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しおりを挟む慌ただしく毎日は過ぎていく。
あれ以来、週末の午後の授業の後は土木と地盤の構造を学びにモルナール先生の研究室に行くようになった。
ランドさんが笑顔で振り分けてくれた僕の仕事は先生の部屋の片付けだ。
いつでも好きな時に、と言われていたけど片付けても片付けても週末には元通りになるものだから自主的に通うようになってしまった。
散らかされた道具や資料の分類作業。これも一つの勉強だ。無駄にはならない。
まだ一年だから、と学校の勉強を優先させてもらっているけど、二年生になったらベル先輩みたいに午後の授業には出られない日が増えるのだろう。
それでいて試験には合格しなければいけない。
行政学科の課題に追われて倒れた日のことが蘇る。
あの頃はまだベル先輩の薬も飲んでいなかったし魔力も安定していなかった。
今は栄養面も魔力の循環も改善されてるし体力もついて魔法を使える種類も範囲も増えてるから多少の無理もきくようになってる、はず。
そうこうしている内に冬季休暇が始まった。
冬と春の休みは短いので、僕のように実家の遠い生徒は帰省せずに寮に残る。
ノアとブラムは王都組なので実家や別邸に帰った。
王国の新年は家族や友人と静かに過ごすのが慣わしだ。
ご馳走を食べて大騒ぎをする国もあるらしいけど、王国では保存食を中心とした質素な食事で厳かに新しい年を迎える。
そこは貴族も平民も変わらない。
金のたてがみ寮の生徒も緑のひづめ寮の生徒も同じこと。誰もがいつもよりも大人しく神妙に寮生活を過ごし、新年を祝った。
僕はといえば、休暇の始まる前に「年が明けたら一度うちに遊びにおいで」とベル先輩から招待状をもらっていた。
とは言っても、正式なものではなく軽く昼食を取るだけだし、会うのもベル先輩のお母さんだけ。
ライマン伯爵夫人ではなく、生みのお母さんの方だ。
会いたいと思っていたから喜んで招待を受けた。
「伯爵も夫人も会いたがってはいたんだけどね」
「残念です」
「緊張でネイトが倒れちゃうといけないから遠慮してもらったよ」
安堵の気持ちをあからさまに浮かべた僕の顔に、ベル先輩が笑いを噛み殺す。
気遣いのできる先輩を持ててよかった。
***
会食の日。出迎えてくれたベル先輩は本物の王子様のようだった。
光沢のある白い生地の丈の長い上着には襟や袖に細かな金糸の刺繍が施されている。
クラバットの胸元には大きな宝石のついたブローチが光り、ベストのボタンには真珠が使われていた。
いつもより丁寧に整えた髪は艶やかなビロードのリボンで結えられている。
その金の髪に縁取られた綺麗な顔。
僕は、ベル先輩が現れたその瞬間、叫びそうになるのを我慢するために下唇を強く噛んで耐えた。
「どうかな?ネイトのお眼鏡にかなうといいけど」
「…………」
すました顔をしているけど多分これは照れている。それも含めて最高です。
そう言いたいのに、言葉が出ない。
感極まって涙まで出そうで思わず顔を覆う。指の隙間からベル先輩を覗き見た。
「完璧です」
絞り出すようにして、やっとのことでそう答えた。
もともとは僕が何かの折に「先輩の夜会服姿が見てみたい」とぽろりとこぼしたことが発端だった。
僕の希望を叶えるためにシーズンでもないのに先輩はわざわざおめかししてくれたのだ。
「ありがとう。夜会でもあんまりここまで着飾らないんだけどネイトのお願いだから全力で頑張ってみたよ」
やりすぎたかも、と小首を傾げて笑う顔も普段の悪戯っぽい感じではなく控えめで、上品に口の両端を持ち上げるだけなのが。すごく良い。
明るくて眩しい人ではあったけど、今日のきらきらはいつもとはまた違うきらきらだ。
僕こんな人と恋人なんて、長い夢を見てるだけなんじゃないだろうか。
「ネイトも、格好いいじゃないか」
ちなみに僕もおめかしをしている。
黒地にベル先輩とお揃いの意匠の金の刺繍。襟飾りのブローチも色違いの宝石のついたお揃いだ。先輩が贈ってくれた。着付けのメイドさん付きで。
「着て来てくれて嬉しいよ。よく似合ってる」
「先輩は……先輩は王子様みたいですっ」
「あはは、それはちょっと大袈裟だよ。本物に怒られちゃう。ネイトこそ精霊みたいに神秘的だ」
などと、お互いを褒めあってベル先輩のお母さんが現れてもしばらく気がつかずにいてしまった。
第二夫人として離れで暮らしているベル先輩のお母さん、ヒルダ様は一見すると控えめで大人しい人に思えた。
「ベルをよろしくね」
と、ベル先輩と同じ色の緑の目を細めて穏やかに微笑んでくれた。
会食が始まり、自己紹介や学校生活のことなど当たり障りのない話題がしばらく続く。
そのうちにベル先輩の子供の頃の話へと話題が移ると一転、怒涛のおしゃべりによってヒルダ様の物静かな第一印象は覆されることになった。
虫や蛇でメイドを驚かせたり、勉強をサボったり気に入らない家庭教師から逃げようとして窓から落ちたり。そんな暴露話に僕はどんな顔で相槌を打てばいいのかわからなくて困惑していた。
「……やんちゃ、だったんですね」
「でしょう?それに威張屋でもあったのよ」
「母さん、ネイトが困ってるよ」
苦虫を噛み潰したような顔のベル先輩は、さっきから何度もヒルダ様を止めようとしては失敗していた。
「それはもうずいぶんな王様気取りでね。俺は跡取り息子なんだぞ!ってふんぞりかえって。旦那様も奥様も可愛がってくださったけど、私としてはずっとハラハラし通しだったのよ」
「すごく意外です」
「母さん、もうその辺で」
「でしょう?わがまま放題好き勝手暴れては使用人を困らせて。その暴君がこんな…………それもこれもクリストフ様がお生まれになったおかげなのよ」
クリストフ様と言うのはベル先輩の弟さんのことだ。
「母さん」
「まさか、クリストフ様のために薬を作ろうとするなんて」
ヒルダ様がしんみりと呟く。
小さなベル先輩の失望と葛藤と決心。
その時にどう感じてどんな思いをして何を考えたのか。
僕には想像することしかできないけど。
視線の先のベル先輩が気まずそうに眉を下げて僕から目を逸らす。
「立派だと思います」
「……でしょう?」
少し震えた声で明るく笑う。
その笑顔は、ベル先輩にそっくりだと思った。
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