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第2章 向き合うようになる(残り26~20日)
第26話 放浪息子
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2024年10月13日 日曜日。宣告された死まで残り22日。
今朝も涼しかったがよく晴れており、時間が経つに連れて暑さは増した。その日差しの下、一翔は父に言われた通り三日原教会の主日礼拝に出席した。
棺も供花もない祭壇はとてもさっぱりして見えたが、他方で礼拝そのものの厳粛さや宗教ならではの独特な一体感が際立ち、どことなく一翔は浮足立っていた。
身内とともに葬儀の御礼を伝えるためという名目でなければ、況してや単独でなど訪ねる勇気は出なかったように思えた。
佐伯牧師の説教も葬儀では祖父の生い立ちに言及する内容であるからこそ耳を傾けられたものの、単なる聖書の証しなど聞いたところで理解出来ず退屈なだけだろうと想像していた。
だがこの日採り上げられた聖書の箇所は『放蕩息子』という、キリストが語った喩え話の1つであり、一翔は無意識のうちにその内容に惹き込まれていた。
とある家庭に兄弟がおり、兄は家業である畑仕事に精を出していた。それに対して弟は父に相続予定の財産をせびって換金し、遠く旅立った地で放蕩の限りを尽くしてこれを浪費した。
ところが時を同じくして、その地では酷い飢饉が起こった。職の宛がなかった弟は家畜の世話仕事へと追い遣られ、その飼料を食べてでも腹を満たしたいほどにひもじい思いをした。
そこで漸く我に返って省《かえり》み、父の下で雇ってもらおうと失意の儘に故郷へと戻った。父にも神にも背き、最早息子と呼ばれる資格はないと懺悔していた。
だが父はそんな息子を遠くから発見し、迎え入れて極上の祝宴を開いたのであった。その一方で真面目に働き続けていた兄は、遊び惚けて帰って来た弟への過剰な祝福に憤慨した。
これに対して父は兄の献身を尊重しつつ、「いなくなっていた、死んでいたものと思っていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前だろう」と諭した——以上が『放蕩息子』の概略である。
牧師が語るに、この喩え話における父とは神を指していた。そして弟のようにどれだけ我欲に塗れて神に背いても、立ち返ることが出来るならば神は赦して歓迎してくださる——人間とはそうして何度も悔い改める存在なのだと説いていた。
また兄のように功労と褒賞の不公平を諫めることについても、自らの不正義に囚われることこそがかえって孤立を生むのであって、神の慈愛とは功徳の如何ではなく喜びを共感することで受けられるものであると述べた。
一翔はこの説教を聞くなかで、喩え話に出てくる弟に自らを重ねていた。
貯金の浪費僻はないため放蕩とは表し難いが、人生に何の目標も抱かず放浪するように実家を離れ、日々を浪費している有様は良く似ていると思えた。
そして話中の兄のようにその姿を侮蔑する者はおらず、年に数えるほどしかない帰省では家族が常に温かく迎え入れてくれていた。
だが決定的に違うのは、余命宣告という困窮の果てに縋り付く宛が無いことであり、その意味で立ち返る場所がないということであった。
『天使』が見えるようになってから今日まで何ら自身を変えていない一翔は、彼女の言う『神様』に未だ赦されているはずがなかった。
——この喩え話に出てくる弟は、赦されなくても構わないという覚悟を決めて故郷に縋り、結果として縋ったこと自体を是とされた。
——でも俺の場合はきっと違う。どれだけ救いを懇願しても、明確に自分を変えた証明が出来なければ…きっと門前払いになるのだろう。
礼拝が終わると、佐伯牧師が一翔を含めた袴田家の面々を会衆に紹介した。その後は両親と外食で昼を済ませる予定になっており、教会員への挨拶を簡便に済ませながら玄関口へと向かった。
自動ドアの傍らには会衆の見送りのために佐伯牧師が佇んでおり、両親と二言三言交わして頭を下げると、その後方に付いていた一翔にも丁寧に声を掛けた。
「相羽一翔君、だったかな。本日はお越し下さりありがとうございました。また機会があれば是非、いつでもお待ちしておりますので」
「ああ…はい。こちらこそありがとうございました。」
社交辞令のような応対で、一翔も牧師に一礼した。だがそれで終わると思った会話は、牧師の穏やかな表情とともに続けられた。
「いやしかし、先日病院で擦れ違ったときは心配していたんですよ…あまりにも顔が真っ青でしたからね。勿論お気持ちはお察ししていましたが」
