陽炎、稲妻、月の影

四十九院紙縞

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第5話 呻く雄風

(2)――守りの土台に土地神が居るのだと信じざるを得ない。

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 二年四組の教室で倒れていた生徒の数は、三人。
 気を失っていたことから病院に搬送されたが、全員外傷はなく、命に別状もなかったそうだ。意識が戻り次第、ハギノモリ先生が事情を聞きにいくことになったそうだが、その日のうちに病院から連絡が来ることはなかった。
 しかし事情を聞くまでもなく、三人が倒れた原因は明らかだった。
 教室内には、こっくりさんを行ったと思われる形跡が残されていたのである。
 こっくりさん。
 それは複数人で行う降霊術や占いの一種で、少し前に大流行した遊びのひとつである。
 大半はなにごとも起こらず不発に終わるのだろうが、この学校でそれを行うということは、十中八九成功してしまうことを意味している。
 これは俺の憶測に過ぎないが、件の三人は、まさか成功するとは思わず、儀式を中途半端にしてしまった可能性が高い。そうして、元々死者の通り道になっていて空気の澱みやすいこの土地に、今まで以上に〈よくないもの〉を呼び寄せることとなってしまったのだ。
 以前、ハギノモリ先生が使っていた例えになぞらえるのなら、今、この学校は除湿剤では到底追いつかないほどの湿気を抱え込んでいる状態と言えるだろう。
 このままでは、校内に迷い込んだ霊が悪霊化してしまう可能性が高まるのはもちろんのこと。
 この学校に通う生徒や教職員にだって、悪影響を及ぼす可能性は十二分に考えられた。
「さらに最悪なことに、土地神の加護まで弱まってきてるときた」
 翌日、二学期初日の放課後。
 すっかりアサカゲさんと俺の拠点と化した第四資料室にて、アサカゲさんはぐったりとした様子で言う。
 倒れていた生徒が病院に運ばれたあと、アサカゲさんとハギノモリ先生は、校内の結界をさらに補強して回っていた。今日も朝早くから学校に来て、昼休みもほとんど使う勢いで、作業を続けていた。いかに体力おばけなアサカゲさんといえど、流石に疲労の色が出てきている。
「結界を補強してオレの力を通した今なら、よくわかる。元々微弱だった土地神の加護が、この澱みに押し負けかけてやがんだ。人間が結界を補強したところで、いつまで保つやら。……ろむ、大丈夫か?」
「あんまり良いとは言えないねえ……。噂に聞く『気圧の所為』って、こういう感じかなあ……」
「お前のそれは、絶対に気圧の所為じゃねえから安心しろ」
 力ない俺の返答に、アサカゲさんは呆れたように笑った。
 これまで、俺にとって土地神とは半信半疑の存在だった。俺にはアサカゲさんたちの言う加護というものを感知できないし、そもそも、加護自体があってないようなもので、実際のところはハギノモリ先生による功績が大きいとばかり思っていた。しかし、ここまで環境が劇的に変わってしまえば、守りの土台に土地神が居るのだと信じざるを得ない。
「弱体化した神様って、どうやったら力を取り戻すのかな」
「なんだよ、藪から棒に」
「いやさ、土地神の加護次第でここまで露骨に影響が出るなら、土地神自体をどうにかしたほうが手っ取り早いのかなって思ってさ」
 ほとんど思いつきな俺の話に、アサカゲさんは、確かになあ、と顎に手を当てた。
「神様ってのは、人間の願いや信仰によって生まれる。この土地の神様だって、そうやって生まれたはずだ。だから、ここの土地神の存在を信じ崇める人間が増えれば、力を取り戻して、この状況を好転させられるかもしれねえな」
「それじゃあ、土地神の信者を増やせば……!」
「ろむ、それ、言っててめちゃくちゃ怪しいってわかってるか? 『この土地は今、危機に瀕しています。この窮地を脱する為には、土地神様の力が必要なのです。皆で神様を信仰しましょう』なんて、オレでもちょっと引くぜ」
「ぐっ……」
 あまりの正論に、俺は唸ることしかできなかった。
「手っ取り早く姿だけでも現してくれるか、噂の類が広まれば、或いは……。いや、どっちも無茶な話か」
「それだ!」
 なんの気なしに言ったであろうアサカゲさんの言葉は、しかし現時点での唯一の突破口のように思えた。
 いくら口先で言ったところで、現代人は神様なんて安易に信じようとはしない。
 それならば、その目で視て、土地神が実在するのだと知ってもらえば良いんだ。
 この学校において、幽霊が視えることが日常茶飯事であるように。
 中庭の一件から、周囲のアサカゲさんを見る目が好転したように。
 認識が変われば、土地神が復活する可能性だってゼロではないはずだ。
「だけどよお、ろむ。土地神の姿を視たのは、オレが七歳のときに一回きりだし、古株の萩森先生に至っては、一度も視たことがねえんだぜ? どうするつもりだよ」
