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第二部【4章】上書きされていく日常

15.誘惑

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キティはまだ見習いで、身体が生活リズムに適応するまでは週休1日制らしい。俺やエドヴィンには休みはないのに、後輩の方が休めるなんて良いご身分だ。
キティが看守になってから早いもので2週間ほどが経過していた。相変わらず、必要最低限の会話しかしないように心がけてはいるが、キティは特別房にいた時よりも随分と明るくなったように見える。
明るい分には変に胸を痛める必要がなくていいのだが、ニコニコとしている彼女の周囲には人が集まるようになった。牢獄の怪物とも打ち解けて、俺と一緒に待機所にいないで、鉄格子越しに怪物と雑談していたりする時間が増えた。
何だかんだ言ってやはり高圧的な態度の男と過ごすより、無害な奴と話す方が気楽なのだろう。
「キティがお前と仲良くなりたいって話してたぞ」
キティが休みの日に配膳していると、ヨルツが飯を平らげながら言った。
「お前も前に探していたみたいだったが、キティとはどういう関係なんだ?」
「うっせーな、詮索すんなつったろ」
つか何でよりによってヨルツに相談してんだあいつ。毎回エドヴィンに仲介面されるよりはマシかもしれねえが…というか俺が知らねえだけでそこかしこで相談してるんじゃねえだろうなアイツ。
前から喋りたがりの傾向はあった気がするが、以前のキティは交友関係が俺とエドヴィンぐらいしかいなかったから特に困りはしなかったが…俺が知らないところでそんなことになっているのだとしたら冗談じゃない。
かといって今の間柄で俺の話題を出すなと釘を刺すのもおかしな話だろう…どうしたものかと頭をかくと、体中の口がそれぞれ思い思いのため息をついた。
そういえば、時間を巻き戻される前より随分と展開が変わった。思い返してみれば、今頃ヨルツは人型になっていたはずだが、彼が人型になる気配はまだない。
「お前、いつになったら人型になるんだ?前はそろそろなってたろ」
そこから脱獄したと言いかけて、俺は口を閉ざす。その情報までヨルツ自身が覚えているのかまで知らない。脱獄して、エドヴィンに殺されたことを覚えているから進化しないようにしているのかも分からない。
ヨルツは首を傾げると、皿の中の飯を舐めとる。
「漠然としか覚えていないんだが、あの時はここを出たくて堪らなかった。その一心で人型になった気がするが、今の暮らしは正直あまり困ってない」
「ケッ、甘ったれてんな」
つまり、ヨルツもキティとは少し違うが、あの時に俺が体罰で追い詰めたから、ここから出ようという気になったんだろう。
別にコイツが一生この檻で過ごそうが、出ていこうが俺には関係のない話だ。好きにしたらいい。
ヨルツは食べ終わった皿を俺の足元へと置いた。
「ここから出た奴らはみんなどこへ行くんだ?」
「エドヴィンの野郎から聞いたことねえのかよ」
俺が辟易とした様子で答えると、ヨルツは眉間の皺をより深くして短く鼻息を漏らす。
その様子で何となく言いたいことがわかってしまう。俺はヨルツのそういうところが苛々するし嫌いだが、なぜか今日はいつもほどうっとおしい気分にはならなかった。
「…特別房に行くんだよ。人間的な暮らし方を学ぶために個室が与えられる。担当が同伴じゃなきゃいけないが、同伴していれば施設内も歩けるようになるぜ」
「随分と待遇が変わるんだな」
「そうだな。体罰もねーし、暇つぶしになるものは増えるから、毎日ここから空眺めてるより大分マシなんじゃねえの?」
当時、檻から出たくて堪らなかった俺からすれば、満足のいく待遇の改善だった。俺を虐待するハーロルトに会わなくて済むし、柔らかいベッドがあって、好きな飯が食える。
音楽聴いたり、ゲームしてる方が青空眺めてるだけより、時間も早く過ぎ去るから助かった。
「ふーん…」
ヨルツは俺の話を珍しく興味深そうに聞いていたが、すぐにその場で丸くなった。
「考えとく」
