上 下
8 / 26
本編

8.謝罪は時に人を苦しめるようです

しおりを挟む
 翌日。
 夕食と入浴を済ませてしばらく経った頃、ギルバートが部屋にやってきた。
 すっぽかされるかと思ったけど、律儀な子なんだよね。挨拶したら嫌そうな顔をしながらも無視せず返してくれるし。

「来てくれてありがとう」

「来たくて来たんじゃありません」

 そう言いながらも、彼はティーテーブルをはさんで私の向かいに座る。
 私が手元に置いておいたベルを鳴らすと、アンがティーセットとお菓子を持って入ってきた。
 もう爆裂ベル鳴らしをしなくてもアンがいるときはアンが、いないときはマリーがすぐに来てくれるようになった。

「ありがとう。お茶は私が淹れるわ。カートごと置いていってくれる?」

「承知いたしました」

 アンが柔らかく微笑んで頭を下げ、部屋から出ていく。
 彼女の黒い棒はもう半分を下回っている。もともと優しい子なんだろうなと思う。

「姉上がお茶を淹れるんですか?」

「そうよ。あなたの言う通りあなたにはメリットがないから、せめてお礼にお茶でも」

「結構です。以前、まだ純粋だった僕は一度だけ姉上が淹れたお茶を素直に飲みましたが、そこらへんの雑草をすりつぶしたような味しかしませんでしたから」

 ……きっといやがらせの一環だったんだよね、それ。
 
「練習したから大丈夫よ」

 ティーポットとカップにお湯を注いで温め、ポットのお湯を捨てて分量通りの茶葉を入れ、再びお湯を入れてしばらく蒸らす。
 蒸らしたら、カップのお湯を捨てて静かに注ぐ。

「ハーブティーですか? あまり好きではありませんが」

「少しハチミツを入れるといいわ。眠る前だから紅茶よりもこっちのほうがいいわよ」

 ティースプーン一杯のハチミツを入れて混ぜ、彼の目の前にカップを置く。
 不信感いっぱいの顔でこちらを見るギルバートに苦笑しながら、毒見とばかりにハーブティーを一口飲む。
 はあ、美味しい。 
 それを見たギルバートが、渋々カップに口をつける。

「! ……案外飲めなくはないですね」

 素直に美味しいと言わないところが彼らしいといえば彼らしい。

「そうでしょ。ハチミツがいい仕事してるでしょう?」

 ギルバートは甘党だからね。

「ハチミツは肌にいいと言われていますが、その肌の変化はハチミツのせいですか?」

「吹き出物のこと?」

「はい。嘘のように消えましたね」

「そうね。でも洗顔方法を変えて保湿するようになっただけよ」

 セレナは週一のお風呂の時しか顔を洗わない、洗うときはゴシゴシこする、保湿はしない、脂っこいものと夜更かしが大好きと、肌に悪いことしかしてこなかったからなあ。
 それを改善するだけでかなり肌がきれいになった。
 色白だしもちもちだし、美肌と言ってもいいくらい。十代のお肌って素晴らしい。

「ところで、宿題だけど。頼りきりはよくないから、あなたが書き込んでくれたことを参考にもう少し進めてみたの。でもどうしてもわからないところがあって」

「どこですか」

「ここなんだけど。意味が通じないのよね」

「ああ、これは意訳するんです。だから……」

 ギルバートの説明を聞きながら、メモをしていく。
 やっぱり彼は頭がいいようで、すごくわかりやすい。
 頭が良くて、冷たいといえるほど冷静で、でも丁寧で。後継者として期待されるのもわかる。
 おまけに顔まできれいとなればね。わあ、まつげが長い。瞳も紫水晶みたいで、ほんとにきれい。

「思ったよりも宿題を進めていましたね。これなら数日で終わるでしょう」

「さっきも言ったけど、頼ってばかりじゃ申し訳ないし」

「姉上の辞書に申し訳ないなんて言葉が載っているとは知りませんでした」

「最近覚えたのかもね」

「……」

 ギルバートがしばし黙り込む。
 あれ? 変なこと言っちゃったかな?

