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4章 ジャグラック デリュージョン!
【第19話】7月7日 17時00分
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金成と再会して、ここがエデンであると知った俺は再び無敵になった。ここは現実と全くの別物なわけで、火継が言っていたことが正しいならこの世界にいるのは全員薬物中毒者か、赤糸組の一派しかいないわけだ。
そんな限りなく無法地帯で真面目に堅実に生きる必要なんて何もないし、俺の隣には金成がいる。そんなことが許されるエデンはマジで楽園だ。
「咲凪、今日の晩飯何がいい?」
キッチンで金成がエプロンを首から掛けながら俺に尋ねる。見慣れないその光景に俺は首を傾げる。
「…お前、エプロンなんかするタイプだっけ?」
「えっ…あ…!」
金成は結構料理が上手いことは知っていたし、幾度となく手料理を頂いたことはあったが、俺の前でエプロンなんて決して付けたことがなかった。しかも、エプロンだけ妙に乙女ちっくだ。鶏とヒヨコが描かれた模様は金成の普段のジャージやカーゴパンツのイメージからは程遠かった。
金成は首にかけたエプロンを隠すようにくしゃりと抱きこんで目をそらす。
「だ、だって…恥ずかしいじゃん…柄が…」
「恥ずかしいのに着けてんの?別に可愛い柄だと思うけど…恥ずかしいなら無理して付けんな?俺は強制しないぜ」
「…元々は見せるつもりで買ったし…お嫁さんみたいかなって…」
金成は目をそらしたまま目をじとっと細める。俺は金成が言っていることがすぐに理解できずに、エプロンを抱き込んでいる金成を頭からつま先まで視線を行き来させた。
「えー…つまり、俺のお嫁さん希望ってこと?」
口に出してみると、何だか嬉しいやら面白いやらで自然とニヤニヤした笑みが零れる。
何だよ、めちゃくちゃ女の子じゃん。俺がしばらく一緒に行動していたイマジナリー金成とは全く別物だ。ギャップ萌えも大概にして欲しい。
「笑うなよ!ずっと一緒にいるなら普通そう思うだろうが!」
「はあ~?いつぐらいからそんなん思ってたの?ちょっと心臓にくるからやめて欲しいわ。可愛すぎか」
開き直って声を荒げる金成に、俺は傍まで寄っていく。明らかにドキドキが顔に出ている金成のエプロンを整える。太ももくらいの長さのエプロンからは絶対領域と靴下だけが見えて、これはこれでちょっといいなと思う。
「ほれ、じゃあこれで堂々とご飯作って頂いて。ちなみに唐揚げ食べたい」
「は…はー?唐揚げとかめんどくさいのリクエストすんなよ」
少し声が上ずって動揺した様子の金成は、文句を言いながら冷蔵庫の扉を荒々しく開けた。
飯を作っている金成の後ろ姿をしげしげと眺める。いつも金成が飯を作っている間は茶の間でテレビを見ていたから、あんまりじっくり見たことがない。こうやっていると、本当に急に嫁に来た感がある。まだ付き合って1日も経ってないが。
「ちなみに、今のお前は俺の妄想じゃないんだろ?」
「おー」
「じゃあ、なんでそんな短いズボン履いてんの?」
聞いた瞬間金成が冷蔵庫から取り出していた食材をいくつか床に落とした。
ハッと我に返ったようにそれらを拾って調理台に乱暴に置くと、バタバタとキッチンから部屋の方へ戻っていく。
「着替える!!!」
「待て待て待て!似合ってないとか、そういう意味じゃなくて!俺がリクエストしたから着てくれてんのかなーって思っただけだよ!」
部屋に戻ろうとする金成の腕を引っ張って引き留めると、むっと下唇を噛みながら照れくさそうに戻ってきた。
「足は出してほしいって言ったの咲凪じゃん…」
「いや、だから応えてくれたのか気まぐれか知りたかっただけだよ。ありがとう」
なんかもう面白い。知らん顔してても肌で感じるくらいには好意が漏れてるとは思っていたが、こんなに健気に色々頑張ってくれるとは思っていなかった。これは一日中いじりまわしていてもしばらく飽きなさそうだ。
「似合ってるよ、金成めっちゃ足綺麗だし」
金成が死ぬ前に言えなかったことは全部言ってしまおうと思った。また急にいなくなるとも分からない。会えなくなるのも突然かもしれない。もうあんな後悔だけはしたくないと思った。
「なんだよもう!急にそんなお礼言うとか褒めるとか!!こっちが追いつけないからやめろや!」
「どっかの誰かさんが俺を置いて死ぬからこうなっとんじゃ!恨むなら自分を恨むんだな!」
顔を真っ赤にしながら怒ったように声を上げる金成の口角は上にあがっている。口調だけ見れば怒っているようだが、嬉しいのだろう。俺のことを分かりやすいと言うが、金成も大概分かりやすいと思う。
ぎこちない所作で料理に戻っていく金成の背中を俺はまたその場に突っ立ったまま眺める。何を言うでもなく、そうやって足出してエプロン着けて料理している金成が珍しくて眺めていた。
イマジナリー金成の時から思ってたけど、めちゃくちゃスタイルいいよな。これをずっと頭の中で再現していた俺の記憶力も大概凄いが、想像力に負けない金成本人も凄いと思う。
「…テレビでも見てたら?」
黙って後ろ姿を眺めているだけの俺に金成が手元に視線を落としたまま落ち着かない様子で呟いた。
「テレビよりおもろいけど」
「お?見せもんじゃねーぞ」
「ほら、マリアと漫才やってるほうが楽しいじゃん?」
不意に名前を呼んでみるとマリアがまた驚いたような顔で俺を見て、コマ送りのようにじわじわと顔に熱を集めていく。
「ま…?」
「マリア」
九割九分想像通りの反応だ。もう一度ハッキリ声に出してやるとマリアはやっぱり照れたのか慌てて顔をそらした。
「金成でいいって…」
「金成って文字の位置入れ替えたら成金じゃん。マリアのが可愛くね?」
中学校の漢字を覚えたての時期にからかった内容を交えつつ、名前呼びをゴリ押していく。
確かに最初の頃は喧嘩強くて洒落っ気のないマリアをマリアって呼ぶのはちょっと違和感があったのも事実だが、一番はやっぱりマリアを異性として認識しやすくて嫌だというのが大きかった。