「あ?別に出て来いって誘ってるわけじゃねーし、お前に決定権があるんじゃねえからな?調子乗んなよ」
ヨルツがここから出ようが出まいが、この先の未来が変わることは恐らくない。人間はきっと誰かの肉体を手に入れるまで時間を不都合があるたびに時間を巻き戻して、俺たちの記憶ごと全て消し去ろうとするだろう。
今でこそ、何故か俺とヨルツだけが多少なりとも記憶を引き継いでいるが、またあった時に引き継がれる保証はない。
何にせよ、根本的に何かを変えるのであれば、元凶であるハーロルトと接触するのが一番早いことなど分かり切っている。しかし、看守の権限だけでデータベースにアクセスしようとすると、今のままではどうにも足がつくのが現状だ。可能性があるならば、ハッキングという手だが…今の俺にはそこまでの知識はない。
今まで勉強らしい勉強などしたことがなかったが、最近は部屋に帰ったら参考書や専門書を読み漁っている。待機所で勉強するという手もあるのだが、エドヴィンがうるさいのは目に浮かぶので、あえてやっていない。いつも通りにしないと、精神が疲れる。
手段などキティが人間に肉体を奪われなければ何だっていいが、偶然思い出せた記憶も奪われたくはなかった。もう一度やり直しになったら、たまったものではない。
俺は可能な限り、勝ちが確定した試合しかしたくない性分だ。こんなに大事なものを掛けて、大博打に出られるわけがない。焦りこそ募れど、こればかりは慎重にならざる得ない。睡眠時間は削られるが、思っていたよりも俺もエドヴィン同様に寝なくても何とかなる程度に体力があるようだった。
ヨルツとの会話を切り上げてから、いつも通り仕事をこなした。キティが来てから、心なしか牢獄エリアが明るくなった気がする。誰かと会話をするという文化が、牢獄内の怪物たちの中で生まれつつあるせいかもしれない。もちろん、俺には話しかけて来ないが。
「キティが来てから、ハルがちゃんと日誌や報告書を書いてくれるようになって凄く助かるよ!ちゃんと先輩としての自覚を持てたなんて、見直したよ!」
退勤時間になって、俺が帰り支度をしている横でエドヴィンがパイプ椅子に座って日誌に目を通しながら笑った。
本当はそんなもんやりたかないし、人間に提出するもんでもないからサボっていた。ただ、これをやっている間はキティが話しかけてこないので、やらざる得ないという現状がそこにはあった。
「そんなんじゃねーし」
「キティも仕事覚えるのが早いよね。おかげで俺も、普段より受け持ちの子たちに時間を割けるようになって、助かってるんだ」
関心したようにエドヴィンが頷きながら日誌のページをめくった。さすがの仕事ジャンキーは、仕事が減った分だけ別の仕事で埋めるらしかった。
物理的に一人でやっていた仕事の人手が増えるのだから、仕事が減るのは当たり前だ。俺も前よりサボれる時間が長くなって、キティが牢獄エリアにいる間とかはゲームをしていたりする。キティの目の前でやると話しかけられそうだからサボれない、というタイミングも増えたが。
「あっそ。んじゃ、お先」
適当に話を流して、俺は待機所を後にする。いつものように晩飯を買いに売店へ寄ろうかとロビーを歩いていると、ふと見覚えのある姿が目に入る。
ロビーにあるソファでキティが他の看守たちと話している。白くて大きなフリルのついた、膝丈よりも長いワンピース姿は看守服より見慣れていて安心感がある。そばにいるのは腕が6本ある女の看守と、彼女たちを囲むように立っている男の看守が3人。
「俺たち、今仕事上がったんだけど、良かったらカラオケでもいかない?」
「あ~…ごめん。私はこれから仕事なんだよね」
聞こえてくるのはナンパのような言葉だが、それに大して腕が多い女は困ったように笑った。
「キティはどうする?今日はお休みだよね?」
「えっ、うん。お休みだけど…」
笑顔を貼り付けたまま、キティが言葉を濁す。あまり気乗りしているようには聞こえない。断りあぐねているのかもしれない。
腕の多い看守はロビーの時刻を確認すると、慌てて立ち上がって両手を合わせた。
「ごめん!もう行かないと怒られちゃう!またね、キティ!」
「うん!またお喋りしようね!」
