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市民ホールには、多くの人がつめかけていた。冤罪による死刑執行が明らかになり、死刑廃止運動に多くの人々の関心が集まっているのは間違いない。
受付に、見覚えのある中年の男が座っていた。先日藤森への取材を取りついでくれた男だった。男が奈緒美を見て表情を崩した。こちらのことを覚えてくれていたようだ。
「また取材ですか」
愛想よく笑いながら椅子から立ち上がり、奈緒美を迎え入れる。
「藤森さんに御用ですか?」
「いえ、今日は松岡さんにお話がありまして。会社の方に連絡すると、今日はこちらだと伺ったものですから。秘書の方から松岡さんに連絡を入ってもらって、こちらで会うことになっているんです」
「じゃあ、控室の方に行ってください」
この先を左に曲がった突き当たりだと、男が指で示した。
ドアをノックすると、野太い声が返ってきた。
「桐原さん、こちらへどうぞ」
愛想のいい笑顔で奈緒美を迎えると、いつものしぐさでソファを勧める。
「まず最初に謝らなくてはならないことがあります。先日藤森さんや松岡さんに取材したことはまだ記事にできていません。せっかく貴重なお時間をいただき取材を受けていただいたのに、バタバタしてしまって時間がとれず、申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらずに。いろいろありましたから、お忙しかったのでしょう」
コーヒーを持ってきた女性が、部屋を出て行った。
「凄い関心を集めていますね。まだ一時間前だというのに、ホールは人でいっぱいでした」
「それは良かった。吉本先生に随分頑張ってもらっていますから、我々も先生の主張を一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思っています」
いきなり本題に踏み込もうとして、奈緒美がテーブルに身を乗り出した。
「ご存じだと思いますが、田島仁志が二人の女性を殺したとされていた事件に、真犯人が現れました。彼は自首しましたが、その日釈放されホテルで殺されました。東出明人という男です」
「知っていますよ。ネットでもテレビでも新聞でも大騒ぎしてますから。なんでも、警察関係者が殺したそうじゃないですか。口封じのためだったんでしょうな。怖い話だ」
「田島仁志が冤罪で処刑されたことは確実となりました。今後、それでも政府は死刑制度を維持すると思いますか?」
「そのつもりのようですね。今日の講演で吉本先生も述べられるでしょうが、死刑は一度執行されてしまうと、後に冤罪だとわかっても取り返しがつきません。死刑制度は絶対に廃止すべきです。たとえ制度を残すことになっても、刑の執行自体は停めるべきだと思いますよ」
「松岡さんは、東出明人が殺された夜、彼と同じホテルに宿泊していましたよね?」
松岡の眼が、すっと魂が抜けたようになった。感情を抜いたのは、心の中を読まれないように自己防衛が働いたのだ。
「なんです、それ」
「ホテルの防犯カメラにあなたの姿が映っていたんです」
「だから何なんです?」
カマをかけてみたが、うまくいった。
「警察からは連絡はなかったですか?」
「いや」
「じゃあ、まだ身元が分かっていないんでしょうね。もしかして、宿泊者カードに嘘の記載をなさりましたか?」
彼の眼に力がこもった。が、すぐに元の無表情に戻った。
「プライベートな理由ですよ。実は、女性と一緒だったものでね」
「さっき、松岡さんに取材の許可を取ってくださった女性、秘書の方ですね。とても魅力的な女性でした」
「何がいいたいんです?」
「電話の後、彼女に松岡さんの胸の十字架の刺青のことを聞いたんです。彼女が怒った顔をされました。どうやら勘違いされたようです。私と松岡さんが疚しい関係ではないことはきちんと説明しておきました」
松岡が奈緒美を睨みつけた。こちらも負けてはいない。睨み返す。
「彼女は素直なんだよ。すぐにこの手の誘いに引っかかってしまう」
「社長もです」
