上 下
58 / 71

土下座

しおりを挟む
「遊井さんに22時にスタジオに来てもらう事になったから。」

アッキーがスタジオの片隅で、みんなが見てないところで俺に言った。

「ありがとう。」

「・・・」

アッキーは俺を見て何か言いたいような表情をしていた。


「はい。今日はバラして。明日も早いから。年末体力勝負だぞ!今日は早寝!酒飲むなよ!」

アッキーの一声でみんなそれぞれスタジオを出る準備を始めた。
最後に荷物を持って出たのは沢村だった。

「沢村、パンありがとう。」

「春さん、ここのパン好きですよね。俺そのパン屋の並びにこないだ引越したんですよ。いつでも買ってきますよ。」

「店の名前もサワムラだよね。」

沢村と何気なく話して笑っていてもアッキーの視線をどことなく感じていた。


扉が分厚い音を立てて閉まってアッキーと2人になった時、静寂があった。
その静寂がやたらいつもは全くない緊張感を醸し出した。

「遊井さんに、何を話すんだ?」

アッキーは五十嵐がまた持ってきてくれたユーカリのお茶をコップに入れてくれていた。

「俺は同席しててもいいのか?」

「・・じゃあ、いてよ。」

遊井さんと2人でもよかったかもしれない。でもここはアッキーにも聞いておいてもらいたい事だった。

「話す事は想像ついてるよ。ひろこちゃんだろ。」

「遊井さんなんだからひろこの事に決まってるじゃん。」

「結婚か?」

「そうだよ。」

迷わない。
俺は即答した。
もう決めた事なんだ。

遊井さんにもひろこの社長にも真っ向からぶつかると決めた。

『男は戦うんだよ!』

『どんなに困難があったって、2人でいるのが幸せなんだから』

剛くんとメグメグの言葉が俺の脳裏に霞んだ。
目の前のアッキーは深いため息をついた。いつものテンションの高い怒り方ではない。もっと静かで淡々と話していた。

「・・勝手な事、するんじゃないよ。相手は安藤ひろこだぞ?そこいらのアイドルとは訳が違うんだぞ?」

「分かってるよ。普通じゃないのも分かってるよ。分かりきってるよ。もうアッキーなら分かるだろ?俺が追い込まれてるの、分かるだろ?もう、ひろこがいないと生きていけないんだよ。ひろこと人生歩みたいんだよ!」

アッキーは俺をじっと見ていた。
目がうっすら涙でも出てきそうになっていた。

その時バタンとドアの開いた音がしてハッとした。
遊井さんがコートを着たまま立っていた。


「お疲れさん。春くん、どうしたの?」

俺はすぐさま遊井さんを前に正座した。

遊井さんの大切なひろこだ。
自分でスカウトしてきて二人三脚でここまでひろこを育ててきて事務所の稼ぎ頭にまでさせた人だ。

でも俺だってひろこが大切だ。
好きで好きで自分を見失うほどだ。
別れた時に思った。
もう、ひろこがいなきゃダメなんだと分かった。


両手で床に手をつこうとした時、一気に両腕が引っ張られたのが分かった。

右腕はアッキーが、左腕は遊井さんが引っ張っていた。

一瞬ギャグかと思ったけど、ギャグでもなんでもない。

「春、もう、もう、やめろよ。」

アッキーの声が涙声だった。

さらに左腕も引っ張られた。

「春くん、やめてよ。やめてやめて。」

遊井さんも左腕を強く引っ張っている。

「お願い、離して、離してください。」

「俺は離さないぞ!」


アッキーは多分泣いていた。俺の腕を必死でつかんでいて、顔が見えないけど泣いていた。

「ねぇ、アッキー離して。遊井さんにちゃんと話したいんだ。」

アッキーの顔が下を向いていてやっぱり見えなかった。

「春くん、聞くから土下座はやめて。土下座しないなら聞くから。」

遊井さんの冷静な言葉に俺は床に座ったまま手をおろした。その横でアッキーも床にぺたりと座った。


「ひろこと、結婚させてください。」


「大切にします。」


「死ぬまで、大切にします」


「ひろこの社長に殴られてもいいです。殴られて結婚できるなら、痛くも痒くもないです。だから、結婚させてください。」


遊井さんは色眼鏡だから目が分からないけど、そのまま俺を見て唖然としているようだった。
突っ立ったまま、しばらく動かなかった。

するとゆっくりと座って俺の顔を見た。

「5年、待てる?」

「・・待てないです」

「何年、待てる?」


何年なんて、もう待てるわけがない。



「待てないです。明日でも明後日にでも結婚したいです。」


遊井さんが眉毛が下がってさみしそうな顔をしていた。
この人なら、きっと俺の気持ちが分かると思った。
ひろこと俺より長い時間を過ごしてきているからだ。
彼女の良さを最初に見つけて育ててきた人だから、ひろこを好きになる苦しさを理解している。

遊井さんは何も言わなかった。

ピリリリリリリリ

間をさすように遊井さんの電話が鳴った。

「ちょっと、待ってね。」

立ち上がって俺とアッキーに背を向けるように扉の方へ歩いて電話をとった。

「はい。遊井です。あ、白部くん?おつかれさま。」

シラベ、で分かった。
兄弟で弟の方。
ひろこの番組のプロデューサーだ。

「あ、そうなの?今?今行った方がいい?局にいるの?」

俺は座った状態でただ黙って聞いていた。

手短かに切って遊井さんは振り返った。

「春くん、ごめん。明日、ここでもう1回会える?夜遅くてもいいから。」

「はい。」

そう言うと遊井さんはすぐに外に出て行った。

静まり帰ったスタジオ内で俺は立ち上がる事ができずに座ったままだった。

隣のアッキーも、腰が抜けたかのようにヘタリと座っていた。

「明日は、遊井さんと2人で話した方がいいんじゃないか?」

「そうだね。」

遊井さんは一晩で何を思うのだろう。

俺はそのまま仰向けで寝転んで天井を見つめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

処理中です...