三日原総合病院での一幕を唐突に掘り返され、一翔はぎこちない苦笑で応じた。
情けない姿を憶えられていたことは恥ずかしかったが、その一方でほんの数秒に過ぎなかった邂逅を記憶して目の前の本人と結び付けられていることに驚いていた。
佐伯牧師とは葬儀の間に何度か顔を合わせることはあっても、真面に会話を交わす機会などなかった。それにも拘らず第一印象を憶えて気に掛けることが出来るのは、牧師という職業故なのだろうかと一翔は推察した。
「お祖父様がお亡くなりになって、心苦しいこともあるでしょう。私でも宜しければ、いつでもご相談には応じますよ。祭事を執り行うことだけが、牧師の仕事ではありませんからね…とはいえ、お金をとるわけではないのでご安心ください」
佐伯牧師は言い聞かせながら、少しお道化たようにして念を押した。それもまた社交辞令の1つなのだろうと一翔は推し量った。
だが立て続けに降り掛かる『相談』の誘いに、何故か嫌悪を抱くことはなかった。寧ろそれに気付いた瞬間、脳内で何かが弾けて重苦しく充満する思考を掻き回した。
——そうだ。こういう人になら、打ち明けることが出来るのかもしれない。
——真剣に耳を傾けてくれて、それでいて後腐れがない絶妙な関係値の人物。概念的な話にも向き合ってくれる余地があって、おまけに金銭も絡まない…そんな人と接触出来る機会は、これを逃したらもう二度とないんじゃないのか。
「あの、今日の説教に関連してご質問…というか、ご意見を窺いたいことがあるのですが、午後に少しお時間を頂戴することは可能でしょうか」
一翔は思い立ったそのときには、佐伯牧師を見上げて口早に訴えかけていた。
その前のめりな反応を受けた牧師は一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐに口元を綻ばせて快諾した。
「ええ、構いませんよ。何ならもうすぐ始まる求道者会にでも参加されますか」
「ああいえ、この後は両親と昼食の予定がありまして…またこちらに戻りますので、個人的にお時間を頂けませんか」
質疑応答といっても聖書の解釈についてではなく、そもそも第三者を交えることは望んでいなかった。そのような都合の良い打診を受け入れてくれるのか一翔は今更ながら不安になり、両手を固く握り締めていた。
だが、佐伯牧師の答えは変わらなかった。
「いいですよ。それでは戻りましたら、あそこの事務所を訪ねてください。お待ちしていますよ」
今朝も涼しかったがよく晴れており、時間が経つに連れて暑さは増した。その日差しの下、一翔は父に言われた通り三日原教会の主日礼拝に出席した。
棺も供花もない祭壇はとてもさっぱりして見えたが、他方で礼拝そのものの厳粛さや宗教ならではの独特な一体感が際立ち、どことなく一翔は浮足立っていた。
身内とともに葬儀の御礼を伝えるためという名目でなければ、況してや単独でなど訪ねる勇気は出なかったように思えた。
佐伯牧師の説教も葬儀では祖父の生い立ちに言及する内容であるからこそ耳を傾けられたものの、単なる聖書の証しなど聞いたところで理解出来ず退屈なだけだろうと想像していた。
だがこの日採り上げられた聖書の箇所は『放蕩息子』という、キリストが語った喩え話の1つであり、一翔は無意識のうちにその内容に惹き込まれていた。
とある家庭に兄弟がおり、兄は家業である畑仕事に精を出していた。それに対して弟は父に相続予定の財産をせびって換金し、遠く旅立った地で放蕩の限りを尽くしてこれを浪費した。
ところが時を同じくして、その地では酷い飢饉が起こった。職の宛がなかった弟は家畜の世話仕事へと追い遣られ、その飼料を食べてでも腹を満たしたいほどにひもじい思いをした。
そこで漸く我に返って省《かえり》み、父の下で雇ってもらおうと失意の儘に故郷へと戻った。父にも神にも背き、最早息子と呼ばれる資格はないと懺悔していた。
だが父はそんな息子を遠くから発見し、迎え入れて極上の祝宴を開いたのであった。その一方で真面目に働き続けていた兄は、遊び惚けて帰って来た弟への過剰な祝福に憤慨した。
これに対して父は兄の献身を尊重しつつ、「いなくなっていた、死んでいたものと思っていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前だろう」と諭した——以上が『放蕩息子』の概略である。
牧師が語るに、この喩え話における父とは神を指していた。そして弟のようにどれだけ我欲に塗れて神に背いても、立ち返ることが出来るならば神は赦して歓迎してくださる——人間とはそうして何度も悔い改める存在なのだと説いていた。