今ではそんな感情を持つ必要もないし、むしろもっと早くやらなかったことに後悔しているくらいだ。やれることはやっておきたい。
「…勝手にしろし」
そっけなく答えつつ、マリアの顔は嬉しそうだ。やっぱり分かりやすい。
俺が恐れていた、友達から恋人という肩書の変更は思っていたより楽しかった。むしろ、変更前より会話がスムーズになったまである。
茶の間でニュースを見ながら、マリアが作った唐揚げを食べる。唐揚げは衣が程よく薄くてサクサクだ。白米が進む。
「続いてのニュースをお伝えします。昨日未明、大田区にて男性の遺体が発見されました。死因は他殺と見て、警察は調査を…」
ヒーローごっこをしていた時に見ていたのと同じように、相変わらずエデンでの犯罪係数は上がり続けているように見える。無法地帯なのは分かったが、何故こうも殺人事件だの強盗だのと事件が多発するのだろう。
俺自身、最初にエデンに来たときはここを現実だと信じて止まなかった。現実だと思って生きれば、真面目にまっとうに毎日を繰り返すしかない。普通、そうだ犯罪をやろう!とはならんだろう。
「誰がこんなことやってんだろな。つか、警察とか真面目に動いてんの?」
思っていた疑問を口に出すと、マリアは唐揚げをきちんと租借して飲み込んでから口を開いた。
「私はなぜか皆からは見えないみたいだけど、咲凪と同じようにこの世界にいる人の妄想から出てきた人間とかもいるみたい。そういう人は現実とは無関係だから急に出たり死んだり、挙動や言動がおかしい奴もいるからよく見るとわかるよ。なんつーか…NPCみたいな?」
NPC、ノンプレイヤーキャラクターか。ゲームによくいる、プレイヤーではなくてプログラムで登場する、人格が存在しないキャラクターのことを指す。
それに近いということは、恐らく本物ではないということだろう。それこそ、妄想の産物ってやつ。
「そのNPCはみんなに見えてんの?」
「見えてるっぽい。だから、咲凪みたいに一人芝居になっているのは見たことないな」
「なんでお前だけ見えないんだろうな…」
火継と結はマリアと会話を試みる俺を、明らかに狂人扱いしていた。妄想の産物が他の人間にも認知できるなら、その場に仮想のマリアが姿を現したって何もおかしくないだろう。
「私は咲凪の一部になっちゃったしね、姿は咲凪の分しか現れないのかもなあ」
「誰得だよその機能。アップデート早くして欲しいわ」
つまり、俺はどう足掻いても周囲から見たら狂人ルートしか残っていないらしい。食べ終わった皿を前に、俺は後ろのベッドに背中を預けた。
「別に咲凪に見えてればいいじゃん。ダメなん?」
笑いながら小さな口で丁寧に白米をつつくマリアの膝を、俺は試しに足先でつつく。つついたそこには確かに実態がある。火継に燃やされたマリアのような、異様な質量の軽さや手ごたえのなさはない。俺からすれば、やはり実態があることは間違いなかった。
「いいんだけど、ちょっと心配になるじゃん。俺の脳みそバグってんのかなーとか、また消えるんじゃないかなーとかさ」
「えー急に心配性じゃん。針はもう咲凪の中だし、大丈夫だと思うけどなあ…」
「えっ、あれ関係ある?」
ただの自殺に使ったつもりだったが、あの針が俺たちの再会を手伝ってくれているのだろうか。
俺の質問にマリアは首を傾げつつ答える。
「あれ私の体の一部だから、輸血どころの騒ぎじゃないくらい濃い繋がりがあるんじゃない?それが今、咲凪の心臓の横に入ってる」
「なるほど…?今まで以上にはっきりお前と話せるのって、死んだのを自覚したのと、その針を取り込んだのが原因ってことか?」
あの時に自殺で使った針は確かにない。マリアの言う通りなら、完全に体内に溶け込んだということなのかもしれない。
まだマリアが死体として俺の身体の上にいた状態では、棘は身体に刺さってはいたが、抜ける状態ではあった。あれは取り込んだとは言えなかったのかもしれない。
「そんな感じじゃない?まあ、人の日記を勝手に盗み見るぐらいにはしょげてたもんなー?心配にもなるかー」
マリアは「日記」という単語をわざとらしく強めて話す。
「あー…」
俺は笑顔を貼り付けたまま言葉に詰まる。
そうか、全部見てたって言ってたな。俺がマリアの死体抱きしめてめちゃくちゃ泣いてたのも、日記読んで自暴自棄になってんのも、頭の中で勝手に「こんな未来欲しかった」やってたのも全部見てんのか。
うわー、死にたい。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん。顔がじわじわと熱くなってくるのを見てマリアはしめたとばかりにニヤりと笑みを浮かべた。
「さっきも言ったけど現実であったことは全部見てたよ。咲凪がしたことも考えたことも…あー、あと何だっけ?毛布の匂いめっちゃ嗅いでたよね」
「はい!おしまい!この話終わり!皿片づけようぜ!!」
「えー?他にもあるのになあ」
俺は自分が食べた皿を慌てて重ねてキッチンへと持って行く。まだ唐揚げをつついていたマリアは笑いながら俺の背中に声を浴びせた。
くそ、俺が散々いじったツケが回ってきたぞ。
こんな時どうする?やることは一つだ。
「お?お?やんのか?じゃあ、毛布じゃなくて直に行くぞ?」
こういう時は開き直りだ。俺はキッチンに皿を置いて足早に茶の間に戻る。そのままのんびりと飯を食べていたマリアの背後に回り込み、ドッカリとその場に座って足でマリアを挟んだ。マリアの腰に両腕を回して、頭に顔を埋める。
めちゃめちゃシャンプーの匂いがした。くそっ、いい匂いか…。
「ちょっと、まだ食べてるんだけど!」
そう言いつつマリアの体は強張ってるし急激にあったかくなってくるあたり、かなり照れて動揺してるだろう。
こんな密着した状態でそんな反応されると、なんだか俺まで照れてくる。逆襲してやるつもりだったが、それ以上言葉が出て来なくなって妙な沈黙が流れる。バクバクと自分の心臓がやかましく鳴っていて、マリアの背中越しにも相手の心臓が鳴っているのがよく分かった。
身体を強張らせたままマリアが黙々と食事を続ける。俺は黙って抱きしめたまま彼女の頭を頬ずりしていた。
