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【番外】魔界長官秘書室日誌 5.□月×日 謎の魔族に遭遇する
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それは、突然の出来事だった。
粗方の調査項目を埋めた二人は、今日は市場調査にしようか、なんて話し合っていた。宿屋の主人も二人に気さくに接し、朝食にデザートを付けてくれた。今日は朝からいいことがあったと、二人で宿屋を出て、市場に向かった。
その時だった。
「「!」」
二人は同時に、有り得ない筈の気配を感じた。
「魔族の気配・・・!?」
「ああ、しかもかなり大きい」
二人は西、同じ方向を見つめていた。
「行ってみよう」
「うん!」
サクラとコスモスは走った。
魔族の気配がすること自体は、有り得ないことではない。自分達の他にも、用事で人間界を訪れる魔族がいるのかもしれない。滅多にないことではあるが、有り得ないことではない。
有り得ないのは、その気配の大きさである。
通常、人間界に魔族が来る時は、出来るだけ気配を消すようにして来る。人間の中にはそれとなく気配を感じ取る体質の者もいて(霊能力者とか超能力者と呼ばれる)、下手に騒ぎを起こさないように、極力人間のふりをするのである。
サクラとコスモスも上位種なので、魔力を解放していれば辺りの空気がビリビリするぐらいには気配が大きくなるのだが、今は極力抑えている。だが、今感じる気配は、全く隠そうとしていない。通常では考えられないことだった。
「サクラ、あれ!!」
数十キロ程西へ行った森で、コスモスは叫んだ。魔族を探そうと風に乗って宙に浮いたところ、それらしきものを発見したのである。
コスモスの声に応えて、サクラは地面を蹴った。サクラはコスモスと違って、風に乗ることは出来ない。その代わり、大地を自由に動かすことが出来る。サクラが蹴った地面は盛り上がって突き出し、サクラを上空へと押し上げた。
「!!?」
コスモスが指差す先を見て、サクラは驚いた。大きな砂山のようなものが、自身を崩すように砂をまき散らしながら移動している。自然では無さそうなので、恐らくあれが魔族である。
「何だ、あれは・・・!見たことも聞いたことも無いぞ・・・!」
サクラは愕然としていた。サクラもコスモスも、自他共に認める本の虫である。勿論、魔界に住んでいる魔族のこともよく知っている。どんな種族が居て、何処に住んでいて、どんな特徴があってといったことは知っている。カルーアのように余程秘密裏にされていない限り、文献を読んでいれば知っている筈なのである。
しかし、今目の前で森を移動しているものが、一体何なのか見当もつかない。
サクラは魔族の進路の先を見た。このまま向かえば、その先には街がある。
「止めるぞ、コスモス!!」
「はい!」
乗っている土を動かし、サクラは魔族の進路へと向かった。コスモスもそれに続く。このままあの魔族が進んだら、街に住む人々が危ない。
「おい!止まれ!!」
サクラが叫ぶ声が聞こえていないのか、魔族は全く止まる様子を見せない。
「おい!」
サクラは叫びつつ、一抹の不安を感じた。
(こいつ、もしかして言葉が通じないんじゃないか・・・?)
魔族の中でも下位種になると、言語能力を有していないものも居る。言葉が通じないというだけではなく、耳も口も目も、脳も無い場合がある。もしそうであるとすれば、力付くで止めるしかない。
「仕方ない・・・」
サクラは両手を地面に当て、魔族の周りに大きな土の壁を出現させた。これで進行を防ぐことが出来るはずだ。
「サクラ!土が!」
上空から様子を見ていたコスモスが叫ぶと同時に、サクラもその異変に気が付いた。魔族を囲っている土がみしみしと軋み始めたのである。
「マジかよ・・・」
これでは何重に囲ったところでいずれ突破される。余程地中深くに埋めるしかないと判断した時、土の壁の一部が崩れ、魔族の砂がサクラに向かって噴き出した。
「くっ」
サクラは辺りの土を使って壁を作ろうとし、気が付いた。
(人間!?)
