメだったら仕方ないけど」
「色んな所行きたいって……何したいの?」
「いやもう本当に色んな国! 外交官みたいな仕事に着きたいんだよ!」
テオはキラキラした宝石のような瞳をさせて夢を語る。
「そんでさ、その国のヤツらとやり合いたいんだよ。自分がどこまでできるのか試したいんだ」
「……凄いな、テオ君は」
テオは跡継ぎだからといって、自分を視野を狭めない。俺とは全然違うタイプだった。
俺は魔法が使えないから、貴族としてどこにも嫁ぐことも出来ないと悲観した。見兼ねた父や母が色々勧めてくれてようやく見つけた刺繍の道だった。
生きていけて、両親やレイに迷惑がかからないなら刺繍で良いや、くらいにしか考えていなかった自分とは正反対のようだった。
「……ノア先生は」
「ん?」
急にテオの話のトーンが変わった。
「いつまでこんな所に一人でいるの?」
庭園に暖かく温い風が吹く。
「いつまでって…」
そんなの自分にも分からなかった。どう自分が変われば正解なのかももはや分からなくて、いつ何かが変わるのかも分からなかった。
「はぁ、ノア先生っていつもそうやって誰かが来てくれるのとか助けてくれるの、待ってるタイプでしょ?」
「うぐ」
「もうノア先生は大人なんだから、いつまでも待ってるだけじゃダメだよ」
「うっ……」
まさか年の離れた子供に説教されるとは思っていなかった。
言われた通りでなにも言い返せなかった。グウェンやレイに自分はいつも甘えていた。グウェンなんかには、「助けてよ」なんて最近言った覚えもある。
「はーあ、これじゃグウェン先生が可哀想だ。早く帰ってあげなよ」
「……でも、グウェンが」
グウェンが静養をするようにと、ここに来させたのだ。勝手に出るのは良くないと思った。
出てけと言われてもおかしくないと思っている。操られていたとはいえ、心までグウェンを裏切ることになった。グウェンはきっと、姿も見たくなかったのだろうと思ったのだ。
「え?なに?まさか、グウェン先生が帰ってくるなって言ってると思ってるの?」
「あ……うん」
「うわっ、何そのネガティブ! ノア先生って実はめちゃくちゃ面倒臭いタイプでしょ!」
頭に石が落ちてくるような感覚がして落ち込む。まるで小さい版レイだ。ハッキリとズバズバ言いたいことを言われる。
「そんな訳ないじゃん。だったらあんなの、造らないよ」
「? 造る?」
「……これ以上は言わない。帰れば、グウェン先生がどう思ってるかなんて一発で分かるよ」
テオはそう言って席を立った。少し呆れているような、心配されているような表情が、まるで大人のようだった。
「自分から行動しないと何も変わらないよ」
まるで子供に言い聞かせている言葉だった。何だか、帰らない自分が意地になっているだけに感じる。
テオはひとしきり愚痴を言ったら満足したのか、また子爵家に戻って行った。
テオが帰った後も、テオに言われた言葉を反芻していた。
「自分から…行動」
行動して、こうなってしまったのではないか。グウェンのためになるかもしれないと兎に角色んなことに勇気を出して手を付けた。
けれど、こんな結果を招くなんて思ってもみなかった。何もせず、刺繍をやっていただけの日々が懐かしい。あの頃は、まだグウェンに自分の気持ちを隠していた。
両親やレイにどう思われるのか怖くて、誰にも言えなかった。唯一友人となったルークにだけ愚痴として零すと、『自分が好きなやつと結婚するのに祝うとか、地獄だな』なんて言われた。そんなルークだって、今考えれば地獄だったはずだ。
「ノア様、そろそろ戻りましょう。風邪をひかれますよ」
スイレンが俺を屋敷へ促す。アイリスとスイレンは仕事とは言え、いつも俺に気をつかってくれている。
「……スイレン。今グウェンが何を造ってるのか知ってる?」
「いえ、私とアイリスはずっとこちらにいますから。分かりません」
その通りだ。分かるはずもない。ずっと俺のそばにいるのだから、本邸の様子など知るはずもない。