物騒なニュースが流れ続ける部屋の中で、俺は最高に穏やかな時間を過ごしていた。マリアが食べきるのをそのまま待ち、食べ終わった後もそのままでいた。ずっと離れないでいると、マリアがもじもじしながら腰に回した俺の手をぺちぺちと叩く。
「長い。食べ終わったんだからそろそろ離れろよ」
「しゃーねえなあ」
まあ、もう大分堪能したので仕方ない。これ以上くっついてたら俺も変な気起こしそうだし、丁度いいのかもしれない。
マリアの腰回りから腕を撤退させ、俺はのそのそと立ち上がる。マリアは自分の食器を持ってキッチンに向かった。俺はその後ろをついて回る。
「一緒に洗うか」
「いいよ、スポンジ一個しかないし。やっとくから好きなことやってなメンタルくそ弱大魔神」
「まー?ありがたくヘラってるわ」
素直に感嘆する。飯作ってくれて、皿洗いもしてもらって、気分はヒモだ。こんな何もしなくていいのかという気持ちと、お言葉に甘えたい気持ちが戦い、お言葉に甘える軍が早々に勝利を収めた。
マリアが皿洗いしている間に俺はベッドに寝転がる。そのままリモコンでテレビのチャンネルを変えて面白い番組がないかを探るが、いつもネット動画しか見ていない俺にはあまり興味をそそられる番組はなかった。テレビの電源を消し、リモコンをテーブルに戻すと、俺はベッドで大の字で寝転がった。
さっきまで、ここでマリアが死んだことに絶望して自殺を考えていたとは思えない。人が存在するかしないかで、人生はここまで変わるのか。天井を眺めながら、俺はしみじみと自分の手の平を眺めた。
時計を見る。見慣れたデジタル時計の数字は7月7日の23時を告げていた。普段なら家に帰る時刻だが、今家に帰ったところで何があるわけでもないだろう。
火継にはマリアの姿は見えないし、会ったところで狂人扱いされるのがオチだ。それなら、このままマリアの家に居座ってもいいんじゃねえか?今までもよく一緒に寝てたし。一緒っつって俺は床で寝てたけど。
洗い物をする水の音が消え、マリアがキッチンから戻ってくる。マリアと目が合い、俺は自分が横になっているベッドをぽんぽんと叩いた。
「ほれほれ、一緒に寝ようぜ」
「え、まだ23時だよ?明日学校行くでも無いのに早くね?」
「いや、もう今日は疲れた。眠い。俺だけ先に寝たらベッド占領しちゃうから一緒に寝よう。寝てくれ。頼むから」
俺のダダ絡みのような要望にマリアは笑う。
「寝るなら着替えるからそのまま待ってなー」
「おー」
そういうとマリアは開けっ放しのクローゼットに置かれた見慣れたジャージを手に取った。
「あれ?あの時のパジャマは?」
ふと思ったことをそのまま口に出す。心中した時にマリアは薄桃色をしたYシャツのパジャマを着ていたはずだ。さすがに家にはズボンはあるはずだし、それごと丸々ないってこともないだろう。マリアは少し恥ずかしそうに顔をそらしながらもにょもにょと口を動かす。
「え…も、もしかしてあっちの方がいい?」
「いや、どっちでも好きな方でいいけど、あれも可愛かったなって」
別に強要する気もないし、あっちの方が変な気分になりそうだから、ジャージの方がマリアは安全だろうが、とりあえず感想は伝えておく。初めて見た時はまともな感想も言えなかった。
「ふーん…」
なんだかそっけない返事を返すマリアだったが、しれっと手に取ったジャージを棚に戻しあの薄桃色のパジャマを持ってそそくさとキッチンの方へ消えていったのを俺は見逃さなかった。
結局、なんやかんや俺の要望聞いてくれるんだよな。健気かな。
俺は大きな欠伸をしてから、着ていたパーカーを脱ぐ。ズボンは緩いからこのまま眠れるが、さすがにパーカーのままでは眠れない。上半身だけタンクトップになると、そのまま布団に潜り込んで仰向けになった。
一緒の布団で寝るってどんな感じなんだろな。床とベッドで分かれて寝てれば何も困ることはなかったし、ジェットコースターみたいな一日だったからめちゃくちゃ眠いのは本当だ。変な気を起こす暇もないかもしれん。
不意にキッチンから良い香りが漂ってくる。食べ物の美味しそうな香りではなく、草花のような爽やかな香りだ。何の匂いかと思っていると、程なくしてマリアがキッチンから姿を現す。
なぜかこそこそとやってきたマリアがベッドのふちに片膝を乗せてきた。心中の時に着ていたパジャマではあったが、今度はちゃんとズボンを履いていた。俺は安心したような残念なような、複雑な気持ちでマリアを見る。
「…狭くない?大丈夫?」
「その質問、そのまま返すけど大丈夫そ?」
俺は壁際に身体を寄せてベッドの半分を空ける。
「なんかいい匂いするんだけど、何?」
「あー…アロマキャンドル…的な…?」
「はあ?ロマンチックか?」
マリアがそんな趣味を持っていたなんて知らなかったが、良い香りがする分には良く眠れそうだし、有難い話だ。
枕元に腕を広げたまま、隣をぽんぽんと叩いて示すと、一瞬何かを覚悟したような決意したような表情を浮かべてそろそろと隣に横になった。
遠慮がちに俺の腕に頭を乗せると、マリアは困ったように笑う。
「咲凪も私もでかいから、思ってたより…近いね」
「俺たちがデカいってか、ベッドが小さいんじゃね?」
笑いながら腕の中に来たマリアを抱きしめる。パジャマの生地はサラサラとした手触りで、思っていたより薄手だった。想像より直に体温が伝わってきて、内心ちょっとキョドる。
ちょっと待てよ、これ思ってた以上に触るとエロいぞ。めっちゃマリアあったかいし、柔らかい。あのぼんやりとした記憶で味わった柔らかさをほぼそのまま再現した感じ。
えっ、これもう実質マリアは全裸なんじゃない?大丈夫?主に俺が。
部屋の証明をマリアがリモコンで常夜灯まで落とす。薄暗がりの中、マリアはリモコンを枕元に片づけて目を閉じた。その様子を俺は見つめてから、天井の照明を眺め、視線だけで再びマリアを見る。
…えっ、真っ暗にしないの?常夜灯なの?いつもこうだったっけ?暗いけど相手が見えるって、それはもう変な気分にしかならんが?ラブホの照明もこんなんじゃなかったか?
