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第1章

22.ありえない決断

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「――お父様!」

 フランからもたらされた凶報に、フィーレは勇馬とともに走ってキールの執務室へ飛び込んだ。
 普段なら屋敷内を走ることなんてことは絶対せず、まして父親の執務室をノックもせずに開けるなどありえないことだ。
 だが、今だけはそんなことを考える余裕すら彼女にはなかった。

「フィーレ……予想よりも早く、グラバル王国が我が国に攻め入ってきたようだ」

「そ、そんな……だって、今はルティが……ああ、そんな……!」

「――フィーレさん!」

 青褪めた顔でよろけたフィーレを、勇馬は慌てて肩を抱きかかえるようにして受け止めた。

「ユウマさん……私、どうすれば……」

 フィーレの瞳からは今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
 勇馬は、そんな彼女に何と声を掛けてあげればいいのかわからず、「大丈夫です、きっと……大丈夫です」と月並みの言葉で慰めることしかできなかった。

「ルティは恐らく大丈夫だ。早馬から伝達があった。クレデール砦に到着した際、異変に感づいたレオンが直前で隊を停止させたそうだ。門からグラバル王国の兵士が出てきたとこで、副隊長のシモンにルティを連れて逃げるよう命じたそうだ」

「ではっ……ルティは無事なのですか……?」

「……それはわからん。だが、馬車から降りてシモンと2人で馬に乗って逃げるようにレオンが命令したようだから、恐らく逃げきれていると信じたい」

「そう……ですか」

 目の前が真っ暗になるほどの絶望がフィーレに襲い掛かったが、キールの言葉は、その暗闇に一筋の光が見えるように僅かな希望を抱かせてくれた。
 だがそこで、彼女ははたと気づく。
 馬車には、家族のように長い時を過ごしてきた使用人たちが乗っていたと――。

「お父様、ルティにはスミスとエミリが同行したはずですが……」

 恐る恐る問いかけるフィーレに、

「……2人はルティを逃がすための囮となった」

 キールの『囮』という単語に、フィーレは頭を殴られるような感覚に陥ったのだった。

「おと、り……?」

「……ルティを逃がすための決断だ。あの子が敵に捕まれば、確実に脅しの道具として使われるだろう。そうなれば当然兵の士気は下がるし、私だって冷静な判断を下せるとは限らない。もちろん、お前もだ。そうならないよう、レオンが最悪の中の最善を判断したのだろう」

「そんな……」

 勇馬にはキールの言っている意味が理解できたが、あまり受け入れたくない考えではあった。縁もゆかりもそれほどない自分でさえそう思うのならば、フィーレには自分以上に受け入れられないだろうと、勇馬は思った。

「……っでは、すぐに助けに行かれるのですね? ならば私も連れてってください! 私は回復魔法を使えますし、傷ついた者がいれば治してみせます!」

 フィーレはキッと睨むように父親を見上げた。
 勇馬は驚く。
 先ほどまでただ怯えるだけだった少女は、強い意志を持って自ら先頭に立って走り出そうとしていたのだ。
 だが――、

「まだだ」

 父親はそれを許さなかった。

「なっ……なぜですか!? 早く行かないとルティが……! スミスもエミリもみんな……」

「敵は砦を支配するほどの戦力を持っているというのに、こちらはまだ準備ができていないのだ。ただ闇雲に突っ込むだけでは、助けるどころかこのクレイオール領……果てはこの国にまで危険が及ぶことになる。そうならないためにも、数日の準備は掛かってしまうだろう」

「数日って……そんなことしている間に、し……死んだらどうするのですか!? お父様はルティ達のことが心配ではないのですか!?」

「フィ、フィーレさん、落ち着いて――」

「それにシモンがルティだけを馬に乗せて走って逃げ出したのなら、未だに戻ってきてないのはなぜですか!?」

 勇馬は興奮するフィーレを宥めようとするも、彼女の父親に対する怒りは収まることはなかった。

「逃げ出した2人が戻ってきていないのなら、もしかしたら、まだ敵に捕まらずにどこかへ隠れてるかもしれません。ならば、今すぐにでも見つけてあげるべき――」

「黙れッ!!」

「――!」

 キールが一喝すると、それまで激しく責め立てていたフィーレが言葉を飲み込んだ。
 これまでのキールの紳士的で理知的な風貌からは想像もつかない迫力に、勇馬の心臓の鼓動も跳ね上がるほどだった。

「お前は何もわかってないが、これはもう『戦争』なのだ。我らクレイオール領は、敵国であるグラバル王国を全力で以って攻撃せねばならん。そのための準備なのだ。常日頃から訓練と戦の心構えをしていたとしても、今すぐに出軍するなど到底不可能ということを理解しろ」

 キールが言っていることはもっともなことであり、異論など普通ならあるはずがない。
 だが、そこにルティーナが関わっているとなると――、

「っ――!」

「フィーレさん!」

 まだ幼さの残る少女には納得できるはずもなく、部屋を飛び出して行ってしまった。
 勇馬はどうしたらいいのかと逡巡するが、

「すみません、失礼します!」

 冷静さを失っている少女を追いかけることにしたのだった。
 部屋に1人残されたキールは、どさりと崩れ落ちるように椅子に腰を下ろし、天を仰ぐ。

「ルティ……」

 今どこで何をしているのか、安否もわからない愛する娘の名前を、キールはただ呟くことしかできなかった。


 ◆◇◆


「フィーレさん……いったいどこへ行っちゃったんだ」

 勇馬が部屋を出たときには既にフィーレの姿はなく、どこへ行ったか皆目見当がつかなかった。
 とりあえず屋敷の中を探してみるかと、フィーレの部屋に行ったりしてみたが、誰もいない。途中、フランに出会って聞いてみても行方は知らないようだった。

