上 下
26 / 35
第2章 向き合うようになる(残り26~20日)

第26話 放浪息子

しおりを挟む
2024年10月13日 日曜日。宣告された死まで残り22日。

 今朝も涼しかったがよく晴れており、時間が経つに連れて暑さは増した。その日差しの下、一翔は父に言われた通り三日原みっかばら教会の主日礼拝に出席した。

 ひつぎも供花もない祭壇はとてもさっぱりして見えたが、他方で礼拝そのものの厳粛げんしゅくさや宗教ならではの独特な一体感が際立きわだち、どことなく一翔は浮足立うきあしだっていた。
 身内とともに葬儀の御礼おれいを伝えるためという名目でなければ、してや単独でなど訪ねる勇気は出なかったように思えた。

 佐伯さえき牧師の説教も葬儀では祖父の生い立ちに言及する内容であるからこそ耳を傾けられたものの、単なる聖書のあかしなど聞いたところで理解出来できず退屈なだけだろうと想像していた。

 だがこの日り上げられた聖書の箇所は『放蕩ほうとう息子』という、キリストが語ったたとえ話の1つであり、一翔は無意識のうちにその内容にき込まれていた。


 とある家庭に兄弟がおり、兄は家業である畑仕事に精を出していた。それに対して弟は父に相続予定の財産をせびって換金し、遠く旅立った地で放蕩ほうとうの限りを尽くしてこれを浪費した。

 ところが時を同じくして、その地ではひど飢饉ききんが起こった。職の宛がなかった弟は家畜の世話仕事へと追いられ、その飼料を食べてでも腹を満たしたいほどにひもじい思いをした。

 そこでようやく我に返って省《かえり》み、父のもとで雇ってもらおうと失意のままに故郷へと戻った。父にも神にもそむき、最早もはや息子と呼ばれる資格はないと懺悔ざんげしていた。

 だが父はそんな息子を遠くから発見し、迎え入れて極上の祝宴を開いたのであった。その一方で真面目まじめに働き続けていた兄は、遊びほうけて帰って来た弟への過剰な祝福に憤慨した。

 これに対して父は兄の献身を尊重しつつ、「いなくなっていた、死んでいたものと思っていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前だろう」とさとした——以上が『放蕩ほうとう息子』の概略である。


 牧師が語るに、このたとえ話における父とは神を指していた。そして弟のようにどれだけ我欲にまみれて神にそむいても、立ち返ることが出来できるならば神はゆるして歓迎してくださる——人間とはそうして何度も悔い改める存在なのだと説いていた。
 
 また兄のように功労と褒賞ほうしょうの不公平をいさめることについても、みずからの不正義にとらわれることこそがかえって孤立を生むのであって、神の慈愛とは功徳の如何いかんではなく喜びを共感することで受けられるものであると述べた。


 一翔はこの説教を聞くなかで、たとえ話に出てくる弟にみずからを重ねていた。

 貯金の浪費僻ろうひへきはないため放蕩ほうとうとは表しがたいが、人生に何の目標もいだかず放浪するように実家を離れ、日々を浪費している有様は良く似ていると思えた。
 そして話中の兄のようにその姿を侮蔑ぶべつする者はおらず、年に数えるほどしかない帰省では家族が常に温かく迎え入れてくれていた。

 だが決定的に違うのは、余命宣告という困窮こんきゅうの果てにすがり付く宛が無いことであり、その意味でということであった。
 『天使』が見えるようになってから今日まで何ら自身を変えていない一翔は、彼女の言う『神様』にゆるされているはずがなかった。


——このたとえ話に出てくる弟は、ゆるされなくても構わないという覚悟を決めて故郷にすがり、結果としてすがったこと自体をとされた。

——でも俺の場合はきっと違う。どれだけ救いを懇願こんがんしても、明確に自分を変えた証明が出来できなければ…きっと門前払いになるのだろう。



 礼拝が終わると、佐伯さえき牧師が一翔を含めた袴田家はかまだけの面々を会衆に紹介した。その後は両親と外食で昼を済ませる予定になっており、教会員への挨拶あいさつを簡便に済ませながら玄関口へと向かった。

 自動ドアのかたわらには会衆の見送りのために佐伯さえき牧師がたたずんでおり、両親と二言三言交わして頭を下げると、その後方に付いていた一翔にも丁寧ていねいに声を掛けた。