てか、アロマキャンドルもここに来て良い仕事しすぎてる。ロマンチックが凄い。それってつまり実質ラブホなのでは?
いやー…いや、さすがに初日から手を出すのは…。眠いんだろ、寝とけ。寝れる寝れる。自己暗示をかけながら俺は目を閉じる。
暗闇の中でマリアの匂いがする。ちょっとした出来心でマリアの腰に回してしまった腕に当たる感触が柔らかい。もうそれ以上、マリアについての情報を収集してはならないと頭で分かっていながらも、俺はつい抱き込む腕に力を入れてしまう。
ぎゅっと抱きしめると、マリアはピクリと反応して少し迷うような素振りを見せてから俺に体を密着させた。その反応に、頑張って眠ろうとしていた俺の意識が一気に覚醒する。目は閉じているけど、もう頭はバッチリ冴えている。これは眠れない。もうダメだ。
片目だけうっすら目を開けて、胸元にいるマリアの顔を確認すると同じように少し片目を空けていたマリアと目が合ってしまった。
「あ…」
「あー…」
二人で声が重なった。考えていることは一緒か。観念して俺は両目を開いて笑うと、マリアも一緒に観念したのか参ったといった様子で笑った。
「…変な気起こして眠れない」
囁くような小さな声でマリアが呟く。思ってもなかった言葉に一瞬、脳みそがフリーズした。
「…それ、俺の台詞なんじゃない?」
「変な気起こした?」
「そりゃまあ、俺の記憶では童貞のままなんでねえ…一緒のベッドってのは思ってたより刺激が強かったっていうか…」
マリアは記憶があるらしいから、あの時の楽しかったのかとか、俺がどうだったとか知ってるのかもしれないけど、俺からしたら断片的にしかないものだ。半端に記憶があるだけ、誘惑も興味も強い。
俺はどんな顔をすればいいのか迷って天井に視線を投げて間を置く。それからマリアをもう一度見て、肩を竦めた。
「嫌じゃなければ、初夜をやり直すってのは…どう?」
「嫌だったら一緒のベッドとか絶対入らないでしょ」
赤い顔で笑うマリアは、前に俺が作り出した脳内マリアの5億倍は可愛かった。
もうそういうことなら遠慮はいらない。とは言え、どっから始めるべきなんだ?俺の持ってる知識なんてエロ本とエロビデオと、クラスメイトの体験談くらいしかない。緊張と興奮で体中から変な汗が出る。
とりあえず身体を起こし、マリアの上に跨るように体勢を直す。自分の下にいるマリアも言うて緊張しているらしく、目が泳いでいる。あの日のことを覚えているとは言え、やっぱり薬が入っていた時とは違うものらしい。
ゆっくりと顔を近づけて、マリアの唇に自分の唇を落す。緊張しているのか、マリアの唇がカッチカチに硬くなっていた。想像していたキスとは程遠かったが、俺だけじゃないと思うと、むしろ安心する硬さだ。
何度か重ねて離してを繰り返してから、意を決して彼女の唇を食べるように迎えに行き、舌を這わせる。
「んぅ…」
マリアが困ったような声を出す。想像していた反応じゃない。
今のもしかしてマズかったんじゃないか?元から変な汗でいっぱいだったが、ますます焦りで汗が出る。慌てて唇を離すと、マリアが俺の首に腕を回して引き戻した。
マリアの行動に驚く暇もなく、自分の唇に彼女の舌が触れた事にさらにびっくりする。でも、ここで俺が引くのはさすがにないだろ。そのまま口を開いて、舌を絡める。
焦りとか照れで熱くなっていた身体が徐々に興奮で熱くなってくる。あの食事をしていたような気持ちが、ここまで来ると何となく分かる。頭の中がマリアが可愛いってことでいっぱいになるのが、食べ物を頬張っている時に似ているんだろう。
マリアの背中に腕を回して、しばらく抱き込んでキスを楽しんだ。そのまま彼女のパジャマの下に手を差し込むと、驚きかくすぐったさかピクピクと小さく反応を返す。
マリアの身体も熱くて汗ばんでいた。筋肉質な身体が、柔らかくなったり硬くなったりするのがとても不思議で、魅力的だった。彼女の腹を撫で、そのまま服をまくり上げながら胸元まで手を伸ばす。
控え目な二つの膨らみを優しく手に取る。今までに触ったことのない、未知の柔らかさで心臓がバクバクする。マリアはあまり胸が大きい方じゃなかったが、こんなに柔らかいならサイズなんて関係ないと思った。
下着がつけられていないそれに顔を埋めていると、マリアがもぞもぞと足を丸める。何をしているのかと思ってみると、なんと自分でズボンを脱いでくれていた。思わずマリアの顔を見ると照れて笑いながら目をそらす。
はあ~?可愛すぎか?本当に心臓に悪い。動悸がヤバすぎて俺死ぬのかもしれない。ズボンを脱ぎ去ったマリアに再び跨ると、全力で抱きしめてキスをする。
ここ本当に楽園だ…エデンって名前に偽りねえな…。
そんなことを心から噛みしめていたのに、突然キッチンが明るくなり、爆音と共に吹き飛んだ。駆け抜けていく灼熱の熱風に俺とマリアは何事かと慌てて顔を上げる。
ごうごうと燃え盛る炎はさながらハリウッド映画だ。呆気に取られていると、炎の中から人影が現れる。人影はいつもやるようにスーツの襟を正すと、カツカツとこちらへと歩み寄って来た。
「なんでここに戻って来たんだ、咲凪。こんなところで蛾と戯れていないで、早く現実に帰ってくれ。明日は学校で朝も早いだろう?」
真っ赤に燃え盛るキッチンの前で、火継が笑う。
俺はそれを見て盛大に溜息を吐いた。
「いや、せめてタイミング選べよ」
そんな限りなく無法地帯で真面目に堅実に生きる必要なんて何もないし、俺の隣には金成がいる。そんなことが許されるエデンはマジで楽園だ。
「咲凪、今日の晩飯何がいい?」
キッチンで金成がエプロンを首から掛けながら俺に尋ねる。見慣れないその光景に俺は首を傾げる。
「…お前、エプロンなんかするタイプだっけ?」
「えっ…あ…!」
