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31.誘い出された獲物

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 辺りが薄暗くなってきた。暗くなり始める時間が日に日に早くなってきているのがはっきりとわかる。
 四谷は、カバンに手を差し込み、隠してある短刀の刃を指の腹でなぞった。
 アームズショップで買った短刀。三万円にしては、いい品物だった。
 市販のサバイバルナイフだと、刃渡りが短い。包丁は刃が薄くて折れてしまう可能性もある。使いやすい道具を、時間をかけて探した。身分証明書の要らない店をようやく見つけ出し、偽名で購入した。
 切れ味はよくなかったが、わざと刃を加工して鈍らせているだけだとわかった。きめの細かい砥石で一時間、丹念に砥いでいるうちに、満足のいく切れ味に仕上がった。
 安物のシャツとズボンを選んで着替えた。どこから見てもおとなしい高校生に見えるだろう。
 ガードの下を抜けて商店街に入る。シャッターが下りている店が多い。薄暗くて人通りもまばらで、どこか陰気だった。
 目の前に警察車両が停まっている。警官が高校生風の少年に職務質問していた。タバコでも吸っていたのだろう。少年たちは地面に腰を下ろし、ふてくされた顔で地面を睨んでいた。
 四谷は歩を速めてその場を通り過ぎた。バッグの中には刃渡り三十センチの短刀、ズボンのポケットにはスタンガンとバタフライナイフが入っている。職務質問を受けたら面倒なことになる。学校にも報告がいくだろう。
 昨日の夜、丸山理佳の連絡先を入手したと、美登里のスマートフォンに伝言を残した。しばらくして、今まで四谷のことを無視し続けていた彼女から久しぶりに連絡を受け取った。
「やっと声を聞くことができて嬉しいよ」
 親しみをこめて話しかけたつもりだったが、彼女は待ち合わせ場所と時間を告げると、さっさと電話を切った。
 美登里が指定してきた喫茶店、カサブランカに着いた。
 ガラス戸はスモークがかかっている。午後四時五十分。美登里が来ているかどうか、外から店内の様子はわからない。
 ドアを開けて店内に入る。テーブルが五つにカウンター席が八つの、静かな店だった。
 マスターがじろっとした目を四谷に向けた。客に何か言う言葉があるだろうと思ったが、かまわず店の奥に歩いていく。
「ちょっと、お客さん」
 マスターが四谷を呼び止めた。
「窓際の席に座ってくれないかな。奥の席は予約席なんだよ」
「そうですか。すみません」
 客など来そうもない店だ。
 マスターの指示通り、窓際の席に移る。水を持ってきたマスターに、コーヒーを注文した。マスターは黙ってカウンターの奥に引き返していった。
 午後五時を過ぎた頃、ドアが開いた。入ってきた女が四谷に視線を向けた。
「やあ、久しぶりだね、塚崎さん」
 怪訝な目を向けていた美登里が、表情を変えた。
「何、その格好?」
「変装だよ、ちょっと事情があってね」
「似合ってないわね。まるで変質者だわ」
「そんなに酷いかな」
 不機嫌な顔で四谷の前に座った美登里に優しく語りかける。
 美登里が四谷を睨んだ。
「あんたのせいでひどい目に遭っているのよ。川淵のことを警察にちくったの、あんたでしょう」
「嫌な男だから痛い目に合わせたいと言っていたじゃないか」
「勝手なことしていいとは言わなかったわ。おかげで私もシンジも石田組に追われることになったのよ」
「丸山さんを土産に差し出せば、岩元さんが組に口をきいてくれるんだろ?」
「どうして知ってるの?」
 美登里がさらに強い目で睨みつけてきた。
「江木君に聞いたんだよ」
「あいつ、自殺したんだってね。何で首吊ったの?」
「さあ。何も聞いていないよ」
「シンジが、あいつは殺されたんだって言ってた。自殺するような奴じゃないって」
「殺されたって、石田組にかい? 江木君を殺す意味なんてないんじゃないのかな。それも、自殺に見せかけて。あんな下っ端殺してもメリットはないし、やくざのやり方とは違うよ。自殺に決まってる」
「まあ、江木なんてどうだっていいけど、シンジが気にしてたから」
「シンジさんはどこにいるんだい? 一緒に来たんじゃないのかい?」
「余計なこと聞かないで。それよりあんた、シンジにきちんと説明しな。勝手に警察にチクったこと、うまく言い訳しないと殺されるよ」
「きちんと説明するよ。それで、丸山さんをどこに連れていく気なんだい?」
「あんたが知る必要はないのよ」
 美登里は出てきたコーヒーを啜った。間違いない。柏葉真治はやってくる。
「加藤が自殺したことも気にしていたわ。あいつが自殺する理由もないって。絶対石田組がかんでるって」
