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第1章 見えるようになる(残り30~27日)
第13話 近くて遠すぎる距離
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「馬鹿かおまえ…何適当なこと言ってんだよ」
「茶化してるつもりはないよ。君はよくあの人の視線を気にしているし、接客してもらっているときは何か会話の糸口を探ろうとそわそわしているでしょう」
「やめろ、人のことをストーカーみたいに言うな」
「ストーカーみたいな印象は抱かれていないと思うけどな。あの女の人…『おかゆさん』だっけ?」
「『小粥さん』だよ。以前店の人にそう呼ばれてるのを聞いた」
「そうなんだ、よく憶えてるね。やっぱりそれなりに意識しているんじゃない」
「…だからさぁ、そういうんじゃねぇって言ってるだろ!」
一翔は『天使』に鎌を掛けられたような気がして更に動揺し、また宛らお節介な親戚に喧しく詰られているような錯覚に辟易した。
とはいえ常に傍らで自分を見ていたであろう『天使』の指摘は詭弁ではなく、ある程度図星であることは確かであり、その気持ちを隠し通すことに必死になっていた。
小粥という名札を胸元に付けた小動物顔の小柄な女性は、パン屋とは相性の悪そうな苗字ながらも『KIMATA BAKERY』の看板娘の1人として、嘗てテレビ番組で観たその店の特集でも取材を受けていた。
放映時はマスクを付けており、一翔はその時点で特段彼女に惹かれたわけではなく、最初は単に行きつけの大型スーパーの近くだからという理由で訪ねていた。
だが実際にレジで相対した際は素顔が露わになっており、彼女の口角の上がった柔らかな表情と快活な声音によって、一翔の胸が高鳴ったことは紛れもない事実であった。
もし彼女がゴルフ場で接客したなら、間違いなく男性客の人気を集めるだろうなどと考えた。
そうして『KIMATA BAKERY』には、彼女が気になって通い詰めるという下心混じりの習慣が出来上がった。
とはいえ彼女はシフト制なのか常に夕方に店番をしているわけではなく、休日は当然ながら混雑して常に忙しない様子であった。
何度か訪ねた結果、月曜の夕方には確実にシフトを組んでいるようで、かつ客足も疎らであるために『丁度良い』ことが判明した。
そういった背景を踏まえれば、傍から見てストーカー紛いのレッテルを張られても釈明し辛いものがあった。
だが滞在時間が嵩んでいるのは露骨なアピールではなく本当に食べたい商品を吟味している結果であり、だからこそ小粥さんには悪い印象を抱かれていないのだと信じていた。
寧ろ店内を回っているときに彼女から向けられる視線は、何となく落ち着かないような雰囲気を帯びていた。
それが自意識過剰であるとしても、定期的に通うことで彼女との間に何かが生まれるのではないかという淡い期待があった。
それでもいざ『天使』に指摘されると、一連の言動は穴があったら入りたいほどの醜態であることを思い知らされていた。
剰え『天使』が麗しい大人の女性の身形をしているために、異性について至近距離で追及されることがこの上なく気恥ずかしかった。
「別に臆することじゃないと思うけどな、人を好きになることは」
表情を動かさずとも興が乗っているのか、『天使』は食事中の一翔が不快感を露わにしていても構うことなく話題にぶら下がり続けていた。
「そうじゃない。誰が好きかとか勝手に決めつけられてしつこくされることがうざいんだよ」
「でも、これって数少ないチャンスだと思うんだよね」
「…またその話かよ」
「うん。だって一番解り易い方法だから」
一翔には『天使』の発言の行きつく先が、結局は余命宣告を回避するための選択肢に繋がることを当然に推測していた。
即ち、30日以内に『価値のある人間』になるためには恋人を作ること——特定の誰かにとっての『価値のある人間』になることが最も明瞭な指針の1つであるという提示は想定通りであった。
故に一翔は間髪を入れることなく、吐き捨てるようにして答えていた。
「俺に小粥さんをナンパしろって勧めるつもりなら、それは絶対に無理な話だ」
「ナンパって…君、自分から態と悪い表現にしようとしてるんじゃない?」
