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第2章 向き合うようになる(残り26~20日)
第22話 気配りのできる者
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2024年10月11日 金曜日。宣告された死まで残り24日。
澄み渡った青空の下、三日原教会では午前10時より祖父である袴田慶三の出棺式が執り行われた。
穏やかな陽光は礼拝堂を気高く磨き上げているようで、前夜式とは違った雰囲気に満ちていた。その昨夜ほどではないが参列者は多く集まり、晴れ晴れとした賛美が奏でられていた。
一翔は今日もまた佐伯牧師の説教を聞くなかで、死とは恐れ悲しみ打ち菱がれるものではなく、前向きに捉え乗り越えるものであるという考え方に理解を示しつつあった。
だがその一方で、死を悲しむからこそ乗り越えるという因果関係が成り立つのであって、果たして自分は本当に祖父の死が悲しかったのだろうかという疑問に改めて直面していた。
棺が霊柩車に収められ、火葬場に運ばれて炉に焼べられ、疎らな白骨片と化しても尚、一翔には祖父の死に実感がなかった。
単に逢えないだけで、本物は今も何処か遠い所で存在しているに過ぎないではないかとぼんやり想像していた。
凡そ死とはそのような感覚を指すものなのかもしれないが、これを以て悲しみを乗り越えた結果だと言い張ることは虫が良すぎるような気がした。そしてその感覚は、一翔自身に課された余命に対してもまた同じようなものであった。
即ち祖父の葬儀に自らを重ねて、自分が横たわる棺を家族が囲むという状況を作り出すべきではないと客観的な判断をしているに過ぎず、自らの死そのものに対しては未だに他人事として構えている節があった。
昨日固めた意志を決意と呼ぶにはあまりにも空虚で、その実『天使』の眼差しを掻い潜るためのポーズを習得しただけであった。
当然にそのポーズは日に日に使い回せるはずがなく、何かしらの動きを求められることは確定的なのだが、その『何かしら』への関心は依然として低調なままであった。
「お兄ちゃん、駅まで送っていってよ」
一翔は気が付くと、妹の香純に顔を覗き込まれていた。
火葬と納骨が終わり、遺族と牧師とで予約していた中華料理屋にて昼食を囲み、お開きになるまで一翔は殆ど上の空であった。
その状態のまま店を出た矢先、スーツケースを引き摺る妹に回り込まれたため、思わず真顔で訊き返していた。
「え、なんで?」
「なんでって…お父さんはお母さん乗せてお祖母ちゃん家に戻るからでしょ。お母さんに何も言われてないの?」
両親は週末まで三日原の祖父母宅に滞在し、祖母や伯父夫妻らと共に相続関係等の手続きを進めることを、一翔は確かに母から聞かされていた。
その際に今日中に帰京する香純の見送りまで頼まれていたかどうかは記憶があやふやだったが、常識的に考えても自分がその役を担うのは当然であった。
そんな妹は引き締まった小麦色の身体を喪服で包み、グレージュのセミショートヘアを風で揺らしながら仁王立ちしていた。一翔は仕方なくスマホを取り出すと、現在地を地図で改めて確認した。
「解った解った…ここから一番最寄りの駅は…」
「え? 浜松駅まで送ってくれるんじゃないの?」
「なんで?」
「なんでも何も、どうせ暇なんだから断る理由ないでしょ。荷物あるんだからその辺気遣ってよ。そんなんだから彼女出来ないんじゃん」
「…とても送迎してもらう人間の態度とは思えねぇんだけど」
今年齢28を迎えた妹の香純は、大手スポーツメーカーが運営する都内のテニススクールで講師を務めていた。
両親に似て幼い頃から運動神経に優れ、母の影響で始めたテニスでは学生時代に全国大会へ出場するほどの実績を持ち、その腕を引っ提げて大学進学でもスポーツ推薦を勝ち取っていた。
快活で人懐っこい性格は老若男女問わず人気を集め、恋人もとっかえひっかえとまで言わずとも、人生の中で交際のない期間の方が少ないのではないかと思える程の人柄であった。そして先月にはめでたく入籍をしていた。
来年には式を挙げる予定である一方で、体育教師を目指すため通信制大学にも通っているらしく、一翔には所謂リア充な日々がいつまでも終わることなく続いているように見えていた。そんな妹に勝っていることといえば、学力偏差値と身長くらいしか思い浮かばなかった。