「他に宿題はどれほど終わっていますか?」

「あちこち少しずつ手をつけてるけど、一番進んでるのは数学かな」

「……見せてもらえますか」

「? いいけど」

 デスクに移動して数学の宿題冊子を持っていき、見せる。

「半分以上終わっているじゃありませんか」

「そうね」

「……。しかもざっと見た限りでは答えも間違えていない。なぜ数学から?」

「うーん、得意だから?」

 そう言った途端、手首を強くつかまれる。
 一見細身なギルバートの力は強く、痛いと感じるほどだった。

「なに? どうしたの」

「お前は誰だ」

「……え?」

 背筋に冷たい汗が流れる。
 またギルバートの黒い棒が伸びた。

「姉上は数学が何より苦手だった。ドルス語よりもだ。急に得意になどなるものか」

 どう言うのが正解なのか。
 ギルバートの黒い棒はじわじわと少しずつ伸び続けている。

「そもそもある日を境に姉上は別人のようになった。姉上から僕に向けられるものは嫌味と嫌がらせしかなかったのに、そういうこともなくなって感謝の言葉すら口にするようになった。僕がきついことを言っても怒るどころかさらりと流す。体型も身だしなみも気にしていなかったのに、清潔になって肌も美しくなり、体型も日に日に引き締まっていく」

 あらお褒めくださってありがとう。
 なんて言ってる場合じゃないよね。

「挙句の果てには学力まで上がる? 特に数学は基礎が大事だ、基礎すらできていなかった姉上が得意になるはずもない。お前は誰だ、答えろ」

 手首を握る彼の手に力が入る。
 痛みのあまり顔をしかめた。

「私は、セレナよ」

「嘘をつけ」

「どうすれば信じる?」

「……なら子供の頃に転んでガラスで切った傷跡を見せてみろ。まさか忘れてるなんて言わないな?」

 傷跡、傷跡。
 ガラスで……ああ、思い出した。
 私はギルバートに手首をつかまれたまま椅子の上で体の向きを変えた。
 そしてスカートを膝上までまくり上げる。

「!」

「ほら、ここでしょう」

 私の膝の上には、たしかに白っぽい傷跡があった。
 思い出せてよかった。

「……っ、はしたない恰好をするな」

 いやあんたが見せろって言ったんでしょうが。
 他にどうやって見せればいいんですかね!?
 お年頃とはいえあんたも姉の脚見たくらいで赤面してるんじゃないわ。

「これで信じられた? 手を離してもらえるかしら」

「……」

 ギルバートがようやく手を離す。ああもう、赤くなってるじゃない。
 思ったよりも力が強くて驚いた。

「あなたは悪魔にでもとり憑かれたんですか」

「悪魔にとり憑かれて性格と頭と見た目が良くなるわけないでしょう」

「それで僕を誘惑しに来たのかもしれない」

 なんというひねくれた思考回路。

「弟を誘惑してどうするの。あなたを誘惑するならあなたが嫌いな姉になんてとり憑かないでしょう」

「……。嫌い、か」

 ギルバートが冷めてしまったハーブティーを飲んだ。
 ほんのり甘いはずのそれを飲み干した彼は、苦いものでも飲み込んだような表情を浮かべている。

「たしかに僕は姉上が嫌いだった。むしろ憎かった。なのにこんなに突然変わって、どうしたらいいのかわからない」

 ギルバートの顔が苦し気に歪む。
 今まで憎んでいた姉の急激な変化に、心がついていかないのかもしれない。
 セレナはひどいことをした。繰り返される陰湿ないじめは、人の心を深く傷つけて蝕む。殺したいと思われたって仕方がない。
 でも、セレナはたしかに私だったから。