「そうだね。私も君にカマをかけられてしまった。ホテルの防犯カメラの映像なんて、部外者が簡単に見られるものじゃない。今は個人のプライバシーにうるさい時代だからね」
「申し訳ありませんでした」
頭を下げてから、奈緒美が松岡を見据えた。
「あの人がいるから、不用意に他の女性に手を出さなかったのですね。私は女として、あなたは信用できる人物だと思います」
松岡は何も答えず、じっと奈緒美を見たままだった。奈緒美の言っていることを、この男は理解している。他の女性とは、宮崎恵美と小木尚子のことだ。
「藤森隆弘は、あなたの実の息子だったんですね」
忘れていたのを思い出したかのように、松岡が奈緒美の言葉を無視してコーヒーを啜った。
「ヤマキモーターズの八槇社長から、高校生の頃の隆弘さんと、若いころのあなたの写真を見せてもらったんです。そっくりでした。あなたはアメ車クラブで知り合った藤森氏と家族ぐるみの付き合いをなさっていた。その時、藤森さんの奥さんと深い仲になり、藤森さんの奥さんが隆弘氏を身ごもったんですね。藤森氏はおそらくそのことを知らないのでしょう。あなたには子供がいなかった。これまでの取材で、あなたが隆弘氏をずいぶん可愛がっていたと聞きました。友人たちの話によると、隆弘氏はずいぶんお金を持っていたようです。藤森氏に内緒で、お金もずいぶん渡していたんじゃないんですか」
相変わらず、松岡は口を開こうとしない。奈緒美はかまわず話を続けた。
「あなたは隆弘さんの死刑執行を止める計画を進めたんです、東出明人と一緒に。彼とは教会で知り合ったんですね。あなたがクリスチャンだということは教会を回って調べたんです。あなたと東出明人が同じ教会でよく顔をあわしていたと、神父さんもおっしゃっていました。東出はあなたが援助してきた身寄りがない孤児で、がんで死期の近い男だった。あなたは東出のガンの治療費を工面していたんじゃないんですか? 彼を看護する費用は膨大だったはずです。東出はあなたに多大な恩義を感じていたはずです。どうせ助からないならあなたへの恩返しのためにと思い、あなたに計画を打ち明けられたとき、彼はあなたの願いをかなえようと命を捨てる決意をしたんです」
「ばかばかしい」
「無実の罪で死刑が執行され、それが世間に暴露されれば、死刑制度をなくすことができるかもしれない。少なくとも、刑の執行を停止させることができる。先のない東出明人を犯人役に選び、二人の女性を殺させ、殺害の証拠となる凶器を隠してビデオに犯行の経緯を記録した。田島の刑が執行された後で、彼が無実であると証明するためにです」
松岡の携帯電話が鳴った。彼は電話に出ると、「今来客中だから後でかけなおす」といって、電話を切った。奈緒美の話を最後まで聞く気はありそうだった。奈緒美は話を続けた。
「問題は誰を生贄に選ぶかです。あなたは以前から田島仁志を知っていた。どうしようもないワルだって。以前あなたのチェーン店の一つに、食事に鼠の糞が入っていたといって、田島が騒ぎを起こしたことがありました。保健所にまで駆けこんで、金を脅し取ろうとした。その時、あなたは田島がヤクザとつながっていないかどうか、一通り調べていたはずです。そして、罪をかぶせるにはうってつけの男であると知ったのです。何度も窃盗や婦女暴行を繰り返す田島なら、警察も疑問を抱くことなく彼を犯人と判断するだろうと思って。次にあなたは風俗嬢と接触して犠牲者となる生贄を探した。金にがめつく、男の本当の怖さを知らない援助交際女子高生は、お金のためなら何でもやります。次いで、客の依頼でなんでもやる風俗嬢、小木尚子を見つけました。これで、駒は全部そろったわけです」
「知らないね」
「でも、知られてしまった。小木尚子さんの情夫の斉藤カイという男に」
松岡がちらっと奈緒美を見た。
「斉藤は小木さんと接触したあなたの後をつけたことがあったんですよ。おそらく小木さんから奇妙な依頼をしてきた男のことを聞いて、言いがかりをつけて金を脅し取ろうと思ったんでしょう。そしてその日偶然、あなたは藤森さんの会社に寄ったんでしょうね。斉藤は暗がりの中で、体格の似ているあなたと藤森さんを勘違いしてしまった。」