サクラから少し離れた森の中に、人間の少女がへたり込んでいる。薬草を摘んでいたらしく、草の入ったバスケットを抱えている。少女は魔族を見て怯えており、ガタガタと震えていた。
「っ」
サクラは土に呼びかける手を寸でのところで止めた。この距離では、少女が居る場所の土まで動いてしまう。そうなっては、少女が魔族の砂を浴びることになる。
その一瞬の判断が、サクラに自身を守るチャンスを失わせた。
「ぐぁっ・・・!」
魔族の砂がサクラを直撃し、辺りの樹と共に遥か後方へと吹き飛ばした。
「サクラ!!!!!」
少女に気付いてコスモスが飛ばした風は、サクラまで届かなかった。少女はコスモスの風に乗って街の方まで送られた。
「サクラっ・・・」
コスモスが樹の下に倒れているサクラに駆け寄ると、サクラは頭から血を流して気を失っていた。
その姿を見て、コスモスはキレた。
「こっの・・・!」
コスモスは壁から出てこようとしている魔族を睨み付け、ほぼフルパワーの魔力を発動させた。七種のコスモスのフルパワーを風で例えるとすると、スーパーセルを同時に複数個起こせるぐらいである。しかも自在に操れる。怖い。
コスモスは無数の上昇気流と下降気流を交互に発生させ、魔族に直撃させた。
「爆ぜろ」
低い声で呟き、コスモスは右手の指先をピッと上に払った。上下にぶつかり合う気流がかまいたちのように鋭く細くなり、魔族の砂の山を剪断した。霧散していく砂の山を冷やかに見下ろすと、コスモスはサクラを抱えて魔界へと飛んだ。
魔界の病院に担ぎ込まれたサクラは、緊急手術を受けることになった。集中治療室の前の椅子に座り、コスモスは項垂れていた。何も考えられなかった。否、考えると悪い方向にばかり思考が行ってしまう為、コスモスは思考を止め、虚ろな目で病院の床をじっと見つめていた。
「すみません、ちょっとお話いいですか?」
知らない声にコスモスが顔を上げると、濃紺の制服を着た男が二人立っていた。
「病院から通報を受けました。巨大な魔族と争いがあったと伺っていますが、お話し聞かせていただけないでしょうか」
コスモスはぼんやりと制服を見て、その二人が刑務課の所属であると理解した。つまり事情聴取というやつだ。病院がどんな通報をしたのかということも、自分が病院に何と説明したのかも、コスモスには解らなくなっていた。
「サクラさんを攻撃したという魔族ですが、貴方には危害を加えてきたのでしょうか?魔族はその後どうなりましたか?」
コスモスはぼんやりと二人の男を見ている。何を言われているのか解らない。言葉が頭の中で意味を成さない。ただの音が耳を通過していった。
男たちは顔を見合わせた。
「いいですか、コスモスさん。状況によっては貴方の行動は傷害致死罪に問われる可能性があります。上位種がいたずらに下位種に危害を加えてはならないのはご存知でしょう?心身の危険があったと認められない場合、自分より下の種族への攻撃は暴力と見なされます。貴方自身に心身の危険が無かった場合、過剰防衛の可能性もありますし、御同行願えませんか」
コスモスは何となく、男たちの言っていることを理解した。
つまり、自分を捕まえに来たのだ。犯罪者として。
「・・・貴方達は、サクラが殺されそうになるのを、黙って見てろと、言いたいんですか」
何の感情も籠っていない声だった。
「そうは言っていません。詳しい状況を確認する為に、まずは話を」
言い募る男に、コスモスは自分の中で真っ黒なものが生まれてくるのを感じた。
―何を言っているんだこの男は。サクラがどうなるか解らない時に。そんな話をしている場合じゃないのに。
コスモスの不穏な空気に、二人の男は眉根を寄せた。
「コスモスさん、私達は法に基づいて行動しています。従って頂けないのであれば、それなりの措置を」
「そこまでです」
男の言葉を遮る声があり、男二人は第三者の存在に気付いた。
「か、カミツレ長官!お疲れ様です!」