「そ、それは……頑張って探す!」
「……ふ、あはは!」
 アサカゲさんは目を大きく見開いたかと思うと、無邪気に笑った。
「ちょっと、笑うのは酷くない?」
「悪ィ悪ィ。でも、そうだな、手段のひとつとしては悪かねえと思うぜ。オレも先生も、持ち得る手段の全てを使って、現状を打破するつもりだ。そこに土地神復活まで加われば、間違いなく解決するだろうよ。ただな、ろむ」
「わかってるよ。無茶はしない」
 アサカゲさんの言葉を引き継ぐようにして、俺は言った。
「なら良し」
 満足そうにアサカゲさんが頷いたところで、第四資料室の戸をノックする音がした。
 アサカゲさんが、はい、と返事をすると、戸が音を立てて開く。
「ああ、やっぱりここに居ましたね。朝陰さん、それにろむ君も、お疲れさまです」
 そう言って入ってきたのは、ハギノモリ先生だった。
 その手には、和菓子屋のものと思しき紙袋が握られている。
「昨日今日と、大変でしたね。これは僕からの差し入れです。一緒に食べましょう。今しがた病院で聞いてきた話を共有しておきたいですし」
 椅子に座った先生は、紙袋からどら焼きと小ぶりのペットボトルを二つずつ取り出す。
「すみません、ろむ君のぶんの用意がなくて」
「俺のことは気にしないでよ。幽霊は食べたくても食べられないんだし」
「そうそう、先生は気ィ遣い過ぎですよ。じゃ、オレは有り難くいただきます」
 俺と先生のナイーブな会話にばっさりと割り込んできたアサカゲさんは、礼儀正しく礼をすると、早速どら焼きを手に取った。お腹が空いていたのだろうか。
「それで、先生。どうでしたか?」
 どら焼きを一口食べ、アサカゲさんは真剣な表情で言った。
「まず、発見された三人の状態ですが。全員の意識が戻り、身体のほうもなんら異常は見られないとのことでした。それでも念の為、今日まで入院だそうです。僕の目から視ても、憑依されてもいなければ、瘴気を浴びた影響もなかったので、大事だいじないでしょう。いやはや、意識を失うほどの霊障が起きたとは思えないほど、三人とも元気な様子でしたね」
 ペットボトルを開けてお茶を飲み、先生は続ける。
「三人が行っていたのは、こっくりさんで間違いありませんでした。期末前の中庭での一件を知って、この学校でこっくりさんをやったらどうなるのかと、興味本位でやったそうです」
「なにが興味本位だよ、ふざけんなよ……」
 アサカゲさんの思わず突いて出た悪態に、先生は、まあまあ、と諫める。
「三人とも深く反省していましたし、二度とこんなことはしないと、僕と約束してくれました。それよりも問題は、こっくりさんのほうにあります」
「まさか、途中で止めちまったんじゃ……!」
「そのまさかです。こっくりさんを行っていたところ、突然ぷつんと意識が切れてしまったと言っていました。儀式が中途半端になってしまい、ここら一帯の〈よくないもの〉まで呼び寄せてしまった、ということでしょう。こうなってしまうと、僕らが普段やっているような浄化作業程度では、焼け石に水でしかありません」
「……」
 ちらりと、アサカゲさんの様子を伺う。
 彼女は、悔しそうに下唇を噛んでいた。
「大丈夫ですよ、朝陰さん。今、僕の知り合いに協力を要請しています。準備が整い次第、大規模な浄化作業と、〈よくないもの〉の封印乃至除霊を行う予定です。朝陰さんも、お手伝いしてくれますか?」
「もちろんです」
 アサカゲさんはそう言って、力強く頷いた。
「ありがとうございます、朝陰さん。頼りにしていますよ。……ちなみに、ろむ君」
 と、先生は、俺のほうを見る。
「この状況が貴方にどんな影響を与えるのか、正直なところ、全く予想がつきません。そのリストバンドがあれば、大抵の状況は打破し得るかもしれませんが、くれぐれも無理はしないようにしてください。そうだ、この資料室に結界を常時張っておくので、異常を感じたら、ここに避難してください」
「せ、先生~! ありがとう~!」
 俺は思わず先生を拝んだ。
 この言いようのない倦怠感を、あと何日我慢しなければならないのかを考え、げんなりしていたのだ。避難所ができるのは、大変に有難い。
「なんだったら、ずっとここに居ても良いんだけどなあ」
 アサカゲさんの言うことはもっともである。
 俺にとって今の校内は、危険な要素しかない。死神のお墨つきである存在の希薄さで、この空気の澱みに呑まれる可能性は、普段以上に高まっている。消えたくないのなら大人しくしているべきなのだろうけれど。
「少しくらいは力にならせてよ」
 蚊帳の外に放っておかれることだけは、避けたかった。
 そのまま放置され、忘れられてしまったら。
 そんな不安に侵されるくらいなら、多少の危険なんて、どうだって良かった。
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