松岡はただ黙って奈緒美の話を聞いていた。激昂することも頭に血を昇らせることもなく、またおろおろと怯えることもなく、まるで他人事のように無関心な表情で。
「後日金をせびろうと思っていたけれど、小木さんが殺され犯人として田島がすぐに捕まったため、金を脅し取る機会を失ってしまった。しかし、私の取材で斉藤はあなたを田島の共犯だと勘違いして、再び金をせびろうと藤森さんに接触したんです。もちろん、藤森さんには心当たりはありません。そして、あなたに相談したんです。死刑反対活動でよく顔を合わせているし古くからの友人のあなたに、藤森さんはすぐに連絡を取ったはずです。そしてあなたは斉藤を殺した。転落事故に見せかけて」
「そんないい加減なこと、よく言えますね」
松岡は上着の内ポケットからタバコを取り出した。ラッキーストライクだった。
「東出は計画通り二人の風俗嬢を殺しました。そして田島が逮捕され、あなたの狙い通り死刑判決が出た。東出はおそらく、事件を詳しく説明した遺書を書いていたはずです。自分が死んだあと、田島が無実であったことを証明できるように。田島の死刑執行後、あなたがマスコミを使って田島が冤罪で処刑されたことを暴露できるように。しかし、余命半年といわれていた東出が意外と長生きしたので、作戦を変えたんですね。真犯人自身が名乗り出るほうが信憑性はありますから。しかし、そうはいっても東出に残された命は限られていたから、執行を早めなくてはならなかった。刑事訴訟法を盾に裁判を起こせば田島仁志の執行が早められる。それで宮崎恵美の母親に訴訟を起こすように言った。金を渡して」
奈緒美はポケットからライターを取り出して火をつけ、タバコを銜えたままだった松岡に差し出した。松岡は「ありがとう」と言ってタバコの先を焦がし、また背もたれに身体を預けた。
「田島の死刑が執行され、東出が自分から警察に名乗り出ました。しかし、警察は彼を逮捕しなかった。釈放された東出はその夜、ホテルで殺された。彼は、自分が警察関係者に殺されることを予言していました。彼はどうしてあそこで自分が殺されるとわかったんですか?」
「権力側が民を惑わす扇動者を殺すのは、これまで繰り返されてきた歴史が物語っている。だから、あの場所にわざわざ泊まったんだ。あのホテルは権力側に手を出させやすい場所だった。マスコミの目に触れずホテル内に侵入できるからね。権力者は計画的に東出君を殺し、口を封じたのだよ。罠だと知らずに。いったい何人の警察上層部が責任を取らされるのか、楽しみだよ」
「あなたは同じホテルに停まって、東出が殺されるときの映像を撮影し、おそらくその場で編集した。そして彼が殺される場面をマスコミやネットに流した。死刑制度を維持しようとする政府に対する国民の信頼を地に落とすために。死刑は存続されることになっても今後、法務大臣は執行命令を出すのをためらうでしょうね。特に隆弘氏のような、物的証拠が乏しいにもかかわらず死刑判決が確定している者に対して。それがあなたの狙いだった」
松岡がゆっくりと頷いた。
「胸の十字架に誓ったんだ。絶対に息子を助けるとね。そのためには鬼にでも悪魔にでもなってやる」
ぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「小さい頃の隆弘は可愛かった。しかし、あれが私をパパと呼ぶことはなかった。大きな車のおじさんと、ずっとよばれていたんだよ。隆弘は実の父親が私であることを知らないんだ。これは私にとってつらいことだった。それでも、自分の息子がこの世に存在するのだと思うと、その苦しみも我慢できた。そんな隆弘が処刑されるなど、私には耐えられん。どんなことがあっても、私は息子を守る」
「あなたは、息子さんが本当に無実だと思っているんですか?」
「そんなことは問題じゃない。何よりも大切なのは、隆弘の命を救うことなんだよ」
「そのためにあなたに殺された二人の女性はどうなるんです」
「もちろん、同情を禁じ得ないよ。だからといって、私の息子が殺されるなど、断じてあってはならない」
「それは自分勝手な言いぐさです」
