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8、イリヤくんは離れたくない
しおりを挟むイリヤが目を覚ますと、そこはカーテンで仕切られた消毒の香りが漂う部屋のベッドの上だった。
清潔そうなシーツに包まれている身体は、何故か動かしにくかった。
それでもイリヤは状況を理解するために起き上がろうとするけれど、上手く起き上がれそうにない。
腰から下の感覚が、消えていた。
「起きたか」
「ひゃ!」
カーテンが突然シャッと開かれると同時に、男が姿を見せた。
身じろいだ音で起きたことに気づいたようだった。
男は既に先程の情事を感じさせず、制服を着こなしていた。
イリヤもあれだけ汗と精液に塗れていたのに、身体がベタついていることも無く制服を着込んでいる。
男が全部やってくれたようだった。
乱暴な物言いの割には丁寧なことだ。腰の感覚がないイリヤにとってはありがたかった。
男はイリヤの腰が立たないことに気付いたのか、イリヤの背中に手を入れて起こす。そしてイリヤの空いた背後に身体を入れて後ろから抱っこされる体勢になった。
さっきまで散々、抱っこ以上の恥ずかしいことをしていたのに、イリヤは抱っこされて男のシダーウッドのような香りを嗅いだら自然と頬が染まる。
「お前、名前は」
イリヤも名前を知らなかったが、男もイリヤの名前を知らなかったようだった。
お互い名前も家柄も知らない状態であんなことまでしてしまったのか、とイリヤは小さく縮こまって耳まで赤くなってしまった。
「イリヤ…、イリヤ=リューンベリ…です」
イリヤは一番下の学年でまだ入学したばかりだった。男の体格はしなやかではあるが、同学年と比べるとがっしりしている。イリヤより確実に上の学年であると思い、敬語を使った。
男はイリヤの後ろからまだ情事の疲れで上手く力が入らないイリヤの右手を深く組むように掴んだ。
イリヤは途端にまた恥ずかしくなった。こんな恋人みたいな繋ぎ方、されたこともしたこともない。
男はイリヤの胸中などお構いなしに、その右手をキュッキュッと力を入れて遊んでいた。
「へぇ、リューンベリなんて聞いたことねぇな」
「ぁ…し、子爵でも格下の方で…」
「あそ」
男はイリヤの家柄を聞いたわりに本当に興味がなさそうだった。馬鹿にするとかそう言う感じではなく、本当にただ興味がないような口ぶりだった。
「あの…僕も聞いて良いですか?」
「あ?俺の名前か?」
「はい…んっ、んん…!」
イリヤは上手く力の入らない身体で必死に後ろにいる男を見ながら尋ねた。
男はイリヤの質問に答える前に、イリヤの艶かしくポッテリと腫れた唇を掠め取る。
今日昨日で何度もキスをしたせいでイリヤの唇が作り替えられてしまったかのうようだった。
イリヤの舌に絡みつくように男の舌が這い回る。男は最後に、ちゅ、とリップ音を立てて離れていった。
「んぁ…」
「レオン=シェリダン」
「れ、おん…」
はぁ、と吐息を漏らしながらうっとりとレオンの名前を呼べば、レオンは、ク、と愉快だと言うかのように嗤う。
「そう。覚えろ」
「はい…、あ。もう帰らないと…結構遅いじか、んっ!んぅ…んん……ぷぁ」
「は、お前情緒ってもんがねぇな。本当に帰りたいか?」
「はぇ…」
レオンはイリヤの言葉を中断させるようにまたキスをすれば、心地よさでイリヤの頭は正常に機能しなくなる。
それでも、上手く働かない頭でイリヤはぽやっと考える。
まだ会って二日。たったの二日なのに、濃い二日を過ごした。
後ろにいる男の外見とレオンと言う名前以外のことは何一つ知らない。
それなのに、どうしてこんなにも離れ難いのか、イリヤには理解できなかった。
レオンからするシダーウッドの香りも。
レオンがくれるキスも。
楽しそうに短く笑う声も。
愛撫も、握る手も、腰を掴む手も。
全部が、イリヤの脳髄に刻まれたようだった。
「帰りたく、ない…」
本当は家に帰るべきなのだ。
親にも使用人にも昨日のことは話してあって、今日は早めに帰ると言ってあったから、きっと心配している。
けどイリヤの中でもう既にレオンは優先されるべき存在になってしまっていた。
「決まりだな。行くぞ」
「え、でも。僕動けな…わあっ」
レオンはイリヤの背後からスルリと抜けてベッドから降りる。
心地よい体温が離れていって何となく寂しさを感じつつも、置いてかれるのでは、と不安になってレオンを縋るように見てしまった。
立ち上がったレオンはイリヤの背中と膝に腕を差し込み軽々と持ち上げる。
驚いたイリヤが声を上げても、レオンは全く気にしていなかった。
「え?え?どこに行くんですか?」
「俺の家」
「ああ…へ?僕の家じゃなくて?」
「あ?お前帰りたくねぇって言っただろ」
歩き出したレオンは器用に保健室の扉の鍵を解除して、扉を開けた。
「い、言いましたけど…でも僕何も言わずに人のお家に…」
レオンはめんどくさそうにイリヤの問いに答える。
「お前の家には連絡しといてやるよ。まぁすぐに了承の返事が来るだろうな」
「…?はぁ…そうなんですか?」
「…お前。俺の事何にも知らないのな、ウケるわ」
落ちるのが怖くて首に腕を巻き付けたイリヤは、レオンの物言いに少しだけムッとして頬を膨らませる。
「だって、今初めて聞いたじゃないですか」
「あっそ。どうでも良いから行くぞ」
やっぱりムッとする。レオンが言い出したはずなのに、どうしてイリヤが責められているような気がするのか。
しかしこの数時間後、どうしてレオンがそんなことを言ったのか、イリヤは理解するのだった。
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誤字報告ありがとうございます!
とても助かりました。
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