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第二部【1章】望まぬ再生

02.通俗

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「ハル、俺は乗り物じゃないんだよ?」
俺を背中に乗せている蛾が困ったように笑う。
ビルの屋上ほどの大きさを持つこの巨大な蛾は、これでも施設にいる間は人型を保った同僚だった。エドヴィンという名前だ。空気が読めなくて何でも上から目線という、面倒な性格をしている。
あまり好きではないが、足にするには便利だった。食料調達の際にはたまに使うことにしている。
「いいじゃねえか、お前もどうせ暇してんだろ」
「暇はしていないよ。ハルやキティが乗りたそうにしてるから、時間を作ってあげてるんじゃないか」
「さいですか」
適当にエドウィンの話を聞き流しながら、俺は風景に目をやる。
流れるように変わる地上の景色。巨大なビル群へ自然が押し入っていくように、緩やかに呑まれているのが見える。人工物と自然が入り交じるそれは、人間から見ればこの世の終わりと言う表現が近いのかもしれないが、俺たちのように人間に使役されていた存在から見れば日に日に平穏な風景になっていくように感じる。
街並みにもう人間はいない。一年前に、俺たちがここら一帯に住む人間どもを駆逐したからだ。
人間とは言え肉体は機械だし、賢いだけで感情も持ち合わせないような下劣な生き物だ。いなくなってせいせいしている。
 「ハルもその気になれば空くらい飛べるのに、なんでそんな姿のまま過ごしてるんだい?人型は非力で、何かと不便だろう」
話しかけてもいないのに、ケツに敷かれたままエドウィンが喋り出す。コイツは昔から本当にお喋りだ。
「っせーな、別に不便してねーし」
「ハルがその姿が好きなら尊重するけど、施設を壊した時の姿の方が立派な怪物で良いと俺は思うけどね」
巨大な羽根に描かれた目玉の模様が俺を見て笑うように目を細める。模様のくせに動くのがいつ見ても気持ち悪い。実際に見えているのかもしれない。
「最近、この森の上空を飛んでいる時に人影を見かけたから、声をかけようとしたんだけど、見失ってしまったんだ。あれはハルだろう?俺に頼まなくても一人で来れるなんて、凄いじゃないか」
「はあ?いつの話だよ」
一方的に話続けるエトヴィンに俺は口を曲げる。現在、上空を飛んでいる森は俺の住まいから結構な距離がある。一度、歩きで来たことはあったが、往復だけで日が暮れてしまう。あれ以来、エドヴィンを使うようにしたから一人でなど来ていない。
「数日前かな?人型を保って生活している生き物なんて、この辺じゃもうハルとキティくらいしかいないだろ?あのサイズはキティではないよ」
「そんなん知らねーよ。見間違えじゃねえのか」
とは言いつつ、エドヴィンの視力がいいことは知っている。人型の頃から身体のあちこちに目があって、どこでも物理的に見通せる怪物だった。この姿なら、尚更見間違いなど考えにくい。
そもそも、そんな視力を持つエドヴィンが見失うなんてこと自体が奇妙な話に思える。
「見間違いではなかったと思うんだけどなあ…。後ろ姿しか見てないけど、白い髪の毛だったはずだよ」
独り言のようにエドヴィンが言った。別に見間違うくらい構わないし、白い頭髪の人間くらい大勢いただろうが、人間が存在しないこの時代にそんなことを言われるのは正直、不気味だ。
よく俺が狩りに行く平原までたどり着くと、エドヴィンがゆっくりと下降する。施設を出て外で暮らしてみると、人間たちがいない場所はほとんど自然に埋もれていた。コンクリートの残骸や、ほとんど瓦礫と化した廃虚はあちこちにあれど、大半は緑に覆われている。
廃虚があるってことは、昔は建造物があったのは間違いない。それがどれほど前なのかまでは、俺は知らないが。
エドヴィンの背中から地面へ飛び降りる。この一帯は怪物も少なくて獲物になる動物が多い。空からここまで一気に来れるのは助かっていた。