金成は結構料理が上手いことは知っていたし、幾度となく手料理を頂いたことはあったが、俺の前でエプロンなんて決して付けたことがなかった。しかも、エプロンだけ妙に乙女ちっくだ。鶏とヒヨコが描かれた模様は金成の普段のジャージやカーゴパンツのイメージからは程遠かった。
金成は首にかけたエプロンを隠すようにくしゃりと抱きこんで目をそらす。
「だ、だって…恥ずかしいじゃん…柄が…」
「恥ずかしいのに着けてんの?別に可愛い柄だと思うけど…恥ずかしいなら無理して付けんな?俺は強制しないぜ」
「…元々は見せるつもりで買ったし…お嫁さんみたいかなって…」
金成は目をそらしたまま目をじとっと細める。俺は金成が言っていることがすぐに理解できずに、エプロンを抱き込んでいる金成を頭からつま先まで視線を行き来させた。
「えー…つまり、俺のお嫁さん希望ってこと?」
口に出してみると、何だか嬉しいやら面白いやらで自然とニヤニヤした笑みが零れる。
何だよ、めちゃくちゃ女の子じゃん。俺がしばらく一緒に行動していたイマジナリー金成とは全く別物だ。ギャップ萌えも大概にして欲しい。
「笑うなよ!ずっと一緒にいるなら普通そう思うだろうが!」
「はあ~?いつぐらいからそんなん思ってたの?ちょっと心臓にくるからやめて欲しいわ。可愛すぎか」
開き直って声を荒げる金成に、俺は傍まで寄っていく。明らかにドキドキが顔に出ている金成のエプロンを整える。太ももくらいの長さのエプロンからは絶対領域と靴下だけが見えて、これはこれでちょっといいなと思う。
「ほれ、じゃあこれで堂々とご飯作って頂いて。ちなみに唐揚げ食べたい」
「は…はー?唐揚げとかめんどくさいのリクエストすんなよ」
少し声が上ずって動揺した様子の金成は、文句を言いながら冷蔵庫の扉を荒々しく開けた。
飯を作っている金成の後ろ姿をしげしげと眺める。いつも金成が飯を作っている間は茶の間でテレビを見ていたから、あんまりじっくり見たことがない。こうやっていると、本当に急に嫁に来た感がある。まだ付き合って1日も経ってないが。
「ちなみに、今のお前は俺の妄想じゃないんだろ?」
「おー」
「じゃあ、なんでそんな短いズボン履いてんの?」
聞いた瞬間金成が冷蔵庫から取り出していた食材をいくつか床に落とした。
ハッと我に返ったようにそれらを拾って調理台に乱暴に置くと、バタバタとキッチンから部屋の方へ戻っていく。
「着替える!!!」
「待て待て待て!似合ってないとか、そういう意味じゃなくて!俺がリクエストしたから着てくれてんのかなーって思っただけだよ!」
部屋に戻ろうとする金成の腕を引っ張って引き留めると、むっと下唇を噛みながら照れくさそうに戻ってきた。
「足は出してほしいって言ったの咲凪じゃん…」
「いや、だから応えてくれたのか気まぐれか知りたかっただけだよ。ありがとう」
なんかもう面白い。知らん顔してても肌で感じるくらいには好意が漏れてるとは思っていたが、こんなに健気に色々頑張ってくれるとは思っていなかった。これは一日中いじりまわしていてもしばらく飽きなさそうだ。
「似合ってるよ、金成めっちゃ足綺麗だし」
金成が死ぬ前に言えなかったことは全部言ってしまおうと思った。また急にいなくなるとも分からない。会えなくなるのも突然かもしれない。もうあんな後悔だけはしたくないと思った。
「なんだよもう!急にそんなお礼言うとか褒めるとか!!こっちが追いつけないからやめろや!」
「どっかの誰かさんが俺を置いて死ぬからこうなっとんじゃ!恨むなら自分を恨むんだな!」
顔を真っ赤にしながら怒ったように声を上げる金成の口角は上にあがっている。口調だけ見れば怒っているようだが、嬉しいのだろう。俺のことを分かりやすいと言うが、金成も大概分かりやすいと思う。
ぎこちない所作で料理に戻っていく金成の背中を俺はまたその場に突っ立ったまま眺める。何を言うでもなく、そうやって足出してエプロン着けて料理している金成が珍しくて眺めていた。
イマジナリー金成の時から思ってたけど、めちゃくちゃスタイルいいよな。これをずっと頭の中で再現していた俺の記憶力も大概凄いが、想像力に負けない金成本人も凄いと思う。
「…テレビでも見てたら?」
黙って後ろ姿を眺めているだけの俺に金成が手元に視線を落としたまま落ち着かない様子で呟いた。
「テレビよりおもろいけど」
「お?見せもんじゃねーぞ」
「ほら、マリアと漫才やってるほうが楽しいじゃん?」
不意に名前を呼んでみるとマリアがまた驚いたような顔で俺を見て、コマ送りのようにじわじわと顔に熱を集めていく。
「ま…?」
「マリア」
九割九分想像通りの反応だ。もう一度ハッキリ声に出してやるとマリアはやっぱり照れたのか慌てて顔をそらした。
「金成でいいって…」
「金成って文字の位置入れ替えたら成金じゃん。マリアのが可愛くね?」
中学校の漢字を覚えたての時期にからかった内容を交えつつ、名前呼びをゴリ押していく。
確かに最初の頃は喧嘩強くて洒落っ気のないマリアをマリアって呼ぶのはちょっと違和感があったのも事実だが、一番はやっぱりマリアを異性として認識しやすくて嫌だというのが大きかった。
今ではそんな感情を持つ必要もないし、むしろもっと早くやらなかったことに後悔しているくらいだ。やれることはやっておきたい。
「…勝手にしろし」
そっけなく答えつつ、マリアの顔は嬉しそうだ。やっぱり分かりやすい。
俺が恐れていた、友達から恋人という肩書の変更は思っていたより楽しかった。むしろ、変更前より会話がスムーズになったまである。
茶の間でニュースを見ながら、マリアが作った唐揚げを食べる。唐揚げは衣が程よく薄くてサクサクだ。白米が進む。
「続いてのニュースをお伝えします。昨日未明、大田区にて男性の遺体が発見されました。死因は他殺と見て、警察は調査を…」
