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第二部【9章】パンドラの箱
34.判断
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結局、エドヴィンに仕事を任せるとは言いつつ、俺は休暇として丸一日サボった次の日からは、毎日牢獄エリアに顔を出していた。あまり露骨にサボっては人間に目を付けられる可能性もあるし、今は仕事のほとんどをエドヴィンが担っているため、俺は待機所でゲームでもして暇を潰すだけだ。そんな苦でもない。
いつも通りに待機所に顔を出すと、掃除用具をロッカーにしまおうとしていたエドヴィンと目が合った。
「ハル、おはよう!」
パッと笑顔を浮かべると、いつもより元気にエドヴィンが挨拶をしてくる。よほど元気が出てしまったのか、ついこの間までの落ち込みようが嘘のようだ。陰気くさいよりはいいだろう。
「あー」
「今日も牢獄エリアは静かだよ。最近はみんなが各々で読書をしたり、会話をしたりしていて、凄く和やかだ。雰囲気が随分と明るくなったよ、たまに喧嘩する子もいるけどね。何にせよ、この文化はキティがいてくれたおかげだね」
エドヴィンの姿は相変わらず顔面が蛾にまみれたままだが、話の内容だけ聞けば発狂する前にも近い世間話だ。すぐにマウントを取ってこないだけ不快ではないが、キティの名前が出てくるとどうにも疑いの眼差しを向けてしまう。
コイツ、やっぱりキティのことが好きなんじゃないだろうか…。だとしたら、めんどくせえな。
「さいでっか。じゃあ、引き続き仕事よろしく」
俺は適当に話を聞き流しながら、パイプ椅子に腰掛ける。いつも通りホログラムでゲームでもしようと思っていたが、不意にエドヴィンがもう一つのパイプ椅子を俺の隣に運んできて、すぐ横に座った。
「大丈夫、もうすでに配膳も終わっているし、書類関係も結構終わらせてあるんだ。受け持ちもいないし、俺も時間に余裕あるんだ」
「そりゃ優秀なこって」
「ハルはどんなゲームをいつもしているの?」
エドヴィンが俺のホログラムを横から覗き込んでくるが、距離が近い。肩と肩が当たってる。なんだこの距離感。バグってんじゃねえのか?
俺は思わず肩を背けて、椅子に跨ったまま距離を空けた。
「ちけえよ」
「ダメなの?」
空けた距離だけエドヴィンが何故かまた距離を詰めてくる。コイツ、こんなにパーソナルスペース狭かったか?いや、そんなことはなかったはずだ。
「いいわけねえだろ。気持ちわりー」
「そうなんだ?ハルとキティはいつもこんな感じだったと思うけど」
「なんでお前とキティが同列に並ぶんだよ」
「俺は二人のことが同じくらい好きだよ?」
割と真剣にエドヴィンの主張について考えてみるが、全く理解できない。ていうか、前に言われた時にも考えたけど、やっぱりわかんねえ。コイツの好感度どうなってんだ。
「あ、そういえば今日の変わったことと言えば、ケットが妙に騒がしいんだ」
切り替えが早いのは相変わらずのようで、エドヴィンが思い出したように突然話題を変える。
「床に根を伸ばしたりしていて、牢獄エリア内を動き回っているんだ。牢から出てはダメだと伝えたんだけど、やめてくれなくてね…」
ケットが根を伸ばせるのは知っていたが、彼女がそこまで積極的に行動しているのは俺も見たことがない。なんだかんだとケットはヨルツから牢獄エリアのルールを聞いているようで、牢から出たのも俺を起こした時だけだった。
今までの行いを見る限り、ケットはそこまで知能が低いようにも思えない。そんなに動き回るなら何か理由があるような気がする。
「…理由は聞いたのか?」
「ハルを待ってるみたいだよ。あの子はお話が上手じゃないから、俺が聞いてもよく分からなくてさ」
「まあ、お前ってそういう奴だよな」
俺が立ち上がると、エドヴィンも一緒に立ち上がる。ついて来る気なのだろうか。
牢獄エリア内に足を踏み入れると、確かにそこかしこにケットの根が伸びている。しかし、むやみやたらに伸ばしているというより、待機所へ向かってしっかりと軌道を描いて一直線だ。待機所の扉にまで侵食していたその根は、俺の足音に反応するようにゆっくりと壁から剥がれた。
一番奥の牢、ケットがいるその扉を開く。ケットの根は俺たちを追いかけるようにズルズルと根を引っ込めた。
「俺に用があるって?」