「世界中の人間は誰もが平等でなくてはならない。そうじゃないのかね。もしここが日本ではなく、死刑制度を存続させているだけの隣の韓国なら、息子は処刑されないのだよ。まして隆弘が殺したという証拠はどこにもない。過去の不良行為に基づいて証拠もない事件の罪を命で償わせるなど、断じてあってはならないのだ」
「それも、勝手な言いぐさです」
「そうかもしれん。しかし、いつの世にも普遍の物はある。親の子に対する愛だよ。あなたは若いから、まだ子供はいないでしょうな」
「はい」
「息子がたとえ凶悪殺人鬼でも、生かしておいてやりたいというのが親心というものなんだよ」
受付に、見覚えのある中年の男が座っていた。先日藤森への取材を取りついでくれた男だった。男が奈緒美を見て表情を崩した。こちらのことを覚えてくれていたようだ。
「また取材ですか」
愛想よく笑いながら椅子から立ち上がり、奈緒美を迎え入れる。
「藤森さんに御用ですか?」
「いえ、今日は松岡さんにお話がありまして。会社の方に連絡すると、今日はこちらだと伺ったものですから。秘書の方から松岡さんに連絡を入ってもらって、こちらで会うことになっているんです」
「じゃあ、控室の方に行ってください」
この先を左に曲がった突き当たりだと、男が指で示した。
ドアをノックすると、野太い声が返ってきた。
「桐原さん、こちらへどうぞ」
愛想のいい笑顔で奈緒美を迎えると、いつものしぐさでソファを勧める。
「まず最初に謝らなくてはならないことがあります。先日藤森さんや松岡さんに取材したことはまだ記事にできていません。せっかく貴重なお時間をいただき取材を受けていただいたのに、バタバタしてしまって時間がとれず、申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらずに。いろいろありましたから、お忙しかったのでしょう」
コーヒーを持ってきた女性が、部屋を出て行った。
「凄い関心を集めていますね。まだ一時間前だというのに、ホールは人でいっぱいでした」
「それは良かった。吉本先生に随分頑張ってもらっていますから、我々も先生の主張を一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思っています」
いきなり本題に踏み込もうとして、奈緒美がテーブルに身を乗り出した。
「ご存じだと思いますが、田島仁志が二人の女性を殺したとされていた事件に、真犯人が現れました。彼は自首しましたが、その日釈放されホテルで殺されました。東出明人という男です」
「知っていますよ。ネットでもテレビでも新聞でも大騒ぎしてますから。なんでも、警察関係者が殺したそうじゃないですか。口封じのためだったんでしょうな。怖い話だ」
「田島仁志が冤罪で処刑されたことは確実となりました。今後、それでも政府は死刑制度を維持すると思いますか?」
「そのつもりのようですね。今日の講演で吉本先生も述べられるでしょうが、死刑は一度執行されてしまうと、後に冤罪だとわかっても取り返しがつきません。死刑制度は絶対に廃止すべきです。たとえ制度を残すことになっても、刑の執行自体は停めるべきだと思いますよ」
「松岡さんは、東出明人が殺された夜、彼と同じホテルに宿泊していましたよね?」
松岡の眼が、すっと魂が抜けたようになった。感情を抜いたのは、心の中を読まれないように自己防衛が働いたのだ。
「なんです、それ」
「ホテルの防犯カメラにあなたの姿が映っていたんです」
「だから何なんです?」
カマをかけてみたが、うまくいった。
「警察からは連絡はなかったですか?」
「いや」
「じゃあ、まだ身元が分かっていないんでしょうね。もしかして、宿泊者カードに嘘の記載をなさりましたか?」
彼の眼に力がこもった。が、すぐに元の無表情に戻った。
「プライベートな理由ですよ。実は、女性と一緒だったものでね」
「さっき、松岡さんに取材の許可を取ってくださった女性、秘書の方ですね。とても魅力的な女性でした」
「何がいいたいんです?」
「電話の後、彼女に松岡さんの胸の十字架の刺青のことを聞いたんです。彼女が怒った顔をされました。どうやら勘違いされたようです。私と松岡さんが疚しい関係ではないことはきちんと説明しておきました」
