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第2章 向き合うようになる(残り26~20日)
第28話 うつろう心
しおりを挟む結局佐伯牧師は端から教会の祭事に結び付けるためにそのような提案をしたのではないかと、一翔は帰路に就く自家用車の中で思い返していた。
入信を勧誘するような言い回しは何もなかったが、自分と縁を繋ぎ止めるために意図的に恋愛や結婚の話題を選んだのではないかと訝しんだ。
とはいえ今後は教会と関わるつもりも予定もなかったので、父が言うように『後腐れなく』反故にしても何ら問題はなかった。
だが一翔には牧師に提示された道標が、暗闇の中で遠く微かに浮かび上がった灯火のように見えて、もうそれ以外に視線を移すことが出来なくなっていた。
——家族でも友人でも職場関係でもない誰かに必要とされればいいのなら、もうそこに賭けるしかない。結婚は無謀でも、せめて誰かと付き合うとか、最低でもその候補にさえ上がれば…。
——そのためにはやっぱり、マッチングアプリを活用するしかない。少なくとも他人を必要としている者同士を繋げるサービスであることに違いはないだろうから。
——『価値のある人間』の達成基準が解らないことには何とも言えないけど、もう悩んでいる時間もない…!
そうして感情が逸ると、不思議とハンドルを握る手に汗が滲んだ。余命宣告を退けるためにやむを得ないアクションだと捉えていたが、その一方でもしも上手く物事が運んだならば、これまで抱いてきた周囲への劣等感も解消出来るのではないかという淡い期待も芽生えていた。
その昂りを抑えながら浜薗のアパートに辿り着くと、インスタントのアイスコーヒーを啜りながら座椅子に腰を下ろし、スマホでマッチングアプリについての検索を進めた。その画面を、右隣に座り込む『天使』が覗き込んでいた。
「あの牧師先生の提案を、早速採用することにしたんだね」
一翔は自らの選択を逐一実況されているようで些か煩わしさを覚えたが、これまで散々邪険にしてきた余命宣告に向き合うことを決めた以上、とやかく横槍を入れられる筋合いはないように思えた。
「何か文句あるのか?」
「いや、何もないよ。君自身が決めたことだからね」
一方であれほど余命宣告の回避や相談の必要性を訴えかけていたはずの『天使』は、一翔が漸く重い腰を上げたにも拘らず喜ぶでも安堵するでもなく、他人事のように無感情だった。
何か言いたげなようにも窺えたが、その場合殆ど彼女は遠慮なしに問いかけてきていたため、一翔から特段詮索する余地はなかった。
寧ろただじっと自分の動向を観察し続けていることの方が、かえって居心地の悪さを助長していた。
——まぁ、これまでも色々と恥ずかしいとか気不味い場面を見られていたんだろうから、今更意識しても仕方ないんだろうけど。とにかくやると決めた以上は、自分のためと思ってやっていくしかないんだ。
マッチングアプリを比較するWebサイトを幾つか見て回った一翔は、無難に利用者数が最大規模の「A-KAITO」という、赤い糸が張られた凧のようなアイコンが特徴のアプリを始めてみることにした。
比較サイトには複数のアプリを並行活用した方が良いと記載されていたが、そこまで闇雲にやろうとまでは思えなかった。
アプリのインストールが完了すると、そのまま起動させて指示される通りにプロフィールを入力していった。
——登録する名前は…本人確認は後々するけど本名じゃなくていいんだよな。K…いや、KZならあまり被らないんじゃないか。生年月日は1994年11月4日の満29歳。身長175cm。四大卒。出身は東京都、在住は静岡県…。
順調に設定が進んでいくかと思われたが、中には選択に戸惑う項目も見かけるようになった。
——職種は…ゴルフ場の運営管理なんて項目はないし、そもそもの仕事が相手に伝わり辛いからなぁ。自分の立場じゃサービス業とも不動産業とも言い難いし…事務職にしておくか。
——年収はボーナス込みなら400万近くあるけど…なんで項目が『300万未満』『300~500万』『500万~700万』っていう区切りなんだよ。300万と500万じゃ女性からの評価は雲泥の差じゃねぇか。とはいえプロフィール欄に態々明記するほどの収入額じゃないしなぁ…。
——趣味は…野球中継やアニメ観たりゲームしたり…あとは何か載せられるようなものあるか…?
『勉強も料理も出来るし、車だって持ってるし。モテる要素が無いわけじゃ無いと思うんだけどなぁ』
——香純にはああ言われたが…あれを女性視点での好評と捉えていいんだろうか。でもまぁ、自己紹介レベルならこの際載せてもいいか。料理、ドライブ、旅行…一先ずこんなところか。
あれこれと思案しながらも一通りの項目を埋めると、最後にプロフィール写真を設定するようアプリに促された。外出から戻って未だヘアスタイルを崩していなかった一翔は、部屋の白い壁紙を背景にして徐に1枚自画像を撮った。
決して悪いわけではなかったが、室内照明による陰影も影響してどこか草臥れたような、しゃっきりしない切り取り方になっていた。
暫し冴えない表情を眺めていると、また『天使』が画面を覗き込みながら話し掛けてきた。
「そんなのより、もっと印象良さそうな写真持ってないの?」
言われるが儘に画像フォルダを掘り返していると、ユーヤンの結婚式でタカやシュンと共に撮った1枚が目に留まった。
当時は世界的に蔓延する感染症の対策で、披露宴にも拘らずお酒の提供を控えるという異例の措置がとられていた。だがそのお陰で綻ぶ表情は紅潮しておらず、身形も相まって好印象に見えていた。
その画像を切り取ってプロフィールとした一翔は、『天使』に礼を言う代わりに疑問を投げ掛けた。
「俺が余命宣告を回避しようとすることに、あんたは手出ししないんじゃなかったのか」
「勿論どこに歩いていこうとするかは君の選択次第だけど…君が歩き出したのなら、私も同じ道を付いていくことになる。大事な局面はともかくとして、細やかな障害くらいは一緒に考えたいと思うんだ」
「…なんだよそれ、結局はあんたの匙加減なのかよ」
「余計なことをするなって、君が言わない限りはね」
そう答えた『天使』は、一翔には心なしか機嫌が良いように見えていた。表情は相変わらず仮面のようで口元すら和がないが、皮肉や揶揄を込めたような口振りは、明らかにこれまで受けた印象とは異なっていた。
——俺が余命宣告に向き合うようにしたから、評価や接し方が変わって来たのか…? いや、こいつの好感度を意識したところで何も意味はないんだが。
『A-KAITO』は手始めに、設定したプロフィールと近しい6,7人の女性登録者を列挙して無条件に『LIKE』を送るサービスを表示した。
『LIKE』を送れる上限は日毎に決まっているほか、課金することで回数を確保出来た。送信に対して女性側からも『LIKE』が返って来ればマッチング成立となり、初めてメッセージを交わせるに至る仕組みであった。
一翔は余命宣告を回避するためとはいえ、付き合うことを考えれば片っ端から声をかけることには抵抗があり、ピックアップされたプロフィールや写真を見て3人程の女性に『LIKE』を送った。
だがそのなかの誰よりも、傍らの『天使』の方が目に見えて麗しく艶やかに感ぜられてしまい、そんな彼女を差し置いて恋人探しに没入する様はどこか滑稽だと思ってしまった。
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