今のケットなら耳が機能しているはずだ。彼女がどの程度の語彙力で話せるのかは俺もよく知らないが、会話をするだけなら盲目だろうが移動が出来なかろうが関係はない。
牢の前で仁王立ちする俺を前にケットはあらぬ方向を見たまま、ゆっくりと声を絞り出した。
「ハルミンツ、待ってた」
久しぶりに聞くケットの声はか細く、耳を澄ませないと聞き逃しそうなほど小さかった。その声はどこか震えているようで、不安のような感情が伝わって来た。
「ヨルツ、すごく小さい。人間、ヨルツ、話す」
「はあ…?」
これは確かに要領を得ない。しかし、人間とヨルツが接触しているのだとしたら、一体何の用だ。
ヨルツに関しては特に今日は何も予定はないはずだ。卒業が見込まれているのも2か月先のテストをしないと確定しない。
「ヨルツ、言ってた。人間、嘘、話す。逃げる、今から」
捻る俺に、ケットが続けざまに言葉を紡ぐ。
そこまで言われてから、俺の頭がようやく事の重大さを理解する。確定しないかどうかなんて、分かるわけがない。キティの時だって卒業が2か月早まっている。人間の気が向けば、卒業の日取りなんて自由に決められるのだ。
「…もしかして、ヨルツが部屋からいなくなったか?」
俺が尋ねると、ケットが小さく頷いた。
本来、特別房の怪物が卒業する際は担当に連絡がいくだろう。エドヴィンがキティを看守長室へと連れて行ったなら、俺がそこにいるはずだ。
しかし、リセット前の俺はキティと引き離されそうになって大暴れしたのだ。そのリスクを知っているなら、人間たちは俺に知らせずにヨルツを卒業させた方が事がスムーズに進むことくらい分かるだろう。
ケットの根が、すがるように俺の足首に巻きつく。恐らく、ヨルツを取り返してくれと言っているのだ。
「えっと、ヨルツに何かあったのかな?ハルの受け持ちだよね、大丈夫かい?」
隣で話を聞いてても何も伝わっていない顔をしているエドヴィンが口元に笑みを浮かべたまま首を傾げた。
ヨルツがいなくなったって、俺にはキティがいる。俺の目的は、彼女と前の暮らしを取り戻すことだ。ヨルツが死んでいても、俺たちの世界は正常に動く。
見捨てたっていいんじゃないのか?元より死んでいたはずの命だ。
頭の中ではそう思っていても、足首にすがるケットの根を見ていると胸が悪くなる。俺がいなくなったら、キティもこうやって悲しむんじゃないか?何よりも、大事なものを失った絶望感を俺は一度、体感してしまっている。
エドヴィンに大丈夫だと言い返せるようでありたかったが、どうもそうもいかないようだ。
「…借りなんか作るんじゃなかった」
俺はケットに背を向けて、待機所の外へと走り出す。
「ハル?どこへ行くの?」
「ヨルツを取り返す」
困惑したように声を上げたエドヴィンに振り返らずに簡潔に伝える。
こうなったら仕方ない。やることは一つ。
戦争だ。
いつも通りに待機所に顔を出すと、掃除用具をロッカーにしまおうとしていたエドヴィンと目が合った。
「ハル、おはよう!」
パッと笑顔を浮かべると、いつもより元気にエドヴィンが挨拶をしてくる。よほど元気が出てしまったのか、ついこの間までの落ち込みようが嘘のようだ。陰気くさいよりはいいだろう。
「あー」
「今日も牢獄エリアは静かだよ。最近はみんなが各々で読書をしたり、会話をしたりしていて、凄く和やかだ。雰囲気が随分と明るくなったよ、たまに喧嘩する子もいるけどね。何にせよ、この文化はキティがいてくれたおかげだね」
エドヴィンの姿は相変わらず顔面が蛾にまみれたままだが、話の内容だけ聞けば発狂する前にも近い世間話だ。すぐにマウントを取ってこないだけ不快ではないが、キティの名前が出てくるとどうにも疑いの眼差しを向けてしまう。
コイツ、やっぱりキティのことが好きなんじゃないだろうか…。だとしたら、めんどくせえな。
「さいでっか。じゃあ、引き続き仕事よろしく」
俺は適当に話を聞き流しながら、パイプ椅子に腰掛ける。いつも通りホログラムでゲームでもしようと思っていたが、不意にエドヴィンがもう一つのパイプ椅子を俺の隣に運んできて、すぐ横に座った。
「大丈夫、もうすでに配膳も終わっているし、書類関係も結構終わらせてあるんだ。受け持ちもいないし、俺も時間に余裕あるんだ」
「そりゃ優秀なこって」
「ハルはどんなゲームをいつもしているの?」
エドヴィンが俺のホログラムを横から覗き込んでくるが、距離が近い。肩と肩が当たってる。なんだこの距離感。バグってんじゃねえのか?
