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しおりを挟む僕の「一緒にいたい」は却下されてしまった。
「また『今度』な」
はぐらかされた気がする。
「今度」なんて言わなきゃよかった。
寮までの帰り道。
とりとめもないことを話しながらゆっくりゆっくり歩く。
あんまりゆっくり歩いていたから邪魔だとばかりに追い越していく人もいた。
日がくれる手前の街はどこか忙しなく、道をゆく馬車もすれ違う人も急ぎ足だ。
緑のひづめ寮に着いても離れ難く、開けっぱなしの門の前でしばらく動けずにいた。
言いたいことは山ほどあるはずのに、何にも言葉になってくれない。
「あの、明日は午後からずっと研究室なんですよね」
「うん」
これはさっきもしたばかりの質問だ。
「ええと、今日は食堂で食べなかったんですか?」
「午前の授業が終わったらすぐに魔法学術院に行ったからね。向こうで食べたんだ」
これも二回目だ。
僕の繰り言をそれはそれは嬉しそうに聞いているベル先輩。
僕の話つまんなくないのかな。
本当に聞きたいことは聞けないで、どうでもいいことばかり聞いてしまう。
引き止めようと必死になるのはあの日以来だ。
先輩が僕の部屋の窓を叩いたあの日。
きっとあの時にはもう好きだったんだ。
「ネイト」
もう帰る。
その言葉を聞きたくないばかりに捻り出していた話題もとうとう尽きて泣きそうになる。
「俺、これからしばらく忙しくなると思うんだ」
「はい」
「女神の降臨祭があるだろ?二日間、学校も魔法学術院も休みになる。忙しくなるのはそのせいなんだけど」
「仕方ないです」
今でも昼休みの少しの時間にしか会えてないのにさらに減るのか。
「一緒に行かないか?降臨祭」
「はい。あ、え?降臨祭にですか」
理解するのに時間がかかった。
降臨祭に、僕とベル先輩で。
「行きます。行きたい」
飛び上がりたいのを我慢してそう答えた。
「よかった。じゃあ、俺帰るけど」
「はい」
「ちょっとだけな」
そう言うなり、僕を引き寄せ抱きしめた。
緑のひづめ寮の前を通る道はそこそこの人通りがある。
「今日は何にもできなかったからなあ」
だからってこんなところで。
そう思っても、やめて欲しいとは口に出せない。
ローブから薫る先輩の匂いを深く吸い込むと頭の芯が痺れるような気がした。
薬草と汗の混じった先輩の匂い。
「ネイト」
笑い混じりの先輩の声にハッと我にかえる。
僕は、気がついたらローブにしがみついて夢中で匂いを嗅いでいたようだ。
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。俺も補給できてよかった。……俺の匂い好き?」
甘い声に胸が疼く。
「好きです」
「俺も好きだよ」
もう一度、抱きしめる手に力がこもってベル先輩が離れた。
「じゃあ、本当に帰るな」
「はい。あの学校でも会えますよね」
「うん。時間はそんなに取れないけど顔を合わすくらいはできるよ。それじゃあね」
満面の笑みで手を振って歩き出すベル先輩に背中を向けられても不思議と、寂しくはなかった。
ベル先輩の言う通り「補給」されたからなのかな。
約束もしたし。
降臨祭、楽しみだな。
先輩の姿が見えなくなるまで見送って中に入ろうと振り向いた瞬間、バタバタと派手な音が聞こえた。
慌てたような声。誰かが転んだような振動。窓が閉まる音。
嫌な予感に顔をあげれば寮の窓に複数の人の影が見えた。
緑のひづめ寮の寮生たちだ。
隠れようとする者もいれば堂々と身を乗り出して見物の姿勢をとる者もいた。
一年生だけでなく、二年生も三年生もいる。
二階の窓から顔を出していた、あまり話したことのない上級生に「面白かったよ」と言われて頭が真っ白になった。
崩れそうな膝を奮い立たせ寮の中に入ると管理人室の小窓が開いて管理人の人が顔を覗かせる。
「できたら門の前もやめてもらえませんかね。邪魔なんで」
「気をつけます」
にっこりと笑って謝罪を口にすると、管理人の人はフンと鼻を鳴らし顔を引っ込めピシャリと音を立てて小窓を閉めた。
寮の中はしんと静まり返っている。
いつもはもっと騒がしいのに。ドアの閉まった部屋の中、様子を伺っている気配を感じた。
階段の前で立ち止まる。
僕の部屋は一階だ。
二階、三階は二年生と三年生の部屋になっている。