松岡が奈緒美を睨みつけた。こちらも負けてはいない。睨み返す。
「彼女は素直なんだよ。すぐにこの手の誘いに引っかかってしまう」
「社長もです」
「そうだね。私も君にカマをかけられてしまった。ホテルの防犯カメラの映像なんて、部外者が簡単に見られるものじゃない。今は個人のプライバシーにうるさい時代だからね」
「申し訳ありませんでした」
頭を下げてから、奈緒美が松岡を見据えた。
「あの人がいるから、不用意に他の女性に手を出さなかったのですね。私は女として、あなたは信用できる人物だと思います」
松岡は何も答えず、じっと奈緒美を見たままだった。奈緒美の言っていることを、この男は理解している。他の女性とは、宮崎恵美と小木尚子のことだ。
「藤森隆弘は、あなたの実の息子だったんですね」
忘れていたのを思い出したかのように、松岡が奈緒美の言葉を無視してコーヒーを啜った。
「ヤマキモーターズの八槇社長から、高校生の頃の隆弘さんと、若いころのあなたの写真を見せてもらったんです。そっくりでした。あなたはアメ車クラブで知り合った藤森氏と家族ぐるみの付き合いをなさっていた。その時、藤森さんの奥さんと深い仲になり、藤森さんの奥さんが隆弘氏を身ごもったんですね。藤森氏はおそらくそのことを知らないのでしょう。あなたには子供がいなかった。これまでの取材で、あなたが隆弘氏をずいぶん可愛がっていたと聞きました。友人たちの話によると、隆弘氏はずいぶんお金を持っていたようです。藤森氏に内緒で、お金もずいぶん渡していたんじゃないんですか」
相変わらず、松岡は口を開こうとしない。奈緒美はかまわず話を続けた。
「あなたは隆弘さんの死刑執行を止める計画を進めたんです、東出明人と一緒に。彼とは教会で知り合ったんですね。あなたがクリスチャンだということは教会を回って調べたんです。あなたと東出明人が同じ教会でよく顔をあわしていたと、神父さんもおっしゃっていました。東出はあなたが援助してきた身寄りがない孤児で、がんで死期の近い男だった。あなたは東出のガンの治療費を工面していたんじゃないんですか? 彼を看護する費用は膨大だったはずです。東出はあなたに多大な恩義を感じていたはずです。どうせ助からないならあなたへの恩返しのためにと思い、あなたに計画を打ち明けられたとき、彼はあなたの願いをかなえようと命を捨てる決意をしたんです」
「ばかばかしい」
「無実の罪で死刑が執行され、それが世間に暴露されれば、死刑制度をなくすことができるかもしれない。少なくとも、刑の執行を停止させることができる。先のない東出明人を犯人役に選び、二人の女性を殺させ、殺害の証拠となる凶器を隠してビデオに犯行の経緯を記録した。田島の刑が執行された後で、彼が無実であると証明するためにです」
松岡の携帯電話が鳴った。彼は電話に出ると、「今来客中だから後でかけなおす」といって、電話を切った。奈緒美の話を最後まで聞く気はありそうだった。奈緒美は話を続けた。
「問題は誰を生贄に選ぶかです。あなたは以前から田島仁志を知っていた。どうしようもないワルだって。以前あなたのチェーン店の一つに、食事に鼠の糞が入っていたといって、田島が騒ぎを起こしたことがありました。保健所にまで駆けこんで、金を脅し取ろうとした。その時、あなたは田島がヤクザとつながっていないかどうか、一通り調べていたはずです。そして、罪をかぶせるにはうってつけの男であると知ったのです。何度も窃盗や婦女暴行を繰り返す田島なら、警察も疑問を抱くことなく彼を犯人と判断するだろうと思って。次にあなたは風俗嬢と接触して犠牲者となる生贄を探した。金にがめつく、男の本当の怖さを知らない援助交際女子高生は、お金のためなら何でもやります。次いで、客の依頼でなんでもやる風俗嬢、小木尚子を見つけました。これで、駒は全部そろったわけです」
「知らないね」
「でも、知られてしまった。小木尚子さんの情夫の斉藤カイという男に」
松岡がちらっと奈緒美を見た。
「斉藤は小木さんと接触したあなたの後をつけたことがあったんですよ。おそらく小木さんから奇妙な依頼をしてきた男のことを聞いて、言いがかりをつけて金を脅し取ろうと思ったんでしょう。そしてその日偶然、あなたは藤森さんの会社に寄ったんでしょうね。斉藤は暗がりの中で、体格の似ているあなたと藤森さんを勘違いしてしまった。」
