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10月7日(月)

(8)――「だから行こう、アキ」

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「――というか、アキ、本当に酷い怪我じゃないか! 早く手当てしなければっ!」
 今になって僕の怪我に気付いたらしい少女は、心底驚いたように僕の顔を両手でがしりと掴んだ。
「わ、わかったから、揺らすな――痛っ?!」
「……あ」
 例によって、少女が僕を思いきり揺さぶった、そのとき。
 こつん、と顔面になにかが落下してきた。
 少女に顔を掴まれていた僕にそれを避ける術はなく、正面から受けることとなる。軽い痛みに顔を歪めたのも束の間、それはころりと視界の端に転がっていき。ことんと地面に落ちて、ようやくそれが狐面であることに気がついた。
 狐面が転がっているということは、つまり。
 僕はゆっくりと視線を正面に戻す。
「……――」
 その端正な顔立ちは、僕がこれまでの人生で出会った誰とも異なっていて。きっと少女は父親似なんだろうなあと思った。少し高い鼻に、桜色の唇。人形のようだと言っても過言ではないそれは、安易に触れたら壊れてしまいそうな儚さを含んでいる。
 呆気に取られながら、僕はなんとなく、少女のクラスメイトの気持ちがわかったような気がした。これは確かに、無意識に境界線を引いてしまう。そんな美しさを持ち合わせていた。反論の余地なく、生きる世界が違うのだと思わせられる。田舎の中学生ではひとたまりもない。
 けれどなにより強烈な引力を有していたのは、その瞳だろう。
「……」
 時間差で、少女の黒髪がするりと肩を抜けて落ちる。僕の視界は少しだけ暗くなったけれど、そんなことは全く気にならなかった。多少の暗闇なんて、ものともしない。
 少女の瞳は、それほどまでに透き通った空の色をしていた。
 大嫌いな青空の色なのに、不思議と嫌悪感はない。さもすれば、アニメ絵のお面を着けていた初対面のときよりも、異界じみているようにさえ見える。魅入り、取り込まれ、連れて行かれてしまうような。畏怖と憧憬が入り混じって、僕はただただ呆気に取られるばかりだった。
「……コマ」
 硬直する少女の頬に優しく指先で触れながら、僕は彼女の名前を口にする。
 彼女は、人形でも狛犬でもない。
 ここにいるのは、楽しげに笑い、歌って。
 家族を大切にしたいと願う、どこにでも居る普通の女の子だ。
 だから僕が特別身構える必要なんてない。
 これまでと変わらず接するだけだ。
「好きだ」
「な?!」
 突然、少女は目を丸くして驚いた。
「なんだよ」
「だ、だだだだだって! だってアキ今好きって、好きって……!」
 早口に捲し立てる少女に、ああうん、と僕は頷く。
「コマの瞳の色、僕は好きだなって」
「へ?」
「すごく綺麗な色だと思う。だからもう、お面なんかで隠すなよ」
「え……?」
「……? コマ?」
「……あ、ああ、そういう、意味か!」
「それ以外になにかあるのか?」
「なにもない! なにもないぞっ?!」
「それなら良いけど……あの、コマさん」
「な、なんだ?!」
「よろっと手ぇ離してくれませんかね」
 何故か動揺している少女にそう言うと、はっとしたように僕の顔から手を離してくれた。
「本当に酷い怪我だ」
 僕の上から退くと、眉尻を下げて言う。
「病院へ行こう、アキ。ワタシも付いていくから」
「そうだな。流石にこれは病院に行かないと……え?」
 今、ワタシも付いていくって言わなかったか?
 今度は僕が動揺する番だった。
「アキを病院へ連れて行ったら、ワタシはワタシの家に帰ろうと思う。……あはは、そう心配しなくとも大丈夫だぞ」
 このとき、僕はどんな表情を浮かべていたのだろうか。
 少女は僕を見て、困ったように笑う。
「ワタシだって馬鹿ではないさ。真正面から家に帰るようなことはしない。きちんと策は講じている。怖いけど――それでも、ずっとここに留まっているわけにもいかない」
 考え抜いて決めたことなのだろう、少女の声音は今までになく落ち着いている。
 少女はその青い瞳を細めて柔らかく笑い、こちらに手を伸ばす。
「だから行こう、アキ」
 時間は僕らの感情なんて無視して進んでいく。
 ここに立ち止まることなどできない。
 それなら僕らは、せめてその大きな流れに飲み込まれないようにしなければならないのだろう。
 この両足で立って、前を見据えて。
 それだけじゃ、ふらつくこともあるだろうけど。
「……ああ、そうだな」
 少女の手を取って、僕は起き上がった。
 僕の隣には、少女が居る。
 少女の隣には、僕が居る。
 こうして手を繋いでいれば、僕らはきっと大丈夫だ。 
 この先。
 家に帰っても。
 何度明日がやってきても。
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