わざわざ上級生の部屋に入って見ていた一年生も、招き入れた上級生たちも。
何よりぜったい知っていただろうベル先輩も。
みんなみんな。
あんまりじゃないだろうか。
「見せ物じゃないっ!!」
腹の底から声を出して、思いっきり叫ぶ。
そこかしこの部屋から一斉に笑い声が聞こえて力が抜けた。
僕、こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてかもしれない。
***
『親愛なるエルマ様。
お元気ですか。きっと元気でいらっしゃることと思います。お仕事が忙しいのに僕の学校生活にまで微に入り細に入り気を配ってくださるくらいですから。先日いただいたお手紙に校医のプロイ先生のことを書かれていましたが、まさかそこまで親しいとは知りませんでした。少し失礼な態度をとってしまったかもしれません。ところで、プロイ先生から聞いてご存じでしょうが魔法学科の小テストでは可を三つも貰ってしまいました。頑張っているのですが魔法学は難しいです。次は一つでも優を貰えるよう努力します。それからブラムやノアとは問題なく仲良くできています。親しく話せるクラスメイトも増えました。これもきっとプロイ先生からお聞きでしょうけども。最近はあまり食べなくても熱を出すことはなくなりました。「親切な先輩」にもらった薬がよく効いているようです。知ってますよね?女神の降臨祭には「親切な先輩」と一緒に行くことになりました。もちろんこれも僕の手紙より先に知らせがいってることでしょう。エルマ様はなんでもご存じでいらっしゃいますから』
「ネイト」
部屋に入るなり机に向かい便箋を取り出して手紙を書いた。
「ネイトってば」
ガリガリとペン先を削りながら一文字一文字に心を込める。
伝えたいことがたくさんあり過ぎてまとまらない。
「ごめんって。俺じゃ止めることもできないしネイトはむこうを向いてるから知らせたくても無理だったし」
ため息をつくブラムを無視してペンを走らせる。
「ベル先輩はわざとだろうし。どうすりゃよかったんだよ。もう」
手を止めて振り返る。
ブラムがびくりと体を揺らした。
「ブラムのせいじゃないから気にしないで」
「……怒ってんじゃん」
「ブラムには怒ってないよ」
気を揉ませてしまってどちらかといえばブラムだって被害者だ。
きっとすごく慌てただろうな。
僕が鈍いばっかりに。
「本当だよ。怒ってない」
「……ごめん」
ブラムには怒ってないって言ってるのにな。
それなら僕は一体、誰に何を怒っているんだろう。
ベル先輩は隠すつもりはないと言っていたし。僕だってコソコソしたいわけじゃない。堂々としたいわけでもないけど。
ノアが言ってたみたいに周りからすれば前からベタベタしているように見えていたんだろう。だったらベル先輩に怒っても仕方のないことだ。
第一、ベル先輩に怒るなんて僕にはできない。
……ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ何か仕返しをしたいような気持ちはあるけども。
だったら緑のひづめ寮の生徒たちに?
これはあんなところで抱き合ってた僕たちにも責任がある。
それにしても管理人の人はなぜ来なかったんだろう。ああいうときこそ止めに入るべきじゃない?
じゃあ、プロイ先生かと言われれば。
プロイ先生はエルマ様に言われたから報告していただけで他の生徒に言いふらしたりしていたわけじゃないから怒る理由はない。
最後にエルマ様。
僕を心配するあまり、プロイ先生に監……見守りを頼んだその気持ちはわかる。養われている身だからここは我慢しなきゃいけない。
でも……。
『夏休みにエルマ様に報告できることが何か一つでも残っているといいなと思います。
あなたのネイトより。
追伸。
もしかしたら今後、僕からの手紙は必要ないのかもしれませんね』
でも、でもね。エルマ様。
恥ずかしくて居た堪れなくて、誰かに八つ当たりせずにはいられなかったんだ。
ごめんなさい。エルマ様。
ちょっとだけ、意地悪をさせてください。
他に受け止めてくれる人が思いつかなかったんです。
小さな子供が失敗を見られて癇癪を起こすみたいに。
僕が今、甘えられるのはエルマ様だけなんです。
便箋を三枚も使った手紙に封をして、そっと鞄に入れた。
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