冬籠り

壱宮凪

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国捨てた青年、国守る少女

労働基準就労戦線異常無し

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 柊の就職が決まった。
 玖蘭王立軍、配属先は王立軍王城警備連隊壁門守衛団第十六小隊。
 居住は住込み、宿舎で同隊の兵士との共同生活。一日八時間労働、夜間勤務有り、週休二日制。給料は月末払い、残業夜間特別手当て有り、三食付き。有給は必ず消化。壁門守衛の主な職務内容は昼番夜番の交代制で、職務の他にも週三日訓練がある。
 職務内容は厳しいが福利厚生は一般的にはかなりの高待遇だった。

 配属直後、色々衝撃を受けながらも柊はこの生活に慣れようと必死に頑張った。
 根拠はないが、壱琉の方から見つけてくれるという自信があった。
 壱琉と再会できたのは職を得て二週間と数日がたった時だった。



「いってらっしゃい」の言葉をかけ、再会を喜んだ壱琉の元気いっぱいに駆けて行った背が見えなくなるや否や、十六小隊小隊長は怒髪天を衝く勢いで飛んで来た。
 不敬だ、生意気だ、とのたまい、柊の薄茶色の頭を槍の柄で殴りとばすと連帯責任としてその場にいた兵士全員に腕立て百回を命じた。
「はっは、小気味良いぜ小隊長殿は」
 城門裏で隠れるように地面に這いながら、同じ隊の宿舎では柊の隣の寝台を使っている同年代の赤毛の兵士、ロット・マイルズが笑いながら五十回余分に回数をこなして笑った。
 入隊して四年の彼は、生来の性なのかお人好しなのか、かなり面倒見が良かった。
 十七日前支、給品を抱えて呆然と宿舎の部屋に置き去りにされた柊に最初に声をかけたのがロット・マイルズだった。
「ほーら、おっかないのに睨まれてるぞ」 
 ロットがこれ見よがしに城の方を見たので柊も釣られて顔を向けた。壱琉を城門の内側で見送っていた近衛兵クチナワが射殺さんばかりに睨んでいた。
 柊と目が合うと彼は顔を不快に歪めて足早に去っていった。殺気を当てられ柊は苛立ち気に訊ねた。
「なんなんだあいつ」 
「近衛隊のクチナワ・蛇文。姫様付の護衛。気をつけろ、目を付けられたらしつこいぞ、なんせ由緒正しい蛇族だから」
「別に、目をつけられる謂われは……」
「お姫様にお声をかけていいのは近衛隊だけって暗黙があんだよ」
 ロットは肩を竦めた。
「だから小隊長も体裁の折檻命じたけどさ。俺ら守衛団からするとそれって面白くないわけ。小隊長も、内心「してやったぜ!」くらいはおもってんじゃねーかな。そんでなくたってアネ族の姫様贔屓は目に余るし」
「なんだそれ」
 柊は眉根を寄せて起き上がる。一人の時間が長かった為自己鍛錬は得意だった。腕立て百回なら起き抜けでもできる。
「あの話って……本当なんですか? 」
 もう一人の同僚、今年入隊のまだあどけなさの残る少年兵、日月・灯寄《たちもり・ひより》は息も絶え絶えに柊に尋ねた。腕立ては後二十回残っている。
「柊さんっ、が陛下の家族旅行にっ、同伴して……」
「灯寄(ひより)遅い、兵学校出が中途採用に負けるな」
 ロットが容赦なく、灯寄の背に大雨時の冠水防止の土嚢を乗せた。蛙が潰れるような声を少年兵は上げる。
「同伴ってわけじゃ……」
 震えながら腕立てをこなす灯寄を眺めながら厄介だと柊は顔をしかめた。ロッドはもう一つ少年の背に土嚢を追加するとそういえば、と言った。
「城内守衛がそんな事言ってたな。陛下の家族旅行って護衛はおろか侍従の一人も連れないお忍びだって話だったのに、どこの馬の骨とも知らない奴がくっついて来たって。将軍とアヌイ精霊宰相以外の側近と近衛が、腸煮えくり返っているって話」
「私語を慎め!」
 小隊長の怒声が飛んできて、柊とロットはしれっと門警備の配置に戻った。
 小隊長は唾をわざと巻き散らすかのように灯寄向かって喚いた。
「日月、貴様まだ終わらんのか! それでも陛下の居城をお守りする肉の盾か! お遊び気分なら田舎に帰れ、この親の臑(すね)齧(かじ)りが!」
 吐き捨てると、小隊長は更に一つ灯寄の背に土嚢を追加し戻っていった。
 柊は最早起き上がる事が出来ない灯寄を眺めると、土嚢を二つ自分の背に乗せ地面に這いつくばる。
 囃すようなロットが口笛が吹かれた。
 柊は汗だくの灯寄に顔を向けた。
「連帯責任なんだろ、あと何回だ?」
「じゅ……十八」
「なら九回俺が貰う」
「やっさしーい。お前って冷たそうに見えるけどいい奴だな」
「優しいのは、俺じゃない」
 壱琉なら、こうしただろう。





 陽も真南を過ぎた夕方前、塩の卸商人の城門通過許可書を確認していた柊は、前方から頬を紅潮させ走ってくる壱琉を視界の先に認めた。
「たっ、ただいま!」
 急いで帰ってきたのだろう、息を切らし期待に胸膨らませた瞳で見上げられ柊は通行書から目を外すと、貴人に対する兵士の礼を同僚と一斉にとった。
 壱琉の顔がさらに輝く。
「カッコいい! すごくカッコいいよ柊」
 高貴の姫君からの手放しの賛美に、柊以来の兵士が照れた様に顔を赤らめる。身体を休める体制を取った後、柊は改めて壱琉に行った。
「おかえり」
 朝と同じ様に返してくれた事に顔を煌めかせ、壱琉は柊の後をついて回りはじめた。
「城門の兵隊さんになったんだね、すごい心配したんだよ! 本当は近衛隊に入ってくれたらいいのにって思ったけど、こっちの方がカッコいいよ! これからは毎日会えるね。ちゃんとご飯食べてる? お仕事もう慣れた? どこに住む事になったの? あっ、もしかして宿舎って所? 遊びに行ってもいい?」
 ひよこ並にくっついてまわる壱琉を無視し、塩商人の入場許可の判を押した柊は城門の取次所の奥から顔をひきつらせている小隊長と目があった。
 小隊長の口が喘ぐように動いて柊は眉根を寄せる。
 音を出さないように小隊長は「姫様を無視するな」と口を動かした。
(仕事をしろ?)
 柊は読唇術が出来なかった。
「……壱琉」
「何?」
「仕事の邪魔だ。大人しくしろ」
「えー、ケチ」
 口を尖らせ壱琉は踵を返して大人しく城門の大扉を潜った。城門を抜けた先では朝と同じ場所で護衛が壱琉を出迎える。ずっと待っていたらしいクチナワは猛蛇の目で柊を睨みつけると姫君に続いて城へと歩いて行った。
 大人しく帰って行った壱琉を確認した柊は得意げに小隊長に頷く。返って来たのは何故か「この馬鹿!」という怒声だった。



 働くって、難しい。
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