馬鹿なことを聞いてしまった、とほんの少しばかり落ち込んだ。
「…気になりますか」
「?……まぁ、テオ君に言われたら、それなりに」
「ならば、見に行けば答えが分かるのでは」
スイレンは至極当然のような事を言う。分かっている。分かっているが、行きたいとも思えないのだ。
「……だいたい」
「スイレン?」
「ゴードリック卿の時もそうですが、ウジウジしているノア様を見ていると本当にこの綺麗なのは顔と身体だけで、性格はとても面倒な人だなと思いますね」
「ひ、ひええ……」
スイレンに久しぶりのいつもの毒舌が宿る。さっきもテオに言われてしまい落ち込んでいたのに、追い討ちをかけてきた。
アイリスもこちらに気づいたようで近づいてきた。
「何をやっているの、スイレン」
「…ちょっとこの面倒な方に説教よ」
「ダメよ。落ち込んでしまうわ。ただでさえウジウジしているのに、また更にウジウジしてしまうわ」
「酷い……」
そう言われて、俯くことしか出来なかった。
「……仕方ないじゃないか。グウェンには、ここにいけと言われてる。勝手に本邸に行くなんて……」
「そんなの、関係ないじゃないですか」
俺の言い訳じみた話は、スイレンにバッサリと一刀両断される。
「ノア様、気になるのでしょう?旦那様の様子が」
アイリスにそう言われ、俯いて考える。
何かを造ってるというのは、多分テオの口調から察するに、自分のために何かしているのだろう。気になるのは当たり前だ。
「ならば、会えばいいんです。心のままに、気になるものを見に行けばいいだけです」
「下らないものだったら帰ってくれば良いのです」
「く、下らないって……」
スイレンは毒舌ながらも、笑顔だった。俺が気負わないようにそう言ってくれているのだ。
「ノア様。旦那様はきっとお待ちしております」
「ノア様。旦那様がそろそろ寂しくて死んでしまいますよ」
アイリスとスイレンが並んで微笑む。
「……待ってる、かな」
「もちろんです。アイリス、準備しましょう」
「ええ、ノア様。ほら立ってください」
「え!今から?!」
いや確かに、まだ午前中だから時間はあるが、心の準備をさせて欲しい。ただでさえ数週間アイリスとスイレン、今日会ったテオ君以外の誰とも会っていないのに、引きこもっていた時が長くて恐怖が勝る。
「時が経てば、更に行きずらいくなるのが目に見えております」
「スイレン、御者の準備をしてくるわ」
「ひ、ひえええ……」
無理やり立たされて、後ろから押されるように歩かされる。
この数週間一度もそんな風にされてこなかったのに、一体どうしてスイッチが入ってしまったのか。
「今日、久しぶりに旦那様の事を気にかけましたね」
スイレンがボソリと背中から呟く声が聞こえる。
そういえば、ここに来てからずっと、グウェンやレイ、ルークの話題を出さないようにしてきた気がする。避け続けていたことに、メイドの2人も気づいていたのだ。
「もう、今しかないと思います。今行くしかありません」
「で、でもこんな急に行っても迷惑じゃ……」
「妻が夫に逢いに行くことの何が迷惑なのですか!」
急にスイレンが大きな声を出す。ビクッと身体が震えた。スイレンの大きな声なんて、初めて聞いた。
「行って!旦那様が何を考えていたのか!見てくるのです!ノア様がウジウジウジウジしていた間!どれだけ旦那様が心を砕いていたか!ちゃんと……!」
「す、スイレン……」
スイレンの声に、震えが宿っている。その言葉と震えで、察した。きっと2人のメイドは、グウェンが何を造ってるのか知っているのだ。知っていてわざと嘘をついたのだ。
知らないフリして、俺に興味を持たせようとしてくれたのだ。
逢いに行く理由のために。
「……分かった、ちゃんと見てくるよ」
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