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番外編

アドルフの悲劇③

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  全てを思い出したアドルフは、ベッドの上で蹲ってサーっと血の気を引いていた。

  食われたし、なんなら気持ちよかったし、ぶっちゃけ過去最高に乱れた覚えがある。
  意識を失った後も頬をペチペチと叩かれ、揺さぶられて起こされた。ヴァレリは絶倫で、抜かずに三発もやられた。
  最後の方はアドルフも流石に酔いはだいぶ覚めていたが、その代わりに快楽に溺れた頭が正常な判断を下せる筈もなかった。

  うーん、と唸る声が目の前にいるヴァレリから聞こえてくる。マズい、と思い、アドルフはベッドを少しも揺らさないように降りて、さささっと服を着た。足りないかもしれないが、幾らかの金を置く。残りはアドルフを勝手に食った代金だと思って欲しい。
  アドルフは物音一つ立てず、そ…っとドアを閉めてホテルを後にした。


「…やばい。やばいやばいやばい…!」


  ヴァレリはあのホテルのオーナーだと言っていた。それに、あのバーのオーナーでもある。ホテルは別に貴族が使うようなホテルでありアドルフの使うような所ではないから問題はない。
  しかし、あのバーは価格も、雰囲気も、マスターも、入ってくる客も最高だったのだ。今後、あのバーを使えないというのは、アドルフにとってかなりの痛手であった。

  シュリに今すぐ相談したかった。しかし、アドルフには連絡手段がない。

  もう本当、色々と最悪だ。
  ヴァレリはこの辺り一帯の商会トップ。仕事柄関わることは無いに等しいが、どの店がヴァレリの息がかかっている店なのか、アドルフには分からない。

  童貞じゃ無いのは、最初から分かりきっていた。そりゃもう、シュリと三人であった時からだ。雰囲気、容貌、話し方。全てが手馴れた男だと表現していた。
  なのにアドルフのどこを気に入ったのか、ヴァレリはアドルフを助け、そのままホテルに持ち帰った。
  アドルフを助けたのは、友人メアの配偶者となったシュリの友人という、遠くとも遠く無いとも言いにくい間柄だったからかもしれない。しかしその後のホテルまで持ち帰って、あろうことかヤリまくることになるとは思いもよらなかった。

  そして、どうして今、アドルフは逃げているのかも、ヴァレリとこれ以上関わりたく無いのかも、よく分かっている。


「うわあああぁあぁああぁ……」


  早歩きで家に向かっていた足を止めて、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
  やってしまった。最悪だ。

  そう。アドルフはシュリの周りだけは手を出すまいと決めていたのだ。

  アドルフが一番辛い時に支えてくれていたシュリに関わることだけは、アドルフの地雷だった。
  シュリは童貞には全く興味がないし、なんなら手慣れているような美形の男がタイプだ。アドルフとは畑違いで、絶対に交わることはないと思っていた。

  まさか、こんな形でシュリの周囲と関わることになってしまうとは。

  昨日、バーに行かなければ。アドルフが相手にした男に絡まれなければ。ヴァレリに酒を奢られた時に断っていれば。
  後悔しても後の祭りとはこのことである。自分の失態にアドルフはさらに頭を抱えた。


「そもそも、なんで俺なんか相手にするんだ…くぅうう…」


  酔い始めてしまい、イケると思われたのだろうか。それが一番あり得そうではあった。
  しかし、ヴァレリは商会のトップ。アドルフはしがない一事務員だ。なんら商会にとって利益をもたらす人間ではない。シュリのように貴族ならばまだわかる。しかし、そうでないのは口調と態度でよくわかって居るはず。
  シュリに繋がるからか。いや、すでにメアと友人であるヴァレリにはそんなことは必要ない。

  ぐるぐると頭の中で考えに考え、達した結論は。


「……帰って寝直そう」


  現実逃避しかなかった。
  すくっと立ち上がり、通行人にジロジロと見られていたことに気づいて、早足で家に向かっていったのだった。



□■□



  それからというものの、平穏な日々が続いた。
  やらかした日からアドルフは一度も店に向かわなかった。ヴァレリに何を言われるか分からないし、マスターにどう言っているのかも分からないし、客たちもどう息がかかっているのか分からない。
  分からないことだらけで、アドルフはどうにもできない。しばらくはこうして、ただひたすらに仕事に向かい合うしかできなかった。

