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第2章 向き合うようになる(残り26~20日)
第21話 チキンソテー
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一翔が浜薗のアパートに帰り着く頃には、時刻は午後8時を優に過ぎていた。
普段の夕食の時間帯からは大分遅くなってしまったが、3日前の買い出しで調達した鶏の股肉を野菜と共にバターとガーリックで焼き、簡単なソテーを拵えた。そこに解凍したご飯と昨日の作り置きである味噌汁を並べ、いつも通りの食卓を作り上げた。
だが鶏肉は元々翌日の弁当に取り分ける前提で買っていたものの、明日は出棺式の後に身内で昼食を囲むため不要となり、夕飯として盛り付けた分量は約300gと明らかに多いものであった。その一方で、そもそも一翔は前夜式を終えてからあまり食欲がなかった。
鶏肉は冷凍保存して食事を適当に済ませる選択肢もあったが、再解凍を面倒臭がり『いつも通り』を踏襲することを選んでいた。
しかし結果として、チキンソテーを数切れ食べ残しているにも拘らず満腹感が込み上げて来ていた。
「食べ切れないんだったら、私が食べようか?」
すると、ローテーブルの右側で両肘を立てながら寄り掛かっていた『天使』が一翔に声を掛けた。
昨日の会話で冷ややかに遇われて以来の真面な接触だったが、そのときの機嫌を引き摺っているようには見えなかった。
そして昨日までの一翔ならばその図々しい打診を突っ撥ねるところであったが、今夜はもうそんな気力もなく、無心で皿をスライドさせていた。
『天使』は冷めかけのチキンソテーを手掴みで掬い上げて口に放り、黙々と咀嚼し呑み込んだ。その行為は特段の感想も表情の綻びも伴うことのない、ただの残飯処理に過ぎなかった。
先日もその華奢な指で唐揚げを摘まんでおり、美貌に反した行儀の悪さに一翔は顔を顰めていたが、今はそれ以上に別のことが気になっていた。
「なぁ、あんたが食べた物ってどこに消えてるんだ? あんたは普段から何を飲み食いしてるわけでもないのに、気紛れな食事が血肉になり得るのか?」
残っていた数切れを平らげた『天使』は、脂に塗れた指先を口付けするように舐めてから答えた。
「結論から言えば、私が食べた分は君の栄養になってるよ」
「…え? でも別に、俺の腹具合は何も変わってないし…というか、これ以上膨らんだら流石に苦しくなるんだけど」
「日曜の飲み会のときだってそうだよ。私が食べた唐揚げは、客観的な視点では君が食べたことになってたでしょ。そういう風に真実が決まる以上、栄養素についても最終的には君に帰結しているんだよ」
「その理屈が本当だとすると、あんたが気紛れに食べれば食べるほど俺の健康が損なわれかねないんだが」
「そんな奔放なことはしないよ。君が本当は食べられるから食べているだけだよ」
『天使』が釈明する通り、普段の一翔なら約300gのチキンソテーは食べようと思えば食べられる量であった。偶々今夜は重たい気分がそれを阻害しているだけで、体質としては問題なく受け入れられるレベルなのであった。
「そんなことよりさ、結局あのまま帰ってよかったの?」
決して重要度が低くはない話題を差し置いて、『天使』は今更な話題を掘り返した。
彼女が話し掛けてくる以上、何かしら問いたい意思があることを一翔は予期していたが、それはもう2時間近く前に——三日原教会を出発する直前に賞味期限が切れたはずの問いかけであった。
『キャリアプランとか…そういうのは、あまり考えてません。単純に、会社の役に立てればそれで良いと思っています』
刑部代表の提案に対し、一翔は苦笑いを浮かべながらしどろもどろに答えた。だがその内容自体に謙遜や遠慮はなく、本音を白状したも同然であった。
『ふむ…そうかね。まぁ、匂坂社長や伊熊君ともそのうち話したらいいだよ。それじゃ、また来週から宜しく頼むな』
一方の刑部代表は、一翔を励ましたときと調子を変えることなく会話を締め、挨拶と共に帰路へと就いていった。
一翔は今の返答1つで評価や期待値を下げてしまったのではないかと憂いたが、適当な見栄を張るよりはマシだっただろうと自らに言い聞かせてその背中を見送っていた。
「ああいや、私が今訊きたいのはそれじゃなくて…家族と一緒に三日原に泊まらなかったことだよ」
だが『天使』の関心は刑部代表との遣り取りではなく、その後一翔が母から受けた電話の返答についてであった。
日中に浜松に到着した父と妹は、母と同じく三日原の祖父母宅に宿泊する予定であったが、せっかくだからと一翔も泊まるよう提案された。他方で一翔は食材の処理を言い訳に、それを断って一足早く三日原を発っていたのであった。