「あー、でもせっかくだからどっか寄り道してもいいかもなぁ。この辺に観光名所的なところないの?」
後部座席でスマホをいじっていた香純が、一翔に気紛れな発言を寄越した。
浜松駅まで十数kmの距離をカーナビでルートを設定している以上、唐突な目的地変更は億劫でしかなかった。
そもそも一翔は8年ほど浜松で暮らしているにも拘らず外出自体が稀であるため、思い付きで走り回れるほどの土地勘が未だに身に付いていなかった。
「ねぇよ。葬儀で来てる身なんだからふらふらしてないで真っ直ぐ帰れよ」
「つまんない男だなぁ。じゃあ何かおすすめのお土産教えてよ、鰻のお菓子以外で」
「なんでおまえはそんなに旅行気分なんだよ」
「失敬な。ちゃんと職場の人達にシフト調整してもらったお礼とかで配ること考えてんの。お兄ちゃんこそ3日も仕事休んでるのにそういうの探さないわけ?」
「俺の会社からは供花があったから、香典返し的な返礼品がもう手配されてんだよ」
「ふーん。それはそれは、兄上はいい御身分でいらっしゃる」
一翔はバックミラー越しに映る香純の軽口を、面倒臭そうに遇った。
兄としての視点では、妹のがさつで気分屋な素性は昔から殆ど変わらなかったが、外面は常に道理を弁えていて義理深かった。
忌引きに詫びの品など必要ないのだろうが、そういう立ち回りが自然と出来ることが彼女の美点の1つなのかもしれないとも思えた。
「まぁお土産は駅構内で適当に探すとして…お兄ちゃん本当に彼女いないの?」
脈絡のない話題の転換を受け、一翔は眉間に皺《しわ》を寄せた。
母からも振られたテーマに再三触れることにはうんざりしていたが、目的地までの大通りは交通量が多く思ったように車を進められず、殊更に焦れったかった。
「いねぇよ」
「気になっている人もいないの?」
「いない」
一瞬だけ『KIMATA BAKERY』の小粥さんの顔が脳裏に浮かんだが、そのことを妹に是が非でも察されるわけにはいかなかった。
そもそも恋人のいる・いないのマウントは疾うに勝負がついていて成立せず、虚仮にされたところで最早何も感じなかった。
だが身構えていた一翔の予想に反し、香純は腕組みをしながら自分の考えを捻り出していた。
「何も無いってことは無いと思うんだけどなぁ。お兄ちゃん上背もあって見てくれは悪くないし、勉強も料理も出来るし、車だって持ってるし。モテる要素が無いわけじゃ無いと思うんだけどなぁ」
澄み渡った青空の下、三日原教会では午前10時より祖父である袴田慶三の出棺式が執り行われた。
穏やかな陽光は礼拝堂を気高く磨き上げているようで、前夜式とは違った雰囲気に満ちていた。その昨夜ほどではないが参列者は多く集まり、晴れ晴れとした賛美が奏でられていた。
一翔は今日もまた佐伯牧師の説教を聞くなかで、死とは恐れ悲しみ打ち菱がれるものではなく、前向きに捉え乗り越えるものであるという考え方に理解を示しつつあった。
だがその一方で、死を悲しむからこそ乗り越えるという因果関係が成り立つのであって、果たして自分は本当に祖父の死が悲しかったのだろうかという疑問に改めて直面していた。
棺が霊柩車に収められ、火葬場に運ばれて炉に焼べられ、疎らな白骨片と化しても尚、一翔には祖父の死に実感がなかった。
単に逢えないだけで、本物は今も何処か遠い所で存在しているに過ぎないではないかとぼんやり想像していた。
凡そ死とはそのような感覚を指すものなのかもしれないが、これを以て悲しみを乗り越えた結果だと言い張ることは虫が良すぎるような気がした。そしてその感覚は、一翔自身に課された余命に対してもまた同じようなものであった。
即ち祖父の葬儀に自らを重ねて、自分が横たわる棺を家族が囲むという状況を作り出すべきではないと客観的な判断をしているに過ぎず、自らの死そのものに対しては未だに他人事として構えている節があった。
昨日固めた意志を決意と呼ぶにはあまりにも空虚で、その実『天使』の眼差しを掻い潜るためのポーズを習得しただけであった。
当然にそのポーズは日に日に使い回せるはずがなく、何かしらの動きを求められることは確定的なのだが、その『何かしら』への関心は依然として低調なままであった。
「お兄ちゃん、駅まで送っていってよ」
一翔は気が付くと、妹の香純に顔を覗き込まれていた。
火葬と納骨が終わり、遺族と牧師とで予約していた中華料理屋にて昼食を囲み、お開きになるまで一翔は殆ど上の空であった。
その状態のまま店を出た矢先、スーツケースを引き摺る妹に回り込まれたため、思わず真顔で訊き返していた。