男二人は敬礼をした。秘書室は事務課のトップに当たるので、刑務課と上下関係は無いが、長官は全ての課の上に位置するので、カミツレは刑務課の上司に当たる。
「下がりなさい」
「しかし、カミツレ長官」
「コスモスには室長権限があります」
室長権限とは:それぞれの課に存在する秘書室(第一秘書室:事務課、第二秘書室:法務課・・・etc)の室長に与えられる権限で、緊急時に於いては超法規的な措置が独断で許される。これは長官が不在でも緊急事態に対応出来ることを目的とした特別な権限である。また、室長が複数居合わせた場合には、話合いを持った上でより上位(数字が小さい方)の室長の判断に委ねられる。
「!?コスモスさんは、室長ではありませんよね?」
「話を聞く限り、室長であるサクラは判断を下せる状況ではなかった。この場合、部下であるコスモスに代理権限が移ります。つまり事件現場に於いてコスモスは室長代理として判断し行動したことになります。よって聴取は私が行います。貴方達は下がりなさい」
室長権限によって行われたことは、長官によって是非が判断されることになっている。あくまで長官の代理として行われたことであるので、長官自身が裁くのである。緊急時とはいえ超法規的な措置である為、一般的な事象と同じように法に照らし合わせると重罪になる可能性があるからだ。ある意味独裁といえなくはないが、緊急時に重罪になることを恐れて必要な判断が出来なくなることを防ぐ為の措置であり、ピラミッド型の社会である以上、全く独裁にならないということは有り得ない。
男達が下がるのを見届けると、カミツレはコスモスに声を掛けた。
「貴方に怪我はありませんか?酷く消耗しているようですが」
「・・・大丈夫です・・・」
コスモスは俯いたまま首を振った。消耗しているのは、魔力を使い過ぎた為だ。砂の山を崩す為、サクラを一刻も早く病院に運ぶ為。コスモスは今、ほとんどの魔力を使い果たしていた。
「そうですか。家には連絡しましたか?」
コスモスは首を振った。
「では私の方からしておきます」
何かあったら連絡しなさい、と言い掛けて、カミツレは止めた。何か、が悪い事態を想像させる気がしたからだ。
カミツレはそれ以上何も言わず、コスモスの傍から立ち去った。途中、看護師に会ったので、それとなく様子を見てくれるように頼み、カミツレは病院を後にした。
手術が終わっても、サクラは目を覚まさなかった。
手術は成功したと言われても、コスモスには実感が沸かなかった。頭を強く打っていて、目を覚ますまでは安心出来ないと言われた。
真っ白な病室の中、酸素マスクを付けてベッドに横たわるサクラを、コスモスはガラス越しに見ていた。サクラは顔色が悪く、血の気が失われている。死んだように眠るというのはこういうことを言うのだろうとコスモスは思った。
―もし、このまま目を覚まさなかったら。
心臓に氷を当てられたような気がして、コスモスは自分の体をぎゅっと抱きしめた。
―もし、サクラに二度と会えなかったら。
考えまいとしているのに、嫌な可能性ばかりが頭を過ぎった。病院には他にも誰かいる筈なのに、世界は不気味なぐらい静かだった。
(サクラ、嫌だ、死なないで、サクラ・・・)
コスモスは左の掌でガラスに触れた。ぞっとするぐらい冷たくて、コスモスの瞳から涙が零れた。
(・・・サクラ・・・)
コスモスは左の手で拳を作り、その上に額を載せた。俯いた先には、自分の右手が見える。
『―いつか勇者が現れた時、お前の力が必要になるだろう』
コスモスはゆっくりと自分の右手を持ち上げた。
(この、力を使えば)
勇者が現れた時、必要になる力。それはきっと、世界の為に必要になる力。その為の、力。
(サクラを、失ってまで?)
サクラを失ってまで、守る価値がこの世界にあるのだろうか。
コスモスは虚ろな目のままで顔を上げた。ベッドに横たわっているサクラは、ピクリとも動かない。
(そんなに、大事?サクラ、よりも?)
