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彼女

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遠くから自分の歌声が聞こえた気がして目を覚ました。
今日休みだよな?

「おはよう」

うっすら目を開けると安藤ひろこが俺を覗いてる。

TVからはSOULのニューシングルのCMが流れていた。
朝は弱いのに一気に目が覚めた。
ここは大阪。
まぎれもなく安藤ひろこがいる。
夢なら覚めないでくれと思うけど、これは夢ではないんだ。

「・・おはよう」

あの後、家に泊まりそのままセックスして朝を迎えた。
俺は3日のオフを彼女と過ごす気満々だった。

「ごめん。もう行かなきゃならないから、朝ごはん置いて行くね。食べる?」

いつも食べない不健康な生活だけど、彼女がつくったなら食べたかった。

「仕事が終わるの何時?」
「21時」
「じゃあ21時に局の前で待ってる」

不安そうにしていたけど、彼女はマンションの鍵を渡してくれたので俺は午後からひとりでのんびり梅田で買い物をした。

洋服もなんにも持ってきてないから、急いでジーパンとTシャツとキャップとスニーカーを買ってその店で着替えた。

大阪の街とは面白いもので闇市みたいなところで本物だかわからないようなプーマのサンダルと一目惚れした絵画と読みたかった本と一緒に撮影するためのポラロイドカメラ、持って来ていないのでノートパソコン、ガンガン買い物をした。

荷物が多過ぎてマンションに運ぶために戻り、タクシーで計3往復もしてしまった。

21時に大阪放送前でキャップを目深に被って彼女を待っているとワンピース姿にお団子頭でカバンを抱えて現れた。
俺の元に走って来てくれる姿が嬉しくて会うなりすぐ俺は笑顔になった。

「お疲れ様!」

「その格好だと、全然分かんないね。」

キャップにデニムにTシャツにスニーカー。普段はいつもこんな格好ばかりだからやっと素の自分で会えてるみたいでどこか嬉しかった。

「なんだろ。キャップの角度?全く顔見えないし、すごい。」

言われて気付いた。街を歩く時、もうすでに顔が隠れる角度の帽子の被り方が身についているんだ。確かに視界は狭くなるけど、彼女さえ見えていればそれで良かった。

「そこにスタバ見たよ。寄っていい?」

俺達は国道を並んで歩いて少し先に見えたスタバに入った。どことなく、彼女がまだギクシャクと違和感のある様子だった。


「アイスコーヒーのトールサイズ1つと、ひろこも、何か好きなの飲んで」

財布から千円札を抜いていると彼女は俺の目を見て瞬きした。

ひろこ、なんてしれっと言ったけど初めて名前で呼んだ。

もしも付き合う事ができたらひろこって呼ぶのかな。ひろこちゃん?ひろちゃん?なんて前に考えていた時の自分を思い出して妙に恥ずかしく思えた。

もうひろこって呼べるんだ。

何事もなかったかのようにまるでずっと前からそう呼んでいたかのように自然に言った。
彼女も分かっていたのだろうか、そして可愛らしく笑った。
その顔が本当に可愛くて初めて見た彼女の飛び切りの俺に向けての笑顔だった。

「あまいのがいいな。新作かな?この抹茶ホワイトチョコクリームフラペチーノがいいな。」

「抹茶はいいけど甘そうだなぁ」

コテコテに甘そうな飲み物をひろこに渡して2人で人通りのない暗い国道沿いを飲みながら歩いた。

普通のカップルみたいな事、当たり前の事がやけに嬉しくてすごく幸せな気分だった。

「それ、ちょっと飲ませて」
「甘いよ。美味しいよ。」
「だからちょっと飲ませて」
「あげない。」
「俺が買ったのにー?」 

いたずらにクスクスと笑ってストローで飲んでる姿が可愛くて可愛くて、本当にあの安藤ひろこと一緒にいるんだと思うと夢なんじゃないか、とさえ思った。

「じゃあくれなくていいから安藤ひろこをちょうだい」

俺は立ち止まって真剣に言った。彼女は考えたような顔をして一瞬止まっていた。どう思ったのだろうと思った。しばらく沈黙したからだ。

「・・私はものじゃないからあげられない」

そう言うと手に持っている甘い抹茶なんとかを俺に渡した。
俺はそれを受け取らず詰め寄った。

「ものじゃないよ。じゃなくてひろこの心をちょうだい」

俺のストレートな気持ちをぶつけた。ここでちゃんと彼氏と彼女になるって線引きをしたかった。
生ぬるい夏の終わりの風が2人の間を遮るように頬をかすめた。ひろこは俺を目を真剣な眼差しで見つめていた。