「べつに…祖母ちゃんにはもう顔見せてるわけだし、年末にはどうせ東京に…」
帰省するからと言いかけて、その季節に辿り着くためには余命宣告を回避しなければならないことを一翔は思い出した。
案の定『天使』が一翔の表情を何か試すように覗き込んでいたが、それを躱すようにして尻窄みの台詞を繋げた。
「なんだよ、死ななきゃいいだけの話だろ」
その一言を聞いた『天使』の蒼い瞳は、一瞬だけ一回り大きくなったように見えた。だが、直ぐに一翔へ提案を返した。
「それなら尚更、家族で過ごした方が良かったんじゃないの? 今は君の命運について何気ないことでも相談出来る、最も適任な存在がすぐ傍まで来てくれている状況なんじゃないの?」
一翔は『天使』の意図を把握すると、腹を撫で下ろしながら深く息を吐いた。確かに世間一般で言う家族とはそういう存在なのかもしれないし、相羽家も例に漏れず、どちらかと言えば家族仲は良好な方だろうと考えていた。
だがそれ故に、一翔の意見は頑なであった。
「…相談することは何もない。俺自身の問題だから」
「この前の飲み会でも友達に対してそうだったけど、君は人に相談することを疎んじているの?」
『天使』は尚も一歩を踏み込んで来る姿勢を見せていたが、それでも一翔の答えは変わらなかった。
この30年余りの生涯に於いて、人生相談というレベルの相談を誰にもしなかったわけではなかった。
それこそ難航する就職活動に喘いでいた大学4年次の夏には、友人であるシュンと2人で飲む機会があり、酒の進む儘に判然としない将来像を吐露したことがあった。
このとき既に大手から内定を貰っていたシュンは真摯に耳を貸し、就職浪人なども提案した上で最終的にこう告げた。
『まぁ、カズトのやりたいようにやればいいんじゃないの』
——結局は、そういう結論になる。その顛末自体に何ら不満はないし、批判することは筋違いだと思う。自分に近しい他人ほど、自分の人生を尊重してくれるのだから。
——それ故の顛末が解り切っているからこそ、相談とは自分にとっても相手にとっても時間と労力を無駄にするだけなんだ。
心配性な母も寡黙な父と足並みを揃え、地方の零細企業へと巣立った一翔を放任しつつその意思を尊重していた。だからこそ、シュンと同じような言葉を掛けられることが想像に難くなかった。
「家族や仲の良い友人だからこそ、こういう相談はすべきじゃないなんだよ」
一翔は『天使』にそう告げて、食器を片付けるために立ち上がった。
その行動が会話の打ち切りであると暗示すると同時に、彼女にも当時同席していたであろうシュンとの遣り取りを思い出して察して欲しいものだと呆れた。
普段の夕食の時間帯からは大分遅くなってしまったが、3日前の買い出しで調達した鶏の股肉を野菜と共にバターとガーリックで焼き、簡単なソテーを拵えた。そこに解凍したご飯と昨日の作り置きである味噌汁を並べ、いつも通りの食卓を作り上げた。
だが鶏肉は元々翌日の弁当に取り分ける前提で買っていたものの、明日は出棺式の後に身内で昼食を囲むため不要となり、夕飯として盛り付けた分量は約300gと明らかに多いものであった。その一方で、そもそも一翔は前夜式を終えてからあまり食欲がなかった。
鶏肉は冷凍保存して食事を適当に済ませる選択肢もあったが、再解凍を面倒臭がり『いつも通り』を踏襲することを選んでいた。
しかし結果として、チキンソテーを数切れ食べ残しているにも拘らず満腹感が込み上げて来ていた。
「食べ切れないんだったら、私が食べようか?」
すると、ローテーブルの右側で両肘を立てながら寄り掛かっていた『天使』が一翔に声を掛けた。
昨日の会話で冷ややかに遇われて以来の真面な接触だったが、そのときの機嫌を引き摺っているようには見えなかった。
そして昨日までの一翔ならばその図々しい打診を突っ撥ねるところであったが、今夜はもうそんな気力もなく、無心で皿をスライドさせていた。
『天使』は冷めかけのチキンソテーを手掴みで掬い上げて口に放り、黙々と咀嚼し呑み込んだ。その行為は特段の感想も表情の綻びも伴うことのない、ただの残飯処理に過ぎなかった。
先日もその華奢な指で唐揚げを摘まんでおり、美貌に反した行儀の悪さに一翔は顔を顰めていたが、今はそれ以上に別のことが気になっていた。
「なぁ、あんたが食べた物ってどこに消えてるんだ? あんたは普段から何を飲み食いしてるわけでもないのに、気紛れな食事が血肉になり得るのか?」
残っていた数切れを平らげた『天使』は、脂に塗れた指先を口付けするように舐めてから答えた。
「結論から言えば、私が食べた分は君の栄養になってるよ」
「…え? でも別に、俺の腹具合は何も変わってないし…というか、これ以上膨らんだら流石に苦しくなるんだけど」