「どんな表現にしようが相手には同じことだろ。一介の客人に過ぎない俺が急に口説き出せば、悪質で迷惑だって閉め出されて出禁になるのが明白だ。況してやあの店は地元客が多いらしいから、変な噂が立ったらスーパーの買い出しすら行き辛くなるかもしれないし…」
「本当に悪質で迷惑と感じるかは、小粥さん次第でしょう。どうして明白だって言えるの? 君が彼女の気を惹きたくて年中通い続けた結果、彼女も君のことを憶えてるし、一介の客人よりかは親しげに接してくれているんじゃないのかな?」
ここぞとばかりに『天使』が問い詰めてくるため、一翔はさっさと夕飯を食べ終えてしまおうと掻き込みながら、最小限で会話を終わらせるための返答を模索した。
確かに小粥さんには多少なりとも認識されていると思ってはいたが、それでも客人と店員という関係性から発展する予兆などなく、会計テーブルを挟んだ距離は近いようで圧倒的な高低差があった。
底から見上げる自分が独善的に彼女を引き摺り下ろすことは正しく暴挙であり、彼女が自ら下ってこそ初めて接する権利が生まれるのだと考えていた。
そもそも小粥さんには、自らの名前すら明かしたことがなかった。何より今日彼女が話に触れたような迷惑客と、同じような末路を自分が辿る可能性を恐れていた。
「…このご時世、セクハラとか世間の見る目は敏感なんだよ。自分の命が掛かってるからって、そんな博打みたいなこと出来るかよ」
空になった丼ぶりをローテーブルに置いた一翔は、溜息混じりに言い放った。
それでも『天使』は、依然として透き通るような眼差しで見つめながら食い下がった。
「命が掛かっているからこそ、悔いの無いようにするべきなんじゃないかな」
「それを言うなら、自分の都合で他人に不快な思いをさせることが一番の後悔になる。それともあんたは『天使』らしく、キューピッドの役割でも担ってくれんのか?」
一翔は露骨な嫌味を伴って言い返すと、『天使』はほんの僅か表情を曇らせて押し黙った。
沈黙が答えとなり、気が済んだと判断した一翔は食器を片付けようと立ち上がった。だがキッチンへ向かうその背中に、『天使』が一言囁き掛けた。
「直ぐにとは言わないから、最後まで小粥さんには顔を見せてあげてよ。そのうち何か、変わるかもしれないからさ」
「茶化してるつもりはないよ。君はよくあの人の視線を気にしているし、接客してもらっているときは何か会話の糸口を探ろうとそわそわしているでしょう」
「やめろ、人のことをストーカーみたいに言うな」
「ストーカーみたいな印象は抱かれていないと思うけどな。あの女の人…『おかゆさん』だっけ?」
「『小粥さん』だよ。以前店の人にそう呼ばれてるのを聞いた」
「そうなんだ、よく憶えてるね。やっぱりそれなりに意識しているんじゃない」
「…だからさぁ、そういうんじゃねぇって言ってるだろ!」
一翔は『天使』に鎌を掛けられたような気がして更に動揺し、また宛らお節介な親戚に喧しく詰られているような錯覚に辟易した。
とはいえ常に傍らで自分を見ていたであろう『天使』の指摘は詭弁ではなく、ある程度図星であることは確かであり、その気持ちを隠し通すことに必死になっていた。
小粥という名札を胸元に付けた小動物顔の小柄な女性は、パン屋とは相性の悪そうな苗字ながらも『KIMATA BAKERY』の看板娘の1人として、嘗てテレビ番組で観たその店の特集でも取材を受けていた。
放映時はマスクを付けており、一翔はその時点で特段彼女に惹かれたわけではなく、最初は単に行きつけの大型スーパーの近くだからという理由で訪ねていた。
だが実際にレジで相対した際は素顔が露わになっており、彼女の口角の上がった柔らかな表情と快活な声音によって、一翔の胸が高鳴ったことは紛れもない事実であった。
もし彼女がゴルフ場で接客したなら、間違いなく男性客の人気を集めるだろうなどと考えた。
そうして『KIMATA BAKERY』には、彼女が気になって通い詰めるという下心混じりの習慣が出来上がった。
とはいえ彼女はシフト制なのか常に夕方に店番をしているわけではなく、休日は当然ながら混雑して常に忙しない様子であった。
何度か訪ねた結果、月曜の夕方には確実にシフトを組んでいるようで、かつ客足も疎らであるために『丁度良い』ことが判明した。