世界を救ったとして、それが何になるというのだろう。サクラが居ない世界を救ったとして、それが一体何に。
(ここでサクラを失ったら、私は私を許せない)
誰に非難されてもいい。自分にとって一番大事なものは、自分にしか解らない。
コスモスは右手に魔力を籠めようとした。
「駄目だよ、コスモス」
コスモスはハッとして横を見た。いつの間にかカリフラワーが立っていた。
「叔父様・・・」
「そんなガス欠の状態で使っても、成功はしないよ。それに本来は二人で使う力だし、一人では失敗する可能性が高い。止めておきなさい」
「叔父様、でも、サクラが、サクラがもしも」
言葉を紡ぐ前に、コスモスの唇にカリフラワーの人差し指が当てられた。
「『不吉』に言霊を与えてはいけないよ」
カリフラワーはサクラの病室を見た。
「サクラ君は大丈夫だよ。きっと目覚める。信じて待ちなさい」
「叔父様・・・」
コスモスはぼろぼろと涙を流した。
「大丈夫だよ。怖かったね」
カリフラワーはよしよしとコスモスの頭を撫でた。コスモスはカリフラワーにしがみ付くと、子供のように声を上げて泣きじゃくった。カリフラワーはコスモスの背中をぽんぽんと叩き、落ち着くまで頭を撫で続けた。
サクラが意識を取り戻したのは、この三十分後のことである。
粗方の調査項目を埋めた二人は、今日は市場調査にしようか、なんて話し合っていた。宿屋の主人も二人に気さくに接し、朝食にデザートを付けてくれた。今日は朝からいいことがあったと、二人で宿屋を出て、市場に向かった。
その時だった。
「「!」」
二人は同時に、有り得ない筈の気配を感じた。
「魔族の気配・・・!?」
「ああ、しかもかなり大きい」
二人は西、同じ方向を見つめていた。
「行ってみよう」
「うん!」
サクラとコスモスは走った。
魔族の気配がすること自体は、有り得ないことではない。自分達の他にも、用事で人間界を訪れる魔族がいるのかもしれない。滅多にないことではあるが、有り得ないことではない。
有り得ないのは、その気配の大きさである。
通常、人間界に魔族が来る時は、出来るだけ気配を消すようにして来る。人間の中にはそれとなく気配を感じ取る体質の者もいて(霊能力者とか超能力者と呼ばれる)、下手に騒ぎを起こさないように、極力人間のふりをするのである。
サクラとコスモスも上位種なので、魔力を解放していれば辺りの空気がビリビリするぐらいには気配が大きくなるのだが、今は極力抑えている。だが、今感じる気配は、全く隠そうとしていない。通常では考えられないことだった。
「サクラ、あれ!!」
数十キロ程西へ行った森で、コスモスは叫んだ。魔族を探そうと風に乗って宙に浮いたところ、それらしきものを発見したのである。
コスモスの声に応えて、サクラは地面を蹴った。サクラはコスモスと違って、風に乗ることは出来ない。その代わり、大地を自由に動かすことが出来る。サクラが蹴った地面は盛り上がって突き出し、サクラを上空へと押し上げた。
「!!?」
コスモスが指差す先を見て、サクラは驚いた。大きな砂山のようなものが、自身を崩すように砂をまき散らしながら移動している。自然では無さそうなので、恐らくあれが魔族である。
「何だ、あれは・・・!見たことも聞いたことも無いぞ・・・!」
サクラは愕然としていた。サクラもコスモスも、自他共に認める本の虫である。勿論、魔界に住んでいる魔族のこともよく知っている。どんな種族が居て、何処に住んでいて、どんな特徴があってといったことは知っている。カルーアのように余程秘密裏にされていない限り、文献を読んでいれば知っている筈なのである。
しかし、今目の前で森を移動しているものが、一体何なのか見当もつかない。
サクラは魔族の進路の先を見た。このまま向かえば、その先には街がある。
「止めるぞ、コスモス!!」
「はい!」
乗っている土を動かし、サクラは魔族の進路へと向かった。コスモスもそれに続く。このままあの魔族が進んだら、街に住む人々が危ない。
「おい!止まれ!!」
サクラが叫ぶ声が聞こえていないのか、魔族は全く止まる様子を見せない。
「おい!」
サクラは叫びつつ、一抹の不安を感じた。
(こいつ、もしかして言葉が通じないんじゃないか・・・?)
魔族の中でも下位種になると、言語能力を有していないものも居る。言葉が通じないというだけではなく、耳も口も目も、脳も無い場合がある。もしそうであるとすれば、力付くで止めるしかない。
「仕方ない・・・」
サクラは両手を地面に当て、魔族の周りに大きな土の壁を出現させた。これで進行を防ぐことが出来るはずだ。
「サクラ!土が!」
上空から様子を見ていたコスモスが叫ぶと同時に、サクラもその異変に気が付いた。魔族を囲っている土がみしみしと軋み始めたのである。
「マジかよ・・・」
これでは何重に囲ったところでいずれ突破される。余程地中深くに埋めるしかないと判断した時、土の壁の一部が崩れ、魔族の砂がサクラに向かって噴き出した。
「くっ」
サクラは辺りの土を使って壁を作ろうとし、気が付いた。
(人間!?)
