香水のせいにすればいい

弓葉

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香りで風景を描く

ズルくね?

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 香水斗の顔が近づき、唇に触れる寸前――僕のお腹がぐう、と鳴った。そういえば、会社から家に帰ってフェリーに乗るまで何も口にしていない。香水斗がフェリーでご飯を食べるから、と言ったからだ。

「先に腹を満たしてからだな」

 匂いとともに香水斗が僕から離れていく。

「あ……」

 キスをしてもらえなかった。軽くお預けでも食らった気分。

 香水斗は部屋に繋がるドアを開けて僕を待つ。

「さっさとご飯食べないと明石海峡大橋が見れなくなるぞ」

 香水斗はメガネを指で押し上げる。匂いに押されるようにして僕は部屋の中に戻った。


 食事はバイキング方式だった。好きな唐揚げや焼きそばをプレートに盛り付けていれば、香水斗にサラダも食べろよ、と小言を言われる。

「後で取ろうと思ってたんだよ」

 僕はわざとらしくサラダが置いてあるところに行けば、香水斗は楽しそうに笑っていた。南国風に盛られた杏仁豆腐に、チョコレートタワー、カウンターの上にはサンタとトナカイ、雪だるまのぬいぐるみが飾られている。窓の景色は工場の明かりが見え始めていた。

「工場の景色をツアーするのがはやってるよな」

 僕はブロッコリーを口に入れる。あ、ドレッシングをかけ忘れた。味がない。

「そうだな、確かに普段見えない角度から見る景色はいい刺激になる」

 香水斗のプレートはサラダと焼き魚と白ご飯。洋食を食べているイメージだったが、和食派だった。そして、並々に注がれたビールがある……ビール?

「え、香水斗ズルくね?」

「ズルいも何も仕事は終わっている。就業中でもないし、仕事に支障をきたさなければ飲んでもいいだろう」

 香水斗はゴクリ、とビールを飲む。禁酒していたわけではないが、金木犀の香水作りで残業していたためビールからかけ離れた生活をしていた。香ばしいホップの匂いが僕の嗅覚を刺激すれば、口の中にある唾液が増えてゴクリ、と喉がビールを要求してくる。

「さて、志野。ホップの性質と香りはなんでしょう?」

 香水斗からのクイズだ。新しい香りを作るためには日々勉強しなければ、僕は香水斗の隣に立てない。金木犀前線では香水斗がある程度匂いの厳選をしてくれてはいたが、本来ならば僕がやらなくてはいけない過程だ。

 数千種類にも上る香料を組み合わせて、香りという目に見えないものを開発する。それが調香師の仕事。だから、たまに香水斗は試すように僕にクイズを出題してくる。

 ホップはビールの魂だ。ビールの主原料の一つで種類と量、投入するタイミングでビールの味わいが大きく変わる。ホップはビールの味や香りを決定づけるビール造りに欠かせない重要な原材料。

「ホップはビールの苦みや爽快な香り。殺菌効果もある」

 昔、家の近くに飲料工場があった。今は潰れて更地になってしまったけれど、小学生の時に両親に連れられて缶ジュース目当てに見学ツアーへ参加したことがある。そこで学んだ知識は香りとともに覚えていた。ホップは緑色のクルミのような形をしていて、ツンと鼻につく臭いだった。大人になった今では好きな匂いに変わったが。

「正解、飲んでもいいぞ」

 香水斗はあっちにビールサーバーがあったと指をさす。

「言われなくても飲むに決まってるだろ」

 僕は立ち上がり、ビールサーバーのところに向かう。早く飲みたくて小走りになり、ゴクリ、とまだ口にしていないビールを待ち望んでいた。 
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