ヒーローごっこをしていた時に見ていたのと同じように、相変わらずエデンでの犯罪係数は上がり続けているように見える。無法地帯なのは分かったが、何故こうも殺人事件だの強盗だのと事件が多発するのだろう。
俺自身、最初にエデンに来たときはここを現実だと信じて止まなかった。現実だと思って生きれば、真面目にまっとうに毎日を繰り返すしかない。普通、そうだ犯罪をやろう!とはならんだろう。
「誰がこんなことやってんだろな。つか、警察とか真面目に動いてんの?」
思っていた疑問を口に出すと、マリアは唐揚げをきちんと租借して飲み込んでから口を開いた。
「私はなぜか皆からは見えないみたいだけど、咲凪と同じようにこの世界にいる人の妄想から出てきた人間とかもいるみたい。そういう人は現実とは無関係だから急に出たり死んだり、挙動や言動がおかしい奴もいるからよく見るとわかるよ。なんつーか…NPCみたいな?」
NPC、ノンプレイヤーキャラクターか。ゲームによくいる、プレイヤーではなくてプログラムで登場する、人格が存在しないキャラクターのことを指す。
それに近いということは、恐らく本物ではないということだろう。それこそ、妄想の産物ってやつ。
「そのNPCはみんなに見えてんの?」
「見えてるっぽい。だから、咲凪みたいに一人芝居になっているのは見たことないな」
「なんでお前だけ見えないんだろうな…」
火継と結はマリアと会話を試みる俺を、明らかに狂人扱いしていた。妄想の産物が他の人間にも認知できるなら、その場に仮想のマリアが姿を現したって何もおかしくないだろう。
「私は咲凪の一部になっちゃったしね、姿は咲凪の分しか現れないのかもなあ」
「誰得だよその機能。アップデート早くして欲しいわ」
つまり、俺はどう足掻いても周囲から見たら狂人ルートしか残っていないらしい。食べ終わった皿を前に、俺は後ろのベッドに背中を預けた。
「別に咲凪に見えてればいいじゃん。ダメなん?」
笑いながら小さな口で丁寧に白米をつつくマリアの膝を、俺は試しに足先でつつく。つついたそこには確かに実態がある。火継に燃やされたマリアのような、異様な質量の軽さや手ごたえのなさはない。俺からすれば、やはり実態があることは間違いなかった。
「いいんだけど、ちょっと心配になるじゃん。俺の脳みそバグってんのかなーとか、また消えるんじゃないかなーとかさ」
「えー急に心配性じゃん。針はもう咲凪の中だし、大丈夫だと思うけどなあ…」
「えっ、あれ関係ある?」
ただの自殺に使ったつもりだったが、あの針が俺たちの再会を手伝ってくれているのだろうか。
俺の質問にマリアは首を傾げつつ答える。
「あれ私の体の一部だから、輸血どころの騒ぎじゃないくらい濃い繋がりがあるんじゃない?それが今、咲凪の心臓の横に入ってる」
「なるほど…?今まで以上にはっきりお前と話せるのって、死んだのを自覚したのと、その針を取り込んだのが原因ってことか?」
あの時に自殺で使った針は確かにない。マリアの言う通りなら、完全に体内に溶け込んだということなのかもしれない。
まだマリアが死体として俺の身体の上にいた状態では、棘は身体に刺さってはいたが、抜ける状態ではあった。あれは取り込んだとは言えなかったのかもしれない。
「そんな感じじゃない?まあ、人の日記を勝手に盗み見るぐらいにはしょげてたもんなー?心配にもなるかー」
マリアは「日記」という単語をわざとらしく強めて話す。
「あー…」
俺は笑顔を貼り付けたまま言葉に詰まる。
そうか、全部見てたって言ってたな。俺がマリアの死体抱きしめてめちゃくちゃ泣いてたのも、日記読んで自暴自棄になってんのも、頭の中で勝手に「こんな未来欲しかった」やってたのも全部見てんのか。
うわー、死にたい。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん。顔がじわじわと熱くなってくるのを見てマリアはしめたとばかりにニヤりと笑みを浮かべた。
「さっきも言ったけど現実であったことは全部見てたよ。咲凪がしたことも考えたことも…あー、あと何だっけ?毛布の匂いめっちゃ嗅いでたよね」
「はい!おしまい!この話終わり!皿片づけようぜ!!」
「えー?他にもあるのになあ」
俺は自分が食べた皿を慌てて重ねてキッチンへと持って行く。まだ唐揚げをつついていたマリアは笑いながら俺の背中に声を浴びせた。
くそ、俺が散々いじったツケが回ってきたぞ。
こんな時どうする?やることは一つだ。
「お?お?やんのか?じゃあ、毛布じゃなくて直に行くぞ?」
こういう時は開き直りだ。俺はキッチンに皿を置いて足早に茶の間に戻る。そのままのんびりと飯を食べていたマリアの背後に回り込み、ドッカリとその場に座って足でマリアを挟んだ。マリアの腰に両腕を回して、頭に顔を埋める。
めちゃめちゃシャンプーの匂いがした。くそっ、いい匂いか…。
「ちょっと、まだ食べてるんだけど!」
そう言いつつマリアの体は強張ってるし急激にあったかくなってくるあたり、かなり照れて動揺してるだろう。
こんな密着した状態でそんな反応されると、なんだか俺まで照れてくる。逆襲してやるつもりだったが、それ以上言葉が出て来なくなって妙な沈黙が流れる。バクバクと自分の心臓がやかましく鳴っていて、マリアの背中越しにも相手の心臓が鳴っているのがよく分かった。
身体を強張らせたままマリアが黙々と食事を続ける。俺は黙って抱きしめたまま彼女の頭を頬ずりしていた。
物騒なニュースが流れ続ける部屋の中で、俺は最高に穏やかな時間を過ごしていた。マリアが食べきるのをそのまま待ち、食べ終わった後もそのままでいた。ずっと離れないでいると、マリアがもじもじしながら腰に回した俺の手をぺちぺちと叩く。