「え、なんで?」
「なんでって…お父さんはお母さん乗せてお祖母ちゃん家に戻るからでしょ。お母さんに何も言われてないの?」
両親は週末まで三日原の祖父母宅に滞在し、祖母や伯父夫妻らと共に相続関係等の手続きを進めることを、一翔は確かに母から聞かされていた。
その際に今日中に帰京する香純の見送りまで頼まれていたかどうかは記憶があやふやだったが、常識的に考えても自分がその役を担うのは当然であった。
そんな妹は引き締まった小麦色の身体を喪服で包み、グレージュのセミショートヘアを風で揺らしながら仁王立ちしていた。一翔は仕方なくスマホを取り出すと、現在地を地図で改めて確認した。
「解った解った…ここから一番最寄りの駅は…」
「え? 浜松駅まで送ってくれるんじゃないの?」
「なんで?」
「なんでも何も、どうせ暇なんだから断る理由ないでしょ。荷物あるんだからその辺気遣ってよ。そんなんだから彼女出来ないんじゃん」
「…とても送迎してもらう人間の態度とは思えねぇんだけど」
今年齢28を迎えた妹の香純は、大手スポーツメーカーが運営する都内のテニススクールで講師を務めていた。
両親に似て幼い頃から運動神経に優れ、母の影響で始めたテニスでは学生時代に全国大会へ出場するほどの実績を持ち、その腕を引っ提げて大学進学でもスポーツ推薦を勝ち取っていた。
快活で人懐っこい性格は老若男女問わず人気を集め、恋人もとっかえひっかえとまで言わずとも、人生の中で交際のない期間の方が少ないのではないかと思える程の人柄であった。そして先月にはめでたく入籍をしていた。
来年には式を挙げる予定である一方で、体育教師を目指すため通信制大学にも通っているらしく、一翔には所謂リア充な日々がいつまでも終わることなく続いているように見えていた。そんな妹に勝っていることといえば、学力偏差値と身長くらいしか思い浮かばなかった。
「あー、でもせっかくだからどっか寄り道してもいいかもなぁ。この辺に観光名所的なところないの?」
後部座席でスマホをいじっていた香純が、一翔に気紛れな発言を寄越した。
浜松駅まで十数kmの距離をカーナビでルートを設定している以上、唐突な目的地変更は億劫でしかなかった。
そもそも一翔は8年ほど浜松で暮らしているにも拘らず外出自体が稀であるため、思い付きで走り回れるほどの土地勘が未だに身に付いていなかった。
「ねぇよ。葬儀で来てる身なんだからふらふらしてないで真っ直ぐ帰れよ」
「つまんない男だなぁ。じゃあ何かおすすめのお土産教えてよ、鰻のお菓子以外で」
「なんでおまえはそんなに旅行気分なんだよ」
「失敬な。ちゃんと職場の人達にシフト調整してもらったお礼とかで配ること考えてんの。お兄ちゃんこそ3日も仕事休んでるのにそういうの探さないわけ?」
「俺の会社からは供花があったから、香典返し的な返礼品がもう手配されてんだよ」
「ふーん。それはそれは、兄上はいい御身分でいらっしゃる」
一翔はバックミラー越しに映る香純の軽口を、面倒臭そうに遇った。
兄としての視点では、妹のがさつで気分屋な素性は昔から殆ど変わらなかったが、外面は常に道理を弁えていて義理深かった。
忌引きに詫びの品など必要ないのだろうが、そういう立ち回りが自然と出来ることが彼女の美点の1つなのかもしれないとも思えた。
「まぁお土産は駅構内で適当に探すとして…お兄ちゃん本当に彼女いないの?」
脈絡のない話題の転換を受け、一翔は眉間に皺《しわ》を寄せた。
母からも振られたテーマに再三触れることにはうんざりしていたが、目的地までの大通りは交通量が多く思ったように車を進められず、殊更に焦れったかった。
「いねぇよ」
「気になっている人もいないの?」
「いない」
一瞬だけ『KIMATA BAKERY』の小粥さんの顔が脳裏に浮かんだが、そのことを妹に是が非でも察されるわけにはいかなかった。
そもそも恋人のいる・いないのマウントは疾うに勝負がついていて成立せず、虚仮にされたところで最早何も感じなかった。
だが身構えていた一翔の予想に反し、香純は腕組みをしながら自分の考えを捻り出していた。
「何も無いってことは無いと思うんだけどなぁ。お兄ちゃん上背もあって見てくれは悪くないし、勉強も料理も出来るし、車だって持ってるし。モテる要素が無いわけじゃ無いと思うんだけどなぁ」
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