「心なら昨日から持ってっちゃったじゃない」
「昨日から?」
「うん」
「プール?」
「イルカを捕らえに来てくれたんでしょう」

俺は笑ってしまった。

「そう。イルカは捕獲したんだ俺が」
「イルカは特定なんちゃらって規定があって法律では食べちゃダメなんだよ。」
「分かってるよ。大切にするから」

「・・・」

「大切にするから」

俺の精一杯のことばだったと思う。

ずっと好きでした、とか付き合ってください、と言う改まった言葉が気恥ずかしくて、でも俺の気持ちを分かってほしくて。

ちゃんと分かってほしくて。

ひろこは俺の目を見つめてすこしはにかんだかと思ったら笑った。俺も自然と笑みがこぼれた。

右手で俺の右腹のTシャツをつかむから俺も肩を抱き寄せて排気ガスで空気の悪い国道を2人で歩いた。


その夜、ひろことセックスした。初めてセックスした日よりも、昨日よりもひろこの事を愛おしく思っている自分がいた。

「ひろこ、」

「何?」

「すごい、好き」

「Hするの、好きなの?」

肌と肌の擦れ合う音だけで興奮した。ずっと好きだった人、その人が今俺の腕の中にいて俺に抱かれようとしている。

重なる唇が足りなくてずっとキスしていたくなる。
ひろこの体の中に俺が入ると腕を絡めて声にはならない声で感じていた。俺しかこの感じる声が聞けないんだと思うと余計に愛おしい気持ちが募ってきた。

「じゃなくて、ひろこが」

やたらと薄い腹で俺を受け入れる。俺を感じてあふれる声がもっと聞きたくて俺はひろこをたくさん求めた。

『ハマったらアリ地獄みたいになりそう』

聖司の言う通りだ。
もう抜け出せない。

100回キスしてもたとえ1000回キスしてもきっと足りない。

「ひろこが、好き」 





ピンポンピンポン ピンポンピンポン

けたたましいインターフォンで俺とひろこは同時に目が覚めた。
時計を見ると朝は8時半だった。

ガチャンガチャンと今度はドアをまわす音。
そしてドアをドンドン叩く音。

「誰だろ。なんか、コワイ」

まさかひろこにヤバイ彼氏がいてそいつが朝迎えに来たとかは考えたくなかった。

それにしても朝から派手なインターフォンの鳴らし方に大阪にもアッキーみたいな奴もいるんだなと思った。

「春は、春はいますよね?」

アッキーだった。

ひろこと俺は急いで服を着てひろこが玄関に向かうとアッキーの姿があった。

「春!!!やっぱり!!」

俺とひろこの寝起きの姿と乱れたベッドを見てもう何もかも経緯は分かりましたという顔をした。

「大阪に行ったのは分かってたからもしかしてと思って安藤さんのマンションの場所、大阪放送の水野ちゃんから聞いたらやっぱり。春急いで支度して。仕事だから」

「はー?3日休みって言ったじゃん!」

「仕事なんだよ!取材と夜は収録、髪も直すから急いで」

アッキーが来てせわしくなって買ったばかりのTシャツにGパンをはいてキャップを手にした。

散々買い物したので部屋が俺の荷物であふれている中、絶対に持って帰ろうと思っていた昨日ひろこと撮影したポラロイド写真数枚の1枚だけ抜いた。

「は、はる!」

ひろこが俺の名前を呼んだ。
振り返ると俺の気に入って買った絵とサンダルを袋に入れて渡してくれた。
「ありがと」

「春!早く!」
すでに玄関で待っているアッキーは俺を急かす。

「連絡するから」

キャップを被って部屋を出た。
さっきまで一緒に寝てたのに。
離れたくないのに。

寝起きに急いで着たひろこのワンピースの首元から胸元にかけて俺の昨晩つけたキスマークだらけだった。俺はその跡に指で触れた。

玄関をチラッと見てアッキーがこっちを見てない事を確認してひろこにキスをした。

季節が夏から秋に変わるかのような少し冷えた風を切って俺はアッキーの後を追いかけた。
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