「長い。食べ終わったんだからそろそろ離れろよ」
「しゃーねえなあ」
まあ、もう大分堪能したので仕方ない。これ以上くっついてたら俺も変な気起こしそうだし、丁度いいのかもしれない。
マリアの腰回りから腕を撤退させ、俺はのそのそと立ち上がる。マリアは自分の食器を持ってキッチンに向かった。俺はその後ろをついて回る。
「一緒に洗うか」
「いいよ、スポンジ一個しかないし。やっとくから好きなことやってなメンタルくそ弱大魔神」
「まー?ありがたくヘラってるわ」
素直に感嘆する。飯作ってくれて、皿洗いもしてもらって、気分はヒモだ。こんな何もしなくていいのかという気持ちと、お言葉に甘えたい気持ちが戦い、お言葉に甘える軍が早々に勝利を収めた。
マリアが皿洗いしている間に俺はベッドに寝転がる。そのままリモコンでテレビのチャンネルを変えて面白い番組がないかを探るが、いつもネット動画しか見ていない俺にはあまり興味をそそられる番組はなかった。テレビの電源を消し、リモコンをテーブルに戻すと、俺はベッドで大の字で寝転がった。
さっきまで、ここでマリアが死んだことに絶望して自殺を考えていたとは思えない。人が存在するかしないかで、人生はここまで変わるのか。天井を眺めながら、俺はしみじみと自分の手の平を眺めた。
時計を見る。見慣れたデジタル時計の数字は7月7日の23時を告げていた。普段なら家に帰る時刻だが、今家に帰ったところで何があるわけでもないだろう。
火継にはマリアの姿は見えないし、会ったところで狂人扱いされるのがオチだ。それなら、このままマリアの家に居座ってもいいんじゃねえか?今までもよく一緒に寝てたし。一緒っつって俺は床で寝てたけど。
洗い物をする水の音が消え、マリアがキッチンから戻ってくる。マリアと目が合い、俺は自分が横になっているベッドをぽんぽんと叩いた。
「ほれほれ、一緒に寝ようぜ」
「え、まだ23時だよ?明日学校行くでも無いのに早くね?」
「いや、もう今日は疲れた。眠い。俺だけ先に寝たらベッド占領しちゃうから一緒に寝よう。寝てくれ。頼むから」
俺のダダ絡みのような要望にマリアは笑う。
「寝るなら着替えるからそのまま待ってなー」
「おー」
そういうとマリアは開けっ放しのクローゼットに置かれた見慣れたジャージを手に取った。
「あれ?あの時のパジャマは?」
ふと思ったことをそのまま口に出す。心中した時にマリアは薄桃色をしたYシャツのパジャマを着ていたはずだ。さすがに家にはズボンはあるはずだし、それごと丸々ないってこともないだろう。マリアは少し恥ずかしそうに顔をそらしながらもにょもにょと口を動かす。
「え…も、もしかしてあっちの方がいい?」
「いや、どっちでも好きな方でいいけど、あれも可愛かったなって」
別に強要する気もないし、あっちの方が変な気分になりそうだから、ジャージの方がマリアは安全だろうが、とりあえず感想は伝えておく。初めて見た時はまともな感想も言えなかった。
「ふーん…」
なんだかそっけない返事を返すマリアだったが、しれっと手に取ったジャージを棚に戻しあの薄桃色のパジャマを持ってそそくさとキッチンの方へ消えていったのを俺は見逃さなかった。
結局、なんやかんや俺の要望聞いてくれるんだよな。健気かな。
俺は大きな欠伸をしてから、着ていたパーカーを脱ぐ。ズボンは緩いからこのまま眠れるが、さすがにパーカーのままでは眠れない。上半身だけタンクトップになると、そのまま布団に潜り込んで仰向けになった。
一緒の布団で寝るってどんな感じなんだろな。床とベッドで分かれて寝てれば何も困ることはなかったし、ジェットコースターみたいな一日だったからめちゃくちゃ眠いのは本当だ。変な気を起こす暇もないかもしれん。
不意にキッチンから良い香りが漂ってくる。食べ物の美味しそうな香りではなく、草花のような爽やかな香りだ。何の匂いかと思っていると、程なくしてマリアがキッチンから姿を現す。
なぜかこそこそとやってきたマリアがベッドのふちに片膝を乗せてきた。心中の時に着ていたパジャマではあったが、今度はちゃんとズボンを履いていた。俺は安心したような残念なような、複雑な気持ちでマリアを見る。
「…狭くない?大丈夫?」
「その質問、そのまま返すけど大丈夫そ?」
俺は壁際に身体を寄せてベッドの半分を空ける。
「なんかいい匂いするんだけど、何?」
「あー…アロマキャンドル…的な…?」
「はあ?ロマンチックか?」
マリアがそんな趣味を持っていたなんて知らなかったが、良い香りがする分には良く眠れそうだし、有難い話だ。
枕元に腕を広げたまま、隣をぽんぽんと叩いて示すと、一瞬何かを覚悟したような決意したような表情を浮かべてそろそろと隣に横になった。
遠慮がちに俺の腕に頭を乗せると、マリアは困ったように笑う。
「咲凪も私もでかいから、思ってたより…近いね」
「俺たちがデカいってか、ベッドが小さいんじゃね?」
笑いながら腕の中に来たマリアを抱きしめる。パジャマの生地はサラサラとした手触りで、思っていたより薄手だった。想像より直に体温が伝わってきて、内心ちょっとキョドる。
ちょっと待てよ、これ思ってた以上に触るとエロいぞ。めっちゃマリアあったかいし、柔らかい。あのぼんやりとした記憶で味わった柔らかさをほぼそのまま再現した感じ。
えっ、これもう実質マリアは全裸なんじゃない?大丈夫?主に俺が。
部屋の証明をマリアがリモコンで常夜灯まで落とす。薄暗がりの中、マリアはリモコンを枕元に片づけて目を閉じた。その様子を俺は見つめてから、天井の照明を眺め、視線だけで再びマリアを見る。
…えっ、真っ暗にしないの?常夜灯なの?いつもこうだったっけ?暗いけど相手が見えるって、それはもう変な気分にしかならんが?ラブホの照明もこんなんじゃなかったか?