「それもないね」
「中学の後輩だから余裕で見つけられるっていってたのに、結局、丸山理佳を見つけられなかった。使えない男だったわ」
「そうだね」
 やはり、柏葉から加藤に指示が出ていたのか。そして、加藤は丸山理佳を見つけていたのに、それを伝えていなかった。
 丸山理佳の連絡先を書いたメモを美登里に渡した。美登里がスマートフォンを持って店を出た。彼女が電話を終えるまで、店内をぼんやり眺めて待っていた。マスターがタバコを吸いながら、暇そうに新聞を読んでいる。
 電話を終えた美登里が店に戻ってきた。
「丸山さんは?」
「近くの公園まで出てくるって」
 おそらく、出てこないとスカルのメンバーを引き連れて家に乗り込むとか言って脅したのだろう。
「シンジさんには連絡したんだろ?」
 美登里が黙って四谷を見た。
「シンジさん、もうすぐここに来るんだろ? 僕も一緒に行っていいかい?」
「じゃあ、一緒に来な。あの女と会う公園の傍で待ち合わせているから」
 美登里が火をつけたばかりのタバコを灰皿の上で押しつぶして席を立った。
 美登里の後ろを歩いて、丸山理佳と待ち合わせている公園に向かった。
「僕はここで待っていていいかい?」
「どうぞ、ご勝手に」
 美登里は公園の入口に四谷を待たせ、ひとりで中に入っていった。
 丸山理佳はもう来ていた。公園のベンチの傍に立って、周囲を見ている。美登里が丸山理佳に近寄っていく。
 美登里を見て、丸山理佳が驚いているのがわかる。二人はベンチに腰掛けた。何を話しているのか聞こえてこないし、関心もない。
 丸山理佳の表情が怯えているように見える。傍に飛んでいって大丈夫だと言ってやりたいが、ここは我慢だ。
 丸山はドールとして岩元に拷問されかけた。四谷が丸山の拉致に気づいて逃亡の手助けをしたが、四谷が気付かなければ、彼女はどうなっていたかわからない。
 柏葉は丸山理佳を車で連れて行くだろう。彼らに同行して彼女を助け、柏葉のねぐらを突き止める。それが今回の目的だ。
 丸山が美登里から離れた。重い足を引きずるように、彼女が引き返していく。
 彼女を連れて行かないのか?
 丸山と別れた美登里が戻ってきた。
「丸山さんを連れて行かないのかい?」
 美登里は四谷の言葉を無視した。
 後ろからエンジン音が近づいてきた。横に黒塗りの外車が停まった。左ハンドルの運転席の窓が降りる。
 男の横顔を見る。
 やっと会えたね、柏葉君。
 車に近寄ってくる四谷を、柏葉が睨んだ。
「よお、勇作。似合ってるじゃないか、その格好」
「どうも、シンジさん」
 柏葉が四谷を手招きした。車窓に近寄ってきた四谷の鼻柱を、柏葉がいきなり殴った。鼻の奥に、つんとした痛みが走る。
「おまえにはあとで聞くことがあるんだよ」
 柏葉が、四谷に後ろに乗るように言った。
 美登里が前の助手席に乗り込んだ。野太いエンジン音を残し、車が走り去っていく。
「どうして丸山さんを帰したんだい?」
「てめえには関係ねえ」
「今からどこに行くんだい?」
「私のエスを取り返しに行くの。安全なところに預けてあるから」
「安全なところって?」
「てめえは質問が多いな。俺がいいというまで黙ってろ」
 ルームミラーに映った美登里がにやりとした。
「スカルと無関係の女の子に預けてあるの。親が旅行で不在だって言ってたから、家に一人でいるはず。だから、これから取りに行くのよ」
「可愛い女なんだろ? そいつ、バージンか?」
 柏葉が美登里に聞いた。
「ドールにしちまおうぜ」
「駄目よ。ダチだから、絶対手を出さないで」
 美登里の強い口調に、柏葉が笑っている。
 なるほど、そういうことか。柏葉はその女をこの車で拉致するつもりなのだ。だから、丸山を帰したのだ。
「とにかく、エスとUSBを取り戻してこい。そうすりゃ、女には手を出さない」
 USBとは何のことだ。
 柏葉がタバコを銜えて車の窓を下ろした。煙が後部座席にまで流れてくる。たまり場にしているダイナマイトに石田組が乗り込んできたらしい。レミが攫われそうになったが、うまく逃げ出したといって、柏葉が笑った。久しぶりに外に出たからなのか、機嫌がよさそうだった。その数日前にもダイナマイトでいざこざがあったらしい。男女の高校生が乗り込んできて、男のほうが暴れたといっている。仲間がやられたので、周辺の学校に聞き込んで探しているとのことだった。
 それからは女の話や、ドールと呼ばれる女たちを拷問した話で、ふたりは盛り上がった。四谷が殺した二人の幹部については、話に出なかった。
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