そういった背景を踏まえれば、傍から見てストーカー紛いのレッテルを張られても釈明し辛いものがあった。
だが滞在時間が嵩んでいるのは露骨なアピールではなく本当に食べたい商品を吟味している結果であり、だからこそ小粥さんには悪い印象を抱かれていないのだと信じていた。
寧ろ店内を回っているときに彼女から向けられる視線は、何となく落ち着かないような雰囲気を帯びていた。
それが自意識過剰であるとしても、定期的に通うことで彼女との間に何かが生まれるのではないかという淡い期待があった。
それでもいざ『天使』に指摘されると、一連の言動は穴があったら入りたいほどの醜態であることを思い知らされていた。
剰え『天使』が麗しい大人の女性の身形をしているために、異性について至近距離で追及されることがこの上なく気恥ずかしかった。
「別に臆することじゃないと思うけどな、人を好きになることは」
表情を動かさずとも興が乗っているのか、『天使』は食事中の一翔が不快感を露わにしていても構うことなく話題にぶら下がり続けていた。
「そうじゃない。誰が好きかとか勝手に決めつけられてしつこくされることがうざいんだよ」
「でも、これって数少ないチャンスだと思うんだよね」
「…またその話かよ」
「うん。だって一番解り易い方法だから」
一翔には『天使』の発言の行きつく先が、結局は余命宣告を回避するための選択肢に繋がることを当然に推測していた。
即ち、30日以内に『価値のある人間』になるためには恋人を作ること——特定の誰かにとっての『価値のある人間』になることが最も明瞭な指針の1つであるという提示は想定通りであった。
故に一翔は間髪を入れることなく、吐き捨てるようにして答えていた。
「俺に小粥さんをナンパしろって勧めるつもりなら、それは絶対に無理な話だ」
「ナンパって…君、自分から態と悪い表現にしようとしてるんじゃない?」
「どんな表現にしようが相手には同じことだろ。一介の客人に過ぎない俺が急に口説き出せば、悪質で迷惑だって閉め出されて出禁になるのが明白だ。況してやあの店は地元客が多いらしいから、変な噂が立ったらスーパーの買い出しすら行き辛くなるかもしれないし…」
「本当に悪質で迷惑と感じるかは、小粥さん次第でしょう。どうして明白だって言えるの? 君が彼女の気を惹きたくて年中通い続けた結果、彼女も君のことを憶えてるし、一介の客人よりかは親しげに接してくれているんじゃないのかな?」
ここぞとばかりに『天使』が問い詰めてくるため、一翔はさっさと夕飯を食べ終えてしまおうと掻き込みながら、最小限で会話を終わらせるための返答を模索した。
確かに小粥さんには多少なりとも認識されていると思ってはいたが、それでも客人と店員という関係性から発展する予兆などなく、会計テーブルを挟んだ距離は近いようで圧倒的な高低差があった。
底から見上げる自分が独善的に彼女を引き摺り下ろすことは正しく暴挙であり、彼女が自ら下ってこそ初めて接する権利が生まれるのだと考えていた。
そもそも小粥さんには、自らの名前すら明かしたことがなかった。何より今日彼女が話に触れたような迷惑客と、同じような末路を自分が辿る可能性を恐れていた。
「…このご時世、セクハラとか世間の見る目は敏感なんだよ。自分の命が掛かってるからって、そんな博打みたいなこと出来るかよ」
空になった丼ぶりをローテーブルに置いた一翔は、溜息混じりに言い放った。
それでも『天使』は、依然として透き通るような眼差しで見つめながら食い下がった。
「命が掛かっているからこそ、悔いの無いようにするべきなんじゃないかな」
「それを言うなら、自分の都合で他人に不快な思いをさせることが一番の後悔になる。それともあんたは『天使』らしく、キューピッドの役割でも担ってくれんのか?」
一翔は露骨な嫌味を伴って言い返すと、『天使』はほんの僅か表情を曇らせて押し黙った。
沈黙が答えとなり、気が済んだと判断した一翔は食器を片付けようと立ち上がった。だがキッチンへ向かうその背中に、『天使』が一言囁き掛けた。
「直ぐにとは言わないから、最後まで小粥さんには顔を見せてあげてよ。そのうち何か、変わるかもしれないからさ」
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