「そういえば、ハルはケットを覚えてる?」
「あぁ?」
「ハルが自殺幇助した、身動きの取れない可哀想な子だよ。覚えてない?今、凄く立派に育ったんだよ」
エドヴィンの羽根に描かれた目の模様が向く方に目を向ける。そこには巨大な木が一本、天高く背丈を伸ばしていた。
この辺で狩りをしていれば嫌でも目に入る産物だ。見慣れたその光景に俺は首を傾げた。
「あの木がなんだよ」
「あれがケットなんだよ。静かな子だったし、人間のような食事より日光が好きそうだったから、俺がここまで連れてきてあげたんだ。すっかり大きくなって、俺は嬉しいよ」
感慨深そうにエドヴィンの声が笑う。自分があれを育てたとでも言いたいのかもしれない。
相手の名前まで覚えちゃいないが、施設で働いていた頃に自殺幇助をしたことはよく覚えている。死にたい死にたいと喚く樹木を模した女の怪物がいたから、当時の俺はナイフを渡したのだ。あれが多分、ケットだろう。
俺はあくまでナイフを渡しただけだし、結局ソイツは死ななかったが、自殺幇助をしたということで俺が独房にぶち込まれた。左腕の関節を増やされるわ、鞭で打たれるわで、あの時は本当にえらい目に遭った。元を正せば、規則を破った俺が悪いんだけどさ。
「随分とのびのび茂ってんなあ」
大木を見上げ、俺は言葉を吐き捨てる。あんだけ死にたいとか言ってたくせに、やけに元気そうで腹が立った。
そんな俺の様子にエドヴィンが笑った。
「ハルが叩かなければ、元から育つ子だったんじゃない?キティみたいに全員、叩いたら伸びるわけじゃないんだから」
「っせーな」
「木の根元で話しかけると、最近は実った果物を分けてくれるらしいよ。ハルもキティにお土産が欲しいんじゃない?」
「くれるわけねーだろ。あの関係性で土産くれたら、頭がおめでたすぎて逆に気持ちわりーわ」
俺がいた施設と言うのは、俺たち怪物を人間へと進化させるための物だ。施設内で生まれた怪物たちは、動物から人型へと変化する成長期を俺たちは檻の中で過ごす。俺とエドヴィンがやっていた仕事は、その檻を見張る看守だ。
俺は檻の中にいるケットに執拗に体罰を与えていた。ケットに限らず、施設にいる間は大勢を虐待した。自分がそう育てられたので、俺にも同じことをする権利があると思っていたからだ。
施設での俺は、敵を作ることしかしてこなかった。今でこそ他の怪物と出会う機会が格段に減ったから、喧嘩の機会も減ったが、今でも俺を恨んでいる奴らは多いだろう。
こうして戦闘力の低い人間の姿していても襲われないのは、その施設を壊して近隣の人間を全滅へ追い込んだのが俺だからと思う。戦っても勝ち目がないとか、関わりたくないとか、大方理由はそんなものだろう。
無駄な暴力は何の得にもならないし、自分の体力の無駄遣いだと気付いたのは、キティに惹かれるようになってからだ。ケットからすれば、俺の心情に変化があったかどうかなど知ったことじゃないだろう。
「別に強制するつもりはないよ。ハルがキティのことを凄く可愛がっているみたいだから、どうかなって思っただけだよ」
「っせーな…」
相変わらず羽根についた瞳を弓なりにして微笑んでいるエドヴィンの四つの瞳が視界にうるさい。キティを可愛がっていることを否定はしないが、あまり好きでもない元同僚に言われるのはなんか癪だった。
「じゃあ、また夕方くらいに来るから」
エドヴィンが上空に上がろうと羽ばたくと、風が身体を吹き抜けていく。鱗粉が目に入りそうだ。俺は腕で視界を覆った。
青空に巨大な蛾が飛んでいると、太陽との遠近感が狂って見える。遠ざかるエドヴィンを背に、俺は森の中へと歩き出す。
何か大物でも取れれば、しばらく肉に困らないで済む。肉に困らなければ、家でキティと過ごす時間が増える。何か仕留めて、驚かせてやりたいものだ。
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