俺は思わず肩を背けて、椅子に跨ったまま距離を空けた。
「ちけえよ」
「ダメなの?」
空けた距離だけエドヴィンが何故かまた距離を詰めてくる。コイツ、こんなにパーソナルスペース狭かったか?いや、そんなことはなかったはずだ。
「いいわけねえだろ。気持ちわりー」
「そうなんだ?ハルとキティはいつもこんな感じだったと思うけど」
「なんでお前とキティが同列に並ぶんだよ」
「俺は二人のことが同じくらい好きだよ?」
割と真剣にエドヴィンの主張について考えてみるが、全く理解できない。ていうか、前に言われた時にも考えたけど、やっぱりわかんねえ。コイツの好感度どうなってんだ。
「あ、そういえば今日の変わったことと言えば、ケットが妙に騒がしいんだ」
切り替えが早いのは相変わらずのようで、エドヴィンが思い出したように突然話題を変える。
「床に根を伸ばしたりしていて、牢獄エリア内を動き回っているんだ。牢から出てはダメだと伝えたんだけど、やめてくれなくてね…」
ケットが根を伸ばせるのは知っていたが、彼女がそこまで積極的に行動しているのは俺も見たことがない。なんだかんだとケットはヨルツから牢獄エリアのルールを聞いているようで、牢から出たのも俺を起こした時だけだった。
今までの行いを見る限り、ケットはそこまで知能が低いようにも思えない。そんなに動き回るなら何か理由があるような気がする。
「…理由は聞いたのか?」
「ハルを待ってるみたいだよ。あの子はお話が上手じゃないから、俺が聞いてもよく分からなくてさ」
「まあ、お前ってそういう奴だよな」
俺が立ち上がると、エドヴィンも一緒に立ち上がる。ついて来る気なのだろうか。
牢獄エリア内に足を踏み入れると、確かにそこかしこにケットの根が伸びている。しかし、むやみやたらに伸ばしているというより、待機所へ向かってしっかりと軌道を描いて一直線だ。待機所の扉にまで侵食していたその根は、俺の足音に反応するようにゆっくりと壁から剥がれた。
一番奥の牢、ケットがいるその扉を開く。ケットの根は俺たちを追いかけるようにズルズルと根を引っ込めた。
「俺に用があるって?」
今のケットなら耳が機能しているはずだ。彼女がどの程度の語彙力で話せるのかは俺もよく知らないが、会話をするだけなら盲目だろうが移動が出来なかろうが関係はない。
牢の前で仁王立ちする俺を前にケットはあらぬ方向を見たまま、ゆっくりと声を絞り出した。
「ハルミンツ、待ってた」
久しぶりに聞くケットの声はか細く、耳を澄ませないと聞き逃しそうなほど小さかった。その声はどこか震えているようで、不安のような感情が伝わって来た。
「ヨルツ、すごく小さい。人間、ヨルツ、話す」
「はあ…?」
これは確かに要領を得ない。しかし、人間とヨルツが接触しているのだとしたら、一体何の用だ。
ヨルツに関しては特に今日は何も予定はないはずだ。卒業が見込まれているのも2か月先のテストをしないと確定しない。
「ヨルツ、言ってた。人間、嘘、話す。逃げる、今から」
捻る俺に、ケットが続けざまに言葉を紡ぐ。
そこまで言われてから、俺の頭がようやく事の重大さを理解する。確定しないかどうかなんて、分かるわけがない。キティの時だって卒業が2か月早まっている。人間の気が向けば、卒業の日取りなんて自由に決められるのだ。
「…もしかして、ヨルツが部屋からいなくなったか?」
俺が尋ねると、ケットが小さく頷いた。
本来、特別房の怪物が卒業する際は担当に連絡がいくだろう。エドヴィンがキティを看守長室へと連れて行ったなら、俺がそこにいるはずだ。
しかし、リセット前の俺はキティと引き離されそうになって大暴れしたのだ。そのリスクを知っているなら、人間たちは俺に知らせずにヨルツを卒業させた方が事がスムーズに進むことくらい分かるだろう。
ケットの根が、すがるように俺の足首に巻きつく。恐らく、ヨルツを取り返してくれと言っているのだ。
「えっと、ヨルツに何かあったのかな?ハルの受け持ちだよね、大丈夫かい?」
隣で話を聞いてても何も伝わっていない顔をしているエドヴィンが口元に笑みを浮かべたまま首を傾げた。
ヨルツがいなくなったって、俺にはキティがいる。俺の目的は、彼女と前の暮らしを取り戻すことだ。ヨルツが死んでいても、俺たちの世界は正常に動く。
見捨てたっていいんじゃないのか?元より死んでいたはずの命だ。
頭の中ではそう思っていても、足首にすがるケットの根を見ていると胸が悪くなる。俺がいなくなったら、キティもこうやって悲しむんじゃないか?何よりも、大事なものを失った絶望感を俺は一度、体感してしまっている。
エドヴィンに大丈夫だと言い返せるようでありたかったが、どうもそうもいかないようだ。
「…借りなんか作るんじゃなかった」
俺はケットに背を向けて、待機所の外へと走り出す。
「ハル?どこへ行くの?」
「ヨルツを取り返す」
困惑したように声を上げたエドヴィンに振り返らずに簡潔に伝える。
こうなったら仕方ない。やることは一つ。
戦争だ。
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