急ぎ足で俺が来た方向へと去っていく彼女をキティは笑顔で手を振って見送る。それで話は終わると思いきや、男たちはそれでもキティの傍から離れる気はないようだった。
「で、どうだろう?君一人でも俺らは大歓迎なんだけど」
「えっと…初めましてだから、いきなりカラオケは恥ずかしいかも…。だから、また今度で…」
「えっ、じゃあ俺の部屋とかで宅飲みとかでもいいよ!歌わなくていいし!」
断ろうとするキティの言葉を上から被せるように男のうちの1人が言う。
でけえ声でカラオケだの宅飲みだのと、あからさまに個室に誘い込もうってのが俺の苛立ちを存分に助長させる。
キティと距離を取るなら無視してさっさと帰るべきだろうが、俺の足は迷いなく男どもの方へと向いていた。
そして今まさにキティの手を取ろうとしていた奴の横から乱暴にソファに足をかける。
ソファフレームのガンという鈍い音にその場にいた全員の注目が集まった。
「邪魔」
男たちは俺の評判を知っていたのかこちらを振り向いて顔をひきつらせている。
「邪魔だつってんのが聞こえねーのか!」
「わ、わかったって!ら、乱暴はよせよ…」
戸惑ったような素振りのままで一行にキティから離れる様子のない男の胸ぐらを握んで怒鳴り付けると、流石に状況を理解したのか男が降参したように両手をあげた。突き飛ばすように胸ぐらを離すと、奴らは顔を見合せてから逃げるようにして去っていった。
悪評をつけられて、あることないこと勝手に喋られてんのは気持ちよくはねえが、こういうときの説明が早えのは特な気がする。まあ、こんなことばっかやってっから悪評が立つんだが。
キティは戸惑ったように俺を見ていたが、嬉しそうに笑って立ち上がる。俺に礼が言いたいのか、立ち上がった彼女はペコリと頭を下げた。
「ハルくんありが…」
「勘違いすんなよ、こっちのゴミ箱に用があっただけだ」
彼女が言葉を言い終えるより先に、傍に置かれた公共用ゴミ箱に朝飲んだゼリー飲料の空袋を乱暴に突っ込んだ。彼女の顔は出来るだけ見ないように、そのまま背を向けた。
キティを成長させないなら、俺は昔のように彼女の傍にはいられない。だからと言って、彼女の傍に別の男がいてもいいかってそれは許せない。こちとら、キティさえ幸せなら~とか言えるようなヒロイズムに浸る感性は持ち合わせていないのだ。また似たようなことがあれば、同じように妨害するし、いつか絶対に俺のものにする。
呆気に取られたようにキティは俺の背中を見つめていたが、我に返ったように何故か後を小走りでついてくる。
「でも、ありがとう!あのね、実は私、ハルくんのお仕事終わるの待ってたんだ」
「あ?」
全く予想していなかった言葉に思わず反応してしまった。
キティはもじもじと俯き、苦笑いを浮かべる。頬は高揚していて、耳まで赤い。
「今日か次のお休みとかにハルくんとデー…っ遊びに行けないかなと思って…」
今デー…つったよな。話の流れと反応から見てデートって言いかけたんだろう。…言いかけたんだろうことはわかるが、何でデートになんのかがわからねえ。
確かに今のは結果的にキティをクソ共から助けたような形にはなったが、これまで俺は極力キティを無視するよう貫いてきた。それがたった一度親切にされたからってデートに誘うか?
いや、そもそもキティは俺を待ってたと言ってた。つまりデートとナンパは無関係と考える方が自然だろう。
つまり尚更状況が理解できなかった。
「パス。俺はテメェと違って暇じゃねーんだよ」
理解はできないが今の俺はおいそれと話に乗ることもできない。
好きになった女と理不尽に引き離されて、記憶も奪われて、未練にならないはずもない。俺が考え無しの馬鹿だったら彼女の誘いに乗っただろうが、生憎俺はそこまで馬鹿にはなれなかった。
「男に絡まれんのが嫌ならこんなとこフラフラしてんじゃねーよ」
俺はキティの顔を見ずにそのまま背を向けて部屋に向かう。キティの悲しい顔はなるべく見たくはなかった。
「私はハルくんとお話したいだけなんだよ…」
背後から聞こえた彼女の言葉は、前にも聞いたことがあるような気がした。
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