  シュリくらいしか友人がいないアドルフにとって、職場の人間との関わりはとても薄い。
  アドルフは平民だし、チラホラといる貴族たちは、わざわざアドルフと関わろうともしない。やはりシュリは少し特殊だったのだ。
  だからこそ、今とても平穏に過ごせている。シュリはもう寿退職してしまったし、今後はシュリと関わることもないだろう。

  つまり、ヴァレリとの関わりももうないということだ。

  アドルフはそれでいいと思った。
  助けてもらった恩と酒代とホテル代は、勝手にアドルフを襲ったことで許してほしい。食われた側の正当な主張だと思っている。

  ただ一つ心残りなのは、ヴァレリの息がかかっていない店を教えて貰ってない事だった。


「ぐぅうぅうう……」


  一ヶ月ほど経つと、やはりアドルフは仕事のストレスも相まって、溜まるものは溜まってくる。唸ってしまうほどには酒は飲みたいし、何より性を発散させたい。
  まだアドルフは若いのだ。

  それもこれも、全てヴァレリが悪い。

  自分の童貞食いを棚に上げてしまうほどに、アドルフはストレスが溜まっていた。

  アドルフは我慢できず、ヴァレリの商会が一切関わっていなそうな店を探すことに尽力した。
  男が男の出会いを求めていて、町外れで、少し寂れていて、貴族なんか絶対に来ないような…

  そうして辿り着いたのが、この店だった。


「……なのに、どうして居るんだよ……!」

「そりゃ、横の繋がりがあるからに決まってるだろ」


  ただの一杯を半分ほど減らした所で、肩を叩かれた。振り返ったら居たのが、この寂れたバーに似合わない程の整った美形のヴァレリだった。アドルフの努力を返してほしい。もはやこの国にいたら、一生ヴァレリと関わることになってしまいそうで怖いとすら感じてしまった。


「バーのマスターだけが俺と繋がってると思ったら大間違いだぞ」

「あ…まさか」


  常連の中で、ヴァレリと繋がっている奴がいるのか。するとヴァレリはニヤ、と笑ったのできっとこの推測は間違ってない。やっぱりこの国から出ない限り、ヴァレリはアドルフに飽きるまで関わってきそうだった。

  つい悪態を吐きそうになるのをなんとか堪えた。


「で?どうしてあの日、逃げたりしたんだ?」

「ひっ…」


  笑っていた顔が真顔に変わった。怖くて怯えたような声を出してしまった。


「あの日、逃げなけりゃこんなにしつこく探し回ることもしなかったんだがなぁ?」

「えっ!」


  アドルフはどうやら選択を間違ったようだ。あの日、帰らず、大人しく、しおらしくしていればあれ以上関わることなく平穏に童貞狩りを続行できたのか。

  ということは。これ以上ヴァレリと関わらないようにするには、アドルフがもう逃げないようにすればいいだけだ。


「…じゃ、じゃぁ、もう逃げないんで!すみませんで、し…」


  ヴァレリの表情は全く納得していない。真顔でアドルフのちょっとパッとした顔を見続けていた。
  アドルフはどうやら、やらかしたらしい。サーっと血の気が引いていく。


「逃げないんだな?」

「…い、いや…もうその…ちょっと…」


  逃げたい。人は追い詰められるとジリジリと後ろに下がりたくなるものだ。椅子に座っているせいでそれはできないが、上半身だけ軽く反らして、ヴァレリから距離を取ろうとしている。

  なんでか怖い。そう。ヴァレリが怖い。


「逃げないって言ったよな。アドルフ、男に二言はないって言葉、知ってるか?」

「…き、きーた、聞いた覚えはあるんですけど…ちょっと、母の胎内に忘れてきた気がするんですよね…」


  はは…と苦笑して誤魔化そうとするが、誤魔化されるわけがない。

  アドルフはもう逃げ場はない気がした。それこそ、家族を捨てて国を出る以外には。


「なるほどなぁ。じゃあ俺がお前の辞書に書き込んでやるよ」

「ひっ、え、遠慮しますぅうううぅう!!」


  椅子からガタっと立ち上がるものの、すでに首根っこを掴まれていてアドルフは立ち去ることを許されなかった。
  むしろそのまま荷物のように持ち上げられ、スタスタと店を後にしていた。出ていく直前、隅で飲んでいた一人の男が手を合わせて謝っているように見えた。アドルフは身に覚えがあった。何ヶ月か前に食った童貞の男だった。

  常連だけでなく、アドルフが食った童貞にすら手を回されていたのだ。

  ガクっと首を折って、アドルフは諦めるしか道は残されていなかった。
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