「もしかして、外にでも行っちゃったのかな……」

 腕を組んでフィーレの行きそうなところを勇馬なりに考えていると、

「あっ、ユウマ様! あそこに――!」

 フランが窓の外を指を差し、勇馬に向かって大きな声で呼びかけた。

「フィーレさん!」

 勇馬が窓から外を見ると、フィーレが馬に乗って駆け出すところだった。
 このままでは、フィーレが単身でルティーナを助けに行くために、無謀なことをしてしまうかもしれない。そうなってしまえば、確実に明るくない未来が待っているに違いない。
 勇馬は、フランにキールへ今見たことの伝言を頼み、急いで屋敷を飛び出した。

「――っティステさん!」

「ユウマ様? どうされました――ふぇ!?」

 たまたま通りがかったティステの両肩をガシッと掴み、勇馬は今しがたあった出来事を伝えようとするも、

「ぇっ!? あのっ、え、えっ!?」

 なぜか頬を真っ赤に上気させて、混乱した様子で目を回していた。

「ティステさん!」

「い、いけません、ユウマ様! ユ、ユウマ様は使徒様で、私はただの護衛騎士ですし……で、でもユウマ様が望まれるとあれば――」

「――フィーレさんが家を飛び出して行ってしまったんです!」

「……え?」

「落ち着いて聞いてください。クレデール砦がグラバル王国軍の攻撃を受けました。伝令の方が言うには恐らく既に陥落しており、お兄さんのレオンさんがルティを逃がすために交戦するようです」

「え……レオン兄様が……?」

 ティステは先ほどまでの血色のいい顔色から、今はスッと血の気が引いたように青褪めた顔で小さくこぼした。

「キールさんからすぐに軍を動かせないとフィーレさんは、多分居ても立っても居られなくなってしまって、馬に乗って飛び出して行ってしまったんです。ですから、早く追いかけないと大変なことに――!」

「……承知しました。すぐに連れ戻してきます。ユウマ様はこのまま屋敷にてお待ちいただき――」

「いえ、私も行ったほうがいいと思うんです。フィーレさんのあの様子ですと、もしかしたらティステさんだけでは話を聞かない可能性もありますし……いざとなったら『使徒』としての権限でもって説得できるかもしれません」

 フィーレは領主であるキールに反抗した形で飛び出して行った。父親であるため多少言い合える仲ではあるが、ティステが相手ならば今のフィーレは話をまともに聞かないかもしれない。だが、そんな彼女でも使徒としての勇馬の説得になら応じてくれるかもしれないと、勇馬はティステに同行することを申し出たのだった。

「しかし、それにはキール様のご判断が……」

「ティステさん、今はすぐにでもフィーレさんを追いかけなければ見失ってしまいます! 連れ戻すだけですし、キールさんには後で報告しましょう」

 勇馬の提案に、ティステは困ったような顔を浮かべた。
 彼女としては絶対の主君であるキールに判断を仰がず、『使徒様』である勇馬を勝手に連れて行くなど、確実に後で処罰の対象となることなので避けたい。
 だが、フィーレはその主君の娘であり、『使徒様』である勇馬にここまでお願いされたならばティステの心の内は自ずと決まった。

「――承知しました。では、近くにいる者に言伝だけ残して、すぐに向かいましょう」

「っありがとうございます!」

 勇馬は、ティステが了承してくれたことにほっと胸をなで下ろした。
 彼女の立場を考えれば、この『ありえない決断』は勇馬という存在によるものが大きいはずだ。

(これによってティステさんが処罰されることだけは防がなくちゃな)

 勇馬は、使用人に言伝を頼み愛馬を連れてきたティステを眺めながら、そう心に固く決めた。

「ユウマ様、行きましょう」

「はい!」

 鐙すらない馬に跨ったティステに、どこにそんな力があるのかというほどひょいっと軽々引き上げられた勇馬は、

「おっ……ととっ」

「お気をつけください。落ちないように、馬を挟むように脚を引き締めて、しっかりと私に掴まってください」

「は、はい、こうですか?」

「ひゃっ――!」

 勇馬がティステの脇腹辺りに触れると、ティステはビクンッと跳ねて驚いた。

「あっ、す、すみません! 馬に乗るなんて初めてのことで……」

「い、いえ……あの、できれば腕を前に回していただいてもよろしいですか? 脇腹は少しくすぐったくて……」

 恥ずかしそうに赤面したティステに、勇馬は「は、はい」と腕を前に回して、腹の辺りを抱きしめるようにした。

「んっ……」

「すみません、苦しかったですか?」

「いえっ! ……大丈夫ですから、そのまま離さないでください。――では、出発します」

「あ、はい、お願いします!」

 最初は勇馬が振り落とされないよう確認しつつ、ティステは徐々に馬の速度を上げていった。
 勇馬は必死に脚に力を込めてティステにしがみつき、自分の運命が戦争という歴史の一端に、着実に巻き込まれつつあることを自覚するのであった。
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