相羽あいば一翔君、だったかな。本日はお越し下さりありがとうございました。また機会があれば是非、いつでもお待ちしておりますので」


「ああ…はい。こちらこそありがとうございました。」


 社交辞令のような応対で、一翔も牧師に一礼した。だがそれで終わると思った会話は、牧師の穏やかな表情とともに続けられた。


「いやしかし、先日病院でれ違ったときは心配していたんですよ…あまりにも顔が真っさおでしたからね。勿論もちろんお気持ちはお察ししていましたが」


 三日原みっかばら総合病院での一幕を唐突とうとつに掘り返され、一翔はぎこちない苦笑で応じた。
 情けない姿をおぼえられていたことは恥ずかしかったが、その一方でほんの数秒に過ぎなかった邂逅かいこうを記憶して目の前の本人と結び付けられていることに驚いていた。

 佐伯さえき牧師とは葬儀の間に何度か顔を合わせることはあっても、真面まともに会話を交わす機会などなかった。それにもかかわらず第一印象をおぼえて気に掛けることが出来できるのは、牧師という職業ゆえなのだろうかと一翔は推察した。


「お祖父じい様がお亡くなりになって、心苦しいこともあるでしょう。私でもよろしければ、いつでもご相談には応じますよ。祭事をり行うことだけが、牧師の仕事ではありませんからね…とはいえ、お金をとるわけではないのでご安心ください」


 佐伯さえき牧師は言い聞かせながら、少しお道化どけたようにして念を押した。それもまた社交辞令の1つなのだろうと一翔は推し量った。

 だが立て続けに降り掛かる『相談』の誘いに、何故なぜ嫌悪けんおいだくことはなかった。むしろそれに気付いた瞬間、脳内で何かが弾けて重苦しく充満する思考をき回した。


——そうだ。こういう人になら、打ち明けることが出来できるのかもしれない。

——真剣に耳を傾けてくれて、それでいて後腐れがない絶妙な関係値の人物。概念的な話にも向き合ってくれる余地があって、おまけに金銭も絡まない…そんな人と接触出来できる機会は、これをのがしたらもう二度とないんじゃないのか。



「あの、今日の説教に関連してご質問…というか、ご意見をうかがいたいことがあるのですが、午後に少しお時間を頂戴ちょうだいすることは可能でしょうか」


 一翔は思い立ったそのときには、佐伯さえき牧師を見上げて口早に訴えかけていた。

 その前のめりな反応を受けた牧師は一瞬驚いたように目を見開いたが、ぐに口元をほころばせて快諾かいだくした。


「ええ、構いませんよ。何ならもうすぐ始まる求道者会にでも参加されますか」


「ああいえ、この後は両親と昼食の予定がありまして…またこちらに戻りますので、個人的にお時間をいただけませんか」


 質疑応答といっても聖書の解釈についてではなく、そもそも第三者を交えることは望んでいなかった。そのような都合の良い打診を受け入れてくれるのか一翔は今更ながら不安になり、両手を固く握り締めていた。

 だが、佐伯さえき牧師の答えは変わらなかった。


「いいですよ。それでは戻りましたら、あそこの事務所を訪ねてください。お待ちしていますよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【新作】読切超短編集 1分で読める!!!

Grisly
現代文学
⭐︎登録お願いします。 1分で読める!読切超短編小説 新作短編小説は全てこちらに投稿。 ⭐︎登録忘れずに!コメントお待ちしております。

季節の織り糸

春秋花壇
現代文学
季節の織り糸 季節の織り糸 さわさわ、風が草原を撫で ぽつぽつ、雨が地を染める ひらひら、木の葉が舞い落ちて ざわざわ、森が秋を囁く ぱちぱち、焚火が燃える音 とくとく、湯が温かさを誘う さらさら、川が冬の息吹を運び きらきら、星が夜空に瞬く ふわふわ、春の息吹が包み込み ぴちぴち、草の芽が顔を出す ぽかぽか、陽が心を溶かし ゆらゆら、花が夢を揺らす はらはら、夏の夜の蝉の声 ちりちり、砂浜が光を浴び さらさら、波が優しく寄せて とんとん、足音が新たな一歩を刻む 季節の織り糸は、ささやかに、 そして確かに、わたしを包み込む

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...