また兄のように功労と褒賞の不公平を諫めることについても、自らの不正義に囚われることこそがかえって孤立を生むのであって、神の慈愛とは功徳の如何ではなく喜びを共感することで受けられるものであると述べた。
一翔はこの説教を聞くなかで、喩え話に出てくる弟に自らを重ねていた。
貯金の浪費僻はないため放蕩とは表し難いが、人生に何の目標も抱かず放浪するように実家を離れ、日々を浪費している有様は良く似ていると思えた。
そして話中の兄のようにその姿を侮蔑する者はおらず、年に数えるほどしかない帰省では家族が常に温かく迎え入れてくれていた。
だが決定的に違うのは、余命宣告という困窮の果てに縋り付く宛が無いことであり、その意味で立ち返る場所がないということであった。
『天使』が見えるようになってから今日まで何ら自身を変えていない一翔は、彼女の言う『神様』に未だ赦されているはずがなかった。
——この喩え話に出てくる弟は、赦されなくても構わないという覚悟を決めて故郷に縋り、結果として縋ったこと自体を是とされた。
——でも俺の場合はきっと違う。どれだけ救いを懇願しても、明確に自分を変えた証明が出来なければ…きっと門前払いになるのだろう。
礼拝が終わると、佐伯牧師が一翔を含めた袴田家の面々を会衆に紹介した。その後は両親と外食で昼を済ませる予定になっており、教会員への挨拶を簡便に済ませながら玄関口へと向かった。
自動ドアの傍らには会衆の見送りのために佐伯牧師が佇んでおり、両親と二言三言交わして頭を下げると、その後方に付いていた一翔にも丁寧に声を掛けた。
「相羽一翔君、だったかな。本日はお越し下さりありがとうございました。また機会があれば是非、いつでもお待ちしておりますので」
「ああ…はい。こちらこそありがとうございました。」
社交辞令のような応対で、一翔も牧師に一礼した。だがそれで終わると思った会話は、牧師の穏やかな表情とともに続けられた。
「いやしかし、先日病院で擦れ違ったときは心配していたんですよ…あまりにも顔が真っ青でしたからね。勿論お気持ちはお察ししていましたが」
三日原総合病院での一幕を唐突に掘り返され、一翔はぎこちない苦笑で応じた。
情けない姿を憶えられていたことは恥ずかしかったが、その一方でほんの数秒に過ぎなかった邂逅を記憶して目の前の本人と結び付けられていることに驚いていた。
佐伯牧師とは葬儀の間に何度か顔を合わせることはあっても、真面に会話を交わす機会などなかった。それにも拘らず第一印象を憶えて気に掛けることが出来るのは、牧師という職業故なのだろうかと一翔は推察した。
「お祖父様がお亡くなりになって、心苦しいこともあるでしょう。私でも宜しければ、いつでもご相談には応じますよ。祭事を執り行うことだけが、牧師の仕事ではありませんからね…とはいえ、お金をとるわけではないのでご安心ください」
佐伯牧師は言い聞かせながら、少しお道化たようにして念を押した。それもまた社交辞令の1つなのだろうと一翔は推し量った。
だが立て続けに降り掛かる『相談』の誘いに、何故か嫌悪を抱くことはなかった。寧ろそれに気付いた瞬間、脳内で何かが弾けて重苦しく充満する思考を掻き回した。
——そうだ。こういう人になら、打ち明けることが出来るのかもしれない。
——真剣に耳を傾けてくれて、それでいて後腐れがない絶妙な関係値の人物。概念的な話にも向き合ってくれる余地があって、おまけに金銭も絡まない…そんな人と接触出来る機会は、これを逃したらもう二度とないんじゃないのか。
「あの、今日の説教に関連してご質問…というか、ご意見を窺いたいことがあるのですが、午後に少しお時間を頂戴することは可能でしょうか」
一翔は思い立ったそのときには、佐伯牧師を見上げて口早に訴えかけていた。
その前のめりな反応を受けた牧師は一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐに口元を綻ばせて快諾した。
「ええ、構いませんよ。何ならもうすぐ始まる求道者会にでも参加されますか」
「ああいえ、この後は両親と昼食の予定がありまして…またこちらに戻りますので、個人的にお時間を頂けませんか」
質疑応答といっても聖書の解釈についてではなく、そもそも第三者を交えることは望んでいなかった。そのような都合の良い打診を受け入れてくれるのか一翔は今更ながら不安になり、両手を固く握り締めていた。
だが、佐伯牧師の答えは変わらなかった。
「いいですよ。それでは戻りましたら、あそこの事務所を訪ねてください。お待ちしていますよ」
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