「ギル」

「愛称で呼ばないでくださいと言っているでしょう」

「ギルバート。ごめんね。今までたくさん傷つけてごめんなさい」

「……! なぜ今さら謝罪なんて。僕が長年どれほどあなたに苦しめられてきたか……!」

 怒り、悲しみ、戸惑い。
 そんなものがごちゃ混ぜになった表情を浮かべる。
 黒い棒は……ひどくぶれていてよく見えない。こんな風にもなるんだ。

「たしかに今さらだよね。正直に言うけど、あなたが私を毒まんじゅうと言ったその少し前、私は頭を打って……記憶が混乱して人格も少し変わってしまったの」

 頭を打って変わったわけじゃないけど。
 ジードの首を絞めてたら前世を思い出しましたなんて言えない。

「少し変わった? 少しじゃないでしょう。それなら数学は?」

「三年生になってから、あなたに内緒でさかのぼってこっそり勉強しなおしていたのよ。数字に弱い後継者なんてお父様が認めるわけがないから」

 いろいろと嘘だけど、今はこう言っておくしかない。

「人格が変わるなんて、信じられない話かもしれないけど。私はたしかにセレナ・ウィンスフォードだし、何かに体を乗っ取られたわけでもない」

「……」

「謝罪はしたけど、許してくれなくていい。今さら謝るのはただの自己満足かもしれない。それでも、申し訳ないと思っていることだけは伝えたくて」

「……憎み切らせてもくれないなんて。あなたはやっぱり残酷だ」

「憎んでいい。私はそれだけのことをしてきたんだから。できる償いがあるならなんでもするわ」

 彼が前髪を乱暴にかきあげる。

「自分の気持ちを整理できません。今日はこれで失礼します」

 彼は立ち上がり、教科書とノートを持って部屋から出て行った。

 謝罪が早すぎたんだろうか。
 それとも、謝らないほうがよかった? かえって傷つけてしまったんだろうか。
 中身がアラフォーでセレナより人生経験があったって、結局人の心を理解することなんてできてない。
 それでも、彼とは向き合って償っていくしかない。
 死にたくないからだけじゃない。セレナとしての責任をとらなければ。

 でも……どうせ前世を思い出すなら、子供の頃がよかったなあ。
 そうすればギルバートをかわいがれただろうし、ジードを買うこともなかった。
 色々とどうにもならなくなってから芹奈として覚醒するなんて。

 これは何かの試練ですかね、神様?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

恋した男が妻帯者だと知った途端、生理的にムリ!ってなったからもう恋なんてしない。なんて言えないわ絶対。

あとさん♪
恋愛
「待たせたね、メグ。俺、離婚しようと思うんだ」  今まで恋人だと思っていた彼は、まさかの妻帯者だった! 絶望するメグに追い打ちをかけるように彼の奥さまの使いの人間が現れた。 相手はお貴族さま。自分は平民。 もしかしてなにか刑罰を科されるのだろうか。泥棒猫とか罵られるのだろうか。 なにも知らなかったメグに、奥さまが言い渡した言葉は「とりあえず、我が家に滞在しなさい」 待っていたのは至れり尽くせりの生活。……どういうこと? 居た堪れないメグは働かせてくれと申し出る。 一方、メグを騙していた彼は「メグが誘拐された」と憲兵に訴えていた。  初めての恋は呆気なく散った。と、思ったら急に仕事が忙しくなるし、あいつはスト○カ○っぽいし、なんだかトラブル続き?! メグに次の恋のお相手は来るのか? ※全48話。脱稿済。 ※R15は保険。 ※設定はゆるんゆるん。 ※作者独自のなんちゃってご都合主義異世界だとご了承ください。 ※このお話は小説家になろうにも投稿しております。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