「日曜の飲み会のときだってそうだよ。私が食べた唐揚げは、客観的な視点では君が食べたことになってたでしょ。そういう風に真実が決まる以上、栄養素についても最終的には君に帰結しているんだよ」
「その理屈が本当だとすると、あんたが気紛れに食べれば食べるほど俺の健康が損なわれかねないんだが」
「そんな奔放なことはしないよ。君が本当は食べられるから食べているだけだよ」
『天使』が釈明する通り、普段の一翔なら約300gのチキンソテーは食べようと思えば食べられる量であった。偶々今夜は重たい気分がそれを阻害しているだけで、体質としては問題なく受け入れられるレベルなのであった。
「そんなことよりさ、結局あのまま帰ってよかったの?」
決して重要度が低くはない話題を差し置いて、『天使』は今更な話題を掘り返した。
彼女が話し掛けてくる以上、何かしら問いたい意思があることを一翔は予期していたが、それはもう2時間近く前に——三日原教会を出発する直前に賞味期限が切れたはずの問いかけであった。
『キャリアプランとか…そういうのは、あまり考えてません。単純に、会社の役に立てればそれで良いと思っています』
刑部代表の提案に対し、一翔は苦笑いを浮かべながらしどろもどろに答えた。だがその内容自体に謙遜や遠慮はなく、本音を白状したも同然であった。
『ふむ…そうかね。まぁ、匂坂社長や伊熊君ともそのうち話したらいいだよ。それじゃ、また来週から宜しく頼むな』
一方の刑部代表は、一翔を励ましたときと調子を変えることなく会話を締め、挨拶と共に帰路へと就いていった。
一翔は今の返答1つで評価や期待値を下げてしまったのではないかと憂いたが、適当な見栄を張るよりはマシだっただろうと自らに言い聞かせてその背中を見送っていた。
「ああいや、私が今訊きたいのはそれじゃなくて…家族と一緒に三日原に泊まらなかったことだよ」
だが『天使』の関心は刑部代表との遣り取りではなく、その後一翔が母から受けた電話の返答についてであった。
日中に浜松に到着した父と妹は、母と同じく三日原の祖父母宅に宿泊する予定であったが、せっかくだからと一翔も泊まるよう提案された。他方で一翔は食材の処理を言い訳に、それを断って一足早く三日原を発っていたのであった。
「べつに…祖母ちゃんにはもう顔見せてるわけだし、年末にはどうせ東京に…」
帰省するからと言いかけて、その季節に辿り着くためには余命宣告を回避しなければならないことを一翔は思い出した。
案の定『天使』が一翔の表情を何か試すように覗き込んでいたが、それを躱すようにして尻窄みの台詞を繋げた。
「なんだよ、死ななきゃいいだけの話だろ」
その一言を聞いた『天使』の蒼い瞳は、一瞬だけ一回り大きくなったように見えた。だが、直ぐに一翔へ提案を返した。
「それなら尚更、家族で過ごした方が良かったんじゃないの? 今は君の命運について何気ないことでも相談出来る、最も適任な存在がすぐ傍まで来てくれている状況なんじゃないの?」
一翔は『天使』の意図を把握すると、腹を撫で下ろしながら深く息を吐いた。確かに世間一般で言う家族とはそういう存在なのかもしれないし、相羽家も例に漏れず、どちらかと言えば家族仲は良好な方だろうと考えていた。
だがそれ故に、一翔の意見は頑なであった。
「…相談することは何もない。俺自身の問題だから」
「この前の飲み会でも友達に対してそうだったけど、君は人に相談することを疎んじているの?」
『天使』は尚も一歩を踏み込んで来る姿勢を見せていたが、それでも一翔の答えは変わらなかった。
この30年余りの生涯に於いて、人生相談というレベルの相談を誰にもしなかったわけではなかった。
それこそ難航する就職活動に喘いでいた大学4年次の夏には、友人であるシュンと2人で飲む機会があり、酒の進む儘に判然としない将来像を吐露したことがあった。
このとき既に大手から内定を貰っていたシュンは真摯に耳を貸し、就職浪人なども提案した上で最終的にこう告げた。
『まぁ、カズトのやりたいようにやればいいんじゃないの』
——結局は、そういう結論になる。その顛末自体に何ら不満はないし、批判することは筋違いだと思う。自分に近しい他人ほど、自分の人生を尊重してくれるのだから。
——それ故の顛末が解り切っているからこそ、相談とは自分にとっても相手にとっても時間と労力を無駄にするだけなんだ。
心配性な母も寡黙な父と足並みを揃え、地方の零細企業へと巣立った一翔を放任しつつその意思を尊重していた。だからこそ、シュンと同じような言葉を掛けられることが想像に難くなかった。
「家族や仲の良い友人だからこそ、こういう相談はすべきじゃないなんだよ」
一翔は『天使』にそう告げて、食器を片付けるために立ち上がった。
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