松岡はただ黙って奈緒美の話を聞いていた。激昂することも頭に血を昇らせることもなく、またおろおろと怯えることもなく、まるで他人事のように無関心な表情で。
「後日金をせびろうと思っていたけれど、小木さんが殺され犯人として田島がすぐに捕まったため、金を脅し取る機会を失ってしまった。しかし、私の取材で斉藤はあなたを田島の共犯だと勘違いして、再び金をせびろうと藤森さんに接触したんです。もちろん、藤森さんには心当たりはありません。そして、あなたに相談したんです。死刑反対活動でよく顔を合わせているし古くからの友人のあなたに、藤森さんはすぐに連絡を取ったはずです。そしてあなたは斉藤を殺した。転落事故に見せかけて」
「そんないい加減なこと、よく言えますね」
松岡は上着の内ポケットからタバコを取り出した。ラッキーストライクだった。
「東出は計画通り二人の風俗嬢を殺しました。そして田島が逮捕され、あなたの狙い通り死刑判決が出た。東出はおそらく、事件を詳しく説明した遺書を書いていたはずです。自分が死んだあと、田島が無実であったことを証明できるように。田島の死刑執行後、あなたがマスコミを使って田島が冤罪で処刑されたことを暴露できるように。しかし、余命半年といわれていた東出が意外と長生きしたので、作戦を変えたんですね。真犯人自身が名乗り出るほうが信憑性はありますから。しかし、そうはいっても東出に残された命は限られていたから、執行を早めなくてはならなかった。刑事訴訟法を盾に裁判を起こせば田島仁志の執行が早められる。それで宮崎恵美の母親に訴訟を起こすように言った。金を渡して」
奈緒美はポケットからライターを取り出して火をつけ、タバコを銜えたままだった松岡に差し出した。松岡は「ありがとう」と言ってタバコの先を焦がし、また背もたれに身体を預けた。
「田島の死刑が執行され、東出が自分から警察に名乗り出ました。しかし、警察は彼を逮捕しなかった。釈放された東出はその夜、ホテルで殺された。彼は、自分が警察関係者に殺されることを予言していました。彼はどうしてあそこで自分が殺されるとわかったんですか?」
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松岡がゆっくりと頷いた。
「胸の十字架に誓ったんだ。絶対に息子を助けるとね。そのためには鬼にでも悪魔にでもなってやる」
ぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「小さい頃の隆弘は可愛かった。しかし、あれが私をパパと呼ぶことはなかった。大きな車のおじさんと、ずっとよばれていたんだよ。隆弘は実の父親が私であることを知らないんだ。これは私にとってつらいことだった。それでも、自分の息子がこの世に存在するのだと思うと、その苦しみも我慢できた。そんな隆弘が処刑されるなど、私には耐えられん。どんなことがあっても、私は息子を守る」
「あなたは、息子さんが本当に無実だと思っているんですか?」
「そんなことは問題じゃない。何よりも大切なのは、隆弘の命を救うことなんだよ」
「そのためにあなたに殺された二人の女性はどうなるんです」
「もちろん、同情を禁じ得ないよ。だからといって、私の息子が殺されるなど、断じてあってはならない」
「それは自分勝手な言いぐさです」
「世界中の人間は誰もが平等でなくてはならない。そうじゃないのかね。もしここが日本ではなく、死刑制度を存続させているだけの隣の韓国なら、息子は処刑されないのだよ。まして隆弘が殺したという証拠はどこにもない。過去の不良行為に基づいて証拠もない事件の罪を命で償わせるなど、断じてあってはならないのだ」
「それも、勝手な言いぐさです」
「そうかもしれん。しかし、いつの世にも普遍の物はある。親の子に対する愛だよ。あなたは若いから、まだ子供はいないでしょうな」
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