てか、アロマキャンドルもここに来て良い仕事しすぎてる。ロマンチックが凄い。それってつまり実質ラブホなのでは?
いやー…いや、さすがに初日から手を出すのは…。眠いんだろ、寝とけ。寝れる寝れる。自己暗示をかけながら俺は目を閉じる。
暗闇の中でマリアの匂いがする。ちょっとした出来心でマリアの腰に回してしまった腕に当たる感触が柔らかい。もうそれ以上、マリアについての情報を収集してはならないと頭で分かっていながらも、俺はつい抱き込む腕に力を入れてしまう。
ぎゅっと抱きしめると、マリアはピクリと反応して少し迷うような素振りを見せてから俺に体を密着させた。その反応に、頑張って眠ろうとしていた俺の意識が一気に覚醒する。目は閉じているけど、もう頭はバッチリ冴えている。これは眠れない。もうダメだ。
片目だけうっすら目を開けて、胸元にいるマリアの顔を確認すると同じように少し片目を空けていたマリアと目が合ってしまった。
「あ…」
「あー…」
二人で声が重なった。考えていることは一緒か。観念して俺は両目を開いて笑うと、マリアも一緒に観念したのか参ったといった様子で笑った。
「…変な気起こして眠れない」
囁くような小さな声でマリアが呟く。思ってもなかった言葉に一瞬、脳みそがフリーズした。
「…それ、俺の台詞なんじゃない?」
「変な気起こした?」
「そりゃまあ、俺の記憶では童貞のままなんでねえ…一緒のベッドってのは思ってたより刺激が強かったっていうか…」
マリアは記憶があるらしいから、あの時の楽しかったのかとか、俺がどうだったとか知ってるのかもしれないけど、俺からしたら断片的にしかないものだ。半端に記憶があるだけ、誘惑も興味も強い。
俺はどんな顔をすればいいのか迷って天井に視線を投げて間を置く。それからマリアをもう一度見て、肩を竦めた。
「嫌じゃなければ、初夜をやり直すってのは…どう?」
「嫌だったら一緒のベッドとか絶対入らないでしょ」
赤い顔で笑うマリアは、前に俺が作り出した脳内マリアの5億倍は可愛かった。
もうそういうことなら遠慮はいらない。とは言え、どっから始めるべきなんだ?俺の持ってる知識なんてエロ本とエロビデオと、クラスメイトの体験談くらいしかない。緊張と興奮で体中から変な汗が出る。
とりあえず身体を起こし、マリアの上に跨るように体勢を直す。自分の下にいるマリアも言うて緊張しているらしく、目が泳いでいる。あの日のことを覚えているとは言え、やっぱり薬が入っていた時とは違うものらしい。
ゆっくりと顔を近づけて、マリアの唇に自分の唇を落す。緊張しているのか、マリアの唇がカッチカチに硬くなっていた。想像していたキスとは程遠かったが、俺だけじゃないと思うと、むしろ安心する硬さだ。
何度か重ねて離してを繰り返してから、意を決して彼女の唇を食べるように迎えに行き、舌を這わせる。
「んぅ…」
マリアが困ったような声を出す。想像していた反応じゃない。
今のもしかしてマズかったんじゃないか?元から変な汗でいっぱいだったが、ますます焦りで汗が出る。慌てて唇を離すと、マリアが俺の首に腕を回して引き戻した。
マリアの行動に驚く暇もなく、自分の唇に彼女の舌が触れた事にさらにびっくりする。でも、ここで俺が引くのはさすがにないだろ。そのまま口を開いて、舌を絡める。
焦りとか照れで熱くなっていた身体が徐々に興奮で熱くなってくる。あの食事をしていたような気持ちが、ここまで来ると何となく分かる。頭の中がマリアが可愛いってことでいっぱいになるのが、食べ物を頬張っている時に似ているんだろう。
マリアの背中に腕を回して、しばらく抱き込んでキスを楽しんだ。そのまま彼女のパジャマの下に手を差し込むと、驚きかくすぐったさかピクピクと小さく反応を返す。
マリアの身体も熱くて汗ばんでいた。筋肉質な身体が、柔らかくなったり硬くなったりするのがとても不思議で、魅力的だった。彼女の腹を撫で、そのまま服をまくり上げながら胸元まで手を伸ばす。
控え目な二つの膨らみを優しく手に取る。今までに触ったことのない、未知の柔らかさで心臓がバクバクする。マリアはあまり胸が大きい方じゃなかったが、こんなに柔らかいならサイズなんて関係ないと思った。
下着がつけられていないそれに顔を埋めていると、マリアがもぞもぞと足を丸める。何をしているのかと思ってみると、なんと自分でズボンを脱いでくれていた。思わずマリアの顔を見ると照れて笑いながら目をそらす。
はあ~?可愛すぎか?本当に心臓に悪い。動悸がヤバすぎて俺死ぬのかもしれない。ズボンを脱ぎ去ったマリアに再び跨ると、全力で抱きしめてキスをする。
ここ本当に楽園だ…エデンって名前に偽りねえな…。
そんなことを心から噛みしめていたのに、突然キッチンが明るくなり、爆音と共に吹き飛んだ。駆け抜けていく灼熱の熱風に俺とマリアは何事かと慌てて顔を上げる。
ごうごうと燃え盛る炎はさながらハリウッド映画だ。呆気に取られていると、炎の中から人影が現れる。人影はいつもやるようにスーツの襟を正すと、カツカツとこちらへと歩み寄って来た。
「なんでここに戻って来たんだ、咲凪。こんなところで蛾と戯れていないで、早く現実に帰ってくれ。明日は学校で朝も早いだろう?」
真っ赤に燃え盛るキッチンの前で、火継が笑う。
俺はそれを見て盛大に溜息を吐いた。
「いや、せめてタイミング選べよ」
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