【実話】高1の夏休み、海の家のアルバイトはイケメンパラダイスでした☆

Rua*°
恋愛
高校1年の夏休みに、友達の彼氏の紹介で、海の家でアルバイトをすることになった筆者の実話体験談を、当時の日記を見返しながら事細かに綴っています。 高校生活では、『特別進学コースの選抜クラス』で、毎日勉強の日々で、クラスにイケメンもひとりもいない状態。ハイスペックイケメン好きの私は、これではモチベーションを保てなかった。 つまらなすぎる毎日から脱却を図り、部活動ではバスケ部マネージャーになってみたが、意地悪な先輩と反りが合わず、夏休み前に退部することに。 夏休みこそは、楽しく、イケメンに囲まれた、充実した高校生ライフを送ろう!そう誓った筆者は、海の家でバイトをする事に。 そこには女子は私1人。逆ハーレム状態。高校のミスターコンテスト優勝者のイケメンくんや、サーフ雑誌に載ってるイケメンくん、中学時代の憧れの男子と過ごしたひと夏の思い出を綴ります…。 バスケ部時代のお話はコチラ⬇ ◇【実話】高1バスケ部マネ時代、個性的イケメンキャプテンにストーキングされたり集団で囲まれたり色々あったけどやっぱり退部を選択しました◇

悪役令嬢の兄に転生したみたいだけど…

八華
恋愛
悪役令嬢の兄に転生してしまった俺。 没落エンド回避に頑張ってみようとするけど、何かおかしな方向に……。 ※悪役令嬢な妹は性格悪いです。ヒロインさんの方が少しまとも。  BLっぽい表現が出てきますが、そっちには行きません。妹のヘイトを吸うだけです。 **2017年に小説家になろうに投稿していたものの転載です。**

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

幼女からスタートした侯爵令嬢は騎士団参謀に溺愛される~神獣は私を選んだようです~

桜もふ
恋愛
家族を事故で亡くしたルルナ・エメルロ侯爵令嬢は男爵家である叔父家族に引き取られたが、何をするにも平手打ちやムチ打ち、物を投げつけられる暴力・暴言の【虐待】だ。衣服も与えて貰えず、食事は食べ残しの少ないスープと一欠片のパンだけだった。私の味方はお兄様の従魔であった女神様の眷属の【マロン】だけだが、そのマロンは私の従魔に。 そして5歳になり、スキル鑑定でゴミ以下のスキルだと判断された私は王宮の広間で大勢の貴族連中に笑われ罵倒の嵐の中、男爵家の叔父夫婦に【侯爵家】を乗っ取られ私は、縁切りされ平民へと堕とされた。 頭空っぽアホ第2王子には婚約破棄された挙句に、国王に【無一文】で国外追放を命じられ、放り出された後、頭を打った衝撃で前世(地球)の記憶が蘇り【賢者】【草集め】【特殊想像生成】のスキルを使い国境を目指すが、ある日たどり着いた街で、優しい人達に出会い。ギルマスの養女になり、私が3人組に誘拐された時に神獣のスオウに再開することに! そして、今日も周りのみんなから溺愛されながら、日銭を稼ぐ為に頑張ります! エメルロ一族には重大な秘密があり……。 そして、隣国の騎士団参謀(元ローバル国の第1王子)との甘々な恋愛は至福のひとときなのです。ギルマス(パパ)に邪魔されながら楽しい日々を過ごします。

勇者のハーレムパーティを追放された男が『実は別にヒロインが居るから気にしないで生活する』ような物語(仮)

石のやっさん
ファンタジー
主人公のリヒトは勇者パーティを追放されるが 別に気にも留めていなかった。 元から時期が来たら自分から出て行く予定だったし、彼には時期的にやりたい事があったからだ。 リヒトのやりたかった事、それは、元勇者のレイラが奴隷オークションに出されると聞き、それに参加する事だった。 この作品の主人公は転生者ですが、精神的に大人なだけでチートは知識も含んでありません。 勿論ヒロインもチートはありません。 そんな二人がどうやって生きていくか…それがテーマです。 他のライトノベルや漫画じゃ主人公になれない筈の二人が主人公、そんな物語です。 最近、感想欄から『人間臭さ』について書いて下さった方がいました。 確かに自分の原点はそこの様な気がしますので書き始めました。 タイトルが実はしっくりこないので、途中で代えるかも知れません。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...