サクラから少し離れた森の中に、人間の少女がへたり込んでいる。薬草を摘んでいたらしく、草の入ったバスケットを抱えている。少女は魔族を見て怯えており、ガタガタと震えていた。
「っ」
サクラは土に呼びかける手を寸でのところで止めた。この距離では、少女が居る場所の土まで動いてしまう。そうなっては、少女が魔族の砂を浴びることになる。
その一瞬の判断が、サクラに自身を守るチャンスを失わせた。
「ぐぁっ・・・!」
魔族の砂がサクラを直撃し、辺りの樹と共に遥か後方へと吹き飛ばした。
「サクラ!!!!!」
少女に気付いてコスモスが飛ばした風は、サクラまで届かなかった。少女はコスモスの風に乗って街の方まで送られた。
「サクラっ・・・」
コスモスが樹の下に倒れているサクラに駆け寄ると、サクラは頭から血を流して気を失っていた。
その姿を見て、コスモスはキレた。
「こっの・・・!」
コスモスは壁から出てこようとしている魔族を睨み付け、ほぼフルパワーの魔力を発動させた。七種のコスモスのフルパワーを風で例えるとすると、スーパーセルを同時に複数個起こせるぐらいである。しかも自在に操れる。怖い。
コスモスは無数の上昇気流と下降気流を交互に発生させ、魔族に直撃させた。
「爆ぜろ」
低い声で呟き、コスモスは右手の指先をピッと上に払った。上下にぶつかり合う気流がかまいたちのように鋭く細くなり、魔族の砂の山を剪断した。霧散していく砂の山を冷やかに見下ろすと、コスモスはサクラを抱えて魔界へと飛んだ。
魔界の病院に担ぎ込まれたサクラは、緊急手術を受けることになった。集中治療室の前の椅子に座り、コスモスは項垂れていた。何も考えられなかった。否、考えると悪い方向にばかり思考が行ってしまう為、コスモスは思考を止め、虚ろな目で病院の床をじっと見つめていた。
「すみません、ちょっとお話いいですか?」
知らない声にコスモスが顔を上げると、濃紺の制服を着た男が二人立っていた。
「病院から通報を受けました。巨大な魔族と争いがあったと伺っていますが、お話し聞かせていただけないでしょうか」
コスモスはぼんやりと制服を見て、その二人が刑務課の所属であると理解した。つまり事情聴取というやつだ。病院がどんな通報をしたのかということも、自分が病院に何と説明したのかも、コスモスには解らなくなっていた。
「サクラさんを攻撃したという魔族ですが、貴方には危害を加えてきたのでしょうか?魔族はその後どうなりましたか?」
コスモスはぼんやりと二人の男を見ている。何を言われているのか解らない。言葉が頭の中で意味を成さない。ただの音が耳を通過していった。
男たちは顔を見合わせた。
「いいですか、コスモスさん。状況によっては貴方の行動は傷害致死罪に問われる可能性があります。上位種がいたずらに下位種に危害を加えてはならないのはご存知でしょう?心身の危険があったと認められない場合、自分より下の種族への攻撃は暴力と見なされます。貴方自身に心身の危険が無かった場合、過剰防衛の可能性もありますし、御同行願えませんか」
コスモスは何となく、男たちの言っていることを理解した。
つまり、自分を捕まえに来たのだ。犯罪者として。
「・・・貴方達は、サクラが殺されそうになるのを、黙って見てろと、言いたいんですか」
何の感情も籠っていない声だった。
「そうは言っていません。詳しい状況を確認する為に、まずは話を」
言い募る男に、コスモスは自分の中で真っ黒なものが生まれてくるのを感じた。
―何を言っているんだこの男は。サクラがどうなるか解らない時に。そんな話をしている場合じゃないのに。
コスモスの不穏な空気に、二人の男は眉根を寄せた。
「コスモスさん、私達は法に基づいて行動しています。従って頂けないのであれば、それなりの措置を」
「そこまでです」
男の言葉を遮る声があり、男二人は第三者の存在に気付いた。
「か、カミツレ長官!お疲れ様です!」
男二人は敬礼をした。秘書室は事務課のトップに当たるので、刑務課と上下関係は無いが、長官は全ての課の上に位置するので、カミツレは刑務課の上司に当たる。
「下がりなさい」
「しかし、カミツレ長官」
「コスモスには室長権限があります」
室長権限とは:それぞれの課に存在する秘書室(第一秘書室:事務課、第二秘書室:法務課・・・etc)の室長に与えられる権限で、緊急時に於いては超法規的な措置が独断で許される。これは長官が不在でも緊急事態に対応出来ることを目的とした特別な権限である。また、室長が複数居合わせた場合には、話合いを持った上でより上位(数字が小さい方)の室長の判断に委ねられる。
「!?コスモスさんは、室長ではありませんよね?」
