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第1章

23.揺さぶられる感情

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「ルティーナ様、もうそろそろ砦に到着いたします」

 馬車に揺られて1日以上、時折休息を挟みつつ夜は天幕で休んでいたとはいえ、こうした経験が初めてのルティーナにとってレオンの言葉はとても嬉しいものだった。
 甘く見ていたわけではないが、馬車に乗っているだけでも悪路を走るというものがここまで疲れるものとは思わなかったのだ。
 ルティーナは、今までこれをこなしてきた姉を改めて尊敬するのであった。

「ふぅ、やっとかぁ……長い道のりだったなぁ」

「ルティーナ様、これしきのことで参っていては先が思いやられてしまいますよ?」

「う……スミス……」

 馬車の中には、今回ルティーナの身の回りの世話をする侍女のエミリと、それ以外の世話役……というかお目付け役としてスミスが同行していた。
 2人ともルティーナにとっては勝手知ったる仲ではあるが、エミリはいいとしても、スミスは非常に細かく小言が多かった。特に、素が活発な性格をしているルティーナにとっては、まさに天敵ともいえる相手だ。

「そんなこと言ってもさぁ……こんだけずっと座ってガタガタ揺れてたらおしりだって痛いし、景色は退屈だし、ツマンナイし……」

 ここまで我ながらよく大人しく我慢したほうだとルティーナは思った。遊び出来てるわけではないので放り出すわけにもいかず、そもそも放り出せる状況でもないのでなんとか我慢していたのだ。それがスミスの小言によって、ルティーナの中にあった不満が口をついて出てきたのだった。

「……これは教育が必要かもしれませんね。お屋敷に戻られたら、旦那様にルティーナ様の訓練を申し出なければ」

「なな、なんでそうなるの!? ボクはそんなこと望んでないんだからね!」

「ルティーナ様が望む望まないではなく、お目付け役として必要であれば旦那様のお耳に入れなければいけないこともあるのですよ」

「やっぱお目付け役だったんだ……」

「それに、ルティーナ様の言葉遣いも淑女として直さなければいけませんよ? 少しよくなったと思いましたら、最近また乱れてきたように感じますし。それにですね――」

「スミスさん、その辺でよろしいかと……」

 延々と、いつまで続くかと思われたスミスの小言だったが、その隣に座るエミリが助け舟を出した。
 スミスは、同僚の言葉に少しバツが悪そうにコホンと咳をしてごまかした。

「ルティーナ様も、きっとおわかりになってますよ。ね、ルティーナ様?」

「……ユウマは別にこのままでいいって言ってくれたもん」

「ルティーナ様……」

 スミスにあーだこーだと小言を言われ、ルティーナはすっかり拗ねてしまった。
 エミリはそんな彼女の姿を見て、どうしたものかと頬に手を添えた。

「ユウマ、今頃なにしてるのかなぁ……」

 ルティーナは、初めて素の自分をさらけ出せた、家の者とは違う異世界の男に思いを馳せるのであった。


 ◆◇◆


「――ん?」

 隊列の先頭にいたレオンは、何かが引っ掛かり疑問の声が漏れた。
 この隊は、領内を移動するだけなので100人程度の少人数で編成されており、隊長であるレオン自ら先頭を走って動かしていた。
 既にクレデール砦は目の見える範囲であり、ここからならそれほど時間がかかることなく到着するはずだ。
 だが、何度も砦を訪れているレオンは、僅かな異変に気付いた。

「あれは……全隊止まれ――ッ!!」

 その端正な美しい見た目からは想像がつかない、怒声にも似た大きな声が隊全体に響き渡り、行軍は停止する。突然のことにも慌てることなく崩れることのない隊列は、兵士の練度の高さが窺えた。

「隊長、これは……」

 レオンの隣にいる副隊長のシモンは、クレデール砦の門が開くのを見て、額から冷や汗を垂らした。

「ああ、間違いない――」

 瞳をゆっくり閉じたレオンは、

「――グラバル兵だ」

 数瞬の間に覚悟を決め、門から出てくる敵兵を目に焼き付けるのだった。


 ◆◇◆


「ど、どうしたの? 急に止まっちゃったけど……あと少しなんじゃないの?」

 ルティーナを乗せた馬車はガクンと急に止まり、その揺れで座席から転げ落ちそうになってしまったが、対面に座るスミスが彼女を支えてくれた。

「わかりません。ですが、何かよくないことが起きたように思われます。ルティーナ様、すぐに確認して――」

「――失礼! ルティーナ様、ご報告があります!」

 スミスが馬車から降りようとすると、すぐ横にシモンが現れた。その顔は僅かに焦りを感じる真剣な表情をしており、彼の普段を知るルティーナは、スミスが言っていた『よくないこと』が当たったのだと理解した。

「シモン……いったい何があったの?」

「クレデール砦がグラバル王国軍に奪われました。門から多数の騎兵が出てきたことを確認しました。まもなく接敵いたします。一刻の猶予もありません。兵力で劣ることは確実ですので、ルティーナ様は私の後ろに、馬車は囮に使って撤退します」

「え? え?」

「さぁ早く!」

 ルティーナはシモンの言っている意味を半分も飲み込むことができなかった。
 シモンの表情と声色から切羽詰まった状況ということは理解できたが、

「お、囮ってなに? だって、ここにはスミスもエミリもいるん――」

「2人にはルティーナ様を逃がすための陽動として、囮になってもらいます。メイドがいるので、ルティーナ様に扮して惑わしてもらえば――」

「ちょうどよくなんてないっ!!」

 シモンの言葉に、ルティーナはこれまで出したことのないような大声が自然と出た。
 自分の身代わりのために囮とする彼女たちを、ちょうどいいなんて言葉で表されたことが許せなかったのだった。

「ふっ……ふっ……」

「……申し訳ありません。軽率な言葉でした」

 肩を震わせて息を切らすルティーナを見て、シモンは小さく頭を下げて謝罪する。
 先ほどまでは退屈だと思うほど平和でいつもと変わらない様子で会話をしていた。
 その日常が急に崩れ去り、突然の報せにルティーナは激しく感情が揺さぶられ、

「あ、あれ?」

 瞳から零れた涙が頬を伝って下に落ちた。

「ルティーナ様、どうか落ち着いてください。シモン様の仰る通り、今すぐに逃げなければなりません。それは何としてでもです。どうか、私共に構わずお逃げください」

「きっと大丈夫です、ルティーナ様。またすぐに再会できますから安心してください。なんたってここにはレオン様がいらっしゃるんですから」

「スミス……エミリ……」

 2人は囮にされることへの恐怖心が、まるでないかのような表情をしていた。
 だが、それがルティーナの感情を余計に揺さぶる。

「やだ……やだよぉ……!」

 もはや理屈ではなく、感情で支配されてしまったルティーナは駄々をこねるが、

「――失礼!」

 シモンは強引にルティーナを抱えて馬車から自分の愛馬の上に乗せた。

「いやっ、スミス! エミリ――!」

 ルティーナを乗せたシモンは、振り返らずに一気に駆け出す。
 後ろからは、兵士達の士気を高める雄叫びが聞こえてくるのだった。
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