「話を聞く限り、室長であるサクラは判断を下せる状況ではなかった。この場合、部下であるコスモスに代理権限が移ります。つまり事件現場に於いてコスモスは室長代理として判断し行動したことになります。よって聴取は私が行います。貴方達は下がりなさい」
室長権限によって行われたことは、長官によって是非が判断されることになっている。あくまで長官の代理として行われたことであるので、長官自身が裁くのである。緊急時とはいえ超法規的な措置である為、一般的な事象と同じように法に照らし合わせると重罪になる可能性があるからだ。ある意味独裁といえなくはないが、緊急時に重罪になることを恐れて必要な判断が出来なくなることを防ぐ為の措置であり、ピラミッド型の社会である以上、全く独裁にならないということは有り得ない。
男達が下がるのを見届けると、カミツレはコスモスに声を掛けた。
「貴方に怪我はありませんか?酷く消耗しているようですが」
「・・・大丈夫です・・・」
コスモスは俯いたまま首を振った。消耗しているのは、魔力を使い過ぎた為だ。砂の山を崩す為、サクラを一刻も早く病院に運ぶ為。コスモスは今、ほとんどの魔力を使い果たしていた。
「そうですか。家には連絡しましたか?」
コスモスは首を振った。
「では私の方からしておきます」
何かあったら連絡しなさい、と言い掛けて、カミツレは止めた。何か、が悪い事態を想像させる気がしたからだ。
カミツレはそれ以上何も言わず、コスモスの傍から立ち去った。途中、看護師に会ったので、それとなく様子を見てくれるように頼み、カミツレは病院を後にした。
手術が終わっても、サクラは目を覚まさなかった。
手術は成功したと言われても、コスモスには実感が沸かなかった。頭を強く打っていて、目を覚ますまでは安心出来ないと言われた。
真っ白な病室の中、酸素マスクを付けてベッドに横たわるサクラを、コスモスはガラス越しに見ていた。サクラは顔色が悪く、血の気が失われている。死んだように眠るというのはこういうことを言うのだろうとコスモスは思った。
―もし、このまま目を覚まさなかったら。
心臓に氷を当てられたような気がして、コスモスは自分の体をぎゅっと抱きしめた。
―もし、サクラに二度と会えなかったら。
考えまいとしているのに、嫌な可能性ばかりが頭を過ぎった。病院には他にも誰かいる筈なのに、世界は不気味なぐらい静かだった。
(サクラ、嫌だ、死なないで、サクラ・・・)
コスモスは左の掌でガラスに触れた。ぞっとするぐらい冷たくて、コスモスの瞳から涙が零れた。
(・・・サクラ・・・)
コスモスは左の手で拳を作り、その上に額を載せた。俯いた先には、自分の右手が見える。
『―いつか勇者が現れた時、お前の力が必要になるだろう』
コスモスはゆっくりと自分の右手を持ち上げた。
(この、力を使えば)
勇者が現れた時、必要になる力。それはきっと、世界の為に必要になる力。その為の、力。
(サクラを、失ってまで?)
サクラを失ってまで、守る価値がこの世界にあるのだろうか。
コスモスは虚ろな目のままで顔を上げた。ベッドに横たわっているサクラは、ピクリとも動かない。
(そんなに、大事?サクラ、よりも?)
世界を救ったとして、それが何になるというのだろう。サクラが居ない世界を救ったとして、それが一体何に。
(ここでサクラを失ったら、私は私を許せない)
誰に非難されてもいい。自分にとって一番大事なものは、自分にしか解らない。
コスモスは右手に魔力を籠めようとした。
「駄目だよ、コスモス」
コスモスはハッとして横を見た。いつの間にかカリフラワーが立っていた。
「叔父様・・・」
「そんなガス欠の状態で使っても、成功はしないよ。それに本来は二人で使う力だし、一人では失敗する可能性が高い。止めておきなさい」
「叔父様、でも、サクラが、サクラがもしも」
言葉を紡ぐ前に、コスモスの唇にカリフラワーの人差し指が当てられた。
「『不吉』に言霊を与えてはいけないよ」
カリフラワーはサクラの病室を見た。
「サクラ君は大丈夫だよ。きっと目覚める。信じて待ちなさい」
「叔父様・・・」
コスモスはぼろぼろと涙を流した。
「大丈夫だよ。怖かったね」
カリフラワーはよしよしとコスモスの頭を撫でた。コスモスはカリフラワーにしがみ付くと、子供のように声を上げて泣きじゃくった。カリフラワーはコスモスの背中をぽんぽんと叩き、落ち着くまで頭を撫で続けた。
サクラが意識を取り戻したのは、この三十分後のことである。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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